8話
泣き声が聞こえる。誰もいないはずの耳元で、しくしくと女のすすり泣く声が響いている。幻聴ではない。さっきからずっとこの調子だ。
「なぜだ………」
溜息をついた鬼ヶ島優作は、洞窟の入り口に立ち、頭を抱えていた。
「なぜ僕が幽霊に謝りに行くことになってるんだ………」
「女性の心というものは、非常にデリケートなのです。これを機に少しは理解してください」
スマホの画面の中で、金色の髪のAIアシスタント、アイちゃんが冷静に言い放つ。
「耳元でいきなり声が聞こえたら、誰だって怖いだろ」
怖いから怖いと叫んだ、それだけ。それだけなのに、まさか泣かれるとは思わなかった。
「ほらご主人様、いつまでブツブツ言ってるんですか。早く謝りに行きますよ」
「……分かってるよ」
自分でもどうしてこうなってしまったのかは分からない。けれど人生、諦めが肝心。マシュマロをひとつ口に入れて、重い足取りで洞の中へと進む。
正体不明の人物に謝るために。
足元の岩場は凸凹していて滑りやすく、水たまりも点在している。慎重に歩かないと、ただでさえ濡れた靴がもっと悲惨なことになりそうだ。
鍾乳石の先端から、水滴が暗闇の中を落ちる音が不気味だ。そんな中でアイちゃんは笑顔。
(僕が辛いと嬉しそうなんだよな、このドSAIアシスタントは………)
優作はスマホをちらと睨んだが、無意味だった。耳元の泣き声は徐々に近づいてくるようだった。
やがて、ぽっかりと開けた広い空間に出た。
頭上、天井の割れ目からは陽光が差し込み、洞内をぼんやりと照らしている。その光が、足元に広がる青みがかった地底湖の水面に反射して、揺らめくような光の模様を天井に描き出していた。
「おお……」
思わず声が漏れた。幻想的だった。人工では決して生み出せない自然の神秘。吸い込まれそうなその景色に、ほんの少しだけ恐怖が和らぐ。
「ご主人様、左を見てください」
「ん?」
アイちゃんの言葉に従って視線を動かすと、そこに灰色の石碑のようなものが立っていた。
「これがなに?」
「もっとよく見てください」
優作が近づくと、石碑の表面には小さな文字が大量に彫られていた――が。
「……読めない」
酔っぱらいが書いたような、あるいは虫が這い回ったような、不思議な形をしていた。当たり前だが一文字たりとも理解できない。
「考えてみれば当然ですね。ここは異世界なのですから」
「ってことは……言葉も違う?」
「そうかもしれません」
「これはやばいぞ」
「その通りです」
文字も言葉も通じない世界で、どうやって生き延びろというのか。先行きの不安が、地底湖の冷たい空気と一緒にずっしりとのしかかってくる。
「ちょっとぉ……何してるんですか、私に謝りに来たんじゃないんですか……どうしてすぐに来てくれないんですか……私のことなんて、どうでもいいんだ……忘れてるんだ………ううううぅぅ………」
泣き声が一段と大きくなった。
「ごめん!今すぐ行くからっ!」
「もういいです、来ないでください………」
「今すぐ行くから、ね?」
優作は見えない誰かに向かって声を張り上げる。
「うーん………」
「なに?」
首を傾げるアイちゃんに問いかける。
「……情けないですね、ご主人様」
「うるさいなぁ……!」
水音と、すすり泣きと、笑い声が交じり合って、広い洞に静かにこだました。
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