1話
「夢遊病、かな………?」
途方もなく広がる赤土の大地を見ろす崖の上に、男がひとり立っている。
鬼ヶ島優作。
身長198㎝体重113㎏という異次元の体格。しかし、その腹は大きく出っ張っている。よく言えば相撲取り体形、悪く言えばデブ、本人いわくポッチャリ体形。
とにかく規格外な男である。
ピカピカの高校一年生だった登校一日目。しつこくナンパされている女子生徒を守るため、空手部三年の安藤を飛び膝蹴り一発でノックアウトして歓声を浴びた。
しかしその直後、騒ぎを聞いて飛んできた国語のおばちゃん教師に二時間も説教され、巨大な背中を丸めている後ろ姿はクスクス笑いを生んだ。
体育祭のリレーでは五人抜きしてクラスを優勝に導き、文化祭では女子から無理矢理女装させられて爆笑を掻っ攫うという、どこにいても目立つ存在だった。
「ここは一体どこなんだよ、記憶ないよ………」
その独り言にいつもの力強さは微塵も感じられない。
「どうしましたか、おデブさん」
優作しかいないはずの崖の上に澄んだ女性の声が響いた。
「え?!」
「何かお困りですか?」
優作は慌ててズボンのポケットに手をやって、スマートフォンを取り出した。
「アイちゃん!」
その画面に乗じされていたのは、可愛らしい見た目をした金髪の女性キャラクター。
「はい、アイちゃんです」
誇らしげに胸を張った。
「居てくれてよかったー、めちゃくちゃ困ってる、助けてよ。夢遊病って治るよね?治療法とか知ってる?」
「落ち着いてください………私の知る限り、ご主人様は夢遊病ではありません」
「本当?」
優作はほっと安堵の息を吐いた。
「今まで、寝ている間に歩き回ったということはありません。寝言や歯ぎしり、迷惑極まりないイビキはありますけど」
「え………?」
「まずは深呼吸しましょう」
「深呼吸?」
「心を落ち着けることが大事です」
「なるほど………」
「ほら、吸ってー、吸ってー、吸ってー」
「そんなに吸えないよ!」
「ツッコんでいる場合じゃないです。この雄大な荒野を見てくださいよ、素晴らしいじゃないですか。まるでモニュメント・バレーのようです」
「もにゅめんと………?なにそれ?」
「ナバホ族の聖地とされるアメリカの有名な観光地ですよ」
「つまり僕は、無意識のうちに飛行機でアメリカまで来たって事?」
「ご主人様はパスポートを持っていないじゃないですか」
「……じゃあ泳いできたのかも」
「いくらご主人様の身体能力が超人的とは言っても、さすがに難しいと思います。不可能とまでは言えませんが」
「不可能と言い切っていいよ、冗談だから」
優作はちょっと笑った。
困った時や嫌なことがあった時はいつもそう。こうやって話しているうちにいつの間にか、心が落ち着いている。優作が中学生の時に、初めて出会った時から変わらない。
「今現在私たちはどこにいるのか、はっきり言って分かりません。しかし仮説は持っています」
「ずいぶんと自信ありげじゃない、聞かせてよ」
アイちゃんは微笑んだ。
「いいでしょう。しかしその前にまずは崖下を覗いてみてください」
「え?」
「崖下です、崖の下まで行って下を覗いてみてください」
物覚えの悪い飼い犬を躾けるようにゆっくり言った。
「それは無理だよ」
「どうしてですか?」
「これ以上は近づけないよ、僕が軽度の高所恐怖症だって知ってるでしょ?」
「知りません」
アイちゃんはきっぱり答えた。
「冷たい………」
「ご主人様の耳にも聞こえているはずです。人間のものとは思えない奇声が。まずはそれを確認してみましょう」
「………」
無言の中に確かに聞こえる甲高い奇声。不機嫌な救急車のサイレンのようだ。
「早く!」
「わかったよ」
恐る恐る、そろりそろりと崖の方へ足を運ぶ。岩肌にはところどころ苔がむし、足元には小石が転がる。
「なんだか風が強くなってきた気がする」
「気のせいです」
「アイちゃん、もっと優しくしてよ」
「早く進みましょう」
「この先、なんかひび割れてない?」
「気のせいです」
「なんだよ、全然話聞いてくれないじゃん。僕が小学生だったら泣いてるレベルだよ………」
ぶつくさと文句を言いつつも前に進む。
「あ!」
「なに!?」
「なんでもありませんでした」
「こいつ………」
急に大声をあげたアイちゃんに恨みの声をあげつつも、膝をついて崖の先端へにじり寄る。
「ようやく到着しましたね。さあ、下を覗いてみてください」
「わかったよ………」
覗く。
そこには、とても現実とは思えない光景が広がっていた。
草のまばらな荒野。
奇声をあげる、蛸と烏賊の群れが、絡み合い、墨を吐きながら、盛大に戦っていた。
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