第57話 天より降りて
「ふふん、強がったところでもう無駄デスヨ! あなたの眷属はわたくしの血で散らしマス!」
鮮血の滴る左拳を突き上げるアーシアに、沖田は複雑な心境だった。この状況では他に手はないが、本心ではこんなことでアーシアに頼りたくはない。あの岩の怪物も己の力だけで倒せていればそれで済んだ話だ。
ともあれ、今はつべこべ言える状況ではない。男の意地、あるいは武士道。かけるものが己の命だけならばそれに殉じるのもやぶさかではない。しかし、この場はアーシアの命もかかっているのだ。
気持ちを切り替え、沖田はヒュースケンに視線を向ける。
「ずいぶん余裕を装ってるけど、ひょっとして表情筋が死んでるだけかな。もう打つ手はなさそうだけど」
岩の怪物という手は封じた。しかし、ヒュースケンが間合いの外にいるのは変わらない。足場になりそうな血管を探りながらヒュースケンを挑発する。
「……打つ手がないのは貴方の方でしょう。……私にはこれがあるのを忘れていませんか」
ヒュースケンがこれみよがしに銃の引き金に指をかける。
一発二発ならばかわせる自信があるが、それ以上に連射されたならばわからない。間合いを詰めたならばなおさらだ。
実はこの時点でヒュースケンのスペンサー銃に込められている残弾はたった二発なのだが、沖田にそれを知る術はない。欧州から来たアーシアにしても、ほんの数年前にアメリカで発明された銃の詳細などわからなかった。何より兵器の類は専門ではないのだ。
膠着状態。睨み合いが続く。
すぐに撃ってこないということは、残弾に余裕はないのだろう。また、一旦撃ち切ってしまえば装填に時間がかかるということも推察できる。だが、わかるのはそこまでだ。他の手を隠している可能性も否定できない。
沖田の方にも隠し玉はあるのだが、それはこの地下室で機能するものではない。もうひとつ可能性はあるが、そちらを期待するのはあまりにも虫が良すぎる。
時間はヒュースケンに味方している。
沖田はそう結論し、アーシアに目配せをした。
「一発ならそらせマス」
右手にかんざしを構えたアーシアが小声で応じる。
アーシアの印地打ちの腕前はいつか白峰神宮で新見錦に襲撃されたときに証明されている。何間も離れた間合いから蝕餬蚣の目玉を撃ち抜いたその実力ならば、ヒュースケンの牽制も十分に可能だろう。
沖田は小さく頷いて、地面を蹴って弾丸の如く飛び出す。
「……はあ、やはりそう来ますか」
銃声。ヒュースケンが嘆息とともに引き金を引いた。
沖田は即座に横っ飛びし、弾道から身を躱す。
勢いのまま張り巡らされた血管を蹴り、空中に駆け上がる。
銃口が沖田を追う。
銃声。
ヒュースケンの右手の甲にかんざしが刺さっていた。
銃弾は沖田から大きく外れ、岩壁に当たって火花を散らす。
ここからは賭けだ。
三発目はあるのか、ないのか。
「……いやはや、聖女様も大したものだ」
ヒュースケンは銃を沖田に向けて投げつけた。
弾切れの苦し紛れだ。
そう確信し、最後の足場を蹴って一直線に跳躍する。
「……しかし、銃が一丁しかないと決めつけるのは早計でしたね」
銃声。左肩に衝撃。
「うぉぉおおおっ!」
体勢を崩しながら空中で加州清光を振るう。
切っ先が届いた。
ヒュースケンの顔面を顎から斜めに切り上げる。
続いて浮遊感。
水音。
全身に衝撃。
背中から落ちた。
左肩に焼きごてを押し当てられたような痛みが遅れてやってくる。
「ソージ様!!」
アーシアの叫び声。
撃たれた。
やっと思考が追いつく。
仰向けに倒れたまま、頭上のヒュースケンに焦点を合わせ、精一杯の強がりを言う。
「へえ、結構な男前になったじゃないか」
沖田の目に映ったのは、左手に回転式拳銃を握ったヒュースケンの姿だった。
顔面の皮が切り剥がれ、中身があらわになっている。
ヒュースケンの中身は、人間の身体構造ではなかった。
筋肉の代わりに線虫がびっしりと這い回り、目玉がこぼれた眼窩からは大きなイソメが顔を出している。白い歯に見えるものは等間隔に並んだフジツボだった。
「……はあ、間一髪ですね。……危うく首を落とされるところでした」
中身を剥き出しにしたヒュースケンが、眼下の沖田にリボルバーの銃口を向ける。肩の傷と落下の衝撃で体が動かない。いくらヒュースケンが下手くそでも、これでは外しようがないだろう。
「……武士の情け、と言いましたか。……辞世の句ぐらいは聞いておきましょうか」
「そりゃ慈悲深いことで」
「……あまり待つつもりもありませんがね」
撃鉄を引き起こす音が響く。
沖田は目を見開いたまま、笑みさえ浮かべて呟いた。
「豊玉が天より降りて首を斬る」
「……ホウギョク?」
ヒュースケンが一瞬、首を傾げる。
「俺の雅号だよ!」
「……なっ!?」
ヒュースケンの頭上から人影が降り、銀光が閃く。
異形の首が宙を舞い、水音を立てて地面に転がった。
「おうおう、派手にやられてんじゃねえか、総司」
「トシさんが来るのが遅いせいですよ」
「馬鹿野郎、あっち側に階段があったのはいいが、迷路みたいに入り組んでやがったんだよ。おまけにイソメ男もうじゃうじゃいて難儀したぜ」
天より降ったのは、分断されていた土方だった。
分断されたあと、階段を見つけて食堂まで戻り、天井に開いた穴から再び飛び降りてきたのだ。
ここが地下室として利用されていたのであれば、当然行き来のできる通路があるはずだ。分断された沖田たちの側にはそれらしきものは見当たらなかった。ならば土方の側にあると予測していた。それが沖田が考えていたもうひとつの可能性だ。
「こんなことなら待ってればよかったな」
「そんな口を聞く余裕があるんなら、もっとゆっくり来ればよかったぜ」
差し伸べられた手を頼り、沖田はよろめきながら立ち上がった。




