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百八十七話 乳母

「今日は楽しい面会日~~~可愛いあの子に会えるのよ~~~」


 すいさまの赤ちゃん、明晴みょうせい皇子に会える日、である。

 私はすっかり愛する我が子とやむを得ず離れ離れになった哀しい母の心情をエミュレートし、この日を無事迎えてテンションダダ上がりになっていた。


「お願いだから央那おうなは赤ん坊の前で歌わないでちょうだいね。その音痴がうつったら笑い話にもならないわ」

「翠さまの私への当たりが最近キツい件」


 厳しい物言いは元々だけれど、私の打たれ強さを日ごとにストレス強度を上げてテストしているのではと疑いたくもなる。


「どの道あんたがそんな歌を披露した日には北の宮をすぐに追い出されて出入り禁止になりかねないわよ。宮城きゅうじょうの安らかなる平穏を異怪極まりない邪法の歌でいたずらに乱した罪なんかに問われるかもしれないわ」

「え、私の歌、そんなにヤバいです?」

「割とね」


 歌いたいときに歌うくらいも許されないこんな世の中ですか。

 またポイズンでも撒き散らすしかねえなこりゃ。

 私と翠さまのバカ話を生温かい目で見守りながら、毛蘭さんが言う。


「明晴さま、って呼びかけたら、こっちを向いてくれるかしら。今から楽しみだわ」

「素敵な名前を付けてもらってなによりでしたねえ」


「こっち見て!」「ラブ明晴!」ってうちわとか鉢巻作ろうかな。

 今の私の最推しコンテンツはプリンス明晴一択ですので。

 え、同担? 

 ん~まあ私ほどの熱意がある同志に限り、許す!

 あ、界隈のボスは翠さまなので、ちゃんと仁義を切っておいてくださいね。


「ではみなさま、そろそろ参りましょうか」


 赤ちゃんに会うため、向こう側の準備が整ったようで、銀月ぎんげつ太監が知らせに来た。

 母が子に会うだけなのにいちいち面倒で大仰なのは至極不満だけれど、これも翠さまの生きる世界の約束事ならば仕方がない。

 翠さま自身がこの現状に泣き言も不満も述べていないのだから、側にくっついているオマケの私たちがなにをかいわんやである。

 本当にムカついたときは翠さまは自分でそれを表明できる人なので、そこは信頼して任せるのみだ。


「皇子、明晴さまが司午しご翠蝶すいちょう貴妃殿下に会われます。万歳、万歳」


 北の宮で待っていた川久せんきゅう太監が、そう宣言して皇子さまの居室の扉を開ける。

 あくまでも、皇子が貴妃に会う時間。

 母が子に会いに来た時間ではないのだというその言い方に、私は悔しさで歯を噛みしめる。

 翠さまと毛蘭さんは冷静な顔を保っているけれど、その心中はいかほどのものだろう。


「翠蝶入ります」

「以下侍女二名、畏れ多くも席を同じくさせていただきます」


 翠さまと毛蘭さんが挨拶を述べ、三人で頭を下げ、中に。

 部屋の片隅にある長椅子に、明晴さまはいらっしゃった。

 およそ三十歳前後に見えるくらいの、乳母の女性に抱かれて。


「たった今、お休みになられました」


 乳母さんはそう言って、ごく慎重に翠さまに赤子を抱かせた。

 ちょっと離れたところでその様子を見守る私にも、明晴さまのすぅぴぃという寝息が聞こえる。

 ああ、なんて幸せなメロディー。

 でも寝ちゃったのなら、遊べなくて残念だよ、くううう。


「ふふ。ほっぺが目に見えて膨らんで来たわね」


 翠さまも赤ちゃんの寝顔を見つめ、さっきまでとは打って変わったように優しげな顔を見せる。

 いつもは鋭敏果断な翠さまも、さすがにはじめての我が子と言うこともあり、分からないことだらけで不安なのか。

 ためらいがちな口調で、乳母さんにこう訊いた。


「庭に出たらせっかく寝たのを起こしてしまうかしら」

「日陰であれば大丈夫でしょう。今日は温かくて風も強くありませんし」


 子育ての先輩である乳母さんの教導を素直に聞き、翠さまは嬉しそうに頷いた。

 私と毛蘭さんが中庭へ通じる戸を静かに開ける。

 庭を使うことは事前に伝えてあるし、あの場蝋ばろうさんの口ぶりなら邪魔が入ることもないだろう。

 手頃な木陰を見つけて芝に腰を下ろした翠さまは、静かに一言も発せず、ただただ赤ちゃんの健やかな寝顔を見守って過ごした。

 可愛すぎるほっぺたにチューとかしたい邪念を私も必死で払いつつ、木漏れ日の下の母子をなんだかありがたい気持ちで見つめるのだった。

 絵が得意なら、ここで筆を握っただろうにな、とか思うと自分のぶきっちょが切ない。


「結局は起きなかったわね。お乳をあげたかったのに」


 残念そうに言って翠さまは面会を終え、引き払う準備に入る。

 ふわふわのベビーベッドで横になる明晴さまは、ぷしゅぷしゅと口を動かしながら、実に気持ち良さそうに、堂々と寝入っていた。

 ちょっとやそっとのことで起きる気配もない。

 将来は大物になるだろう、なんて私は親バカならぬ侍女バカを発揮して感想する。


「休んでられるときと起きてられるときの境目が、実にはっきりしております。豪胆な快男子になられるでしょう」

「そうだと良いわね。じゃあこれからもよろしく」


 翠さまは乳母さんに別れの挨拶を告げ、少し寂しそうな吐息を漏らしつつ、北の宮を後にした。

 皇子さまといっぱい遊べなかったのは、私も本当に心残りだよ。

 けれど。


「優しそうな方が乳母で良かったですね」


 私がなんの気なしにそう言うと、毛蘭さんが目に暗い光を宿し、返した。


「なにが良いものですか」


 私は一瞬、彼女がなにをこんなに険しい顔で想っているのかがわからなかったけれど。


「あ、ああ」


 その心理を想像し。

 背中に、怖気が走った。

 乳母が優しければ優しいほど。

 赤ちゃんは、乳母の方に懐いてしまう。

 会う時間が少ない実母と、いつでも優しく包んでくれる育ての母と。

 あの子が物心ついたとき、はたしてどちらを本当の母、心の帰るところとして、敬愛するのだろうか。

 今は可愛い可愛いでべったべたの翠さまにしても、きっと子どもが成長するに従い、怒りんぼのガミガミ母さんになって行くに違いない。

 翠さまはそういう人だと、どんなに愛していても甘やかしはしないと、私たちは知っているのだから。


「じゃ、じゃあどうすれば」


 しょげた声で呟く。

 まさか、優しそうな乳母さんだからチェンジしてくれなんて注文は、さすがに道理が通らない。

 うろたえる私を尻目に、翠さまは相変わらず翠さまで。


「なるようにしかならないわよ。いちいち気に病むのはやめなさいな」


 母になった強さからか、いや生来そういう気構えだったからか。

 いつものように力強く言って、慈母の顔から西苑さいえん統括の貴妃の顔に戻った。

 そうだな、私たちは負けない、翠さまはやってくれるって、信じなきゃね。

 翠さまの言う「なるようになる」とは「なしてみせる」と同義語なんだよね。

 クヨクヨしていて見られる明日の晴天はないのだ!


「おっと、お待ち下され翠貴妃。お部屋に戻る前に、お伝えしたいことが」


 朱蜂宮しゅほうきゅうの南門。

 外で待ってくれていたのか、銀月さんがいて声をかける。


「どうしたのよ。つまらない話だったら央那の夕食のおかずを一品減らすわ」

「なんでこっちにとばっちりが来るんですかー!」

「なにかに八つ当たりしたい気分なのよ。あたしの侍女なら察しなさい」

「そんなことまで完璧に察してたら、私の侍女生活、虚無しかないですやん」


 うつろな目で翠さまのサンドバッグになり、なんでも言うことを聞くオートマタに成り果てた自分の未来の姿が見える、見えるぞ!

 アハハと楽しそうに笑って私たちの漫才を聞いていた銀月さん。

 けれど不意に真面目な顔になり、翠さまに顔を寄せて、小さい声で伝える。


角州かくしゅうから早馬で来たものからの報せでございまする。翠さまの体によこしまな術を仕掛けて眠らせるという不届きを行った術者たちを、角州公はとうとう捕縛なされたとのこと」


 角州、斜羅しゃらの街から逃げた法師集団のことだ!

 きょうさん含む尾州の貴族連中が、翠さまの出産を遅らせるためと言うふざけた動機で犯した大罪の尖兵が、やっと捕まったのか!!


「ちゃんと仕事してたのねとくちゃんのやつ。たしかに少しはマシな話だったから央那の夕ご飯が闇へ消えずに済んだわ。銀月に感謝しなさいな」

「え、おかずが一つだけって話だったのでは?」


 いやそんなくだらねー話はどうでもいいわいこの際。

 ほっとした表情で、毛蘭さんが言う。


「それはなによりでしたね、翠さま。これで公正な調べと裁きが更に進んでくれることでしょう」

「詳しい話は、いずれ想雲そううんどのとこん女史が文書を届けに来るということにございます」


 銀月さんが言うには、連絡相談のために想雲くんと翔霏が河旭に来てくれるらしい。

 二人の言葉にいつものすまし顔で、翠さまはこう答えた。


「無事に赤ん坊を産んだ今となってはあたしにとって終わった話なんだけどね。まあ玄兄さまや司午家いえの連中の溜飲は下がったでしょ。舐められっぱなしで終わらせるわけにもいかないでしょうし」

「そんなあ、もっと喜びましょうよう。なんなら歌でも歌いましょうか?」

「やめてちょうだい。このあたしが心からお願いするわ」


 いたく真面目に、むしろ懇願の勢いで却下されて、私の歌はそこまでダメなのかと絶望するしかない。

 でも翠さま、あんたらしくねーぜ。

 これは私たち翠さまグループや、司午家に売られた喧嘩ですよ?

 この調子でドンドン巻き返してやろうじゃねーかいと、意気軒昂、発奮するところでは?

 けれど、そんな私の盛り上がりをよそに、翠さまは軽く溜息を吐いて。


「正直あたしはあんな妖怪もどきにあんまり深入りしたくないのよね」


 去年の夏、私に忠告なさったようなことを、おっしゃったのだ。

 気色の悪い連中に関わると、引っ張られて自分もそうなってしまうのだと。

 でもごめんなさい、翠さま。

 私はとうに、手遅れだと思うのです。

 ま、私の「なにかやり返してやりたいって気持ち」も別に、命がけの話ではないし、深刻度や重要度は今現在、さして大きくはない。

 それより翔霏と想雲くんは今回、しばらく河旭に滞在してくれるのかなー、などと期待しながら。

 翠さまを見習い、平常心で私は二人の来訪を待つことにしましょうかね。

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