第十九縁。
今(今日)、出来立てほやほやです(笑)。
「どうしたのお嬢ちゃん? こんな危ない森の中で?」
ボクにそう問いかける目の前の一人の女性。
それは、狩人風の緑色の服を着た、茶色のボーイッシュなショートカットをした大人の女性である。左手に弓を持ち、右手には焦げ茶色のグローブをしており、そして背中に背負った筒の中に矢が何本も入っている。
「えっと……ご主人様の為に木の実を探しに来てたら、どんどん森の奥へと迷い込んでしまって……」
声色を女性の様に変えて、思いついた嘘を吐くボク。
どうやら、このメイド服とシャロンちゃんがしてくれたメイクもあってか、ボクはただの女性と間違われているらしい。まー……嫌だけど、ボクの見た目が中性的存在だって事も大きく影響をしてるとは思うけど……ね。
「そうなの? 主人の為にこんな所までなんて、何て健気なメイドね」
ジリッ。
そんな優しい声をかけながら、ジリジリとボクへと寄ってくる女性の姿。……何故か、不思議なオーラをぷんぷんに匂わせて。
「アナタ何処の主人のメイドなの? 良かったら私に教えてくれないかな?? ここは危ないから私がそこまで送ってあげるよ」
何か別の事を含んだ様な、優しい微笑を浮かべて、さらにジリジリと寄る彼女の姿。
ゾクゾクぅ……。
そんな鳥肌にも似た感覚がボクの肌を走る。
嫌な空気がするそんな彼女から後ずさりするボクは、コンッと太い木に背中をぶつけてしまうと、
「ほら、危ないよね」
と、素早い動きと共にすかさずボクとの間を詰め寄った彼女。
それは、彼女の息がボクにかかるくらいの、色々な意味で危ない距離である。
ボクはそうなって、やっぱりと何処か確信したのだった。
はぁ……。この人……噂に聞く百合な人って奴だ……。
と。
「お嬢ちゃん、ここは危険だから安全な所まで連れて行ってあげようか?」
と、ニッコリと素敵な笑顔。
きっと漫画やアニメなら、彼女の周りには綺麗な花達で飾られてるかも知れない。
「いいえ……そんなご迷惑はかけられませんから……」
そんな彼女に、背中にじっとりと嫌な汗をかきつつ、ニッコリと微笑み返すボク。
先ほど『主人の家まで』と言っていたのに、言った舌の根も乾かぬ内に『安全な所まで』と変わっている所から、凄く身の危険を感じるボク。何より一番危険なのは、こんな命を落とす危険性もある危ない所なのも関わらず、ボクを口説こうとしているこの人が一番危険な気がするのだ……。
「怖いの? 大丈夫? 震えてるけど?」
迫り寄るアナタに怖くて震えてるんです……なんて事は、口が裂けても言えないこの状況。
「大丈夫、安心して。私に任せれば全部守ってあげるから」
艶かしい視線が、色濃く見えた彼女。
きっとここには『安全』なんて言葉が存在しないのかも知れない。
早く……アーシャ助けに来て。
彼女の手が慣れたような手つきでボクが着ているメイド服に手をかけ、ボクは心底から助けを願ったその瞬間……。
「アタシのメイドに手を出すなんていい根性してるわね、アンタって」
彼女の後ろの方から、聞き慣れた天の声が聞こえたのだ。
「なっ!」
その声と共に我に返った彼女は、振り向きながら自分の腰へと片手を伸ばして、身構える。
「あ、もしかしてコレ?」
何気ない口調で問いかける彼女、アーシャの手には一本の短刀が握られていたのだ。
「何時の間に!?」
身構えた片手に有るはずの得物が無い事に気がついた彼女は、驚愕の声を漏らした。
「さーね、何時だろう? アタシのメイドを主人の家まで送ると言った時でしょうか? または口説いた時でしょうか? それともその手が彼女の服へとかかった時でしょうか?」
ニッコリと悪戯めいた顔で笑いながら、問題を出す様に問いかけるアーシャ。
「ふふ……バカね、この距離からじゃ弓も撃てないと安心してるのでしょう? その余裕がアナタの命取りよっ!」
そう言って彼女が背中にある矢を取ろうとしたその瞬間っ!
ドゴッ。
鈍く重い音が響き、そして目の前の彼女がゆっくりと倒れこむ。
「正解は、アンタが短刀に手をかける直前にでした」
と、ゆっくり倒れこむ彼女に正解を告げるアーシャは、更に付け加えて、
「どうせ鋭く尖った矢に毒でも仕込んでたんでしょ? 小さな傷口からでも殺す事の出来るくらいの猛毒をね。それを持って刺すか投げ刺すかして毒殺しようとしてたんでしょうけど。でもそんなの短刀が何時盗られたかも解らない様な技量じゃ、意味なったんじゃないかな?」
淡々と語ったのだ。
助かったぁ……。
と、ボクは安心したのもつかの間、ふとアーシャに問いかけてみる。
「もしかしたら最初から見てて、ボクの反応を楽しんでたでしょ? アーシャ」
「さぁ、どうだったろうね」
ニッコリと微笑みながら返した答えには、シッカリと見てましたという意思表示が出ていた気がするボク。
数が多いから、敵を分散させる為に一旦は二手に分かれよう。こっちが終ったら直ぐに助けに行くからと言ったのはアーシャの方なのにな……。
ボクはふと、早くおいでよと前方で手招きをする、そんなアーシャの姿にむくれっ面する。
「怒らない怒らない妖一っ。アタシは妖一の女の子姿が可愛くて、つい見とれてしまってただけなんだから」
「そんな褒め言葉なんて『男の子』のボクには嬉しくなんか無いからね、アーシャ」
晴れ晴れしい笑いを浮かべるアーシャに、ジー……と視線を向けて言葉を零したボク。
悪い悪い。と、言いつつきっとそんな事これっぽっちも思って無さそうなアーシャに、タメ息を一つ吐いたその瞬間、ガラリとアーシャの気配が変わったのを感じたボク。
「ど、どうしたの? アーシャ」
その真剣な表情を浮かべるアーシャに、恐る恐る問いかけてみる。
すると、小さく舌打ちを鳴らしたアーシャは、
「ご丁寧にそんなものまでここに持って来てたのね……」
厳しい顔で、何処からか感じた何かに警戒していたのだ。
また何か……来るのかな? さっきまで簡単にあしらったアーシャが警戒するくらいだから、もし来るのだとすると、きっと凄いものが来るのかも知れないな……。
アーシャのそんな姿にボクも緊張が走る。
「妖一、ここはひとまずババルゥまで戻るわよ。今のアタシじゃ、妖一を助けながらなんて一体が精精で二体以上なんて無理だから」
「え? ……うん。でもこのまま戻ってもいいの? ここに何か用事があったんじゃないの? アーシャ」
「大丈夫。さっき分かれた時に敵を探しながらも森を大きく見て回ったから」
ボクの問いかけにやや早口で答えるアーシャ。
きっとそれほどこの場を急いでるに違いない。
「解った、戻ろう。シャロンちゃんも心配してるだろうからね」
頷き、そしてこのクレアントの森を後にするのだった。
カコンッ。
と、鹿威しの竹筒が打ち鳴らす清音が、何処からとも無く響いてきそうな大浴場。
そこには、ヒノキの様な香りがする物で作られた湯船に、頭上3mから流れ落ちる打たせ湯。そしてほのかに鼻に香る柑橘系のミストサウナと、極め付けには岩盤浴といった種類がこの広い大浴場に完備されている……。
「ここは、本当に木の中なのかな……」
目の前に広がる無茶苦茶な世界に、ポツンと立って呆然とするボク。
そんなボクに、当たり前でしょ? と、至極当然に言い返すアーシャは、赤く綺麗な石で出来た椅子に腰掛けながら、向けた視線が何かをボクに語りかけている。
そんな石の椅子に座るアーシャは、見えてしまいそうで見えはしない、軽そうな薄いワンピース風の湯浴み着を着て、どうやらボクを待っている様子。
クイックイッと、カモーンって人差し指で招いてボクを呼ぶアーシャ。
その姿に一つタメ息をついて、トボトボと向かうと、
「はい、妖一はアタシの背中を流してね」
オレンジの様な香りがする石鹸とタオルを渡されるボク。
近くに寄れば解る通りに、アーシャの着ている湯浴み着は透けなくとも薄く出来ているので、徐に揺れるそのラインが見て解ってしまうのだ。
視線を少しばかりアーシャから外して、ふとぼやくボク。
「……ボクはアーシャの一体何さ? 三助さんか何かなの?」
「何それ?」
と、見事にボクは問い返され『うんん、何でもない』と答えたのだ。
三助さんとは、銭湯などの浴場で垢すりや髪梳きなどの『流し』のサービスを行う人の事を言うんだけど……なんて、ボクの世界の事なんてアーシャは知る由は無いよね。
そう思いつつ、
「別にこんな事くらいボクじゃなくてもいいんじゃないの? アーシャ。望めばごまんと人は居るんだしさぁ……」
ふと先ほどの事を口に出した。
それはアーシャの城に帰った後の事。疲れたアーシャが『お風呂に行く』と言って、ボクを強制同行させようとすると、帰宅のアーシャの周りに集まったメイド姿の女性達がやんややんやと騒いだのである。
「ン? あぁ、アレね。ほら、アタシってこんなんでも第一王妃の娘で、一応『王女』だからね。世話係にしてみたら一緒にこのお風呂に居る事その事体がなんでも光栄らしいのよ。
それにさ、アタシって昔から義妹が出来るまではお風呂はいつも一人で入ってたから、専属で誰かを付けるとか無かったかし、なお更世話係達が驚いてんでしょうね」
「それで……羨望と怨み妬みの生暖か~い眼差しがボクへと降り注いだ訳ね」
やんややんやと騒いでいたせいで、周りが何を言っているか解らなかったボクは、それでも恐ろしい視線を向けられていた意味をやっとここで理解したのだ。
何だかシャロンの弟のアウザーよりも先に、お世話係の人達に殺されたりして……ね。
嫌~な想像をして、軽い身震いを覚えたボク。くわばらくわばら。
「ん。はい、お願いね」
そう言うと、突然、湯浴み着のサイドにあった小さなボタンを一個一個外して、背中を露にするアーシャ。
「ちょっ、何で脱いでるの!?」
「はぁ? 脱がないと妖一がアタシの背中を洗えないでしょう?」
急に目の前で脱がれたボクが慌てて言った言葉に、しれっと返すアーシャの姿。
開いた脇から胸がチラリと覗け、思わず視線を宙に向かせながら、
「心の準備とか、ボクにだって色々あるんだから……ね、アーシャ」
大きく鼓動する心臓の音が聞こえやしないかと、冷や冷やな気持ちになるボク。
「今更何を言ってるの妖一。アタシの全部見たクセにね」
クスクスと、笑いを零しながらそう言うアーシャ。
いや、それは不可抗力であって……なんて今更聞く耳を持たないだろうなぁ、アーシャ。
ボクは深いタメ息を吐いて、仕方無しに石鹸で泡立てたタオルで背中を洗う。
あ……柔らかいんだな、女性の背中って。少し強めに力を入れただけで、皮膚が切れちゃいそうで少し怖いけど、何処か気持ちいい気がするな……初めて知った……。
なんて初めて触れた女性の背中に、何処か不謹慎な事を思ってしまったボク。もしかしたら最低かも知れない。
すると、またクスクスと笑うアーシャにボクは、
「え!? くすぐったかった??」
慌てて慣れない手を止めて問いかけた。
誰かの背中を流すのは、小さい時に父さんに流したのが最後なので、加減が解らないのである。それも男の背中で女性とはまた違うのだから、なお更だ。
「ううん、そうじゃないって」
笑顔でこっちに振り向いて、
「ただ、今日一日が初めてつくしだなって。初めて身体を男性に見られて、初めて義妹以外と一緒にお風呂に入って、そして初めて男性の手を背中で感じたな……って」
ほんの少し、頬を赤らめたアーシャ。
もしかしたら、お風呂の温度のせいでそうなったのかも知れないけれど。
「え? だってお父さんととか、お母さんとかと一緒に入ってたんじゃないの? 流石に最近は無いかも知れないけれど、子どもの時と……」
すると、ボクの言葉が終わらぬ内にアーシャが言葉を言葉で遮り、そして続けた。
「アタシのお父様は今と何も変わらずにいつも戦場へと出向いて、アタシの側には居てはくれなかったかな。だから一緒に入った記憶も無いかも知れない。ううん、きっと無い。お母様は……物心ついた時から、小さい時に死んだってお父様に聞かされてるから、全然記憶には無いの。弟はー……男性だからね、生まれた時からアタシよりも高位だったし、向こうから望まない限り一緒に入る事なんて出来ないから。
だから、3年くらい長い遠征から帰ったお父様が、シャロンを連れて帰って来た時は、すっごく喜んだっけ。これで家族と一緒にお風呂に入ったりとかも出来る! って」
と、辛い言葉をニッコリと笑って何処か懐かしむ様に。
あ、そっか。だからお世話係と一緒に入らなかったのか、アーシャ。出来るだけ家族と一緒に楽しみたいし、こうゆう時間を大事にしたいて。
……もしかしたら、このアーシャから感じる強さは、いつも一人で居た孤独と、守らなきゃいけない義妹を思う気持ちから来てるのかも知れないな。
そんな事を思ったボクは、アーシャの肩を思わずギュッと抱きしめた。
「よ……」
「ボクもね、昔に母さんを亡くしてるんだ……」
ゆっくりとアーシャから離れて、頭を、その長い髪を愛おしい位に優しく撫でた。
偉いねアーシャ。ボクはそこまで強くないけど、その気持ちは解って上げれるかも知れない。
ニッコリと微笑むと、茹蛸の様に真っ赤に染まるアーシャを見て、ボクは自分がした事にふと気がついた……。
あ、しまった……。思わず抱きしめちゃった……。
「だ、抱きしめられたのも……男性とは初めてで……」
真っ赤になってごにょごにょ口調になるアーシャをボクはクルッと背中を向かせて、
「痒い所は、ありませんか?」
まるで、美容師さんがお客さんにシャンプーをしている時の様に問いかけ、そして思わず自分がしてしまった事を誤魔化す様に背中を洗うのを続けたのだ。
「……が少し痒い……」
小さくごにょごにょとした口調だったので、上手く聞き取れなかったボクは、
「え? もう一回お願い、アーシャ」
「こころ……何でもないっ。背中はもういいって言っただけよ」
と、問いかけに軽くつっぱね返されたのだ。
「あ、うん。それじゃ前は自分でお願いします」
やっぱりマズかったかなー……あはは。
そう苦笑いを浮かべつつ、泡まみれのタオルをアーシャに手渡してお風呂場から出るのだった。
ボクと彼女と彼女の縁結び記
第十九縁『危険と大浴場と家族。お風呂場とは色々裸にしてしまうとても危険な場所なんだなって……今更になってボクは思ったんだ』