第十五縁。
「妖一殿、何かして欲しい事は無いかの?」
ふと、唐突に空ちゃんがボクに尋ねた。
それは、空ちゃんの特別研究室兼マイルームから自分の部屋に戻ろうとした時の事だった。
空ちゃんの言葉にガッチリとボクの腕を抱いていたあかねさんは、
「もう何もしてくれなくていいよアンタは」
少々苛立てた声でボクの代わりに言葉を返す。
まー……先ほどまで何があったかと思い返せば、仕方ない反応なのかも知れないけれど……。
「ま、何じゃ、引っ越し祝いに直して欲しい所とか、付け加えて欲しい所とかあったらやってあげようかと思っての。これから色々世話になる身じゃからな」
と、もう片方のボクの隣でニッコリと微笑む空ちゃんの姿。
そんな空ちゃんにボクは目の高さを合わせて、
「別にいいよ空ちゃん。空ちゃんはもうボク達家族の一員なんだからそんなに気にしなくったてね」
優しく微笑み返す。
すると空ちゃん、ボクの耳にそっと口を寄せて、
「お望みとならば生体強化だってしてあげれるんじゃぞ? そうすれば色々な所が強化されて300年は余裕で生きられるしのう」
なんて提案する。
あはは……300年って……。もはやそれはそれで人間じゃない気がするなー……。
「それに誰しにでもあるじゃろ? 体に関してのコンプレックスとか」
チクリ。
ふと、思い当たる所を掠る音が何処からとも無く響いた気がするボク。
「例えば、男なのに女に見える中性的なルックスとか、その逆も然り」
ザックリ。
掠った音がしたと思ったら、その次には見事に直撃を果たした音が心の中で大きく響いた。
そう。ボクは男なのに未だ未熟な身体ゆえに中性的に見られる事がただただ多いのである。しかも、どっちかと言うと女性寄りにが多いのだ……。
そんな事を思っていると、続け様にヒソヒソ小声になって、
「それに……他には口では言えぬ所だって300歳超は今のまま元気で居られるけれどものー」
少女とは思えぬ事を口にする空ちゃん。
あはははは…………。
心の中で空笑いを響かせてボクは、
「……空ちゃんが何かしたくてウズウズしてる様だったら、良かったら壊れた玄関扉を直してくれないかなー……なんて」
ふと見つけた仕事を提案してみる。
すると、それだけでいいのかの? なんて言う空ちゃんに『是非お願いします』と返したのだった。
それは、まだボクと空ちゃんが『この世界』に来る前の、些細なやり取りである……。
「ねー、空ちゃん。何でそんな白衣姿なの?」
ボクは、空ちゃんお手製のココナッツジュースを飲みながら、ふと問いかけた。
ありきたりなボクの部屋に、なんとも似つかわしくない南国の定番ココナッツジュースが二つ。
「ん? これかの? これは妖一殿と同じ様に体重に付加を加えるためと、研究する時にはコレを着てるからじゃな」
「へー、そうなんだ」
流石は科学者と言った身なりだなぁ。この前の白い和服も似合ってるけど、こうゆう姿も何だか似合ってる気がするな。
なんて思いつつ、ふと何かが思考の滞りをしている気がしたボク。
……ン? 体重に付加?? えっと……。
ボクはチラリと自分の腕と足首に目をやる。
「ねー……空ちゃん」
「何か? 妖一殿」
チュ~とジュースをストローで吸い上げた空チャンは、ストローの飲み口を軽く指で摘んで水位を保ち、ボクの問いかけに反応する。
「服とかそうゆう物でも付加を加える物が作れるんだね……」
すると、摘んでいたストローを放し、何を今更という顔で、
「当然じゃよ、このココナッツを育てた空間を作ったのも、妖一殿が付けてる特殊な鎖付き腕輪を作ったのもワシじゃし、簡単な事じゃよ~」
なんて淡々と語る天才超科学者空ちゃん。
ふー……。
一つ、心の中でタメ息を吐くボク。
じゃ、そのこれはーというボクの視線の投げかけに空ちゃんは、
「ちょっとした悪戯心の産物じゃよ」
ニッコリと笑みを浮かべて言い切った。
ははは……。
「ん? でもその見た目のお蔭でここの事が解り易かったんじゃないかのう?」
確かに。視覚から得た情報と、体で感じた経験との差で違和感を感じる事が出来き、ここの世界を少しだけ知る事が出来たしね。
何処と無しか納得するボク。
……いや、もしかしたらきっと上手く納得させられているだけなのかも知れないな。
ボクは、ニッコリとする空ちゃん前に、ふとそんな事を思う。
「さて、ノドも潤したし、外を見てみようかの妖一殿。もしかしたら何かヒントになるものがあるかも知れないし、この世界をもっと知る必要もありそうじゃしの」
と、ぴょんっとベッドから床に降り立った空ちゃんに、
「そうだね。……でもその前にこの腕輪とかの見た目を変えてくれると助かるかも」
苦笑い一つ浮かべるボクだった。
さてさて……どうしたものか。
ボクは道なき道の森の中で、大きなリュックを背負ったままふと一人立ち止まる。
まー……うん。さっきまで空ちゃんと一緒に『別世界探検隊』なんて言いながら色々見て回って居たんだけど、いつしか空ちゃんとハグれちゃったんだよね……。
「空ちゃーん、何処に居るの~?」
森の香りが深く漂う中で何度も呼びかけてみるが、ボクの声が広がるだけで空ちゃんの声は全く返って来ないのである。
弱ったなぁ……。
うーん、来た道を引き返すべきか、このまま広い場所に出るまで進むべきか……。普通なら引き返した方が無難かも知れないけれど、何処が来た方向かさえもう解らなくなって来てるしね。
とりあえず、先に進んで広い場所に出たら少し待ってみようかな? 見渡しのいい所ならもしかしたら空ちゃんが見つけてくれるかもしれないし、ボクから見つけ出せるかも知れないしね。それに、どんな猛獣が居るかも解らないから何時までも同じ所に居る方が危険かも知れないし。
ボクはそう結論を出してみて、足を一歩一歩と進めてみる。
すると、あれからどれくらい歩いただろうか? 山道など小さい時から歩き慣れた足がほとほと疲れ果てそうになった頃、卵が腐った様な匂いが、スーっと吹き抜けてゆく風に乗ってこの森の先の方から漂ってくるのに気がついた。
……あれ? この匂いってもしかしてー……。
疲れ果てそうな足に鞭を打って、漂って来た方へと足を運ばせる。
足を進める内に、辺りの森の木々がやんわりと湿っていくのが解るボク。
そしてそれは、先に行くほど熱をだんだんと帯びて行っているのだ。
うん。やっぱりそうかも知れない……。
ふと思ったボクの考えは、足を進めて行く内に『確信』へと変わり始めていた。
やがて匂いの元へと辿り着いた時、ボクは我が目を疑いつつも、そこに広がるソレに息を呑んだ。
森を抜けボクの目の前に広がるのは、大きな湖である。
それも、温かい白い煙がモクモクとあがり、ボクの視界を狭めるのだ。
……そう。
「やっぱり温泉だっ!」
ボクはあまりの後景に思わずはしゃいでしまった。森を抜けた先に温泉があるなんて誰も考え付かないものだしね。
「うん、熱すぎないくらいでちょうどいい湯加減」
恐る恐る手を入れて温度を確認すると、それは直ぐにも入れそうである。
……空ちゃんには悪いかも知れないけれど、森の中を長く歩いてくたびれちゃったし、汗臭くなったから入ろうかな。あ、でもいつ空ちゃんが近くを通ったりするかも解らないから入らない方がいいのかも? けれど、この湯気じゃどっち道探すのは難しいかな……。
と、気持ち良さそうな温泉を目の前にして葛藤するボクの思考。
しかしそう思ったら最後、ここは入らなくちゃ! なんて思考に直ぐに変わり、脱いだ服を畳み、リュックからタオルを出して腰に巻き、そしてゆっくりと湖に浸かってしまうボク。湯の深さは膝上から太腿の中間くらいあり、浸かるにはさほどは困らない。
お湯の温かさと体の疲労もあってか、体の奥の方から『はぁ~……』と上等な声が漏れ出てしまう。
「あ、これ錆びたりとかしないのかな……」
ふと、極楽極楽と自然と口から出てしまいそうな中、湯に浸かってしまった空ちゃんに貰った銀のペンダントを心配する。
それは、銀色の天使の少女が翼を大きく広げた様を模ったペンダントである。
一応……これアノ鎖付き腕輪の代わりの役目を果たしてるし……壊れると凄く困るんだよね……。
ま、空ちゃんの作った物だから硫黄程度で何とか成っちゃうなんて事は無さそうだけど。
なんて自問自答をしていると、モクモクと上がる湯気の先の向こうに人影を見つけた気がした。
もしかして空ちゃんもここを見つけたのかも知れない!
ボクはそう思いつつ、濡れたタオルを腰に巻きなおしてその人影があった方へと向かってみる。
「空ちゃんもここに居たんだね~」
なんて声をかけながら更に近づくと、そこには……。
「……貴様、死にたくなければ大人しく質問に答えてもらおうか?」
と、何処か聞き慣れた声と共に小麦色の肌にブロンドのロングストレートをした女性が、薄布を身に纏ったまま短刀をボクの首筋に当ててボクを制した。
「あ、あかね……さん?」
「動くなと言ったのが聞こえなかった? それともアタシの言葉が通じない?」
思わず出た言葉に、目の前の彼女は声を深くして睨みを利かせる。
違う……みたいだけど、髪の長さと肌の色以外はあかねさんそのものだよ……ね?
答えの返らぬ問いをしてしまうボク。そこにいる彼女は正に言葉通りボクの知っている女性に何処か似ているのだ。
「貴様、何処からどうやってこの『エリクアクアの湖』に侵入した?」
と、彼女に問われ、ゆっくりと今歩いて来た後ろの方を指差すボク。
「まさか……この時期に『クレアントの森』からだって!? この時期は重精霊結界で囲われて誰も入る事も出る事も出来ないハズなのに……」
そのボクが指した方向に信じられないという顔をする彼女。
ボクには何の事やら解らないんだけど……でも、その森から出てきたのは事実だし……何かマズイ事でもしちゃったのかな?
そんな事を心の中で苦笑いを浮かべながら思うボク。
「貴様、ファーアルトの高位の人間か?」
「え? ファーアルトって??」
「は?」
ボクの言葉に思わず聞き返してしまう彼女。
そして再び、
「ではソラルトの高位の人間か?」
と、同じ様な質問をする。
さてさて……なんて答えればいいんだろう……。ボクにとって『ファーアルト』も『ソラルト』も全く解らないし、このまま黙っている訳も行かないよなー……。
「どうした? アタシの質問に答えなさい、少年。でなければこのままこのダガーの餌食にしてしまってもいいけど?」
そう凶器を相手の首元にしながら表情を何一つ変えずにしれっと述べる彼女の瞳には、冗談を言っている様には全く見えず、このままだと本当に危ない気がしてきたボク。
いっその事どちらかを言ってみようかとも思えたけど、もし第三・第四の選択肢がこれから表れてそちらのどちらかが正解だったり、述べた全部が彼女にとって不適切の回答だったりする可能性もあるから、未だに何も言えないままである。
けれども、このまま何も言わないままだと、きっとサックリいかれるじゃないかな……。
なんて思っていた次の瞬間、
『あ……』
はらりと彼女の薄布が湯に舞い落ちたのを目の当たりにしたボクと、落ちるのに気がつき薄布を目で追った彼女の声が重なった。
ボクは咄嗟にその薄布を拾い上げて、直ぐ様に彼女の体に巻き、
「あははは……ボクは何も見てませんから……ね」
苦しい言い訳と共に苦笑いを浮かべつつ、一気に真っ赤に染まる彼女の顔を見た。
「えっとー……」
真っ赤に染まる彼女からプルプルと震えるのを見、何かを言おうと口にするが、結局続ける言葉が見当たらなくて言葉に困るボク……。
どうしよう。彼女震えるくらい怒ってるし……これって最悪パターンだよねきっと。
と、自分の身に降りかかるだろう最悪の結末が脳裏に浮かんだボクの頭……。
「貴様……今、アタシの体を見たな……」
恥らう様に頬を赤らめつつも、キリッとした鋭い視線でボクを睨みつける彼女。
「ぃゃ……見てません」
その気迫の様なものに負けて、小声でボソボソと言葉が零れた。
ジッとボクを睨み沈黙する彼女が、やがてその沈黙を『貴様……』という投げかけで破った瞬間、いよいよか……なんて思え覚悟したその刹那、
「……どうしよう」
「え??」
彼女はその場にしゃがみ込んで湯に浸かり、一つタメ息と共に迷いの言葉を吐いたのだ。
その想像とはかけ離れた彼女の行動に、思わず口から言葉が出てしまったボク。つい、このまま殺されるのだとばかり思っていたのでなお更である。
「えっとー……どうしたの?」
頬を赤く染め上げて軽く俯きながら湯に浸かる彼女は、どこか可愛げにも思えて、助け舟を出す様に問いかけてしまうボク。先ほどまで短剣を片手に威嚇していて、一歩間違えればボクは殺されていたのかも知れないのに。
そんな彼女を見ていると、なぜだか放っておけない気がするんだ。もしかしたら、急に小さく思える所もあかねさんに似ていて、それでなのかも知れないけれど。
ゆっくりと浸かろうとするボクを見上げながら彼女は、
「貴様がファーアルトかソラルトの人間か解らないけれど、アタシ達にもそれなりの昔からの婚姻の仕来りなどがある」
と、何処か疲れた口調で語り始める。
「そ、そうなんだ」
「この世界に男女の比率が8対2と女性が優位にあるからか、昔からこんな仕来りがあってね……」
「う、うん……」
「この『エリクアクアの湖』で男女二人が裸体を見せて湯に浸かった時、お互いどちらかに死が訪れるまで添い遂げねば成らぬ。なんて仕来りがね」
「へー……それは何だか凄く無茶苦茶な仕来りなんだねー……」
「この世界に8対2の割合でしか男性が居ないとされてるし、男女がめぐり合わせる事すら難しいから『どうしても子孫を残すために作った仕来り』としか思えない様な仕来りが今でも続いてるのよ……」
投げやりな口調で語りきって、ゆっくりとボクの方を見る彼女。その瞳はどこか悲しそうな辛そうな、泣きそうにも見える。
「な、何……?」
はー……。と、タメ息を零して彼女は言う。
「そんな仕来りなんてアタシは嫌だから、この湖に入る前に視界結界魔法をかけてたのにな。まさかある時期以外誰も寄り付かないし、入る事も出来ないクレアントの森から人がくるなんて思っても居なかったわ……。だから安心してそっちまでは視界結界魔法をかけてなかったからね」
と。
ビジョルアって何? クレアントの森って一体なんなんだろう?
よく解らないけど、話の流れからしてとんでもない事になってるのは、何となく解ったボク。
と、とりあえず……。
そう思い、ボクは彼女に、
「その、ボクは何も見えてないし見せても居ない。だから今の話も知らなかったし、何も無かった。で、いいじゃない? ね??」
そう提案してその場を立ち去ろうと、二・三歩程足を進ませた所で、ガクンッと腕を引っ張る彼女の手に気が付いた。
……え。
「アタシだってそんな仕来りは確かに嫌だけど……でも一族の仕来りを蔑ろにする程じゃないわ」
と、ボクの腕を引っ張りながら、その傍迷惑極まりな仕来りで作られた道を通そうとする彼女の姿がそこにはあった。
「ちょ……嫌なんでしょう?」
「その通り嫌だ。そんな仕来りはおかしいと思うし、好きな人くらい自分自身で選びたいと思うわっ」
「じゃ、その手を放して『無かった事』でいいじゃないっ。ねっ?」
ボクがグイッと引く腕を、立ち上がってギュッと両腕で掴む彼女は、その拍子にはらりと再び落ちた薄布さえも気にせずのまま、
「……アタシはランシャオ族の王の娘。だから昔からの伝統的な仕来りを蔑ろに出来るほど楽じゃないのよっ」
と、キッとした鋭く真剣な眼差しをボクに向けるのだった。
ボクと彼女と彼女の縁結び記
第十五縁『ボクと仕来りと彼女。そんな仕来りなんて不自由を作る為だけの存在じゃないかな……なんてふとボクには思えたんだ』