第十縁。
薄っすらとボクの瞳に映るのは、漆黒の闇の世界にひっそりと咲く、白く透き通る様な美しい肌。
あ……ゆきめさん……かな?
ハッキリしないぼやけた頭の中で、そこにある答えを導き出したボク。
すると、目の前のゆきめさんは、何処か今にもポロポロと涙を零しそうな表情をボクに向け、
「妖一さん……」
一つ、ボクの名前を愛しくも切ない口調で呼んだ。
え!? どうしたの!?
ボクはそのゆきめさんの様子に驚き、ぼやけた頭を何とか鮮明にしようとする。
けれど、まるで雲の中に居るみたいに、全然頭がハッキリとしてこないのだ。
やがてゆきめさんは、ゆっくりとした沈んだ声で、
「私……妖一さんに出逢えて本当に良かったです……。わずかな日々でしたが、家族になれた気がして……本当に嬉しかったです。あ……りがとう……ございました」
と、最後にはとうとう堪えきれなかった涙と共に、感謝の言葉と一礼する……。
ふと上げたその顔は、ボロボロと悲しみの涙に溢れてつつも、何かを必死に堪えようとした、胸を切り裂かれる様なそんな微笑みだ。
え……何……? えっ!! ゆきめさん……!?
いきなりの事に、困惑するボクの頭。
この状況にボクは何一つも着いていけないのだ。
目を真っ赤にさせながら、くるっと後ろを向いて、目の前から歩き去って行こうとするゆきめさんに、ボクは、
「ゆきめさんっ! ちょっと待っ……ゆきめさんっ!!」
考えるよりも何より手を出来るだけ伸ばしたのだった。
ボムッ。
何か大きく柔らかなもので軽く弾んだ気がしたボク……。
大きく柔らかく、そして温かくて優しい香り。
ボクは、寝ぼけた頭の中で、ふと何処かで味わった様な、それと似た感触を思い出した。
…………。
あー……。
寝起きだと言うのに色んな思いが交差するボクの思考。
そしてゆっくり目を開けると、そこには……。
「お、おはようございます……妖一さん」
真っ赤な顔をしつつも、冷静を装うとしている、何処か健気なパジャマ姿のゆきめさんの姿が……。
それは、ちょうど仰向けになっているゆきめさんをボクが押し倒している。
と、いう構図がそこには出来上がっていた。
しっかりと、パジャマの上からも弾力のある豊満な胸を体で感じるボク……。
それよりも、ゆきめさんの優しい香りに押しつぶされそうになるボクの思考が、何処か切ない悲鳴を上げている様だ。
「何がどうしてこうなったのか解らないけど……何よりも先に謝らせてね……ゆきめさん。……すみま……」
「いえ……少しの間そのままでお願いします妖一さん……」
そう苦笑いを浮かべながら体を引き起こそうとするボクを、ギュッと自分へと引き寄せるゆきめさん。
……え。
ゆきめさんの優しい香りと、ボクを包む柔らかい感触が、より一層に頭を侵食して、温もりが心を宙に浮かせて行く。
そしてお互いの早い鼓動が、いつしかシンクロしそうになるくらいの間、黙って両手でボクを抱いていたゆきめさんは、ふと抱きしめていた手を退けて、
「すみません、もういいですよ」
柔らかく優しい口調で告げる。
ボクはポーっとして良く解らないまま、
「どうした……の?」
侵食から開放し切れない頭でゆっくりと起き上がりながら問いかけると、
「妖一さんの温もりを……まだ感じてたいな……って」
真っ赤な顔のまま優しく微笑んでいるゆきめさんが覗けたのだった。
えっとー……。
ちょこんと、自分のベッドに座りつつ、宙に消え行った言葉を探すボク。
すると、目の前で正座をしてボクの言葉を待っていたゆきめさんは、
「優しい温もりは、空いた心に染み渡って行って、決して忘れる事はないんです。もし、何処か心が彷徨っちゃったとしても、きっとこの温もりを思い出して……」
ボクの胸に人差し指をそっと当てて、小さな声で『またここに戻るんです』と、一つ笑みを零して言う。
「ね、何があったの?」
そんなゆきめさんに、その綺麗な瞳を見て問いかけた。
いや……その『あったの?』というよりも、何処か『あるの?』という気がするな……。
ボクは、一つ確信を掴めきれない思いをめぐらせる。
「私、昨日みたいに妖一さんを起こしに来たんですよ」
「え?」
問いかけとは違う答えに、思わず聞き返したボク。
「そしたら名前を呼んだかと思ったら急に腕が伸びて、私を掴んだままゴロンとベッドから落ちてしまって……それでさっきの様な格好に。こちら側の端に寝ていたので簡単に掴まれちゃいましたね」
「ゆきめさん……?」
言葉を続けるゆきめさんに、何処かはぐらかされた様な、そんな感じがしたボク。
もしかしたら、ボクに要らぬ心配をかけない様にって、ふとそう思っての事なのかも知れないけれど……。
「でも……寝言でも私の名前を呼んで貰えて嬉しかったです」
そう、にっこりと微笑んだゆきめさん。
その顔に、何処か不安が過ぎったボク。
あれ……なんだろこの感じ……。
ゆきめさんの微笑みに、何故か心が重く苦しいものを感じるのだ……。
ふと、そのゆきめさんの微笑から涙が溢れてくるのが頭に浮かんだボク。
…………。
そっか、さっきの夢……その夢が何処か重なったんだ。
胸を切り裂かれる様な微笑みと、そして必死に伸ばした腕も空しく何もかする事もない……喪失感。
ボクはベッドから降りて、
「え……!?」
降りたのと一緒に、ボクの手が突然肩を触れた事に驚いたゆきめさん。
うん。ゆきめさんはここにちゃんと居るし、ちゃんと触れる事だって出来る。
ここのボクならきっと……。
「……解らない。まだボクは、言ってくれないと解らない事ばかりだけど、何かゆきめさんにしてあげれる事がいっぱいあるかも知れないね。
ね、ゆきめさん? 今のボクじゃまだまだ出来ない事も沢山あるかも知れないけれど……今ボクに出来る精一杯で、ゆきめさんを何か助けてあげたいと思うんだ」
夢のゆきめさんを思い出しながら、夢では向ける事の出来なかった微笑みと共に話すボク。
ゆきめさんは、ボクの手の上から片手をそっと優しく重ね、
「ふふっ、妖一さんは本当に優しい方ですね。私はこの温もりと優しさが凄く好きで、いつも心には妖一さんが居るんですよ。
だから、今は、この手の温もりと優しさで胸がいっぱいで何も要りません」
ボクの手を両手で大切そうに包み持ち上げながら、ゆっくりと自分の頬に当て、
「でも……私って意外に……かも知れません」
恥ずかしさのあまりに真っ赤な顔をしつつも、とても優しい瞳でボクを見、言葉を零すあかねさん。
包まれた手からゆきめさんの体温が伝わり、ドキドキとしたボクの心臓。
そして目と目が合ったかなと思った、その刹那。
「やっぱり……もう少しだけ、妖一さんを感じさせて……ください」
ギュッとボクを抱きしめて、耳元で消え入りそうな声で囁いたのだ。
耳元で囁かれながら抱きしめられ、ボクの両手はゆっくりとゆきめさんをそうするべきかの様に、自然と細い背中へと向かっていく……。
その瞬間……何故かあかねさんの顔が浮かんだボク。
それは、にっこりと明るい笑顔を見せるあかねさんの顔。まるで今にも『妖ちゃんっ』と元気な声で呼びかけてきそうな、そんな笑顔で。
このままゆきめさんを抱きしめちゃいけないっ……。
あかねさんの笑顔に救われたか様に、ボクの手はピタッと止まった。
ううん、そうじゃない。ゆきめさんだからとか、あかねさんだからとか、そうゆうのじゃなくて、今のボクは二人共抱きしめちゃいけないんじゃないかなって……。
未熟なボクだけど、何故かそう思える気がした。
すると、
「そろそろ行きましょう、妖一さん。博康様が待ってますし」
ボクから離れ、赤々とこれでもかと染め上げた顔を俯かせながら、促するゆきめさん
「え、あ、うん。行こうか」
考え事をしていた僕は、上手く言葉を返せないまま、言われるまま下へと降りて行くのだった。
それは、今日の帰りが早くなったボクと、家で暇を持て余していたあかねさん&ゆきめさんで買出しに行った、そんな夕飯終わりだった。
夕飯のお片づけをする父さんに、夕飯も食べ終わったし遊ぼうよとボクに引っ付いたあかねさんと、それをなんとか剥がそうとしていたボクに、突然ゆきめさんが言った。
「私……明日の休みに一度家に帰ろうと思うんです」
と……。
ボクと彼女と彼女の縁結び記
第十縁『夢と現実と女心。交差したその先にあるものって……ボクはふと不安に駆られたんだ』