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第五膳『おでかけとちらし寿司』


突然だが、難問である。


「ちらし寿司……」


 金髪ヤンキー青年・北橋きたばし達月たつきの顔は笑っているが、言葉はそこで止まったままだ。


 彼は今、ハムスターと交際中である。あ、もちろん友人として。

 行き倒れのハムスターを拾い、手料理をふるまって以来、「ちょっといいにおいがしたもので……」などと言いながらちょくちょく遊びに来るようになった。もう立派な食客である。


 朝からカレーリゾットを分け合ったり、希望を聞きながら一緒にオリジナル餃子を作ったり。

 食を通して、一人と一匹だけの特別な時間が積み上がっていく。


 達月は自分の人生をあまりはっきりとは覚えていない。

 誰かと食卓を囲んだ記憶も、ぼやっと霞がかかったようにぼやけている。

 こんな風に誰かと卓を囲んだことがあった、ということだけは覚えているが。誰と、何を食べたのか。どんな話をしたのか。その味は、その空気は、自分の人生をどれほど占めていたのか……。


 ハムと一緒にいると、少しずつ思い出せる気がした。

 とても大切な時間だったということを。


 今日は、夕食を決める前にハムがやってきた。

「なんか食いたいもんあるか?」と軽い気持ちで問うと、帰ってきた答えが「ちらし寿司」だった。


「ちらし寿司……」


「あ、別の物でもいいんですけど」


 ハムがいつものつぶらな瞳でのぞき込んでくる。


「この前お寿司屋さんのチラシで見ましてね。握り寿司より僕には食べやすそうだし、美味しそうだなと思って。見た目もきれいですし、これぞ日本! って感じですよね」


「そやな。ちらし寿司か……」


 おぼろげな記憶では、お祝い事のメニューだった気がする。

 酢飯の上に、色とりどりの具材を乗っけて。具はアレンジできるから、買い物に行って、その日のお買い得品などでそろえてもいいわけだが。


「先に聞いとくけんど、苦手な具はあるか? また貝ひもみたいになったら困るやろ」


「うーん……すぐには思いつきませんねー。僕、日本の食材はまだ知らないものもありますし」


「そんじゃま、どっちにしろ買い物に行かなあかんし」


 達月はすっくと立ちあがった。


「一緒に行くか?」

「一緒に行ってもいいですか?」


 一人と一匹のセリフはほぼ同時だった。



  ◇ ◇ ◇



 達月は普段適当なジャージを着ているが、外出用に大きめの胸ポケットのあるジージャンを羽織った。胸ポケットはもちろん、ハムがすっぽり入る大きさだ。


 ポケットからちょこんと顔だけ出して、黒ぶち眼鏡をきょろきょろ動かしては物珍し気に辺りを見回すハム。いつも一匹でちょこちょこと走り回る町を、この高さから眺めるのが新鮮なのだろう。


「何を考え込んでたのか、聞いてもいいですか?」


 ハムがポケットの中から達月を見上げて尋ねる。達月は「そやなあ」と、さっきより明るめの口調で答える。達月にとっても、こうして誰かと出かけることが新鮮で、心がふんわり浮きたっているのだ。


「作り方自体はシンプルなんや。酢飯をこさえて、具をちらせばいい。できれば色んな具を用意したいとこなんやけど、二人分やからそんなに大量にはいらんしなあ。種類ぎょうさんで、できれば一回で食べきる量で、というのが難しいんや」


「つまり、少量の具をたくさんの種類欲しいわけですね」


「海鮮は外せんからなあ……」


 そこでまた黙ってしまった。達月には達月の事情があるのだ。主に「お財布事情」と言う名の事情が。


 当然ながら、資金をつぎ込んだ方がより高級で美味しい海鮮にありつける。ちらし寿司だからあれもこれもと欲張ると、あっという間にとんでもない金額になってしまう。

 また、一品一品が二人で食べきるには多いのだ。冷凍も不可能ではないが、できれば新鮮なうちに食べきってしまいたい。


 魚屋に行って相談してみるか……? 

 と、考えたところでふっと考えがひらめいた。


「そや。鮮魚店に、あの人がおった」


 スーパーに向かって歩いていた足を、くるっと方向転換。その足取りは軽く、「何やら悩みが解決されたらしい」ことがハムにも伝わった。

 ハムは「御馳走してくれると言われた手前、自分から資金について口出しするのは良くない」と思い、しばらく黙って答えが出るのを待っていたのだ。


 鮮魚店まではバスで向かった。

 十五分ほどすると、視界いっぱいに広がる大型ショッピングモールに到着。

 ここには目的の鮮魚店もあるし、海鮮以外の買い物もできる。最初から近所のスーパーではなくここを目指すべきだったと思うが、達月がここを訪れるのは実は今回が初めてである。


 記憶がはっきりしないため、これまで遠出を避けていた、というのが主な理由。

 知人の存在がなければ、この場所を思いつきもしなかっただろう。


 達月とハムがモール内の鮮魚店に足を踏み入れたとたん、貫禄があってしかも軽やかな、女性の声が響き渡った。


「あれ、北橋くん!」



  ◇ ◇ ◇



「関川さん、こんちはー」


 達月はぺこりと頭を下げた。関川と呼ばれた女性はここの従業員らしい。「いらっしゃい!」と、エプロン姿ではきはきと出迎えてくれた。


「この前はタケノコ、ありがとうございました」


 ハムはポケットの中に隠れてじっとしている。魚のにおいが凄いなあと思いながら、この前の餃子に使ったタケノコのことかな、と考える。


「いえいえ、息子がどっかの山でもらってきたやつだから。茹でるのも息子にやってもらったから、すぐに使えてよかったでしょ」


「はい。餃子とタケノコご飯と、煮物にしました。美味しかったって息子さんによろしく伝えてください」


 僕、餃子しか食べてない! とプチ衝撃を受けるハム。毎日通ってるわけではないので当然か。


 達月は軽く世間話をしたあとで、早速ちらし寿司のための相談に取りかかった。

 要するに、少しでもよい食材を少しでも安く、しかも少量ずつたくさん買わせてもらおうという相談である。


 関川が「これはどう?」「これは今日いいのが入ってるよ」などと示す海鮮を、「いいマグロやなー」などとひとつひとつ読み上げる達月。ハムに聞かせてやっているのだ。


 ポケットの中からは特に大きな反応もなかったので、勧めてもらった品をひと通りそろえてもらうことにした。


 アナゴにマグロ、トラウトサーモン。

 とびこにイクラ、甘エビ。

 ホタテの貝柱、もちろんひもなし。

 

 これだけあれば、充分に豪華なちらし寿司ができる。

 すべて少量ずつそろえてくれた関川に、丁重に礼を言い、達月は鮮魚店を後にした。モール内のスーパーでアボカドと大葉、卵を買い、再びバスに乗って帰宅。


 バスを降りた後で、ハムに説明を始めた。


「あの関川さんって人は、バイト先の人なんや。朝はあの店、午後はワイと同じバイトでダブルワークをしとる。タフで明るい人やろ? タケノコくれたんもあの人や」


「達月くん、バイトってどんな仕事をしてるんですか?」


 思えば、記憶が曖昧だという達月にあまり突っ込んではいけないと、これまで達月自身の話をあまり聞いてこなかった。達月も、あまり話そうとはしなかったのだ。今日までは。


「ワイに何かあって、周りに迷惑かけたらあかんやろ? そんでずっと、工場の日雇いバイトをやっとる。急に穴が開いても、あんま迷惑にならんように」


「何かあったら」というのは、また記憶が抜け落ちるときのことを言っているのだろう。


「せやから、バイト中にあんま顔を広めることもせんかった。知り合いを作らんようにしとった。でも最近、少しずつやけど、人と話すようになった」


 その結果が、関川との交流。

「自分のことを覚えていてほしい」という、小さな欲求。

 はた目には小さなことでも、達月にとっては大変革なのだ。

 まっすぐに前を見つめる目が、芯の通った声が、それを示している。


 変革の理由がハムとの出逢いなんだ、とは言わなかった。

 でもハムは、ポケットの中で達月の胸の鼓動を聞きながら、じんわりとそれを感じとっていた。



  ◇ ◇ ◇



 炊きあがったご飯に、酢と砂糖と塩、それから白ゴマと刻んだ大葉をさっくりと混ぜる。

 爽やかな香りが立ち上がってくる。ご飯の粒を潰さないように、切るように混ぜながら、ひたすらうちわで仰ぐ。

 ある程度冷ましたら、ラップをかけておき、煮アナゴと卵焼きを作る。

 すべての具を、ハムにも食べやすいように小さめに切り、皿に広げた酢飯の上に彩りよくちらしていく。いわゆる「ばらちらし」だ。


 イクラに照明が反射してキラキラ。ハムの瞳もキラキラ。


「これが、ちらし寿司……!」


「ええでー。たんとお食べやすー」


「いただきます!」


 ハムは美味しそうにモキュモキュッと食事を開始。具を食べ、酢飯を食べ、食感の違い、味の幅広さに舌鼓を打つ。


「どの具も、なんて新鮮な! ホタテってこんなにプリプリで美味しかったんですね! とびこもプチプチ! イクラもつやつや! マグロとサーモン、甘エビがとろけるようです! アナゴの甘味の深いことと言ったら! アボカドが味変えのいいアクセントになってます! さりげなく酢飯に混ぜ込まれた、大葉と白ゴマの風味が絶妙です!」


 と言った内容を懸命に食レポしてくれるのだが、大半は「もぐもご、ハムハム、プルプル、ごっきゅん」などの擬音にかき消されてしまう。うまく言葉にならずとも、達月はハムの感想を魂で受けとった。


 ――やっぱええな、誰かに喜んでもらう料理ってのは。


 いつか記憶が戻っても、戻らなくても。

 このかけがえのない時間を、しっかりと深く、魂に刻んでおきたい。

 達月は心の底からそう願う。


 一人と一匹で過ごす夜は、今日も平和に過ぎてゆくのだった。


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