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嘘を嘘と見抜く能力

「うそはうそであると見抜ける人でないと難しい」


 この言葉は、その当時に電子掲示板『2ちゃんねる』を管理していた西村博之氏の発言だ。ちなみに、何が難しいのかを本人は明言していないが、その時に取材放送に当たっていたテレビ朝日系列の情報番組『ニュースステーション』では、掲示板を使うのは、と注釈を入れていた。


 現代社会において西村氏の言う『嘘は嘘であると見抜く』能力は極めて重要な力の一つだ。

 これを備えているかどうかで、例えば無駄な出費や時間の浪費を未然に防げたり、あるいは以前投稿したような『炎上』と言う現象に加担せずにすんだりと、様々な問題を回避する事が格段に容易になる。


 私は、西村氏があえて何が難しいのかを明言しなかった理由は、『あらゆる情報媒体に関わる全ての人』が対象となるが、それすら理解できないのであれば本当によろしくない、と言外に警告していたのではないか、と考える。


 このような推察も『嘘を嘘と見抜く能力』の一つだ。明確化されていない情報の裏を読む事は、もっと単純に言えば発信内容を鵜呑みにしないと言う事だ。


 この発言をした時、たまにこんな反論を頂く事がある。

 

「他人様が言う事を信じないなんて、何とひねくれた無礼者か」


と。

 私がひねくれているのは反論できないから黙って奥歯を噛み締めるしか無いのだが、しかし少々待って頂きたい。


 例えば待ち合わせの時間の約束をする場面で


「十時五分前に駅前に集合」


と、言われたとする。

 私は、この情報から午前十時五分よりも少々前に合流するものだと判断する。しかし、相手としては午前九時五十五分のつもりだった可能性もある。

 

 実際、私は高校生時代にこの意味の取り違えを原因とする待ち合わせ時間の遅刻をした事がある。その時は私が平謝りしつつ、何故遅れたのかを極力感情を交えずに淡々と説明した結果、事無きを得た。


 ここまででも分かるように、お互いに嘘を吐いているつもりが無くても情報の意味の取り違えは起きてしまう。

 これは、正直に言ってどうしようも無い事だ。表面上の言葉だけでは通じない部分は、どうしても生まれてしまう。


 個人間での情報のやり取りですらこうなってしまうのだから、新聞やテレビ、インターネットやラジオ等の各種情報媒体と受け手との間でも同じような事態は発生するだろう。


 特に、情報媒体は基本的に営利団体である背景から、出資者にとってけしからん情報や利益なりにくい情報はなかなか発信されない。少なくともそう言う特性があると言う事は承知した方が良いだろう。

 その中で近年問題視されているのは『切り抜き』と呼ばれる情報編集だ。

 第三婦人であるニコニコ大百科によると『切り抜きとは、長時間動画(主に生放送)が第三者によって特定場面のみを抜粋され、カット等編集の上で再投稿されたものである』と説明されている。


 この『切り抜き』と呼ばれるものは、実は私達の生活のごく身近な場面で既に存在している。

 一番分かりやすい例は、各種テレビ番組で流されるVTRは正にそれだ。


 生放送以外のテレビ番組はほぼ全てが、企画、取材、撮影、編集、放送の順番を経て我々に届けられる。

 生放送とVTRの違いは編集の有無だ。

 実は、この編集次第で白いものも黒と錯覚させられる場合がある。無論、全ての編集が悪意を持って錯覚を誘発するようにしているわけでは無いだろう。そう思いたい。

 

 しかし、現に『切り抜き』が問題視されると言う事は錯覚によって不利益を得た受け手が無視できない規模で存在するという証拠でもある。


 この『切り抜き』と言う現象は、情報を発信するまでの間に『編集』と言う工程を踏んでいれば必ず発生する。つまり、テレビだけで無く新聞や雑誌等のあらゆる情報媒体で起きている。事実上、『編集』と『切り抜き』は同義なのだ。


 そんな『切り抜かれて継ぎはぎになった情報』が垂れ流される世の中で、我々はどのように振る舞う事が望ましいのか?

 最も簡単ですぐにできる手段は、情報源を増やす事だ。例えば、今までテレビ番組しか見ていなかったのであれば、ネットニュースも読んでみる、と言った具合だ。


 さて、何故そうするべきなのか? 例えば、あなたがある特定のテレビ番組の情報のみを信じ続けるとしよう。その番組から得られる情報のみが正しいと思い込んでしまったら、もしもその番組が意図せずに誤った情報を流してしまった際、あなたは間違った情報を鵜呑みにしてしまう事になる。そもそも、その情報は誤りであるわけだからあなたにとっては不利益な事なのだ。


 しかし、いくつかの情報源を持っていると、それぞれの媒体が同じ事柄を指している場合でも、表現の差異が生まれてくる場合がある。その差異に気付く事が重要なのだ。


 令和三年七月に発生した伊豆山土砂災害で見られた、とある現象を例にしてみよう。

 この土砂災害では、七月四日に自衛隊への災害派遣が要請されたわけだが、この際各種テレビニュースでは『陸上自衛隊員三十名を派遣』と言った形で報道した。これを見た一部の方が、少々勘違いをしてしまい防衛省へ苦情を入れる事態が発生したのだ。

 内容は、


『熱海のあの酷い災害に対して、たったの三十人とはふざけているのか?』


 と言った物だ。

 これは、ツイッター等でも似たようなコメントが散見された。

 さて、ではテレビが嘘を吐いたのかと言われたら、それは違う。嘘は言っていないが、報道する上で情報が不足していた事は間違い無い。

 実際には、自衛隊が情報収集のために先遣隊として三十名を現地に派遣した、と言う中身だ。

 実際、同月十九日には被災地に三四〇人の人員を投入している。


 ここで重要な事は、テレビから情報を得た方々と、ツイッター等で情報を得た方々の環境の差だ。

 ツイッター等の場合、同じ記事を多数の人間と共有できる上におしゃべり広場としての特性もある。従って、テレビを見た方々と同様の憤りを見せた場合でも、他の知識のある方々から詳しい説明を受けやすい環境にあるのだ。この、説明をしてくれる方々も一種の情報源である。

 この例からも分かるように、情報源をいくつか持っておく事で、より早く正しい情報に辿り着きやすくなるのだ。

 

 私が言う『正しい情報』とは『内容に過不足の無い事実』の事だ。先の例で言うならば、『情報収集のため、先遣隊として三十名を現地に派遣』と言うのが『正しい情報』だ。つまり、それ以外の情報は『正しく無い情報』と言う事でもある。

 従って、『陸上自衛隊員三十名を派遣』は『正しく無い情報』なのだ。


 さて、ここで苦情を入れた方々が『嘘を嘘と見抜く能力』が欠如しているのか、と言われると私はそうは思わない。

 何故なら、テレビから得た情報に対して『三十名は少なすぎるだろう』と言う違和感を感じている、つまり疑問を持てているからだ。

 そして、素晴らしい事に防衛省に苦情という形ではあるが連絡を取ったのだ。


 つまり、情報に疑問を持ってそれを調べる、と言う一連の行動をこなしているのだ。

 強いて言うならば、この時に感情的にならず、公式の情報が発表されている場所が無いかを探す事ができていたら尚良かったと言える。そう言う意味では、感情的になっていた部分はあまりよろしくないと考える。何故なら、感情的になっていると基本的に冷静さを欠いているため、情報の見極めの能力が弱くなっている可能性があるのだ。その結果、『正しくない情報』を掴み続けてしまえば本末転倒だ。


 そうならないためにも、常に冷静さを保てる強さと与えられた情報を鵜呑みにしない疑り深さはある程度養わなければならない。


 どうやって養うのか?

 まずは待ち合わせの時間を確認する事から始めてみてはいかがだろうか?

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