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船頭多くして船山を登る

 題名に当てた『船頭多くして船山を登る』と言う文言は、『指図する人間が多いために統一がとれず、見当違いの方向に物事が進んでしまうたとえ』を意味する日本のことわざである。飽きもせずデジタル大辞泉より引用した。


 さて、このことわざだが、もう少しだけ詳しく内容を説明してみよう。

『一そうの船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばないことをいう』

 と、浮気相手の故事ことわざ辞典では説明されている。


 割と勘違いされがちな事ではあるが、このことわざの意味は前述した通り『リーダーが多いと上手く行く事も行かない』と言う否定的ものであって、『皆で力を合わせたら船で山を登る事もできる』と言う肯定的なものではないのだ。


 だが、私はこの説明を初めて聞いた時ふと思った事がある。

 

「まとまりが取れなくなった結果船が山を登っちゃったって、奇跡じゃん」


 何故そんな風に思ったのかを説明しよう。

 

 私は、恐らく船頭は具体的に五人以上だろうと推測した。意見がまとまらない事と、変な行動力を出せる人数を両立できる人数が恐らく五名と予測したのだ。そして、その船は和船と言われる木製の小型帆船だ。基本的に潮の流れと風の力を使って目的地に辿り着くための乗り物だ。つまり、ある程度平面に近い水面上を走る事を前提にしているので、間違っても山など登れないのだ。

 私が思うに、船が迷走し始めた末路は遭難や転覆、座礁か良くて海岸に漂着等の海難事故のはずだ。しかし、何を思ったのか山を登っちゃったのだ、この船は。狙ってやるならかなりの時間や人数、資材が費やされるだろうがこの船はそんな準備をせずに登れたのだ。

 本来その船が担っていた仕事は成し得ていないだろうから失敗ではある。しかし、水上を走るための船が使用用途外の山を登ったと言う話はなかなか興味深い。


 このことわざは否定的な意味だけで捉えるには、内容がかなり衝撃的で、見ようによっては有意義なものだ。


 意見がまとまらなかった結果、思いもよらない事態に発展したと言う一連の流れは、この船に与えられていた本来の目的も考えたら良くない事だ。しかし、目的の達成を犠牲に船が山を登ると言う偉業を成し遂げられたのだ。


 ここで私が重要視しているのは、船が山を登ったと言う、普通は実行困難な事象が偶発的に達成できてしまった奇跡だ。


 この偶発的な奇跡に、私はある種の感動を感じている。このことわざの中で起きた話を、言葉を置き換えて説明するとこうなる。


 あらゆる意見が一致しないまま状況を進めたら普通は有り得ない事が起きた。


 このように言葉にしてみると、なかなか面白い現象だと思えるのだが私だけだろうか? 共感して下さる方もある程度いるのではなかろうか?


 さて、現代日本社会においては『あらゆる意見が一致しない』状況、と言うのはあまり起きない。表面的には。

 と言うのも、日本人は本心を口にする事に『羞恥』を感じやすい特徴を持っているからだ。

例えば、絵本の『泣いた赤鬼』の話をしよう。

 

 口下手で恥ずかしがり屋な赤鬼は、人間と仲良くなりたいが人間は自分を怖がって上手く行かない。それを見かねた友人の青鬼は、自ら人間を襲う事で悪役になり赤鬼に退治される。人間を助けた赤鬼は人間と仲良くする事ができたが、青鬼がわざと自分に退治されたのだと気付き涙を流した。

 要約すると、こう言う話だ。


 さて、赤鬼が人間と友達になりたいと言う意味で仲良くなりたかったのであれば、これは失敗だと言える。彼が人間達の中で得た信頼は用心棒としてのものだ。暴力で得た信頼から友情に発展させるのは、結構な遠回りだ。

 

 ならば、どうするのが正解なのか? 『友達になって下さい』と手紙とを送る事から始めるべきだったと私は考える。何か土産の品を一緒に送ればなお良しだ。

 字が書けないと言うのならば覚える努力をするべきだ。学ぶ手段が無いのならば、人里に近付いて何度でも『友達になって下さい』と叫ぶべきだったのだ。

 そう言った努力を赤鬼は怠ったわけだが、ならば怠った原因は何なのだろうか?


 実はそこまで本気じゃなかった、と言うのが個人的にはかなり大きな要因を占めていると予想する。しかし、それを言うと話が続かなくなるので別な要因を考える。

 そこで出てくる要因が、自身の本音を明かす事に対する『羞恥』だ。

 つまり、『羞恥』を乗り越えて本音を叫んでいれば青鬼という親友も失わず、人間とも友達になれた可能性があるのだ。


 そして、話を船頭達の内容に戻して、改めて考えてみよう。

 ここまでの私の考察から、船頭達には『羞恥』はあまり作用していなかったのだろうと推察できる。各々が思う『これが良いはずだ、こうすべきだ』を遠慮会釈無く晒し合った結果、ついうっかり山を登ってしまったのだ。


 つまり、だ。

 その羞恥を乗り越えた意見の出し合いの中で、話をまとめて全員の力を一点に集中させるように誘導できる人物、つまり『本物の船頭』がその中に一人だけいたら、もしかすると本来の仕事を今まで以上の成果でこなせた可能性があるのだ。

 

 そして、ここまでの話を現代社会に置き換えてみよう。

 赤鬼は典型的な日本人像だ。自分の本音を口にする事を嫌がり周りの状況に流されがちで、目的の達成のために他力本願になりやすい。

 対して、船頭達は現代社会で言うところの『変な奴』だ。ある程度羞恥を捨て置く事ができ、集団の中にあって自分の意見を堂々と言い張れる、ある種の強さを持っている。

 今の日本に多いのは、赤鬼側だ。それが完全に悪い事だとは言わない。

 赤鬼のような人間が多い社会では『同調圧力』と呼ばれる力が発揮されやすい。我が本妻のデジタル大辞泉によれば『集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること』と言う概念らしい。

 これは多様性の尊重を謳う社会においては、なかなか分厚い壁として立ちはだかる。だが、メリットもある。膨大な人力を、一つの目標に向けて集中投入させやすいのだ。そうなると、無闇に悪者扱いできるものでも無い。


 しかし、そのままではその社会が出しうる最大限の力は赤鬼の性能次第で振れ幅があまりにも大きくなってしまう。

 極論、零に何をかけても零、と言う一番不味い事にもなりかねない。


 それを打破する鍵が、『船頭達』のような人物と『彼らの意見に耳を傾けられる人物』だ。


 船頭達のような人物は、組織の中ではあまり良い印象を持たれない。赤鬼からすれば自分達と一緒に働かないわけの分からないやつだし、赤鬼の長からしても組織の和を乱す異分子なのだ。

 しかし、異分子だからと排斥するようでは『多様性の尊重』など夢のまた夢だ。


 その異分子は船で山を登れちゃう可能性を十分に秘めているのだ。少なくとも、赤鬼に甘んじている者達より優れた行動力があり思考力がある。

 

 誤解しないで欲しいが、私は赤鬼が悪いと言いたいわけでは無い。社会組織を維持する中では、赤鬼の特性はある程度必須なのだ。

 それに、ここで話している『船頭達』は奇跡的に山を登れたが、普通は意見がまとまらないまま動けば単に事故を起こすだけだ。事故を未然に防ぐためにも、ある程度の赤鬼要素は必須なのだ。


 だからこそ本物の『船頭』が必要なのだ。

 集団社会において、その集団の方向性を決めるのは『船頭』だ。『船頭』に求められているのは集団が出せる最大限の力、『最大効率』を常に発揮させる事だ。

 となれば、赤鬼の基本性能を上げる事に注力する事も必須だが、赤鬼の枠に収まらない者達も有効に活用しなければならない。


 多様性の尊重とは、各個人の力を最大限に発揮できる状況を作る、と言う意味でもある。

 そして、最後になってしまったがこの事を忘れないで欲しい。『船頭達』も自らの仕事を想っての行動だった可能性はあるのだ。


 案外、皆が見ている先にあるのは似たような景色なのかも知れない。 

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