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恥に蓋をするのか向き合って糧とするのか

 SNSの普及が進んだ現代社会において、『炎上』と呼ばれる現象が一種の社会問題になっている。


 最近では、某メンタリストユーチューバーがホームレスに対する差別的発言を発信した事を発端とする炎上案件が記憶に新しい。他にも、女子プロレスラーの木村花さんを自殺にまで追い込んだ事件等も残念な内容ながら有名なところだ。


 今回、私は『炎上』と呼ばれるこの現象について、何故発生するのか、何故過激化してしまうのか、と言う二点に疑問を持った。


 まず考え始める前に、読者の皆様と前提知識を揃えるため、SNSが一体どう言う物なのかを軽く説明する。

 私が大好きなデジタル大辞泉によれば『個人間のコミュニケーションを促進し、社会的なネットワークの構築を支援する、インターネットを利用したサービスのこと。趣味、職業、居住地域などを同じくする個人同士のコミュニティーを容易に構築できる場を提供している』と記されていた。乱暴にまとめてしまうと、インターネットを用いたおしゃべり広場だ。以降、SNSの事はあえておしゃべり広場と記していく。

 さて、そんなおしゃべり広場だが、様々な名前で世の中に浸透している。有名なところで、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、ライン。他にも、ユーチューブ等のインターネットサービスにもおしゃべり広場としての側面がある。逆に言えば、おしゃべり広場の機能を持つサービスの事をSNSと言っても良いだろう。

 何はともあれ、少なくとも五つのおしゃべり広場が画面の向こう側に存在しているのわけだ。しかも、その画面は、その向こう側で世界中の人間同士を繫ぐ事ができてしまう優れものだ。


 そんな優れものは、日本社会にも浸透している。つまり日本だけでも、最大で約一億二五〇〇万人の人間と繋がる事ができてしまうのだ。実際はその数割少ない程度だろうが、数として大きい事に変わりは無い。


 さて、おしゃべり広場の概要を説明したら次は『炎上』と呼ばれる現象がどうやって産まれるかを私なりに考えていく。


  私が愛するデジタル大辞泉で調べたところ『炎上』と言う言葉には、以下の三つの意味が出てきた。

 一つ目は『火が燃え上がること。特に、大きな建造物が火事で焼けること』

 二つ目は『野球で、投手が打たれて大量に点を取られること』

 三つ目は『インターネット上のブログなどでの失言に対し、非難や中傷の投稿が多数届くこと。また、非難が集中してそのサイトが閉鎖に追い込まれること』

 今話題にしている炎上は三つ目の意味だ。


 さて、この三つ目の意味の中で重要な表現が四つ出現した。『失言』、『非難や中傷』、『多数』そして『集中』だ。

 ちなみにブログとは、個人の日記などを、簡便な方法で作成し、公開することができるウェブサイトの総称(最愛のデジタル大辞泉より抜粋)だ。


 さて、先ほど抽出した四つの表現から炎上の仕組みを簡単に説明してみよう。

 Aさんが『失言』した事により、『多数』の個人から『非難や中傷』が『集中』する、これが炎上だ。

 この時往々にして、多数からAさん個人への『非難や中傷』だけで無く、『Aさんを擁護する個人』と多数との間でも『非難や中傷』が発生する。過激化の原因はここにあると考えている。

 要は、ごく少数の『失言』が原因で罵詈雑言の台風が生まれてしまう現象なのだ。

 

 さて、ならば炎上案件は最初に失言をした者が一番悪いのだろうか?


 私が考えるに、それは『イエス』だ。失言に至る背後関係はともかく、そこでその発言をしなければそもそも炎上など起きなかったのだ。しかしながら、その失言の内容については一概に間違っているとも言い切れない。間違っているのは発言した場所なのだ。

 逆に言ってしまえば場所と言い方を考えてから発言しろ、と言う事だ。

 故に私は某メンタリストユーチューバーにしろ木村花さんにしろ、一番悪いのは失言した本人だと考えている。

 公衆に晒された場所で差別的な発言とその思想に同調するよう他者に求めるのは間違っているし、人間関係の問題をその時その時で決着させずに不満をため続けて公衆に晒された場所で爆発させたのも間違っているのだ。


 しかし、だ。

 

 失言した本人を過剰に責める『多数』の個人が悪くないか、と問われるとそれは『ノー』だ。特に感情論のみで『非難と中傷』を『集中』して送りつける行為は悪質とさえ言える。

 端から見ていると、爆発してしまった場所に赤の他人が油を注いでいる構図に見えるのだ。


 しかし、勘違いしてはならない事がある。『どうしようも無く間違っている事』、例えば殺人の権利の主張等は絶対に否定しなければならない。社会の規則や常識に反する『どうしようも無く間違っている事』は大抵は犯罪、要は悪い事なのだ。悪い事を放置するのはもっと悪い事だ。


 話を戻す。

 

 炎上案件で垣間見える悪質さは、『歪んだ正義感』と呼ばれる事がある。

 間違った事を過剰に批判する事によって、自身の正義感を再確認すると言う、私からすれば非常に愚かな行為だ。

 何故なら、私が今まで見てきた炎上案件の中で『過剰な批判』をしている方が、『どうしてその失言が間違っているのか』を論理的に説明できている場面をほとんど見た事が無いからだ。逆説的に、自分の考えを言語化できないのに反射的に噛みついているのが『非難や中傷』をしている『多数』の個人なのだ。


 この『歪んだ正義感』は、私に言わせてみれば『多様性の尊重』が抱え込む矛盾の具体的な例の一つだと考えている。


 もう一度、炎上の仕組みを思い出して欲しい。

 Aさんが『失言』した事を原因に『罵詈雑言』の台風が生まれる現象だ。

 さて、私は『多数の個人が非難中傷を集中させる』と言う現象を『罵詈雑言の台風』と表現したわけだが、つまり炎上という構図は『失言側』と『批判側』の悪口戦争だと考えているのだ。さらに踏み込んで言うと、炎上は『両者失言の大盤振る舞い』だ。


 ここで考えるべきは、『失言』の内容は個人の思想信条であり、同様に『批判側』の『非難や中傷』も個々人の思想信条に基づいた発言であると言う事実だ。

 我々が暮らす日本は、憲法の中で我々の思想信条の自由を保証している。そして、多様性の尊重を声高に謳っている。


 となると、失言の内容についても非難中傷する事は望ましくないのだ。

 何故なら失言内容に対する非難や中傷は、『その思想に対する差別意識』の可能性を十分に孕んでいるからだ。


 是非一度、自身に問いかけて欲しい。自分の中で『何が正しく』、『何が間違い』なのかを。

 一番奥底にある判断基準はきっと自身にとって快か不快かだろう。

 しかし、それだけを頼りに行動するのはどうか思い留まって欲しい。


 その結果が『失言』なのだ。


 多様性の尊重を謳うのならば、『自分にとっては間違っている事』についても耳を傾けなければならない。もしかしたら勘違いかも知れないし、自身の価値観の致命的な間違いを見つけるきっかけになるかも知れないのだ。解り合えないのならば、お互い極力干渉しない事だ。


 多様性の尊重を謳うのならば、皆がある程度の思慮深さを持ち合わせなければならない。少なくとも、自身が受け入れられない意見だとしても耳を傾ける程度の度量は必要だ。


 私は、炎上という現象がやがて愚かさの象徴となる日が来る事を願って止まない。

 燃え尽きた先には何も残らないのだ。

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