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猫を探せ

 ここの裏庭にある『異世界扉』の存在は3人以外に知る由もなかった。そして、知ってはならない代物でもあったのだ。

 素人爵の収入の殆どは、異世界扉のおかげで成り立っているといっても過言ではない。そして、万が一にでもその情報が他に漏れれば、おそらくこの土地の購入を求める面倒な連中が都市部から次々と連日途切れることなくやってくるだろう。

 そこには、もはやリックの望んでいる平穏なスローライフなど存在し得ない。

「おまえには異世界に通ずる扉について隠す必要はないらしいな。もう手遅れだと見たぜ」

 リックは口元に手をやると、こほん、と思わせぶりに咳をした。

「うむ、七川さんはどうやら異世界扉の存在を確信しているようですね。そのうえでわざわざボクたち3人に接触してきたということなのです」

 これに、キアラが小さく頷いて同意した。独眼が儚げに伏せられる。

「当然だよ。よほどの確信がなければ、いくら猫捜し版シャーロック・ホームズといわれるわたしでもターゲットと直接的な接触は図らない。何故なら、さまざまな危険がつきまとうからさ。それに加えて、確かに君たちの異世界移動生活は軽くだが観察させてもらった」

 七川は得意げな笑みで肯定する。

 その後、一枚のモノクロ写真を革製カバンから取り出すと3人の前につまんで見せた。

 写真には一匹の黒猫が開かれた扉をくぐり抜けようとしている、まさにその様子が写っていた。行く先は、まぎれもない異世界だろう。

「これはまいったな。ドンピシャじゃないかよ」

 リックは思わず肩をすくめた。

「ですね。というか、リック素人爵だけでなく私やキアラも気づかないとは。なんていう失態でしょうか。あわわ、申し訳ありません」

「姉サマに同じくです。ボクからもお詫びしておきます」

 シアラとキアラもここまでの失態は想像しなかった。数年間続いた花園と異世界扉の機密が、猫一匹の侵入をたまたま見逃したために、こんなにいとも簡単に崩壊してしまうとは……。

「まぁ、わたしもその時すぐに猫を捕まえられればよかったんだけれどさ、なにぶんタイミングが遅くて、写真を撮るので手一杯だった。だからって、問題の黒猫『メーサ』ちゃんの異世界行きを許しちゃったことに変わりはないわけだけれど。やれやれだぜ……」

 七川はそれを思い出したかのようにため息をつく。

「で、その資産家やらは誰なんだ? あと当然、依頼を受けているからには君も成功報酬を約束されている身なんだよな。もし、これから先、俺たちに猫捜しの協力を仰ごうというつもりなら、ぜひそれらの詳細についても教えてもらおうか」

 リックはあらためて私立探偵に尋ねることにした。

 これに対して彼女は。

「もちろん報酬などの詳細はお教えしますよ。ただし、資産家の氏名や身元などの個人情報については契約上、明かすことができないっ。なお、成功報酬なんだけれど一応、一億相当だということになっているはず」

「「「い、一億!?」」」

 その報酬額を聞いて屋敷の住人たちの口から驚愕に満ちた声が上がった。

「そう、一億。そのかわり成功しなければ報酬はゼロだ。前払いはもらわない契約なのでね。どうだい? 少しは協力してみたくなったかな。素人爵とメイドさん方」

「う、うう……。まぁ、協力して俺たちにメリットが大きいのならあえて断るまでもないといったところかな。すでに異世界扉については知られちゃったみたいだし」

 リックはそう言ったものの、メイド姉妹に関してはすでに心を動かされている可能性が高かった。というのも。

「あ、あの協力って具体的には!?」

「ほ、本当に一億なんですよね。これでボクが以前から欲しかったダーウィン著『種の起源』初版本が買えます! っていうかそれ買ってもかなりのおつりがくる可能性が……。あわわわわわ」

「……おまえたち、もうこの段階で協力する気満々だろ」

 シアラとキアラのあまりにも分かりやすい対応にリックは嘆息するのだった。

 そして付け加えた。

「仮にその猫捜しとやらに俺たちが協力するならば、3人の取り分はいくらになるんだ? あと、異世界扉の存在については絶対に他に公言してくれないことだ、約束できるのか君?」

 リックからそのような言葉を聞いた七川は嬉しそうに微笑。そして、「もちろんだとも」と頷いて続けた。

「もし、わたしの猫捜しに協力する場合、君たちの取り分は五割。つまり半分だ。ただし条件もあるにはある……」

「条件?」

「いったいなんですかー?」

 賢狼メイド姉妹の無垢な瞳がそれぞれ見つめてくる中で、七川は慎重に言葉を紡いだ。

「異世界に関しては当然、わたしは無知だ。それにもまして非常に……か弱い。だから、その。異世界に行く際の護衛と、ついでに異世界の……、その、おおまかでいいんで案内まで君たちには頼みたいと思っている。それが条件かな。てへ」

「え。異世界扉の利用許可を出すだけではなくて、異世界に着いた後もわざわざ君の護衛、案内役を俺たちがするってことかよ。……これは、なんだか面倒なことになりそうだな」

 リックはさもやるせなさそうに額に手を添えると深く溜息をついた。

 それとは対照的に賢狼メイドの2人は得意げな表情だ。

「それくらいなら、私どもにまかせてくださいまし」

「ボクたち、異世界には詳しいのですよ。なにせ一応はそちらの出身者なのですから」

「っていうか、リック素人爵も協力しましょうよー。楽しそうではないですか? キアラや私も乗り気ですし」

 これにはリックも。

「ううう。おまえらがそこまで言うのなら……、いやでも。うむ」

 しぶしぶ七川の護衛を承諾するしかなかった。

「じゃあ、とりあえずは契約を成立させるということでいいですよね? では、この契約書にサインを」

 七川は最後に、そのような念押しをして契約書とペンを素人爵に手渡した。

「ち、仕方がない。あくまでも5千万のためだからな」

 しぶしぶながらといった様子でリックはそれらを受け取ると、スラスラと書類に筆記体で署名を加えたうえでこれを私立探偵に返す。

「猫捜索団への参加ありがとう! 歓迎するよ諸君」

 七川は感激するような声で言った。

 こうしていままさに異世界における猫捜索団が結成されたのだった。

「ボクたちの記念すべき結成の瞬間ですね」

「どこが記念すべきなんだよ。俺はこんなゴタゴタは望んでいなかった。あと、猫捜索団ってそのまんまな名称だな、おい」

 肯定的なキアラの言葉をすぐさま遮って、リックは肩をすくめた。

「またまたー。内心ではすごく喜んでるくせにー」

 だが、今度はシアラがそんな言葉で素人爵をからかいだす始末だ。

「う、うるさいんだよ。静かにしろ。俺は何もしない退屈なぐうたらスローライフのほうが好きなんだよ。これに関しては、例外的なものでしかない」

 だが、少々照れくさそうなリックの反応を見るにシアラの指摘は案外、図星なのかもしれない。

 それはさておき、七川はカバンからなにやら小型の文書転送機のようなものを取り出すと。

「ではさっそくこの契約書を事務局に送らせていただく」

 そう言って、その文書を資産家の事務所へと転送した。もはやこれで後戻りはできまい。

「さてさて、わたしの準備は完了している。あとは、君たちの準備ができ次第だけれど。もちろんすぐにとは言わない。やっぱり、ある程度は時間が必要か?」

 七川からの質問に、リックは首を横に振った。

「いや、俺は最低限の軽装で十分だ。それに、異世界扉から現代世界にはすぐに戻れるから、行くならさっさと行こう。つべこべしてる間に、俺たちとその迷い猫との距離が離れすぎることのほうが心配だ」

「珍しい。ついでに、えらく熱心ですね、リック素人爵」

「シアラよ、違うんだ。……俺は、ただ単に事実を述べただけで」

「またまた。照れちゃって。ボクの可愛いリック様」

「キアラよ、やめろーい……」

 なお、このシアラ、キアラのグルード姉妹も。

「でも、確かにリック素人爵の言った通りですわね。どうせ戻れるんだから、私も素人爵と同じく。軽めの装備でいきます」

「ボクも荷物が重いのは嫌なのです。ただ、留守の間に屋敷に泥棒が入らないか心配なので自動防犯センサーだけは作動させたいです」

 それぞれが軽い準備だけでよいとのことだった。

 というわけで、キアラが屋敷の自動防犯センサーを作動させた後、4人はさっそく裏庭へと移動する。

「……さて、異世界猫捜しの開始といくかな。忘れ物にだけは気を付けて」

「忘れ物はないです! いざ、行くとしましょう」

 ――――ギィイイ。

「では、しばらく、さよならなのです。はざま屋敷よ」

 ――――パタン。

 この簡素な音を最後に残して、彼らは例の扉から、異世界へと旅立っていった。

 現代世界の月明かりは相変わらず庭に佇む異世界扉を神秘的に照らし続ける。

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