貧乏貴族と双子メイドの午後
《プロローグ》
――かつて異世界から完全に分離。その後、迷信やまじないはもちろんのこと、革命や戦争なども人々にとっては遥か過去の記憶となり、その代わりに技術が日夜進歩を続け、産業発展を優先してきた現代世界。だが、この世界においても、中世から近世にかけて生きてきた貴族爵位や共通通貨の概念は未だにかつての時代の名残として(ローカルに細々と)継承されていた。つまり、中世的な時代の趣も非常にひっそりとではあるものの、現代形社会の根底に肩身を狭くして生き延びてきたといえる。
ここは新緑が濃密に生い茂る森。
鬱蒼としたその奥地には、かろうじて貴族の領地と呼べるほどの広さの飛び地が人知れず存在している。
この土地がある青年によって買収されたのは数年前のこと。
以降、その場所には彼が所有する庭付きの中規模な邸宅がそれに不釣り合いな立派な鉄門を起源として外界から隔てられるようにひっそりと存在している。
一応、土地所有者である青年は道楽がてらにそこで古書店を営んだりもしてはいるのだが、場所が場所なだけに資金繰りはそろそろ厳しい段階にあると推測される。さらには実態そのものが謎に包まれていることもあって、なおのこと外界からの客足は遠のいている次第である。
さて、そんな森の屋敷には今日も、いつも通りの平和な昼下がりが訪れている……、と言いたいところだが現実はそういう訳にはいかないらしい。……屋敷の居間から聞こえてくるのはビリビリッ、と乱暴に封書が破られる音。
「ん、なんだ? これ。えーと。リック・ワーグナー素人爵どの。この封書が届いてから一週間後の夕刻までに滞納している固定資産税の全額支払いを……とね。やれやれ、嫌なこった。俺がそんなに簡単に税金を納めると思っているなら、お役人連中はこれまたずいぶんな勘違いをされておられるようだ」
「……いや、でも。そろそろ街に出向いて、もろもろの税を支払わないと、本当にやばいですよ。この調子で滞納しまくっていると、私やキアラまでここを追い出されちゃうんですって、リック・ワーグナー素人爵」
「ふむ。まぁ、その時になって考えることにしようじゃないか」
「その時って! 屋敷を差し押さえられてからじゃ、もう遅いですよ。本当に! まったくリック素人爵。あなたという人はどこまでズボラでグータラで守銭奴でアホなのですか」
「シアラ。言い過ぎだろ。どうせなら、アホかズボラのどっちかにしろ。大人しいキアラと違っておまえははちとうるさすぎるのが難点だ。まぁ、残念キャラだな」
「む、なんですって! 誰が残念キャラですかっ! 道楽男子!」
今、この一室でごにょごにょと言い争っている2人分の影。そのうちの一人はこの邸宅の主であるリック・ワーグナー。
彼は装いこそ古風なハンチング、サスペンダー、シャツにスラックスというラフなものだが、栗色の髪に新緑の双眸を携えた童顔は身なり次第では洗練された良家の子弟のそれに見えなくもない。ただ、その実体は借金まみれの素人爵だからなおさらタチが悪いともいえる。なお、素人爵という彼の称号はいまは亡き祖父の遺産を使って、自らの泊付けのために他人の爵位を買収した際に授かったものであり、「素人爵」という爵位自体は貴族間では決して珍しいものとは言えず階級も下から数えた方が早いくらいの代物であった。
そんなずぼらな貧乏貴族の彼に罵声を浴びせている、もう一方の人物。
それは屋敷の若き居候……、ではなくれっきとした侍女兼メイド。シアラ・グルード。
独特な口調とは裏腹に、タイトなエプロンドレスと絶対領域を強調したニーソックスをきっちり穿きこなした端正な顔立ちの娘だ。
なお、少女の左目は黒の眼帯で覆われている。とはいいつつも、やや吊り気味の右目はまるで磨き抜かれた宝石のようにきらきらと紫色に輝いており、加えてさらさらのセミロングヘアがことにこのメイドの美しさを際立てる。
どこに出しても通用する非常に魅力的な容姿をしているといえる。ちなみにこの娘のカチューシャの隙間からぴょこんと生えているのは賢狼族特有の耳。このことから推測できるように、彼女は獣人の血を引く末裔でもある。
「……またつまんない喧嘩をして」
この喧噪に耐え切れなくなったのか、それまで読書をしていた別の人物がやれやれといった調子でソファから腰を上げた。
それはシアラ・グルードとはうり二つの背恰好、顔だちの少女。
シアラの双子の妹、キアラ・グルードだ。彼女もまた屋敷の侍女兼メイドである。
ただし、吊り目のシアラとは違って、どこかのんびりとした印象を受けるたれ目。それに、黒の眼帯はシアラとは逆側。つまり右目にあてられている。ついでにシアラより一回り胸が小さい。
さて、呆れたような表情を浮かべたキアラは賢狼族特有の長い耳をぴくりと震わせて、偶然そばにあった百科事典を大理石の机に振り下ろし一喝。
「……お2人とも。いいかげんにしましょう?」
普段はどこか冷めたキャラクターのキアラ。
彼女の切れ味鋭い仲裁を受けて、それまでつかみ合っていた2人の手が止まった。
「すまん。キアラ」
「ごめん、妹」
キアラは顔つきこそ常に眠たげなポーカーフェイスだが、怒らせるととんでもないことになりうる。
それを知っていたリックとシアラは取っ組み合いをささっと中断して、このメイドにぺこりと頭を下げる。
得体の知れぬキアラの異能が働く前に、潔く謝罪して丸く収めたほうが良いという判断である。
なお、それは正解だったようで。
「……分かってくれたならいいです。てへ」
例の百科事典が振り下ろされた大理石机は、先ほどの衝撃でところどころにひび割れが起きていた。
そう、キアラは華奢な見かけによらず恐るべき怪力の持ち主なのだ。
ついでに大の読書家である。だから、読書中はなるべく邪魔をしてはならない。さわらぬ神に祟りはないとはよく言ったもの、か。
――――はてさて、そんなこんなで喧噪も収まり屋敷につかの間の平穏が戻る頃。大時計の針は休む間もなく動き続けて午後2時を知らせた。
「……リック様、二時です。扉の機能のチェック時間なのです。件の異世界扉がちゃんと機能しているか本日も姉サマとボクと確認に参りましょうですー。あれが機能しなくなったらそれこそ、ボクたち『ハザマ世界』の住民は一巻の終わりなのですからね。面倒でも毎日入念にチェックする必要があるのですよー」
読書を終えたキアラは、コーヒーカップを片手に優雅なティータイムに興じていたリックに目をやると、屋敷ではもはやおなじみとなっている言葉を投げる。
一方の素人爵はカップをソーサーに戻すと、ふぁあと口に手を当てて「もうそんな時間かよ。面倒だな。だが、行かねばなるまい。侍女室で寝ているシアラのやつをたたき起こして来てくれ」とキアラに命じた。
「……あ、おなじみのアレですか。はいなのです」
この言葉を最後にキアラは居間から姿を消した。
次にドタドタという階段を駆け上がる音や侍女室のドアを開ける音がした……、かと思えば今度は階段を勢いよく降りる音が響いて。
ドタ、ドダ。
ガタ、ガタ。
ゴロゴロ。
頭にねぐせを付けたままのシアラがリック素人爵の目の前でズテーンと派手に転倒していた。
「あわわわわーーーーーーっ!」
このメイドは獣耳を下げて、恥ずかしそうに顔を赤らめて声にならない悲鳴をあげた。
慌てすぎていたのだろう。ドジッ娘な彼女のミニスカートがはだけて縞模様のパンツが丸見えになっている。
そして、この様子を見てしまったリックやキアラの顔もぼんやりと赤く染まる。
「やややあああああああああああああ。見ちゃダメです!」
シアラは悲鳴と同時、すぐさま立ち上がってスカートの裾を必死に下げて、パンパンと何事もないかのように埃を払った。
そして、くるりと2人のほうを向くと、いまにも泣きだしそうな表情で尋ねてきた。
「な、何も見なかったですよね!?」
これに対し、リックはこほんと小さく咳払いをして短く応えた。
「ああ、俺たちは何も見なかった。そう……、だから何も知るはずない。おまえが縞パンを履いているなんてことは俺たちが知る由もないんだよ」
そんな青年の発言と時を同じくして、シアラの鋭い右ストレートが炸裂。
案外、嘘が下手なリック・ワーグナー素人爵はその場に卒倒した。
「……ああ、姉サマがまたやっちゃいましたのです。リック様」
一方のキアラは、やれやれといった様子で倒れたリックを介抱するのだった。
「うう、う。ダメージで動けない。とりあえず。キアラよ。異世界扉のとこまで連れていってくれ」
このセリフを最後にリックはこと切れてしまった。
「……やれやれなのです」
「ついつい殴ってしまった。ごめん」
賢狼メイドたちは手慣れた様子でリックを担架に乗せると、屋敷の裏庭にある件の一角へと向かっていくのだった。