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最終話 青色のエンゲージ

 テュールパンAへのタッチダウンから一週間、「メサイア」は一日に二~三回の起爆を行ってテュールパンAの軌道変更を行い、完全にテュールパンAを予定の軌道に投入することに成功した。その間に、地球では「プリマヴェーラ」の再整備を行い、乗組員の訓練と出港準備が始まっていた。

 その翌日、「メサイア」はテュールパンAから分離し、テュールパンBに向かっていた。両者の距離は既に三万キロに離れ、完全に二つの彗星に変わっていた。

 テュールパンAでの作業を問題なくこなしたことで、船内には楽観的な気分が漂っていたが、接近するにつれて、次第に今度はそう簡単な作業ではないことがわかってきた。

「こりゃあ……破片の量がものすごいな」

 レーダー手が思わず呟く。テュールパンBのエコーを霞ませるような、無数の破片がコマの中をくるくると舞っていた。

「爆発で、テュールパンBも表面の塵が溶けて剥がれたんだな……こりゃあ危ないぜ……」

 スミス機関長が言う。テュールパンAとテュールパンBは十キロ程度しか離れていなかったため、テュールパンBも水爆の熱線を強烈に浴びていたのだ。表面の炭素化合物は溶け、下の氷が蒸発した事によって核から剥離し、その後で冷え固まって、大きいものでは十メートル前後の黒い石炭の塊のようになっている。もしこれが船に当たったら、相当な損傷を蒙る事になるだろう。

 しかも、この炭素化合物の塊はレーダーの電波をかなり吸収してしまい、実際よりも小さなエコーを返してくることが多い。レーダーだけに頼ると、実際には船に損害を与えそうなものでも、見落としてしまいかねない。

「これは……見落としてたな。発生しても彗星が進むにつれて、ほとんど後方に脱落すると思ってた……」

 失敗だ、と言う智也の肩を、村島が叩いた。

「気にすんな、星見。俺たちの腕で全部かわして見せるさ」

 なぁ、と村島がアンドルーズの方を見ると、彼は黙って頷いた。智也は頭を下げた。

「ま、どんな危険な事があっても、行くことには変わりない。レーダー、お前の目が頼りだ。総員配置に付け」

 そのやり取りを聞いていたマッケンジーが命令を下す。「メサイア」は慎重に前進を開始した。しかし、本格的にコマに突入する前から、船体にデブリがぶつかり始める。どうやら、かなり広範囲に破片が散らばっているらしい。しかも相当大きなものがぶつかるのか、貨物を含めても二万トン近くある「メサイア」がはっきりと揺れるのが感じられるくらいの衝撃もたまに伝わってきた。

「今のは大きかったな……損傷は?」

「今のところ、生命維持に問題が出そうな損傷は……あ、観測カメラが一つ損傷しました」

 技官が報告する。彼の前のモニターに分割表示されている船外カメラからの映像のうち、左舷側の一つにサンドストームが走っていた。

「そっちが死角になるな……なんとか、他のカメラをやりくりして、死角をなくすようにしてくれ」

「了解」

 船長と技官がやり取りをする間も、船はゆっくりとコマのガスをかき分けて進んでいた。やがて、おぼろげに核の影がガスの中に浮かび上がり、全員がそれを注視した次の瞬間だった。

 突然、船体に強烈な衝撃が走った。コンソールのランプが一気に赤に変わり、空気漏れを示す減圧警報が響き渡る。

「デブリがヒットしやがった!」

 アンドルーズが叫び、咳き込む。ブリッジの気圧も下がっている中で思わず叫んだため、喉を痛めたのだろう。口から細かい血の玉が吹き出る。智也は椅子にしがみつきながら、ディスプレイに目をやった。船体左側の居住区画が真っ赤になっていた。

 その時、緊急隔壁が降りる音がして、空気の漏出が止まったことを示すサインが表示された。次いで失われた空気を補填するため、緊急酸素タンクが放出され、冷たく新鮮な空気がエアダクトから噴出してきた。ただ、気圧が急増したために耳が痛くなる。数人が金魚のように口をパクパクさせ、酸素を吸い込むと共に耳の痛みを解消した。

「じ、状況を報告しろ。それから、誰かアンドルーズを治療してやれ」

 椅子から投げ出され、背中をパネルで打ったマッケンジー船長が、村島の助けを得ながら起き上がる。緊急措置を実施した技官が耳を抑えながら報告した。

「左舷居住区にデブリが直撃したと思われます。状況は不明ですが、おそらく区画は全壊状態」

 報告してから、彼は項垂れたように言った。

「……申し訳ありません。先ほどの死角から接近してきたのを見落としました」

 次に、アンドルーズを見ていた機関長が報告する。

「アンドルーズは軽症。生命に別状はありません」

 マッケンジーは頷いた。

「不幸中の幸いだな。被害区画を外部カメラで写せるか?」

「やってみます」

 技官が応え、パネルを操作すると、ブラックアウトしていた画面が復帰しはじめた。三つ目のカメラが再起動したところで、全員が息を呑んだ。

「俺の部屋が……」

 智也は思わず言った。彼は村島ら日本人乗員三人と同室だったのだが、その部屋があった部分がスプーンでえぐったように無くなっている。もし部屋にいたら、間違いなく即死だっただろう。

「なんてこった……ジョー、船体強度に問題は?」

 マッケンジーは尋ねた。ジョーと言うのは技官の名前である。

「主フレームに被害は及んでいませんから、強度的には問題はない、と思います……」

 落ち込んではいるが、技官の報告は的確だった。船長は彼の肩を叩いた。

「気にするな。死人は出なかったんだ。それに、事故後の対処は完璧だった。胸を張れ」

 その言葉が少し慰めとなったか、技官は報告を続けた。

「ただ、左舷居住区はもう使えないでしょう。壁は張り替えられても、放射線を完全に防げるようには出来ないと思われます」

「てことは、今日から右舷に全員すし詰めか? そりゃ厳しいねぇ」

 村島が緊張をほぐそうと、わざとおどけた口調で言う。微かに笑い声が漏れるところを見ると、どうやら乗員たちの緊張感もほぐれてきたらしい。しかし、その中で智也だけが暗い顔だった。

「ん? どうしたんだ星見。まだ怖いのか?」

 村島が聞くと、智也は我に返ったように顔を上げた。

「え? あ、いや……そうじゃないんですが……荷物が……」

「荷物? あ……全部吹っ飛んじまっただろうなぁ……服これしかないぜ?」

 村島は困った表情をしたが、すぐに笑顔になった。

「でもまぁ、そういうところに気が回る辺り、意外と動じてないな。やるな星見」

 そう言って、智也の肩をバンバンと叩く。智也はそれに笑って見せながらも、船室と共に失われたであろう、あるものの事を考えていた。

(あれ……やっぱ無くなっただろうな)

 返ったら、鈴音に渡すはずだったもの。高い買い物ではなかったが、一大決心して買ったものだ。それが無くなったのは、自分と地球の絆の一つが失われたような気がして、智也の心は落ち込んだ。しかし。

(いやいや、そんな弱気になってどうする。俺は約束したじゃないか。鈴音のところに戻ると。あれくらい、また買えばいい)

 頬をパンと一発張り、智也は任務に頭を切り替えた。

「こうなったら、早く終わらせて早く帰りましょう。ずっと狭い部屋に六人暮らしとかは勘弁です」

(鈴音……お前のお守りのおかげかもな)

 智也は言いながら、胸にかけているお守りを、服の上からそっと押さえた。

「そうだな。全員無事だったんだ。まだツキは落ちちゃいないさ。全員仕事に戻るぞ!」

 智也の言葉にマッケンジーは応じ、全員が「アイ、アイ、サー!」と唱和する。傷ついた救世主は、それでも屈することなく、核を目指して再び飛び始めた。


「ISS、こちらTSS-01。こちらを視認できるか?」

 呼びかけから2秒ほど間を空けて、向こうの声が通信機から飛び込んできた。

『こちらISS。良く見えているよ、TSS-01。彗星の横にピッタリつけている」

 それを聞いて、「メサイア」の中では安堵のため息が漏れた。「帰ってきた」と言う声も聞こえる。

 出港から約十ヶ月、往復1億キロに及ぶ旅の末に、「メサイア」は月軌道を越えて地球圏に戻って来たのだった。通信がほぼタイムラグなしで聞こえたところが、距離の近さを感じさせる。

「一時はどうなることかと思いましたけどね」

 智也が言うと、マッケンジーも頷いた。

「まぁ、持って帰ってくるのが彗星でよかった、って所だな」

 およそ半年前、テュールパンBへのタッチダウン中にデブリと衝突して損傷した「メサイア」は、人的被害こそ軽微だったものの、実はかなりの損傷を受けていた。左舷居住区がほぼ全壊した際に、水のパイプラインと食料のコンテナも破損しており、左舷側にあったそれの九割が失われてしまっていたのだ。

 本来なら計画を中止して即座に地球に帰還するレベルの被害だったが、クルーたちは一致団結して任務を続行した。食料はカロリー制限で食い延ばし、水は彗星の氷から採取したのである。一応水質は調査したところ、有毒物質はなく、ミネラルとアミノ酸が豊富に含まれた良質の水で、飲用にも問題がなかった。

 氷を積み込んだ後、「メサイア」は核パルスエンジンを起動してテュールパンBの軌道変更を行い、三か月前に先行していた「プリマヴェーラ」とテュールパンAを追い抜いて、地球圏に到達したのである。

「さて、いよいよ計画のクライマックスだ……ここから先は休んでいる暇はないぞ。全員、十分休みは取ったか?」

「オーケイ、ボス!」

 乗員全員が唱和する。

「よし、では減速開始だ。減速しつつ、地球上空五千キロまでテュールパンBを運び、その後最終フェイズに移行する。コメットマッシャーはしっかり起動しているか?」

「問題ありません」

 智也は応えた。コメットマッシャーは地球落下前に彗星を破砕し、破片を大気圏上層部で燃え尽きる大きさにするため開発された、専用の爆弾だ。彗星の核表面に散布すると、内臓の電熱器で氷を溶かしながら中心部付近まで潜っていき、あらかじめ定められていた深度に達すると、そこで動きを止める。指令が出ればその場で爆発し、彗星を内部から破壊する仕組みだ。爆破には核爆弾を使うのが当初の予定だったが、地球に落とす彗星の欠片が放射能汚染されている、と言うのは流石に環境保護団体だけでなく、一般市民の反発も激しかったため、この爆弾の採用となった。

 予備も含めて二百個以上が投下されたコメットマッシャーは、何個かが内部で岩に引っかかって動きを止め、それらは機能停止信号を送られて放棄されたが、十分な数がテュールパンBの中心部付近に到達し、爆破指令を待っている。

「よし。減速用意。プレートを制動モードで展開し、異常なければ制動用爆弾を放出、起爆せよ。タイミングは機関長に一任する」

「了解!」

 スミス機関長は気合の入った返事をして、プレートを広げ始めた。十八枚の推進時に加えて、さらに両脇に三枚ずつプレートを追加した、二十四枚全部を使う最終形態である。

 長い航海の間に数え切れないほどの核爆発に晒されたプレートは、滑らかだった表面も今は溶けてあばた状になり、見る影もない。しかし、まだまだ爆発に耐える十分な強度を保持している。ラスト・ランに向けて二十四枚のプレートは綺麗に整列した。

 「総員、対ショック、対閃光防御……爆弾放出。起爆までのカウントダウン開始。十……九……」

 その様子は、軌道上の衛星からラピュタやノンモといった超高高度通信中継センターを通じ、全世界で放送されていた。月よりも巨大に成長し、数万キロの尾を引くテュールパンB。そのやや遠くに、ほとんど月と変わらぬ大きさのテュールパンA。普通の天体ショーなら誰もが興奮せずにはいられない映像だったろうが、星空の存在を忘れて久しい人々にとっては、機体と不安の入り混じる光景だった。そして。

「イグニッション!」

 機関長の号令と共に制動用ニ十メガトン水爆が炸裂した。地球上では、テュールパンBの一角がちかっと光ったようにしか見えなかったが、各地の宇宙センターは大興奮に包まれていた。

「予定通りの減速を確認! TSS-01、その調子だ!」

 NASAのケープ・カナベラル基地に置かれた計画本部では、本部長が手を振り回して叫んでいた。「メサイア」ではもうお馴染みの、しかし慣れる事はなさそうな強烈な衝撃から立ち直った乗員たちが、次の作業を開始している。

「プレートの強制冷却を開始。完了まで三分……五分後に二回目の制動を行います」

 機関長の報告に、マッケンジーは腰を抑えながら頷いた。

「了解だ。しかし、これは何度やっても堪えるな。腰痛が酷くなる一方だ。次の宇宙船は、もう少しソフトな乗り味にしてもらいたいぜ」

 乗員たちの間から同感の声が上がる。その間に、智也は最終的な投下コースを確認していた。

「投下予定ポイントはマーシャル諸島上空三千三百キロ、プランRLで。問題ないですね?」

『問題ない。プランに従って起爆破砕を実施するように』

 地上のメインプランナーからの指示を受けて、智也は確認の信号を送った。プランRLは赤道に沿って彗星の破片を散布する案だ。

 赤道付近の日照を回復すれば、衰えている暖流が蘇り、高緯度地方に熱を運ぶ海の大循環が復活する。そうすれば、灰雲が完全に消えなくとも、中緯度から高緯度にかけての地域の気温をかなり上昇させることが可能だ。また、赤道付近で海面温度が上昇し、水蒸気の量が増えれば、かなり長い時間、寒冷化を食い止める事ができる予想されている。一気に地球環境を元に戻すことは出来ないが、仮に今後テュールパンAの地球落下軌道投入が失敗しても、それをリカバリーする第二次スカイスクレイパー計画を立案・実施する時間は稼げるだろう。

 他にも、穀倉地帯の日照を回復するプランや、森林地帯の日照を回復する、といった計画も立てられていたのだが、予想以上の寒冷化の進展を受けて、このプランが採用されたのだった。

 智也が最終確認をしている間にも制動起爆は続き、48時間後、テュールパンBは完全に地球の重力から逃れられない速度まで減速した。度重なる核爆発で、月軌道では直径二千キロ近かったコマは四散し、うっすらと核そのものが見えるほどになっている。あとは渦巻きのような軌道を描いて、地球に落ちていくだけだ。「メサイア」はその役目を終えたダンパーとプレートを切り離すと、核の表面から離脱。化学ロケットエンジンのみで地球上空五千キロの待機ポイントへ向かった。

「……相棒の最後の旅路だな」

 マッケンジー船長がしみじみと言う。ランデブーポイントから地球圏まで長旅を共にし、その一部は自分たちの身体をめぐる水分となったテュールパン彗星。全員がこの星に親しみを抱いていた。それをもうすぐ、自分たちの手で破壊しなければならない。地球を、人類を救うためにやむを得ない事だとわかってはいても、こうしていざ最期を看取るとなると、センチメンタルな思いが生じるのも確かだった。

「……テュールパン彗星は、消えてなくなってしまうわけじゃないですよ」

 智也が言うと、全員が彼のほうを注目した。

「あの星は、もうすぐ地球と一つになるんです。大地の怒りがもたらした痛みを拭って、雨や雹になって地表へ降り注ぐ。その水が、多くの生き物の命を支えるでしょう。地球の生命は彗星が起源だという説がありますが、今は俺もそう信じています。きっと……」

「そうだな」

 マッケンジーが頷いた。

「彗星のおかげで開かれる未来を、より良いものとしよう……SG、頼むぞ」

「はい」

 智也は頷いて、爆破スイッチを覆うプラスチックのカバーを開けた。赤いボタンに指をかけ、一瞬祈りをささげる。

(どうか、この作戦が成功しますように。爆破が完璧に上手く行くように……神様)

 無意識のうちに鈴音がくれたお守りを握り締めながら、智也はスイッチを押した。


 最初、彗星の核は何事もないように見えた。しかし、その輪郭がぶれたかと思うと、表面の炭素化合物よりも黒いひび割れを無数に走らせ、そこから白い蒸気と煌く氷の欠片を噴出させた。その噴出が起きる度に核は砕け、砕けた破片同士がぶつかり合い、さらに細かい破片へ変わっていく。もはやそれは一つの大きな塊ではなく、何千万個、いや、何億個と言う破片の集合体だった。

 破片の集合体は鳥の群れや蚊柱のように不規則に形を変えつつ、次第に拡散しながら高度を下げていく。やがて、一つがついに大気圏の上層部に触れ、真っ赤な輝きを放った。その数が一つ、二つ、三つ……と増え、たちまち数え切れないほどの流星となって、空を駆け抜けていく。

 すると、今度は地上の方から逆向きの流星のようなものが無数に飛び出してきた。比較的大き目の、地上に落ちる恐れのある破片を砕くため、赤道付近に展開していた国連軍が発射する対軌道ミサイルの群れである。それは十メートルから五十メートルほどの大型の破片を捉え、次々に爆砕して行った。監視衛星が捉えたその光景は、電波を通じて世界中に配信されたが、テレビに映し出されたその光景を見ている人は、ほとんどいなかった。

 なぜなら、人々は皆外に出て、空を見上げていたからである。既に流星群の落下地点が赤道付近に集中すると予告されていたにもかかわらず、自分たちの住むところでも、その希望の星は見えないかとばかりに。

 やがて……灰雲の中で、無数の光が煌き始めた。赤く燃え上がり、白い蒸気の尾を引いて、空を切り裂く無数の流星。歴史上観測されたどんな流星群よりも壮大な光景を前に、人々は確信した。

 きっと世界は救われる。どんな願い事でも叶えてくれそうな、凄い流れ星じゃないか……と。


 その時、TSS-01「メサイア」は地球の夜半球上空を飛んでいた。既に流星群は落ちきったのか、その光は見えない。

「こちらTSS-01。計画本部、作戦はどうなんだ? 成功か?」

 通信士が呼びかけるが、巨大流星群通過の影響で、一時的に電離層などの高層大気が擾乱されている影響か、電波状況が悪い。なかなか通信が繋がらず、苛立った時間が数分過ぎた時、ようやくクリアな音声が聞こえてきた。

『こちら計画本部。TSS-01のクルー諸君、真にご苦労様でした』

 マッケンジー船長は通信士から回線を引き継ぎ、船長席のマイクを手に取った。

「こちらTSS-01。ありがとう。ところで、作戦は成功なのか? 現在本船は夜半球側のため、状況が把握できない」

 回線の向こうで、笑い声が聞こえた。

『TSS-01、我々が伝えるよりも自分の目で見た方が良いだろう。間もなく貴船は昼半球側に出る。その時、地上を良く見たまえ』

 その声と同時に、地球の輪郭の向こうに太陽が現れ、金色の光がキャビンの中に差し込んだ。一瞬目が眩み、視力が回復した時、乗員たちはそこに見えた光景に息を呑んだ。

 それは、白い砂漠を貫く、青い大河のようだった。

 灰雲が切り裂かれ、晴れ間の帯が彼方へ延びている。三十年ぶりに光が差し込み、青く輝く海の中には、ところどころくすんだ緑色の島が浮かんでいるのが見えた。

「ありゃあ……カリマンタン島とニューギニアだ!」

 誰かが叫び、乗員たちは頭の中の世界地図と自分たちの眼下の光景を比べ合わせ、ようやく理解した。それが、自分たちの成し遂げた事の結果なのだと。

『理解したかね? 君たちのした事を、世界中の人々が讃えているよ。君たちは……我々に日の光を取り戻してくれたんだ』

 その言葉をきっかけに、どっと賞賛や感謝の声が無線に流れ込んできた。国連事務総長、日差しが帰ってきた赤道直下の国々の国家元首、アメリカの大統領に日本の首相といった政治家から、久し振りの日光に狂喜乱舞する人々の様子を伝えるニュースキャスター……それらの声は、超高高度通信中継センターからではなく、地上から直接発信された電波で届けられ、灰雲が大きく切り裂かれたことを示していた。

 その狂騒のような時間が過ぎて、ようやく乗員たちは親しい人々と話をする時間を得た。

『あなた、おめでとう……本当に、あなたは私たち家族の誇りよ』

 マッケンジー船長の奥さんが涙ぐみながら言うと、マッケンジーは照れくさそうに頭をかいた。機関長は老親と飼い犬との再会を果たし、飼い犬が言いつけ通り親を守ったことを褒める。そして、智也は親と式部、旅立ちを送ってくれた島の人々。

『智也、頑張ったな。これでまた星が見られる時代が来るな』

 智幸が満面の笑顔を浮かべて言う。

『星見君、もうあれから五年も経つんだな……あの時の君の閃きが、こんな大輪の花を咲かせたんだ。本当におめでとう』

 式部が万感の思いを込めて言い、続けて島の人々が万歳三唱を始める。まだ種子島は灰雲の下だが、皆が明るい明日の到来を確信し、希望に顔を輝かせていた。智也はそれに応えた後、通信士に頼んだ。

「種子島の中継センターを呼び出してもらえませんか?」

「ああ、そう言われるかと思って、もう設定してあるよ」

 通信士は笑ってパネルを操作すると、種子島に通信を繋いだ。画面に鈴音の顔が現れる。

「TSS-01、星見智也飛行士より神津通信官、聞こえますか?」

『きゃっ!? あ、と、智也君……びっくりした。急に呼びかけて来るんだもん』

 鈴音が通信官らしからぬ、昔ながらの彼女の口調で答えた。

「ははは、悪い悪い……鈴音、帰って来たよ」

 智也が笑いつつ言うと、鈴音は満面の笑顔を浮かべて頷いた。

『うん……お帰りなさい、智也君。本当にお疲れさま』

「ああ」

 数千キロの距離を隔てて、二人は向かい合う。長い距離に見えるが、一億キロの旅をしてきた後の数千キロ。ほんの数千キロ。それも今はもどかしい。智也は続けた。

「なぁ、鈴音……俺、帰ってきたらお前に渡そうと思っていた物があったんだ」

『え? なに?』

 きょとんとする鈴音に、智也は頭を掻きながら答える。

「だけど、それは事故の時になくしちゃってな。だから、代わりにこれをお前に捧げるよ」

 智也は船外カメラを操作し、眼下の光景を映し出すと、それを鈴音と話している回線に割り込ませた。

 白い地球にはめられた、青いリング。

「これがなくしたもの……指輪の代わりだ。受け取ってくれ、鈴音」

『……えっ……それって……』

 鈴音の目が大きく見開かれる。

「つまりだ、俺と結婚してください、鈴音。何年も放り出したままで、今更だけど……」

 智也がはっきりと、決定的な言葉を口にすると、鈴音の目に涙があふれた。

『えっ……その……どうしよう……そんなの……』

 泣きながら、やけに動揺した言葉を発する鈴音。智也は首を傾げた。内心はかなり焦っている。

「え? その、鈴音……嫌か? 俺とじゃ」

 鈴音は首をぶんぶん横に振った。

『そ、そんな事ないよ! 嬉しい! 凄く嬉しい! でも……』

「でも?」

 智也が繰り返すと、鈴音は泣き笑いの表情で、背後を指差した。

『この部屋の中……今世界同時生中継中だって』

 そこには、テレビ局や新聞のカメラの放列があった。次の瞬間。

「…………!!」

 無線から、どっと歓声が飛び込んできた。拍手の音、吹き鳴らされるクラクション、口笛の音。祝砲らしき銃声に花火の炸裂音。中継を見ていた世界中の人々が、この初々しいカップルに送る祝福の声だった。船内でも、あっけに取られたまま見守っていたクルーたちが一斉に席から飛び出し、智也の身体を所かまわず小突き回し始めた。

「よっ! この色男!! 世界同時生中継でプロポーズかよ! 大胆だねこいつ!!」

「かーっ! おじさん羨ましいねぇ!! あー、俺も結婚してぇ!!」

「ぶははははは! 男前過ぎるだろSG!!」

「痛い! 痛いって!! いい加減にしろよアンタラ!!」

 最初は笑っていた智也も、溜まりかねて手荒い歓迎の輪から抜け出す。そして、鈴音に向かって言った。

「まぁ、なんだ。その……」

 上手く言葉が出てこない恋人に向かって、鈴音はぺこりと頭を下げた。

『ふつつか者ですが、よろしくお願いします』

「……ああ!!」

 再び無線から歓声と拍手が鳴り響く中、真面目な表情で席に座った船長は、パンパンと手を叩いて全員に注目を促した。

「まぁ、そう言う事だから……そろそろ帰ろうじゃないか。俺たちの星へ。待っている人たちの元へ」

「アイ、アイ、サー!!」

 全員が席に戻る。すると、船長はウィンクしながら智也に言った。

「よし、出発の号令はお前にやらせてやるよ、SG」

「え、良いんですか?」

 驚く智也に、船長はサムズアップで応える。

「良いんだよ。この場の主役はお前さんだ。ビシッと一発決めてくれ」

 智也は頷くと、乱れた髪と服装を直し、すうっと息を吸い込んだ。

「最終降下航程用意、未来へ向けて、TSS-01『メサイア』……発進!!」

 

 そして……天蓋を開いた船は降りて行く。再び空に向けて歩き出した世界に向かって。


(終)

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