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第四話 闇への旅立ち

 式部の考えた通り、マールブルクのテロ事件を受けて世界中の宇宙機関は大騒ぎになっており、NASAも例外ではなかった。急遽駆けつけた米軍やフロリダ州兵が基地の周りを厳重に取り囲み、基地に起居している職員には外出禁止令が出されていた。

 また、打ち上げ予定のロケットも全て点検され、爆弾をはじめとする破壊工作の跡がないか探している最中で、今日の打ち上げは取りやめである。いつになく静かな、しかし緊張した基地の様子が、休憩室の窓からも見えている。

「えらい騒ぎになったな……しかし船長、『プリマヴェーラ』が使えないと、かなり航海計画が厳しくなりますね」

 智也はマッケンジーとコーヒーを飲みながら話していた。二隻の彗星キャプチャー船は互いにバックアップし合いながらテュールパン彗星に向かう事になっている。特に彗星に近づくと核からはがれた岩塊などが船体を損傷させる可能性もあるため、万が一に備えて一隻は彗星のコマ(核から吹き出たガス体)の外に待機して、交代したり物資を補給したり、と言った支援任務を担当する。

 たった一隻の船が地球の命運をかけて危険な任務に挑む……などと言うのは、映画や小説だけの話であり、そんな賭博的要素の強い計画は許されないのだ。本来なら。しかし……

「ESAは急いで新しい工場を建てると言っているが、難しいだろうな。『プリマヴェーラ』がうちのよりは簡単な構造の船とは言っても、モノは肝心要のメインシャフトだ。最悪、一隻でやることを覚悟する必要がありそうだ」

 マッケンジーも厳しい見方を示し、二人はそろって溜息をついた。そこへ、副操縦士の村島裕輔と機関長のグレン・スミスの二人が入ってきた。どちらも「メサイア」乗員の一人である。

「船長、こちらでしたか」

 スミスの言葉に、マッケンジーは二人の方へ向き直った。

「ああ、機関長。何か用か?」

「移動、早まるかもしれませんよ。司令室で主任とチーフプランナーが話してるのを聞いたんですが、我々の安全を確保する意味でも、宇宙に出るのを早めるかもしれないと」

 スミスの言葉に村島も頷く。

「俺も聞きました……まぁ、外出許可を貰えずにこの中に閉じ込められるよりは、新基地へ行く方が気が紛れるかもしれませんな」

「そうか……その前に、一回くらい休暇が欲しいんだがな」

 マッケンジーが言う。智也は休暇か、とその言葉の意味を考えた。今までも休暇がなかったわけではないが、遠出するほどの余裕はなかった。もし、纏まった休暇がもらえるなら……

 

 白い空の一角にぽつんと黒い点が浮かび、それはたちまち大きくなって、JAXAのヘリになった。ヘリポートに近づくと、ローターが巻き起こすダウンウォッシュが粉雪を舞い上げて吹き付けてきたが、鈴音と式部、智幸の三人は逃げたり顔を覆ったりすることもなく、降りてくるヘリを見守った。

 ヘリが完全に着地すると、三人が待っていた人物が姿を現した。バッグを担いでヘリから降りてきた彼……智也は、挨拶をする間もなく、抱きついてきた鈴音を真っ向から受け止めることになった。

「うお……びっくりするだろ、鈴音」

 智也は言った。三年間、飛行士候補生として鍛え上げた身体は、軽い鈴音の体当たりにもびくともしなかったが、いきなりの熱烈な歓迎にはちょっと驚く。

「だって、久しぶりだったんだもん。お帰りなさい、智也君」

 鈴音は抱きついたまま、顔を上げてにっこり笑った。思わず心臓が高鳴る智也。

(こいつ、綺麗になったな)

 三年前はまだまだ少女っぽさが残っていた鈴音は、顔立ちこそあまり変わらないものの、トレードマークの三つ編みをストレートにし、通信官の制服を着ているせいか、雰囲気がだいぶ大人っぽくなっていた。

「あ、ああ……ただいま」

 そんな動揺を隠して挨拶をすると、式部と智幸が歩いてきた。

「おかえり、星見君。逞しくなったな、君は」

「良く帰ってきたな。本当に星の世界へ行く事になるたぁ、ご先祖様も皆喜んでるだろう」

 恩師と父の歓迎の言葉に、智也は笑顔で答えた。

「ありがとうございます、先生。父さん、母さんは?」

「お前の為に好物を全部揃えるって、台所にこもりっぱなしだ。早く帰ろう。で、顔を見せてやれ」

 智幸の言葉に智也はわかった、と答え、鈴音の肩を促して一緒に歩き始めた。宇宙へ行く前に貰えた最後の長期休暇を、智也は故郷で過ごす事にしたのだ。

 その夜、星見家は神津家の人々と式部だけでなく、近所の人も訪れて、大変な活況だった。いまや郷土の誇りとなった智也を一言激励しようと、市長までやってきたくらいだ。

 今では農林水産業は日本ではほとんどできなくなっていて、天然物の魚や露地野菜は超高級品だったが、そうしたものも島民が惜しみなく持ち込み、列席者に振舞われた。生鮮食材に輪をかけた高級品の島焼酎も、各家庭や酒蔵で保存されていた最後の在庫が一斉に放出された。

「なあに、智也君が成功すれば、また魚も野菜も取れるようになるさ! そうしたらまた腹いっぱい食えばいい」

 おおらかな島の住民たちはそう言って笑い、飲めや歌えやの大騒ぎ。そのうち主賓のはずの智也の事などお構いなしになり、完全な無礼講状態に突入した。


 智也は宴の席から抜け出て、入り江の向かいの宇宙センターを見つめていた。寒風の中、無数のライトが打ち上げを控えたロケットと発射台を照らしている。ここから、カウントダウン用の電光掲示板が明滅しているのが見えた。あと五分ほどであのロケットは打ち上がる。

「……どうしたの? 智也君」

 後ろから声がかかった。

「鈴音か。ん、ちょっとな……あのパワーにはついていけないよ」

「ふふっ、確かにね」

 鈴音は笑いながら智也の横に立った。ライトの光がほのかに当たっている一棟のビルを指差す。

「あそこ、今の私の職場なんだ」

 種子島宇宙センターの、中央通信管制センター。眠りから覚め、今度は不眠になっている施設の脳髄。

「そうだったな。頑張ったよな、鈴音」

「智也君もね」

 二人はお互いを讃えあい、そしてまたセンターに視線をやった。

「いつ出発だっけ?」

「二週間後だ。本当はこのセンターから宇宙へ行きたかったけど……」

「うん……私もここから智也君を見送りたかった」

 二人は言葉を交わし続けた。二週間後、予定より半年前倒しで、智也は宇宙へ向かう。その打ち上げ基地は、新設の国連航空宇宙局サハラ総合宇宙基地と決まった。

 アフリカ・サハラ砂漠のど真ん中に作られた巨大宇宙基地である。十基以上の発射台とロケット組み立て施設を有し、一日二機のロケットを打ち上げ可能な施設だ。一般的にロケットは赤道に近いほど、地球の自転速度を味方にできて、打ち上げの負担が軽くなる。有人ロケットは衛星や資材を打ち上げるものと比べてかなり大きいため、打ち上げが楽な場所が選ばれたのだ。

 また、「大噴火」による火砕流が到達する事は無かったが、災厄の中心地を恐れて多くの人々が避難したため、今ではサハラ東部はほとんど無人地帯となっている。開発に伴う反対運動が少ないのも利点だった。

 

「でもまぁ、宇宙に出れば鈴音の声を聞く機会も多くなるさ。だから……」

「うん。打ち上げが上手く行きますように、って祈ってる。あ、そうだ」

 鈴音はポケットを探ると、小さな紙袋で包装された何かを取り出した。

「これ、持って行って」

「え? ありがとう……これは?」

 智也は紙袋から取り出したものを見て、首を傾げた。赤い巾着袋に包まれた……お守り。

「四国の金比羅(こんぴら)さんの航海安全お守りだよ。宇宙船も船には違いないから、このお守りがいいと思って」

 金比羅さんの名で知られる金刀比羅宮は、古の昔から瀬戸内海を航行する船を、日本が近代国家となってからは、世界中の海を行く船を守護してきた、海上交通の神様である。説明する鈴音の言葉に、智也は頷いてお守りをポケットにしまった。

「それで、わざわざ金比羅さんまで行ってきてくれたのか……ありがとう、鈴音。大事にするよ」

「うん」

 鈴音は嬉しそうに笑った。それを見て、智也も持ってきた品を鈴音に渡そうかと考えたが……

(いや……帰ってからにしよう)

 そう思い直す。「プリマヴェーラ」の不参加で、航海の危険度は格段に上がった。生きて帰れる保証がない旅に向かう自分は、ひょっとしたら鈴音を酷く悲しませる事になるかもしれないのだ。

 だから、今は渡さない。帰ってきたら渡す。そう、帰ってきたら。だから、俺は帰らなくちゃいけない。地球へ。種子島へ。

 何より、彼女の傍へ。

「鈴音……見ててくれよ。俺は必ずこの計画を成功させる。そうしたら……」

「……うん」

 二人の影が重なった時、電光掲示板がゼロを指し示し、天空に駆け上がるロケットの轟音が辺りを満たした。だから、鈴音には智也の言葉の続きは聞こえなかった。

 数日後、智也は再び機上の人となった。行き先はサハラ。

 スカイスクレイパー計画は最後の局面へ向けて、さらに加速を続けていた。


 テレビモニターに映し出された光景は、打ち上げ直前とは思えない奇妙さだった。

 智也たち「メサイア」乗組員、二十二名を載せた大気圏外ランチをセットした「サターンVI」ロケットは、かつて月に行った人々を乗せたサターンVロケットの改良型だ。全長は百五十メートルもあり、衛星軌道上に百七十トンもの貨物を持ち上げることができる。現在世界で一番巨大で、高価で、高速な乗り物だ。

 ところが、そのロケットは今、横倒しの状態になっている。事故ではない。巨大な台車に乗せられ、レールの上を動いているのだ。そのレールは遥か彼方に続き、次第に傾斜を増して、最後は垂直になって天に向かって聳え立っている。その高さは実に二千五百メートル。遊園地のジェットコースターを数百倍に拡大したような、途方もない構造物だった。

 ロケット打ち上げ用に建造された、超巨大リニアモーター・カタパルト「ギャラクシー・レイルウェイ」。巨大なサターンを普通のロケットのように垂直に打ち上げるには負担が大きいため、アシスト用に作られた。建造費はちょっとした国の予算くらいもある。

 しかし、この巨大な構造物のおかげで、サターンは燃料を四割近くも抑えることができ、発射時にかかるGも低減されていて、飛行士や搭載衛星にかかる負担が少なくなっていた。いずれは銀河へ続く夢の架け橋に……と言う願いを込めた建造物である。

 とは言うものの、乗組員には別の感想があったようだ。

「ここを見ると、何か『地球最後の日』を思い出すんだよなぁ」

「ああ、そう言えばそんなシーンがあったね」

 SFファンらしい乗組員同士が会話をしている。「地球最後の日」は同名の傑作SF小説を原作とする特撮映画で、ラストの方に山腹を利用して作られたガイドレールを通って、地球脱出用の宇宙船が飛び立つシーンがある。

「俺もあの映画は見たよ。でも、これは『地球最後の日』とはちがう。俺たちは地球を救うために飛び立つ。そして、また帰ってくる。そうだよな」

「もちろん!!」

 マッケンジーの言葉に、乗組員たちが一斉に唱和する。その時、スピーカーから声が聞こえてきた。

『サハラ中央管制よりGEX999へ。間もなく初期加速開始。各員耐G姿勢をとれ』

「GEX999了解。いつでも発車オーライ」

 マッケンジーが返事をする。GEX999はこのロケットのコールサインである。

『了解GEX999。六十秒前よりカウントダウンを開始する。六十……五十九……』

 機内がシンと静まり返る。いよいよだ。流石のクルーたちも、緊張の面持ちでシートベルトを確認し、背筋を背もたれにピタリとくっつける。

 智也も皆に倣って姿勢を正すと、宇宙服の上からそっと胸を押さえた。そこに鈴音に貰ったお守りが入っている。

『十……九……八…………三……ニ……一……ゼロ! クリヤード・フォー・リフトアップ!!』

 カウントダウン終了と同時に、台車が動き出した。思ったよりずっと滑らかな加速だ。窓の代わりのモニターに外の様子が映し出され、現在の時速が表示される。数秒でその数字は百キロを越え、一分も経たずに五百キロに達して、さらに加速していく。遥か遠くに見えていたレールの垂直部が見る見る近づいたと思うと、ロケットは角度をぐっとあげて垂直部分に入った。それでも加速はやまず、八百キロから九百キロへと数字が増え、千キロになる直前に今は下になっている背後から轟音が響き渡り始めた。

『メインエンジン点火。台車から機体を切り離す……切り離し、今! グッドラック、GEX999!!』

 レールの頂上まで数百メートル、と言う地点でロケットが台車から外れ、自分の力で天空めがけて駆け上る。同時にモニターがブラックアウトした。そのまま灰雲に突入するとカメラのレンズが損傷するので、ふたが閉まったのだ。しかし、速度はまだ表示され続けていて、目で追うのが困難な程の勢いで増えていく。

 その間、智也はGに耐えて歯を食いしばっていた。それでも目は閉じない。やがて、再びモニターに映像が写った。半面にほとんど黒に近い濃い青の空が映し出され、もう半面に火を噴いている一段目のロケットが映し出された。その炎の向こうに、白一色の世界。

(灰雲を抜けた……あれを見下ろす世界に来たんだな)

 憧れた青空の中を駆け上がるロケットは、やがて燃料の尽きた一段目を切り離し、すぐに二段目に点火して加速を続行する。その二段目も燃え尽き、最後の三段目が火を噴く頃には、もはや空の色は完全な黒だった。

(ここはもう宇宙なのか?)

 智也が思った時、彼らが乗る大気圏外ランチを包んでいた円錐形の整流フェアリングが二つに割れて、左右に飛び去った。同時に三段目が切り離され、白い球体に向けて落ちていった。

(あれが今の地球……ガガーリンが言った青い星の面影はないな)

 智也は思った。ただ、白い地球の縁の部分、微かに青いヴェールがかかっているように見えるのは、灰雲より上の上層大気の色だろう。あの色を全体に広げたい、と思った時、地上からの交信が入った。

『GEX999、グッドショット。打ち上げは完全に成功した。現在ランチはISSへ向けて自律飛行中。以後管制をISSに引き継ぐ』

 キリマンジャロに係留されている超高高度通信中継ステーション、ノンモ02を中継してサハラ基地からの通信が送られてきた。ノンモというのは、アフリカの先住民族で高度な天文学の知識を持つと言う、ドゴン族の崇拝する精霊の名である。

「了解、サハラ基地。支援に感謝する」

 マッケンジーが答えると、無線の向こうの声は仕事以上の真摯な響きを持って答えた。

『仕事だからな、GEX999。だから、ここからは仕事抜きで言わせてほしい。頼む……必ず空を取り戻してくれ。オーヴァ』

「任された。必ず空を持ち帰るよ。オーヴァ」

 無線が切れた。通信士が回線を国際宇宙ステーション向けに切り替え、呼びかけをする。

「ISS管制、こちらGEX999。そちらの管制空域に入った。以後よろしくお願いする」

『ISS管制了解。レーダーでそちらを捉えている。コースを維持せよ。なお、シェフが歓迎パーティーの用意を整えている。楽しみにしていてくれ』

「GEX999了解。コースを維持。メニューはあとで送ってほしい。オーヴァ」

 ジョークも交えたやり取りが続き、十分ほどで目的地の国際宇宙ステーションが見えてきた。モニターに「三田三」の形をした巨大な構造物が映し出される。

 国際宇宙ステーションは今や百基を越えるモジュールと、サッカー場十個分に及ぶ巨大な太陽電池パネルを連ねた、全長一キロを軽く越える一大構造物に成長していた。上の漢字の例えで言うと、「三」が太陽電池で、「田」がモジュール部分である。モジュールは居住区、倉庫、観測所などの用途に分かれていて、常駐人数も三百人を越えるまでになっていた。

 そして、そのステーションより向こう側に、智也たちが乗る彗星キャプチャー船、TSS-01「メサイア」が浮かんでいた。今もどこからか打ち上げられた部品を接続する作業が行われている。

 全体の形はワイングラスに似ており、グラス部分が船橋や乗員の居住区が設けられたキャビン区画となる。持ち手部分はメインシャフト。ここに資材コンテナを接続していくため、ワイングラス型に見えるのはあと数週間だけだ。そして、台座部分が核パルスエンジンのプレートである。強靭な合金と耐熱セラミックを重ねて形成されたプレートは、一辺が百メートルほどの正六角形をしており、数百回は核爆発の衝撃を受け止め、船を推進できる強度がある。それが二十四枚、船尾に重なって設置されている。船全体の長さは一キロ近くあり、ISSに劣らない存在感を示していた。

 もし灰雲がなければ、この二つは地上からはマイナス三等くらいの極めて明るい星として見え、智也ほどの視力がなくても十分昼間見ることが出来るはずだ。

 そのさらに向こう側に、建造休止中の「プリマヴェーラ」が見える。キャビンとプレートはあるものの、それを繋ぐフィッシュボーンが三分の一ほどしか出来ていないため、綺麗に身を食べつくした魚の残骸のようだった。

「意外と出来てますね、『プリマヴェーラ』」

 智也が言うと、マッケンジーが応じた。

「もともと『メサイア』より簡単な構造だしな。こうなると、やっぱりあれが使えないのは痛い」

 急いで建造再開の準備が進められている「プリマヴェーラ」だが、工場が破壊されたことよりも、一緒に多くの技術者が死亡した事が痛く、フィッシュボーン再製造の見通しは未だに立たない状況である。国連航空宇宙局は既に「メサイア」一隻でミッションを完遂する決意を固めており、プランの練り直しを図っていた。智也もそれには目を通しているが、かなりタイトなスケジュールになりそうだ。

「とりあえず、ランチをISSに付けるぞ。パイロット、コパイ、操船任せる」

「了解!」

 主操縦士と副操縦士がランチの操縦席に座り、ISSの管制室と交信を始める。その指示に従って二人はランチを細かく操縦し、ステーションのエアロックにぴったり付けた。電磁石でステーションとランチが完全に接続されたことを確認すると、エアロックが開き、その向こうで常駐している飛行士たちが敬礼のポーズで待ち構えていた。

「ようこそ、勇敢なる『メサイア』の皆さん。当駅長のロソボフスキーです。皆さんの滞在を歓迎し、出港まで全力を挙げてサポートさせていただきます」

 先頭に立っていた、初老の男性が手を差し出す。ステーションの司令で「駅長」と言われている人物だった。「大噴火」以前の唯一の宇宙ステーション「サリュート」への滞在経験があると言う、伝説的な宇宙飛行士である。

「よろしくお願いします、駅長」

 マッケンジーとロソボフスキーががっしりと手を握り合う。船の出港まで一ヶ月。クルーたちの訓練の日々が始まった。


 彗星キャプチャー船の航宙期間は九ヶ月に及ぶ。船自体は火星まで往復一ヶ月、冥王星でも一年強で往復できるほどの性能があるが、何しろ自重の数十万倍に及ぶ巨大物体を運ぶのだ。事実上、彗星の向きを変更するのが精一杯で、彗星本体を加速することはとても出来ない。

 そのため、帰路は彗星と共に航行しながら地球へ帰還する。そして、彗星の速度は船の最高速度に比べて、かなり遅い。火星軌道から地球軌道まで来るのに、八ヶ月近く掛かるのだ。もっとも、この速度の遅さは好都合でもある。それだけの時間があれば軌道変更のための時間が豊富に取れるし、地球に落とす前に減速させるのも難しくないからだ。

 宇宙空間での長期滞在実験は国際宇宙ステーションで実証され、常駐要員の中には二年以上の滞在経験を持つ人材もいるが、「メサイア」クルーたちは地上でシミュレーション訓練を受けてはいるもの、ほとんどが宇宙初体験。一刻も早く無重力をはじめとする宇宙の環境に慣れるべく、智也もトレーニング室で汗を流していた。

 無重力環境では身体を支える必要がなくなるため、骨はカルシウムが流出して脆くなり、筋肉は衰える。それを防ぐには、普段の食事だけでなく身体を鍛えるのが一番だ。トレーニングルームはステーションだけでなく、船内にも設けられている。

 一方で、任務のための観測業務等も怠れない。バイシクル(自転車型のトレーニングマシン)を二時間ほど漕いだ後、定例の観測業務をして彗星のデータを取った後、智也はふと心に引っかかるものを感じた。

(……彗星のコマの成長が早いな?)

 彗星は太陽に近づくにつれ、太陽に加熱されて水分をはじめとする揮発成分がガス化し、核を取り巻くガス体を形成する。このガスの事を「コマ」と言うのだが、まだ火星より遠いところにいるテュールパン彗星は、まだそれほどコマの発達が早くなる事はないはずである。

 しかし、今回のデータでは明らかにコマの発達が加速しているようで、以前のデータに比べるとコマが前後に伸びた形になっていた。コマが太陽に吹き飛ばされて流れる部分、つまり尾も長くなっている。

(今年は太陽の活動が活発なのか……? とは言ってもデータが断絶してるからな)

 過去の太陽観測データと比較できれば良いのだが、「大噴火」の年から太陽観測は不可能となり、四半世紀以上データが断絶している。結局、智也は彗星の成長が早く、太陽活動が活発な可能性についてはレポートに記入したものの、それ以上の考察はしなかった。出港を控え、その準備と訓練も忙しかったからである。


 忙しい時間はたちまち流れ、彗星が火星軌道に迫った頃、ついに国連航空宇宙局は計画のメインフェイズを発動することを決定した。「田」の字から「申」の字に成長しつつあるステーションの、縦軸と横軸の交点部分にある大ホール(と言っても、三十人くらいしか入れないが)に「メサイア」クルーが集められ、ディスプレイに航空宇宙局長が映し出された。

『おはよう、諸君。既に予備情報としては与えてあるが、いよいよ三日後に諸君らの船「メサイア」に旅立ってもらう時が来た。これは人類のみならず、現在地球に生きる全ての生物を救うための偉大なる挑戦であり、私は諸君らが必ずや成功を携えて帰還してくれるであろうと確信している』

 局長の訓辞が始まった。お偉いさんの演説なんかタルくて聞いてられねぇ、という年頃の若手飛行士たちも、今日ばかりは真剣な表情で聞いている。

『私の確信を裏付けるように、太陽系の海も今平穏な凪を迎えている。危険な放射線を放出する太陽フレアの発生もその兆候もなく、穏やかな日差しが諸君らを後押しすることだろう』

 おや、と智也は思った。コマの発達具合から太陽活動が活発になっている事を予測したものの、どうやら外れだったらしい。彗星の早期成長は、別の要因か。

『その穏やかな日差しを、再び地上の我々の元にも届けてもらいたい。航海の安全を祈る』

「敬礼!」

 マッケンジー船長の号令を受け、全員が敬礼する。局長が答礼したところで中継は終わり、船長は言葉を繋いだ。

「以上、正式な命令として、我々は三日後出港する。これより、全乗員は『メサイア』に乗船。出港準備に掛かれ!」

「アイ、アイ、サー!」

 船長を除き二十一人の乗員が再び敬礼し、ステーションはたちまち活気付いた。出港準備には乗員だけでなく、ステーションの支援要員も参加するからだ。

 スクーターと呼称される軽宇宙機が物資を入れたパレットを引きずってステーションと「メサイア」を往復し、船内電池に電源コードを繋いでフル充電が始まる。船の脳髄である管制コンピュータが起動され、最終チェックが始まった。

「船体重量、想定重量に一致。物資の搬入漏れなし、過積載なし、全て正常!」

「コンテナフックに異常なし。全貨物正常個縛を確認!」

「推進用爆弾の自己診断完了。全爆弾正常に動作中!」

「爆発推進プレートの熱変形、全て許容範囲内!」

 チェック終了の合図が絶えず響き、全てが終わったのは、出港予定3時間前の事だった。

「いよいよか……」

 船長席でマッケンジーは呟き、コンソールのランプを見渡す。全てが緑色で、警告を示す黄色や異常を示す赤は一つもない。

 智也もブリッジの後ろにある耐加速シート区画でその時を待っていた。するとモニターにステーションのロソボフスキー駅長の姿が映し出された。

『いよいよですな……皆さんの御安航をお祈りします』

「ありがとう、お世話になりました、駅長」

 マッケンジーが言う。全モニターに映像が転送されているが、通話回線は船長と駅長の間にだけ繋がれているのだろう。

『地球各地から皆さんへのメッセージが届いているので、転送します』

 ロソボフスキーが言うと、映像が切り替わり、女性と二人の青年が映し出された。船長の妻と息子たちだった。

『行ってらっしゃい、あなた……』

『頑張って、父さん』

『父さんは僕たちの誇りだよ』

 口々に言う家族に、船長は黙って頷き、敬礼を返す。続いて機関長の老親と飼い犬。機関長はひたすら心配をする二人をなだめ、犬に二人をよろしく、と頼んでいた。そうやって各乗員の家族や友人知人が次々に現れ、その度にしんみりと、あるいは明るく、あるいはさばさばとした別れの情景が繰り返された。

 智也も順番を待っていたが、なかなか順番が回らないまま、とうとう二十一人目の別れが済み、やれやれ最後か、いったい誰が来るんだろう? と思ったその時、再びロソボフスキーが映った。

『以上、メッセージの転送は終了しました』

 え? と智也はモニターを見る。他の乗員も、唯一メッセージのなかった智也を思わず注視した。気まずい空気が垂れ込めかけた瞬間、ロソボフスキーが言った。

『では、出港管制を……と言いたい所ですが、これより本ステーションは一斉休暇に入るため、協定により管制業務を引き継ぎます』

 唐突な宣言をして、ロソボフスキーの姿が消え、代わりに一人の女性が画面に映し出された。

「鈴音!?」

 智也は思わず叫んだ。その声が聞こえたように、画面の向こうの鈴音は微笑むと、背筋を伸ばした。

『こちら種子島管制。協定により管制を継承します。出港管制の通信は私、神津鈴音が担当します』

 仕事向けの綺麗な英語で宣言すると、鈴音は少し身体をずらした。その向こうに管制室の見学スペースが見え、智也の両親や式部、近所の人たちが「頑張れ! 種子島の星、智也君!」と書かれた横断幕を持って立っていた。

「みんな……」

 智也は思わず目の奥が熱くなった。鈴音は身体をずらした姿勢のまま、管制を続ける。

『種子島管制よりTSS-01へ。航路オールクリア。貴船の判断により、いつでも出港OKです』

「こちらTSS-01『メサイア』。情報ありがとう。やや予定より早いですが、出港します」

 船長の言葉を受け、頷いた鈴音は、プライベートの顔に戻って言った。

『智也君……頑張ってね。ちゃんと……帰って来て』

「……ああ!」

 智也は力強く頷いた。そして、それを合図にしたように、ステーションから宇宙服を来た駐在飛行士たちが次々に出てくると、手にしたライトを「メサイア」に向けた。蛍のような彼らが作るのは「Von Voyage(良い航海を)」の文字。これがやりたくて、彼らは「一斉休暇」などと言い出したらしい。

「へ、粋な事してくれるじゃないか……あいつら」

 誰かが鼻をすすりながら言った。

「さぁ、行こう! TSS-01メサイア、発進!!」

 そのマッケンジーの命を受け、操縦士のマイケル・アンドルーズ大尉が操縦桿をぐっと倒す。同時に初期加速用の六機のロケットエンジンが点火され、「メサイア」はゆっくりと動き出した。その時、全周波数帯に渡って世界各地で彼らを送る船出の曲が流れ始めた。

「ルール・ブリタニア」「ラ・マルセイエーズ」「星条旗行進曲」「軍艦マーチ」……何故か「スター・ウォーズ」や「宇宙戦艦ヤマト」もあった。確かに今の雰囲気にぴったりの曲ではあるのだが……智也はおかしくなった。

「みんな、今のうちに聞いておけ。祖国の歌を。故郷の調べを。そして、またこの曲に迎えられよう。機関、核パルス推進準備。安全距離に到達次第、全力航行に入る」

「了解!」

 高まった士気の下、張りのある声でスミス機関長が応える。やがて地球から三万六千キロ……静止高度を越えたところで、機関長は補助推進ロケットを切ると、推進用核爆弾の放出スイッチを入れた。

「第一回核パルス推進用意。各員耐ショック、耐閃光防御姿勢をとれ。起爆まで十、九、八……二、一、ゼロ! イグニッション!!」

 次の瞬間、プレートの真ん中に開いた穴から放出され、船体後方数百メートルの位置にあった二十キロトン級プルトニウム原爆が、その強大な力を解放した。凄まじい高熱が一瞬プレートを襲い、続けて超高速で拡散するプラズマ化した火球が、その表面を激しく蹴り飛ばす。

「!!」

 ドカン、ともグワン、ともつかない轟音が船内に響き渡り、乗員たちは背中を巨人に蹴られたような衝撃を受け、声にならない悲鳴にも似た声をあげた。船がバラバラになるのではないか、と思った乗組員もいたが、「メサイア」のプレートは設計どおりその熱と衝撃を受け止め切り、推進力に変換していた。その一発で「メサイア」は大加速し、一気に「サターン」を上回る速度に達して、テュールパン彗星へのランデブー航路に乗り入れていった。


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