【スピンオフ】ロッテ先生のお寿司デート
『辰巳センセイの文学教室』
第三章ヒロイン、シャーロットを主人公にしたスピンオフ短編です。
こちらのみ単体でもお楽しみいただけるよう配慮して執筆しておりますが、
「辰巳センセイ」本編と併せてお読みいただけると、より深く楽しめます。
「ネハ、おまたせ」
何年ぶりだろう。
黄金色の髪と、真っ白な肌。私と同い年……のはずなのに、東洋系の私より若く見えるんじゃないか……ずるい。
ほんっとに、世の男どもは、こういうパツキン娘に弱いんだ。二人と同じ研究室にいた男たち……1ダースほど思い浮かぶ……あいつらで試してみたらいい。彼女が、ある日突然、デートに誘う――すると、腹立たしいことに、たぶん、全員OKして、嬉しそうにいそいそ出てくる。ああ!
私は対照的に、真っ黒なストレートヘア。彼女ほどの凸凹はないけど、引き締まった自分の身体に、自信がないわけでもない。それに、アメリカ男にこういう東洋系は、エキゾチックな上に若く見えるらしく、モテる。若い頃は白人の大人っぽい風貌に圧倒されたものだが、この歳になると、逆転した気分にもなってくる。
……二人だけの女子会なのに……女同士って、誰に言われるまでもなく、上下というか、優劣というか、メインとサブというか……そういう違いが出てくる。特にロッテとは、どうしても……。
二人でホテルのエントランスを突っ切って、表に出た。
初夏の日差しが眩しい。
さて。
今日の女子会の目的は、スシ。
私、ネハはインド人である。生まれも育ちもインド。一人前の歳になって、米国留学からシリコンバレーでとある企業の研究所に入った。イエス、実家がかなり豊かな階層だ、ということは自覚してる。キャリアを積んでいつかは母国で起業したい、と思う。
一度行ってみたいと思っていた日本旅行へ、やっと来られた。
そもそも、日本に来たのもこのアメリカ娘――見た目はバリッバリの西洋人だが、実は日本人の血も入っている――の日本自慢をさんざん聞かされて、興味をもってしまったのが原因といっていい。
人間の心なんて、変なもんだ、と思う。
あんなに、いなければって思ったのに。
実際にいなくなった今になってみると、すごく会いたくなったりも、する。
◇
彼女は、アイボリーのクーペに乗り込んで、私を助手席に座らせた。
長い海底トンネルを抜けて、うみほたる、と呼ばれる人工島を超え、海の上をひたすら真っ直ぐに走る長い橋へ……この先のチバには漁港が多く、気軽に美味しいお寿司の食べられるお店もたくさんあるそうだ。
海を渡り終えたらほどなくお寿司屋に乗り入れて、二人でテーブルに座った。
超美人の金髪白人と、インドのスレンダー美女(自称)がチバの田舎に降り立った。周りの視線が結構な集まりようなのだが、悠然と振る舞うロッテはさすがだ。
「まわってるのも取れるけど、オーダーすれば、すぐ握ってくれるよ」
まわってる?――と言われて、見回して気付いた。ああ、これが「カイテンズシ」か。アメリカ時代に、スシを食べたことが一度もなかったわけじゃない。でも、日本で食べるのとは「スタイルも、メニューも、ちょっと違うんだよ」とロッテは言っていた。
見繕って、二人分まとめて注文してくれている。
……エンガワ、イカ、ハマチ、タイ、アカガイ、チュウトロ……
注文するとほどなく握ったばかりの寿司をもってきてくれる。ロッテから聞いていたとおり、新鮮で艶々した、おおぶりな魚貝の切り身が、小さな米の台に載っている。
涼しげな見た目。
色の鮮やかなこと。
ショウユに切り身を軽くつけて、お米ごと口に入れる。潮の香りと、魚の甘みと、さっぱりした米……これは、美味しい!
そういえば昔、日本の商社と取引のあった祖父が「わかってる日本人は、挨拶にショウユを手土産にもってきたもんだ」なんて言ってた。インドでは売ってなくて、お土産にもらうのが嬉しかったと。
しかし、この魚とご飯の間にある、ワサビーというのは手強かった。
とても刺激が強くて「少なめって頼める?」とロッテにお願いしてしまった。箸で全部取ってみたら、今度はなんだか物足りない……日本人が平均的に入れる量だと食べ慣れてない私には刺激が強すぎる、ということか……ああ、異国の、違う文化の食べ物なんだ……他愛もない再認識が楽しい。
いくつか、ロッテの言うところの「テイバン」を食べたところで、聞いてみた。
「ねえ、ロッテ。外国人にはちょっと……っていうコアなメニューはどんなのがあるの?」
ロッテがにっこり微笑む。
「……ちょっとハードルが高いけど、美味しいっていうタイプね。頼んでみるよ」
シラコ、カニミソ、ウニ……
また、ロッテが不思議な呪文のように注文する。
私は楽しみに待ちながら……ついでのように、切り出した。
「ねえ、ロッテ。そういえばさ……」
「ん?」
無垢に微笑む。何も、穢れを知らないかのように……ちょっとだけ、いらっとする。
「あっちにいたころ、デイブとさ……なんか……あった?」
――「ネハ……僕を信用してくれないか」――
頭の中で再生すると、痛みでノイズ混じりになる記憶。
デイブ、嘘、ついてるよね?……って何度も何度も心で責めた。口に出せないまま。
テーブルに、ロッテの注文した皿が置かれていく。
「……一度だけ」
――え?
詳しく聞きただそう、と思うタイミングもなかった。置かれた皿の位置を変え、私に食べやすくなるように気を遣うロッテの手の動きを見ていると、胸に何かこみあげてくる。
私は箸で、ウニ、と呼ばれたスシをつまんだ。届いた皿の中でも、茶色のねとっとした固体がひときわグロテスクで、こりゃ外国人は食べないだろうな、と思う。
……ちょうどいい。
私は、ウニ、をまるごと口に放り込んで、噛みしめた。ぐぬゅ……平静だったら、きっと驚いたリアクションの一つもしただろう。でも、そんな余裕はなかった。強い潮の香りと、まったりした甘みを脳の隅っこで感じた。
――一度だけ……だけど、やっぱり……やっぱり、そうだったんだ。
私の目から、涙がこぼれていた。
「ロッテ、ごめん。ワサビーが多すぎたみたい」
「そう……」
「ワサビーって、手強いね」
涙顔のまま、私はとりあえず笑った。
「……ね、ロッテは、今は……日本では、恋してるの?」
私に目を合わせないで、ちょっと考えて、それからロッテは話し始めた。
「……これまでとは、違う形に……ちゃんとした恋にしたいなって、思うようになったよ。一番いいなって思ってた人は、この前別の娘と上手くいっちゃったけど……」
「……そうなんだ」
ロッテも、勝ち取るばかりじゃ、ないんだ。
当たり前のはずなのに、意外に聞こえるのが、なんだかおかしい。
「でも、女の子の方もよく知ってる子だから。心から幸せにって思ったよ。最近は、頑張ってずっとアプローチしてくれるクマみたいな人がいてね……年上だけど、ちょっとプリティかもって」
「……いい人?」
「うん……それは、間違いないと思う」
ロッテが、ちょっと笑った。私も今度は、ちゃんと笑った。
(雨音AKIRA様作)
◇
まだ誰にも話していなかったが、私は、この旅行の後、結婚する予定がある。
相手は、デイブだ。
――そして、この日よりずっと後になって、
私は、ウニのお寿司にはワサビーを入れない、と知った。