くそったれの世界
「気のせいかもしれないんだけど、生存者のほとんどが俺たちと同じようにスタジオにいるみたいなんだ」
その言葉の意味をしばらくは誰も理解できなかった。あまりにも突拍子がなさすぎる繋がりだ。この手掛かりから何が分かるというのか。
宮本もただ理解した事実を並べるといった形で話を続ける。
「ちなみに、生存者の多くがバンドマン。みんな演奏してて気付いたらって感じらしい。
スタジオにいたら必ずしも安全ってわけじゃなさそうだけど、少なくとも外にいるよりは安全なんだと思う」
彼が告げた内容は誰よりも自らが証明していた。バンドとしてスタジオで演奏をしている間に世界は豹変していた。外には目につく限り一人の生存者もなく、しかしスタジオには全員ではないが生存者がいる。
「しかし気になるな。練習してる間に世界が変わっていた、なんて。俺達がスタジオにいた間に世界では何が起こってたんだ?」
岩森の疑問に答えを出せる者はこのスタジオには誰もいない。誰一人としてその瞬間の世界を目撃していないのだから。狭い防音壁張りのスタジオがその瞬間における世界の全てで、目撃できる景色の最大だった。
「この疑問はゾンビになった人を元に戻すことができれば分かるかも」
「でも、ゾンビを元に戻す方法なんてあるのか?」
冨永の提案は宮本の疑問によって封殺された。ゾンビになった人々を真人間に戻す手段が分かれば、スタジオで籠城をする必要もないのだ。それが分からないからこそ、今は情報収集と自己防衛に努めるしかない。
「どこかに解毒薬的なのがあるかも」
冨永の考えはどこか能天気だ。希望的観測に基づくたらればに過ぎない。それ故に返す言葉に詰まる。流石の宮本も「そうだな」と曖昧な返事をする以外に言葉を掛けられなかった。
話し合いは膠着して行き詰まった。生存者の多くがスタジオにいた、その事実だけから導き出せる結論が浮かばなかったのだ。
そして、これからの動きを考えるにも材料が少なすぎる。籠城してからかれこれ7時間もの時が過ぎている。その間、他のスタジオの様子を確認しに行った本間から一切の連絡がないのも不穏だ。臆病になり行動を躊躇うのも仕方がない。
「朝になったら流石に部屋から出ないか? 飯を確保するのは、これから先も生きる上では避けて通れないはずだ。
確か、スタジオの売店にはお菓子やカップ麺程度の軽食が販売されていたはずだし、それを頂戴するのが一番だと思う」
しかし、岩森の意見に反対するのは、今まで口を開いていなかった高成だ。
「無闇矢鱈に外に出るべきじゃないわ。本間さんから連絡が来ないってことは、このスタジオの中にもゾンビがいて、本間さんも犠牲になってるかもしれないのよ?」
彼の音信不通は何よりもの不安材料となっている。これは四人の間で共通した認識となっていた。
「それに、数日分の食料が手に入っても、数日生き延びたところで根本的な解決にはならない。そもそもこの状況が詰んでるのよ」
「それは――」
「ちょっと待て」
高成の諦めにも似た主張を断ったのは宮本だ。
「生きて手探りでもがいたら何かが掴めるかもしれないけど、諦めたら何も解決しないだろ。自分から生きることを放棄してどうするんだよ」
「諦めるしかないでしょ!」
悲痛な叫びがスタジオに響いた。
「少し寝ただけで考えは変わらないわよ。何をどう見ても状況を打破できる兆しはない。私達で外に群がるゾンビ達を相手して生き残れっていうの? 何のために!? 家族も友達も誰一人として連絡つかないのに、私達だけでこのくそったれの世界に生き残ってどうするのよ!」
「それは生きてたら助けられるかも……」
「じゃあどうやって――!!」
高成の叫びを遮断するように、不意に物音がした。重い鉄扉を叩く音だ。
「……あ、あ」
音に紛れて声も聞こえる。
「――あけて…………」
掠れた声だ。しかし、その声の主に心当たりがあった。
「――本間さん!?」
「――あけて……あけて…………」
その声にかつてのような張りはなく、命の灯火が消えそうな程に淡く弱い声だ。
「本間さん、無事なんですか!? 今開けま――」
「待てミヤジ!」
バリケードに手をかけた宮本を岩森が制止する。
「様子がおかしいだろ。多分だけど、本間さんもゾンビになりかけてるんじゃないか」
その推測に宮本は全身の血の気が引く感覚を覚えた。何よりも間近な恐怖。そして馴染みの人物が被害に遭ったと実感したことによる、改めての現状の知覚。どこかフィクションに感じられていた今がグッと紙一重の距離にまで迫ってきた。
「そんな、本間さんも……」
「本間さんが入口を塞いでる以上、外に出ることはできない。むしろ、彼は自我が薄く残ってるらしい。その状態でドアを開けられないかの方が心配だ」
岩森の予感は的中した。
ガチャッ。鉄扉のノブが動いた音がした。彼は間違いなくドアノブに手を掛けている。あとは、力を込めてノブを回してから腕を引けば、ドアは簡単に開く。
「あけて……よ。――あけて…………」
ドアノブが乱暴に回される。彼の意識はほとんど飲まれ掛けているのか、鉄扉を開ける術すら思い出せずにいるのが幸いでもあり、いつ扉を開けられるのか定かでないことが恐ろしくもある。彼は確実にゾンビとなりながら、欠片程の意志を持って迫っているのだ。
「やめて、来ないで!」
「本間さん、目を覚まして」
高成が訴えたとて、ゾンビと人の狭間に落ちた本間にその言葉は届かない。冨永の願いも同様だ。
「本間さん、聞こえますか!? 聞こえるなら返事してください!」
しかし、言葉になった返事はなく、息が漏れたような掠れた声だけがドアノブが揺れる音の隙間に聞こえる。
「本間さん――!」
最早彼に数時間前の面影はない。生きた屍のように本能のまま歩こうとしている。
考えなければならない。恩師のため。そして、己の未来のため。今ここで何をするべきか。どうすれば未来は切り拓けるのか。
「……スタジオ、ライブハウス、ギター、音楽――」
何かが変わる予感がした。次の瞬間には、宮本は傍に置いていたギターを手にしていた。
「――おい、ミヤジ。何するつもりだ……?」
巻かれたシールドを解こうともせず、最低限の長さのまま、バリケードにされたアンプに直接差す。軽くストロークすると生の音が鳴り響いた。バンドのサウンドとしては味気ないが、とんでもない歌が鳴り響く予感がした。
「このくそったれの世界でも音楽が鳴らせるなら、俺はどうしようもなく愛おしいと思う」
それは、高成への回答だったのかもしれない。
全てを吐き出すように、始まりのCコードを搔き鳴らした。
くそったれの世界/The Birthday
SG『くそったれの世界』収録