第2話 境界
任務を終えてアパートへ帰ったステラは、まずシャワーを浴びることにした。流れる水が、疲れきった身体と闘いの緊張を洗い流してくれる。
そうして、今日の出来事を思い返す。
突然三人の男が現れ、暗殺対象だったセルジオ・バレストリを襲撃した。ここまでは、特におかしな点はない。犯罪組織の首領ともあれば、恨みを買って当然だろう。
問題はやはり、彼らの持っていた銃――いや、銃と呼ぶべきかどうかもわからない代物についてだ。
その銃口からは、青白い光線が何発も撃ち出されていた。リロードしている様子もなかった。
とても「最新式」などという言葉で表せるものではない。最近、半自動式で八連発できるライフルが開発されたと聞くが、そんなものとは比ぶべくもなかった。
さらに不可解なのが、その銃を持っていたのがあの男たちだということ。敵に全身を晒して撃ちまくっていた彼らが、戦闘に慣れていないことは明らかだった。
おおかた、そこらのチンピラだろう。それか、ただの一般人かもしれない。
考えてみても、わからないことばかりだった。
それでも、あの銃の出どころについては、一つだけ心当たりがある。むしろ、それ以外の可能性が見当たらないというべきか。
今は考えても仕方がない。
明日、少し調べてみることにして、ステラは眠りについた。
翌朝。アパートを出たステラは、ヴィットリーニの事務所へと向かった。
ヴィットリーニは、強大な権力を誇る組織のボスだ。狡猾な計略家として知られ、ステラの大口依頼主でもある。
前回のセルジオ・バレストリ暗殺任務も、ヴィットリーニの依頼だった。
しばらく歩くと、ヴィットリーニの事務所へ着いた。
レンガ造りの七階建てで、横にも縦にもとにかく大きい。その無機質なフォルムには、様式美に富んだバレストリ・ファミリーの屋敷とは、また違った荘厳さがあった。
入り口では、ライフルを持った護衛たちが、物々しい雰囲気を醸し出している。
ステラとわかると、無言で中へと招き入れた。
建物の中は相応に広かった。エントランスを抜けると、奥には各階に通じる巨大な螺旋階段がある。
螺旋階段を上がった最上階に、ヴィットリーニはいる。二階から六階までの各階に通じる扉はいつも固く閉ざされ、途中階の様子はうかがえない。
七階に到着したステラは、両開きの扉を開けて、ヴィットリーニと相対する。
それなりに広いが、飾り気のない部屋の中。
ヴィットリーニは部屋の奥で、こちらを向いて机に向かっていた。灰色の頭髪に、年齢を感じさせない強い光を宿した目。いかにも質実剛健といった男だ。
室内の両脇には、六人の部下が佇んでいた。
ヴィットリーニが、ステラに目をやって口を開く。
「まずは昨日の件、ご苦労だった。これが報酬だ。だが――」
金貨の袋をステラの方へ滑らせ、何か言いかけたヴィットリーニを、ステラが遮る。
「そう。少しばかり邪魔が入ったの」
ステラは、昨日の出来事について詳しく報告する。突然の乱入者たち、彼らの持っていた謎の銃――。
「うむ、やはりそういうことか」
頷くヴィットリーニ。
「私も部下の報告を受けて驚いていたのだ。セルジオ・バレストリどころか、奴の屋敷まで半壊したと聞いてな」
「それで、わたしもあの銃について訊きたいことがあるの」
「その銃がどこから来たのか、だな。だが、すでに答えは出ているのではないか?」
確かにその通りだった。ただ、その答えを口にするのが怖いだけ。
桁外れの威力と、銃口から放たれる青い光の矢。到底、この世界のものとは思えない。
ならば、答えは一つ。
あれは異世界から来たのだ。
といっても、それはおとぎ話などではない。
この大陸と、海を隔てた向こう側。
海に浮かぶ、鋼鉄の巨大都市がある。
その実態は謎に包まれ、向こう側に行った人や、向こうからこちらに来た人は皆無だ。
これまでに、行こうと試みた人は何人もいたらしい。それでも、たどり着けた人はいなかった。
難しい顔をしながら、ヴィットリーニが言う。
「確かに考えたくないことだが、向こう側の兵器が、何らかの形でこの大陸に流入したと見るべきだろう」
「しかも、ただのチンピラが手に入れられるほどに流通してるってわけ?」
状況を察したステラが言う。
「あらゆる方面に恨みを買ってるあなたには、一大事ね」
一般人でさえ、あのような超兵器を手にできること。それは数々の謀略で敵を退けてきたヴィットリーニにとって、地位を揺るがす事態だった。
「人聞きの悪いことを。だが、残念ながらその通りだ。そこで、最高のエージェントの君に頼みがある」
「お世辞はいいわ。要件を言って」
「この一件について、極秘裏に調べてほしい」
「高くつくわよ、この仕事は」
「よかろう。取り引き成立だ」
事務所を出たステラは、さっそく調査を開始する。まずは、やはり海沿いだろう。
少し歩くと、坂道の下に海が見えてきた。
坂を下って、海沿いに出る。
目の前は、見渡す限りの海――とはいかない。
海の向こうにそびえ立つ、無数の尖塔。
鋼鉄都市。
生まれる前から当たり前にそこにあり、同時に皆から忌避された存在。
向こう側の住人まではさすがに見えないが、異形の構造物の数々は、容易に確認できる。
四角い柱状のもの、紡錘形のもの、複雑な曲線を描くもの――。
そのどれもが金属光沢を放ち、天に向かって高く高く直立していた。
鋼鉄都市の中央部には、一際目を引く建造物がそびえている。その高さは、ただでさえ高い他の建物を遥かに凌駕していた。
長い四角柱を捻ったような形をしていて、しかもあろうことか上へ行くほど太くなっていくようだ。
そのため、下は細く上の方が広がった奇妙な造りになっている。
それらの建造物は、鋼鉄都市の持つ超越した技術力を、明白に示している。ステラとヴィットリーニが、例の銃を鋼鉄都市のものだと結論づけたのも、それゆえだ。
そんな鋼鉄都市に続く道は、一つだけ。
ステラの目の前から、海の向こう側まで続いて行く、一本の長い橋だ。橋には欄干がなく、見た目はどこか心細い。だが、実際は丈夫そうな金属製だ。
大陸側にこんなものをつくる技術力はない。鋼鉄都市の技術が、大陸まで手を伸ばしている格好だ。
この橋だけが、大陸側の人間が唯一目にできる、向こう側の生産物。
そのはずだった。――つい昨日までは。
この橋を渡ることは、許されない。
生まれてきた子どもは、橋に近づいてはいけないと、何度も言い聞かされて育つ。
悪戯心に橋に近づく子どもがいても、彼らは本能的に理解するのだ。この橋は、向こう側の世界は、自分が関わっていいものではないと。
もちろん、過去に橋を渡ろうとした者たちはいた。
が、彼らは途中で引き返してきたり、場合によっては命を落としたりもした。複数人で行って、戻ったのは一人だけ、なんてことも珍しくない。
必死で逃げ帰ってきた人々の証言はバラバラで、理解しがたい内容も多いそうだが、それらをまとめると次のようになる。
――鋼鉄の巨人が、襲いかかってきた。