第1話 遭遇
曇天の下、頼りなげな朝日が街を照らし出す頃――。
石畳の街路に、乾いた銃声が二、三発と響き渡る。
通りに面したアパートの殺風景な一室で、ステラは目を覚ました。暗い赤色の髪が、かすかに揺れる。
この辺りで銃声を聞くのは、久しぶりだった。
――四日ぶりくらい、かな?
そんなことを思いながら、ゆっくりと起き上がり、出かける準備をする。
銃声が「聞こえた」ということは、心配しなくていい。その銃が自分に向けられたものなら、銃声を聞くときには死んでいるのだから。
枕元の拳銃を手に取り、右太腿のホルスターに収めた。回転式のシリンダーには、六発の弾がしっかりと込められている。
少女といってもいい年齢のステラには、いささか不釣り合いな大型のリボルバー。それでも、ステラにとっては大事な仕事道具だ。
先ほどの銃声は、あれきりで収まったようだ。でも、この世界では、いつどこが戦場と化してもおかしくはない。
極端に過密する人口、富を独占する数々の犯罪組織――。殺し合いの火種はそこかしこに転がっている。
仕事の依頼を確認するため、ステラは街に出た。依頼があれば、指定の場所で連絡役が接触してくるはずだ。
この石造りの街並みは、年々入り組んだ歪な形になっていく。どの建物も無理な建て増しを繰り返しているためだ。
しばらく歩いていると、食べ物を売る商店や物売りと時折すれ違う。だが、その値段は、ここ数年で何倍にも跳ね上がっていた。
この大陸は、増え続ける人口をもはや支えきれずにいる。
この時間帯、街の人通りは多くない。ここにいるのは、路上で寝込む者や、通行人を無言で睨みつける者。酒に溺れて虚ろな瞳の者に、危険なほどに血走った目をした者。
皆、何かが壊れてしまった人たちだ。
静かな荒廃が、この世界に忍び寄っていた。
やがて、ステラがいつもの路地裏につくと、すでに先客が一人。物陰に佇む黒服の男が、おもむろに口を開いた。
「……仕事だ。標的は、バレストリ・ファミリーの首領、セルジオ・バレストリ。奴は明日の朝、屋敷を出る――ありもしない会合に出席するためにな。そこを狙って始末しろ」
いつもの手だ。今回も大元の依頼主はヴィットリーニだろう。名の知れた事業家で、彼の組織はとてつもない勢力を誇る。
目障りな敵を適当な口実で呼び出し、その隙にステラのようなフリーランスのエージェントを使って始末するのだ。
ヴィットリーニはこういうとき、自分の部下は絶対に使わない。自分の手を汚さないから、裏社会で暗躍しつつも、表の社会で絶大な権力を維持できる。
もっとも、この世界に表の社会などというものが存在すればの話だ。誰だって、ヴィットリーニのやっていることには薄々気づいている。
それでも、人々は求めてしまうのかもしれない。この大陸を統べる、一つの強大な力を。
次の朝。依頼を遂行すべく、ステラは標的、バレストリ・ファミリーの邸宅へと赴いた。
屋敷の周辺は相変わらず建物が密集しているが、敷地内は広々としている。
鉄柵に囲まれた広大な敷地に、装飾を凝らした赤レンガの屋敷。敷地内には、今ではすっかり見かけなくなった草木が生い茂り、その手前の道には、自動車まで停まっている。
やはり相当な力を持つ組織なのだ。
ステラは敷地外の植え込みに隠れ、標的を待つ。
すると、護衛の男たちに連れられて、屋敷の扉から白髪の老人が姿を現した。見るからに高級そうなスーツに身を包んでいる。
この男がセルジオ・バレストリで間違いないだろう。護衛は六人。
門が開き、セルジオが車に乗り込むまでの間が勝負だ。腰に提げたリボルバーの感触を確かめる。
セルジオが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。かなりの高齢に見えるが、足取りは確かだった。
ステラは銃を構え、植え込みの影から狙いを定める。
護衛の一人が邸宅の門を開けた。いよいよセルジオが出てくるのだ。
ステラの銃口は、微塵の狂いもなく標的を捉え続けている。
そして、ついにセルジオが門をくぐった。ステラは、引き金にかけた指に力を込める。
その刹那。
通りの反対側で、誰ともしれない雄叫びが上がった。見ると、薄汚れた身なりをした三人の男たちが、拳銃を手にセルジオたちに突進していく。
セルジオに恨みでもあるのだろう。犯罪組織のボスだけに、珍しいことではない。
しかし、彼らが素人なのは明らかだった。敵の目の前に身を晒しているうえ、構え方もまるでなっていない。何より、彼らの発した大声は、無理に自身を鼓舞しているようで、もはや哀れだった。
予期せぬ闖入者に驚きつつも、ステラは冷静に状況を分析していた。
――この様子じゃ、ダメね。
いっそのこと、男たちがセルジオを刺し違えでもしてくれれば、手間が省けるというものだった。
だが、あの調子ではすぐに護衛に制圧されるだろう。そして、警備態勢はさらに厳しくなってしまう。
ところが、そんな予想があっさりと覆された。
男の一人が、セルジオの自動車に向けて発砲。そして、撃たれた車が突如、爆発炎上したのだ。
車の近くにいた護衛が、巻き添えを食らう。
一撃で自動車を爆破するなど、普通の銃ではありえない。
ステラは、男の銃から放たれたものをしかと見ていた。
甲高い発射音とともに、一条の青白い光が車を貫くのを。
さらに他の二人も加わり、狂ったように同じ光線を乱射している。
射撃時の反動、たなびく硝煙、排出される薬莢、弾の再装填――。
乱入してきた男たちの銃には、銃ならばあって当然の、それら全てが存在しなかった。
セルジオの護衛も銃を抜き反撃するが、男たちの持つ銃の常識はずれな威力に押されているようだ。
青い光線が、護衛たちをなぎ倒していく。流れ弾の当たった鉄柵が融け落ち、大木が炎を上げてへし折られる。
ややあって、ふいに音が止んだ。
セルジオを襲った男たちは倒れ伏し、二人の護衛だけが立ち尽くしていた。セルジオもどうにか生き残り、その場にうずくまっている。
最後は、持ち前の戦闘能力の差が勝敗を分けたのだろう。
屋敷の方からは、音を聞きつけたセルジオの部下たちがようやく駆けつけた。
だが、辺りの光景は惨憺たるものだった。
バレストリ・ファミリーの邸宅には、流れ弾の光線によって無数の弾痕が穿たれ、方々で煙を上げている。周りでは、燃え尽きた草木が燻っている。
誰もがしばし呆然とするが、我に返った部下たちが、セルジオを屋敷へ連れ帰ろうとする。
ステラも、自分の役目を思い出した。
セルジオは生きている。仕事はまだ終わってない。
敵の増援はざっと二十人。まともに相手をするには多すぎる。
だが、植え込みの陰に隠れていたステラの存在は、まだ気づかれていない。部下に囲まれて戻って行くセルジオに、鉄柵越しに銃口を向ける。
先手をうって標的を仕留め、離脱する作戦だ。
隙間なく手下にとり囲まれたセルジオは、ステラからは見えない。一撃で仕留めるのは、無理そうだ。
ステラが引き金を引いた。まずは、続けて二発。
二人の部下が倒れる。ステラとセルジオとの間に、一片の隙間ができた。
他の部下たちに、緊張が走る。銃を構え、必死に敵を探っている。
が、続けざまに、もう一発。ステラの放った銃弾が、標的のセルジオを正確に襲った。
目的を果たしたステラは立ち上がり、その場を離れるため、走り出す。
セルジオの部下たちは、倒れた首領にすがりつく者が大半だった。が、数人がステラに気づき、追いかけてくる。
追手が発砲するが、お互いが走りながらでは、まともに当たらない。ステラの周りで、石畳や建物の壁が弾ける。
ステラは狭い裏路地に逃げ込んだ。入り組んだ道を何度も曲がる。背後からは、追手たちの足音と、荒い息遣いが聞こえてくる。
また一つ角を曲がったところで、ふいに立ち止まるステラ。
追手たちが、続いてその路地に入ってくる。
ステラはすかさず銃を抜き、残りの三発を撃ち込んだ。全て命中。
追手は、残り三人になった。
再装填している暇はない。ステラは即座に銃をしまい、姿勢を低くして構えた。
男たちの懐へ飛び込み、そのまま前へ転がる。
敵に囲まれた状態だが、これで相手も銃は使えない。むやみに撃てば、味方に当たるからだ。
間髪を入れず、片足を軸に、しゃがんだまま横回転。伸ばしたもう片方の脚で、敵の足元を薙ぎ払う。
背後で、バランスを崩された敵が二人倒れた。
ステラはすぐさま立ち上がり、立っている一人に向けて上段蹴りを放つ。顎にまともに食らった男が、意識を失う。
残りの二人は、足払いから立ち直ろうとしていた。一人の脳天に、すかさずかかと落としをお見舞いする。
立ち上がりかけていたその男は、再び倒れ伏した。
最後の一人は、バタフライナイフを取り出した。慣れた手つきで刃を展開し、構える。
一瞬の静寂。
そして、男が動いた。
右手のナイフでの攻撃に、足技や左手での突きを組み合わせている。
強烈な連続攻撃。
ステラは、何度も後退して躱す。負けじと前蹴りを放つが、何も持っていない左手でガードされる。
次の瞬間、男がひときわ大きくナイフを突き出す。
ステラは右へ動き、かろうじて躱した。伸ばされた相手の右腕を掴み、手前に引く。
つんのめった相手の鳩尾に、膝蹴り。最後の一人が、その場にくずおれた。
――やっと終わった。
ステラは自分の住むアパートへ向かいつつ、小さく息をつく。
組織と戦闘になることくらいは想定済みだった。しかし――。
突如、乱入してきた男たち。彼らの持っていた謎の銃。
今日の出来事は、あまりにも不可解だった。
考えることはたくさんあるが、少なくとも任務は果たした。
今は、少し身体を休めたかった。
少し経ってから、銃を撃ち尽くしたままだったことに気づいた。
歩きながらリボルバーを抜き、シリンダーを左側へ振り出す。
六つの空薬莢が宙を舞い。一瞬遅れて、地に墜ちて。
静かな街に、死の音色を奏でる。
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