王都への旅路 後編
地平線の彼方まで広がる草原。優しく風が凪いでゆき草花が小さく揺れる。その上には青い空。所々にある雲が僅かに形を変えながら流れていく。雨が降るような気配を見せない空は人々の心を晴れやかなものにする。
その中に植物の生えていない、地肌が剥き出しになった部分が一直線に延びている。その先にあるのはこの世界で人間が支配している数少ない国家。カラクマンド王国。特にこれという目立った特産品等はないが、安定した国家である。保守的とも言えるが。
話は戻り、この草原は昔モンスターが闊歩する危険地帯だったという。今でこそ弱いモンスター──精々ゴブリン程度──しか出現しないが、嘗てはグリフォンに負けず劣らずのモンスターが平然と暮らしていた。しかし、それらはある出来事によって滅ぼされた。それは“終末”と呼ばれ今も歴史上の大事件として残っている。また、“終末”は草原だけでなく世界中に小さくはない影響を与えた。現在もその痕跡が見られる部分は数多くある。
そんな草原に人影が複数ある。いや、正確にはそれらの殆どはモンスターだ。ゴブリン多数にオーガ多少といったところだろうか。
ゴブリンは知性の感じられない濁った瞳と緑色や茶色の肌が特徴の小柄なモンスターだ。武器は主に棍棒だが、中には剣や盾、鎧などを装備している者もいる。ただし、彼等の鎧の殆どは鎧としての機能を失っているわけだが。
オーガはこれもまた知性が感じられない。しかし、ゴブリンとは違い、大柄で並みの人間では太刀打ちできない力を持っている。装備という装備はしておらず、棍棒や布の腰巻き程度である。
対して人間は二人である。一人は金髪の小柄な少年で、もう一人は黒髪の筋肉質な少年だ。普通であればこれだけのモンスターに囲まれると恐怖や緊張という感情を覚えるが二人はまるでそんな様子を見せていない。所持している武器を構えるわけでも周囲を注意深くうかがうわけでもない。ただ何でもないようにそこに立っているだけだ。
「ねえヴィーレ、こいつらの素材って売れるの?」
「売れるものはあるけど高くはないね」
それどころか呑気に品定めを始めた。主にヴィエレルが一匹ずつ見ていくとある一点で視線を留めた。おっ!という声を出すとオルトラムに耳打ちする。
「女の子見つけた!ずっとこっち見てるからさっさと行こう」
嬉しそうに先程視線を留めた箇所をじっと見つめる。オルトラムがそちらを見ると何もないただの草原が広がっているだけであったが何かしらの気配が感じられた。どうやら透明化している、またはごく小さな生き物である可能性が高い。正体は不明だがヴィエレルの言葉により性別は判明した。
ヴィエレルはその女の子とやらに目を奪われ、もはや目の前にいるモンスター達は眼中にないようだ。今までのヴィエレルの様子からして、金になるものは大してないと判断したオルトラムは腰に指している剣を鞘から抜く。一見特徴も何もないただの鉄の剣であるが、鋭い者や優れた魔法使いならば気がついたはずだ。ほんの一瞬その剣が夏の陽炎のように揺らいだ──魔法か何かの力が働いた──ことを。
シャンという鍔なりに反応してヴィエレルがオルトラムへと視線を向ける。
「僕はいる?」
「必要ないでしょ、この程度」
オルトラムが嘲笑を込めて言うと、「だよねー」という声が聞こえてくる。
・・・・・
ゴブリン達はこの状況で余裕綽々という様子を見せる人間の存在──彼らにとって前代未聞の事態に戸惑いと警戒を抱いていた。しかし、彼らはただの人間、ましてや子供には負けないだろうという自負があった。オーガというゴブリン以上の強者の存在が大きいのだが。それ故、すぐに襲いかかろうとはせず、また逃げるという選択肢も端からなく、何をするのか興味をもって観察していたのだ。人間の言葉はゴブリンならば多少はわかるが、オーガにはほとんど理解できない。短気なものは飽きたのかそわそわし始めた。「もういいかな、殺しちゃってもいいよね」とでも言いたげに。そして今、彼らを馬鹿にするような発言、表情を体格の良い方の人間が発した。言葉が理解できなくとも表情や雰囲気で悟る。
自分よりも劣っていると思っている種族に馬鹿にされる気分は良いものではない。まして沸点の低い彼らのことだ。それはもう怒りも強いだろう。
一斉に飛びかかる。武器を振り上げながら。と同時に彼らの視界がぐるぐると回る。視界には自らの頭を失った胴体があった。隣にも同じものがある。それはあまりに不可思議な出来事だった。何が起きたのか理解が出来なかった。そして意識が消える。
これは彼らにとってある意味幸運だっただろう。苦痛も、恐怖もなく死ぬことができたのだから。
・・・・・
一閃。それで目の前にいたゴブリンやオーガ達は息絶えた。剣を振るったのはオルトラム。動体視力がかなり鍛えられていなければ決してその一太刀を捉えることはできなかっただろう。
しかし、十数体全てをたったそれだけで葬るのは出来なかった、いやしなかったというのが正しいところだ。そして残った何匹かは初め何が起こったのかわからなかったようで、ぎょろりとした目をキョトキョトと動かしている。数秒経過しようやく理解したのだろう。目の前にいる人間が自分たちよりも圧倒的強者であることに。彼らの目には戦意の欠片も映っていなかった。全身は震え、武器を持つ手はダラリと下がっている。あるものは腰が抜けたようだ。
当事者である彼らは勿論、この場に第三者がいたならば大小なりとも驚愕しただろう。いくら弱いモンスターであろうともそれらを一度に十体程殺すことができる戦士は多くはない。熟練者であれば可能かもしれないがたった十代の若者がそれを為したのだ。ましてや今回はオーガという厄介な相手もいたのだから。
オルトラムはもはや殺す価値のあるモンスターはいないと判断し、剣を腰の鞘におさめた。
それを見たヴィエレルは先程“女の子”がいると言った方に歩き出す。オルトラムもそれに続く。二人はある一点で止まる。僅かに辺りの空気が動いた様に感じた。ヴィエレルはにっこり笑うと
「初めましてお姫様。もし良ければ透明化を解除していただけませんか?」
軽くお辞儀をする。今度ははっきりと何かが動いたのが感じられた。しばらくはオルトラムの視界には“女の子”の姿は見えなかった。それにしたってお姫様はないだろうと思っていた時だった。目の前に徐々に何かが現れた。
それは黒く艶のある美しい毛並みを風に揺らし、吸い込まれそうな漆黒の瞳を真っ直ぐにヴィエレルに向けている。まるで深い闇をたたえているような───ゴリラであった。筋骨粒々といった言葉が似合い、2メートルはある立派なメスゴリラが二人の前に立っていた。
「オマエタチ、ナニモノ?アイツラ、アレダケデ、コロサレタ、ハジメテ。ワタシノ、マホウ、ミヤブラレタ、ハジメテ。オマエタチ、スゴクツヨイ。」
「僕達はただの旅人だよ。君はここら辺の主なのかい?」
「チガウ。リーダーハ、ブラックマザー、ワタシノオカアサン。」
ブラックマザー。それはここら辺の草原一帯と小さな森を支配している強大なモンスターだ。“終末”が訪れる前から存在し、人の言葉を話すなどの知恵や戦闘力は底が知れない。たった一体で1つの国を滅ぼしたという。一説によれば、魔王の眷族とも言われている。
つまり、ブラックマザーは女王ということだ。我々のメスという概念が彼らの概念と一致するならばだが。そうするとヴィエレルが自称ブラックマザーの娘のメスゴリラに呼び掛けるときに使ったお姫様という言葉はあながち間違いではないかもしれない。
「君のお母さんがブラックマザー?へえ、ということは彼女もゴリラなのかな?それにしても、そんな君はどうしてこんなところにいるの?」
「……アンマリ、オドロイテ、ナイ?マアイイヤ。ワタシハ、オカアサンニ、ミトメテモライタイ。ソノタメニ、ツヨイオス、サガシテル。ワタシヨリ、ツヨイオス。ケッコンシタラ、イチニンマエ。」
「そっか、じゃあ手伝ってあげようか?お姫様にぴったりな結婚相手探し」
「モウ、ミツケタ。」
沈黙が流れる。ゴリラは二人をじっと見つめてくる。オルトラムは悟った。おそらくヴィエレルも。ゴリラはその筋肉にまみれた身体を年頃の乙女のようにもじもじと恥ずかしそうに縮めると若干潤んだ?瞳を伏せる。
「アナタタチ、ドッチツヨイ?」
「ゴリラと結婚したくないからヴィーレに押し付けたいという気持ちを抜きにしても、ヴィーレの方が強いかな。圧倒的に」
メスゴリラにあれだけ興奮していたヴィエレルが彼女からの求婚を断るわけはないだろうなとは思った。しかし、やはり求婚というのは流石に荷が重いだろうかと考えたオルトラムは即答する。一応、嘘は言っていないから問題ないだろう。
その答えにゴリラは驚いた様子で目を見開く。いや、見開いたところでそれがはっきりとわかるわけではないのだが。
「サッキノ、ゴブリンタチトノ、ヨウスミテタ。オオキイノ、ツヨイ、ワカッタ。チイサイノ、アレヨリ、ズットツヨイ?」
「うん、強いよ。僕は」
「ウソ、ツイテナイ。ジャア、チイサイノニ、ケッコン、モウシコム」
ゴリラは一歩前に出るとヴィエレルの前に跪く。太く、筋肉の塊と化した右腕を差し出し、口を開く。
「ワタシト、ケッコン、スル。ウンメイノ、オカタ」
ヴィエレルは頬を桜色に染め、フワリと笑う。
「はい!」
「───いや、おかしいだろ」
ゴブリン達の攻撃当てれば良かったかなあ。
オルトラムドMだし、喜んで当たりそうな気もしてきたぞ