第一章 パトロン(5)
ジュリエッタは理事長室前まで辿りつきました。
二度ノックをしましたが返答はありません。席を外されているのでしょうか。念のためドアノブを握ると鍵はかかっていませんでした。そういえば急ぐあまりアポの予約を忘れていましたね。ここ出直すべきと思うのですが、「否、断じて否です!」と乙女の勘が告げています。非常に失礼な態度だとは思いますが、ジュリエッタは理事長室のドアを開けることを選択しました。
「ラウロ理事長、失礼します」
「やはり来ましたか、ジュリエッタ君。失礼なんてとんでもない、君が早くこないかと待っていたところだよ」
白い髭を蓄えたラウロ理事長からの第一声は叱責ではなく意外にも労いの言葉でした。ラウロ理事長にしては落ち着きのない様子で、額からはかなりの汗が流れています。なにかに気をもんでいたのでしょうか。
「ご返答もないままドアを開けてすみませんでした」
「かまわないよ。今回は君にしては遅かったね」
「途中でマルコ先生につかまってしまったので」
「マルコ先生にも困ったものだ。ジュリエッタ君が間に合わなかったら相応の処断をしたところですが。今回は間に合ったからよしとしよう」
「?」
「いや、こちらの話だ。さあ、中に入りたまえ」
「……はあ」
事前にアポを取っていなかったので叱責くらいは覚悟していたのですが、好意的に受け入れられたのは予想外です。
「ラウロ理事長、葛宮麻人さんへのパトロン申請書類を持参してきました。申請を受理して頂けないでしょうか」
机に持参した書類を置くと、ジュリエッタはようやくラウロ理事長以外に三人の男性がいたことに気付きました。
一人はジュリエッタと同じ年頃の少年。
顔は少し子供っぽい容姿をしてかなり可愛いです。かなり? いえ、とっても可愛いです。ジュリエッタの表情が思わず蕩けそうになっているのが自分でも分かります。好みかと問われれば、他の方には渡したくないくらい好みのタイプ。といっても男性としての魅力というより、可愛い猫を見つけたときのあの感情なのです。
撫でてあげたい。
抱きしめたい。
甘えて欲しい。
独り占めにしたい。
そう、あの感情です。
感情に任せて思わず抱きしめたいところですが、彼の傍には理事長もいます。
ちぇっ邪魔ですね。致し方ありません、いまは我慢しましょう。
そう、我慢、我慢なのですジュリエッタ。
彼の容姿で特に印象的なのは瞳です。
可愛い容姿に釣り合わない強烈な意志を感じさせる黒い瞳。「僕は僕だ」と強く自己主張をしているのがその瞳から感じます。可愛い容姿に釣り合わない瞳ですが、そのギャップが返って魅力的で人に媚びない猫を思わせますね、そう考えれば容姿と釣り合っているとも言えるような不思議な瞳です。そして首には黒い紐のような装飾品が巻き付けられていますね。
まるで首輪を身に付ける猫みたい。
なら、そうです。
今すぐ抱きしめたかったところですが、思い留まってよかったのかもしれません。
彼が猫のような人物でしたら無礼者は引っ掻かれるのがオチです。そういえば実家飼っているアメリカンショートヘアも抱っこされるのは嫌いでしたね。なんとなく人見知りをしなさそうで好奇心が強そうな印象も似てます。
ここは焦らずお近づきにならないと。
よくみると彼の服装は学生が着用するローブです。案外転入生なのかもしれませんね。
残る二人は年老いた方と二十代後半くらいの男性。長幼の序に従うなら年老いた方が椅子に座るべきでしょうけど、椅子に座っているのは男性のほう。多分これが二人の位置関係で、椅子に座っている男性が主人で年老いた方は執事という関係なのでしょう。
彼らはなんと言ったらいいのでしょう、不思議な方々です。
ジュリエッタは見たこともない服装をしています。
黒い服装に身を包み、下には白い衣類を着こんでいるのが開いている胸元から確認できます。その胸元には首から巻かれるように吊るしている赤い布がしまわれていました。男性と年老いた方にとっては正装なのかもしれませんが奇妙な服装です。あれでは誰かに引っ張られでもしたら首が絞まって苦しいのではないでしょうか。
彼らのお顔を拝見してジュリエッタの疑問は氷解しました。
黒い瞳、黒い髪。
なるほど彼らは来訪者です。
異なる文化圏の方々の服装で判断すべきでないですが怪しい人達というのが第一印象。よく見ると彼らの服装は上等そうな生地で仕立てられていますね。しかも生地に縫い目がありません。どのような技術で裁縫されているのか想像もできませんが、上下がそれぞれ一枚の生地で造られているのでしょうか。
特に印象に残ったのは染み一つない点。
大抵の来訪者は経済的な理由で身に着けていた衣類をすぐに手放します。もちろん手放さないケースもありますよ。その場合は服装の手入れが行き届かず結構ボロボロになるまで身につけています。
ですが、それが彼等にはうかがえないのです。
来たばかりの来訪者という可能性もありますが、そのような人物がこの場にいるはずがありません。ということはつまり、彼らは身だしなみを保つだけの経済的余裕があるということ。
裕福な来訪者は珍しいですが皆無ではありません。例えば貿易商で有名なスルガヤさんとか。。素性は分かりませんが彼等が稀なタイプなのはたしかなのでしょう。
そういえば一緒に座っていた彼も来訪者ですね。
偶然もあるものです。
「待ち人は彼女でしたか」
「何の事ですかな。私は理事長として規則通りに待っていただけですよ」
「そういうことにしておこう。マイヤー、お嬢さんにお茶のご用意を」
主人である男性の指示によりマイヤーさんは私に椅子を用意してくれました。ティーカップに注いでくれた紅葉色のお茶はとても香しいです。
きっと値のする品物なのでしょうね。
客人をもてなす態度として申し分ないです。
はっ、ちがいます。
この部屋の主人はラウロ理事長でした。
御二人の態度は堂に入りすぎたので、この部屋の主人が誰かわからなくなりました。男性の態度が自然なのもありますけど、客人らしく接しない態度は不遜というべきなのでしょうね。
いずれにしても不思議な人達です。
来訪者は自分達の価値観を押し付けてくる迷惑な人達です。
そういう意味での不愉快さを真壁さん達からは感じられません。別の意味で主導権が取られている気がしないでもないですが。
まあいいです。
せっかく入れて下さりましたし、紅葉色のお茶を頂くことにしましょう。
「自己紹介をしておいた方がよさそうだな。俺の名は真壁征志朗。職業は探偵。業務内容は身辺調査や人の捜索、あるいは保険金詐欺調査から事件の物証やアリバイ調査まで多岐にわたる。お嬢さんみたいな年頃の方が用事になるとしたら迷子犬の捜索あたりか。まあ、困ったことがあったら相談にのる」
まかべさんは詳細が簡潔に書かれた名刺と呼ばれる小さな紙を渡してくれました。かなり上質な紙みたいです。どのくらい上質かといいますと、お父様から頂いた銀貨二〇枚もする手紙より上質な紙みたいです。せっかく頂いたものです大切にしないと。うっ、売りませんよ。
「ご丁寧にありがとうございます。わたしはジュリエッタ」
「……君があの」
「どうかしましたか?」
「いや、大したことではない」
「そうですか。ところで少し気になったのですけど」
「なんだね、お譲さん」
「まかべさんの業務内容が冒険者ギルドと被るのは気のせいでしょうか」
「否定はしない。違いがあるとすれば冒険者は冒険と戦闘の玄人だが調査の素人であり、俺は調査と格闘戦の玄人という点が違いだろうな」
「私達、冒険者ギルドが無能な集団と言いたいのですか?!」
「冒険と戦闘の玄人と評したが」
「調査の素人と言ったじゃないですか!」
「諜報活動は戦闘のプロが行う仕事ではないだろう?」
「………まあ、そうですが」
道理が通っているかもしれませんが、やりこめられたようで面白くありません。
気分転換にマイヤーさんが注いでくれた紅茶を一息に飲みました。
「――おいしいです」
「気に入ってもらえたのはよかった」
美味しくなかったら文句の一つも言えたのですが隙のなさが余計癪に障ります。
まかべさんはティーカップを指でこつんと鳴らして、ティーカップが空いたことをマイヤーさんに知らせました。
餌付けされるようで面白くないです。
いえ、頂かないと言っていませんよ。
「まかべさんは私達冒険者ギルドの商売仇になりえる存在というのはわかりました」
「それはないと思うが、そう受け取ってもらっても俺は構わない」
柳に枝とはこのことでしょう。
ジュリエッタの挑発に真壁さんは乗ってきません。これがアマデオさんならもう少し違うのですけど。いま一つとらえどころのない男性です。
会話を重ねるうち分かったのは、次の二つです。
一つはまかべさんもパトロンに名乗り出た人物あるという点。身なりから経済的に豊かなのはわかりましたがよく許されたましたよね。もう一つはパトロンの対象となる生徒、葛宮麻人さんはこの同室にいる少年だという点。
迂闊です。迂闊です。迂闊です。
そうです、良く考えたらこれだけ好条件の生徒に名乗り出る人物が一人なはずもありません。
まかべさんはかなり裕福な方のようですが、こちらも今年は資金が充実しているのです。相手が一人なら負ける筈がありません。
ありませんでした、一人なら。
ええ、もう一人いらっしゃいました。あのアマデオさんが。
「理事長、まだパトロンに名乗り出るのは間に合うと考えてよいでしょうか」
「ええ、どこで聞きつけたかについて今回は問わないとしましょう。パトロンの候補者は君で三人目ですよ」
「三人ですか。てっきりジュリエッタ嬢が抜け駆けを企ていると思っていましたが。いや失言」
丁寧な口調ですけど失礼な言い草です。
「ジュリエッタは卑怯な手は使いません」
「分かっているますよ。そういうことにしておきましょう」
「そういうことにしておくとはなんでか?! ジュリエッタはそんな女ではありません!!」
いつもいつもジュリエッタを小馬鹿にして。ほんとうに憎たらしい態度です、
アマデオさんはジュリエッタの抗議を気にも留めず、まかべさんを見ました。
「なるほど三人目は来訪者か。確かに裕福な来訪者は珍しいが魔術に劣る君達が手にするには相応しくない。身の程を弁えたまえ」」
「フッ」
鼻で笑いました、鼻で笑いましたよ。
アマデオさんもこの返答は予想しなかったみたいです。努めて冷静さを保っていますが内心では怒り狂っているのがジュリエッタには分かります。アマデオさんには悪いですがみたことのない光景。正直、少し胸がすかったとしました。
いけません、このままでは二人に埋没してしまいます。ジュリエッタも自己主張しないと。
「アマデオさん、ジュリエッタを無視して話しを進めないで下さい」
「別にジュリエッタ君を無視したわけではない。どうか気を悪くしないでくれたまえ」
「それならばいいのですが」
「単にジュリエッタ君を脅威と認識できなかっただけで悪意はない。そこの来訪者も脅威とは思わないが、君と違って手札は分からない点は評価せざるをえないでしょう」
「……そういうのを悪意というのですよ」
「アマデオだったか、はっきり言ったらどうなんだ。金と名誉を失う前にとっとと逃げろ、と」
「二人とも、それは言っているのと同義です!!」
「自分はそこまで口にしていない」
「口にしていないだけだろ? そこのお嬢さんが理解できなかったかもしれないから、親切に意訳してやったまで。俺としてそれ以上の他意はないさ。なあ、マイヤーもそう思うだろう」
「私としましては御二人の御意見に同意しかねますな」
素敵です、マイヤーさん。
ナイスミドルな御老人はなんちゃって騎士とは大違いです。
まかべさんの執事なんか辞めて家で働いてくれないでしょうか。
「アマデオさん、今年のジュリエッタは今までとは違うのです。例え我が家の財政が傾こうともジュリエッタは絶対に引きません。大体こんな可愛いい子を黙って奪われてなるものですか!」
「それはやりすぎでしょう」
「うるさい、なんちゃって騎士!」
「もう少し理性的に考えたどうだ」
「黙りなさい、黒服!」
表情が凍りつくアマデオさんと罵倒を受け流すまかべさん。二人は似ているようで少し違います。年齢からくる場数の差なのか生まれつきの胆力の差なのかはわかりませんが、胆力だけみればまかべさんの方が手ごわそうです。
でも、だからなんですか。
麻人さんは私のものです!
毎日、毎日、神様へのお祈りをしてようやくジュリエッタの前に現れてくれた男性。この機会を逃すと遠くない将来、蛮族みたいに猛々しい男性と結婚させられるに決まっています。そう、凶悪な魔物が一目散に逃げ出すほど猛々しい男性に組伏せられる未来。
……いやです! そんな未来は絶対にいやです!!
「僕の権利は……」
麻人さんは何か言いたかったようですが、ヒートアップしたジュリエッタの耳には入りません。
「いつもジュリエッタを馬鹿にするようですが、我が家にだって切り札くらいあります。我が家を甘く見た事を後悔させてみせますからね」
「それは楽しみです。ですが少し感情的になりすぎでしょうね」
「同感だ」
まかべさんが先ほどのように再びパチンと指を鳴らしました。
主人の合図に合わせて、マイヤーさんは白い雪を思わせるお菓子を用意してくれました。なくなった紅茶の追加もわすれません。白い雪に似た未知のお菓子を前にしてヒートアップしたジュリエッタの心が冷やされていきます。
餌付けじゃないか?
否定はしません。
乙女は未知のお菓子への好奇心には勝てません。お菓子に添えられた小型の熊手のよう食器を使って、ジュリエッタは恐る恐るそのお菓子を口にします。
あっ、あまい。
雪のように柔らかい食感。
果物のとはまるで違う甘さが口一杯に広がっていきます。
私の幸せそうな表情の変化に気が付いたのかマイヤーさんは優しく微笑むと、まかべささんの前に置いてあるお菓子を取り上げジュリエッタに差し出してくれました。
いいのでしょうか?
戸惑うジュリエッタにマイヤーさんがウィンクで返答してくれました。
分かりました。アマデオさんやまかべさんの態度は癪ですが、ここはマイヤーさんの顔をたてて水に流す事にしましょう。
「ショートケーキはテーブルに置いてある分しかないぞ」
もう一つ欲しいとなんて意地汚いことはいいませんよーだ。
いえ、頂けるのでしたら別ですけど。
矛盾している感情なのは分かりますが仕方がありません。だってあれは女性を堕落させる魔力を秘めた甘いお菓子なのです。すこし譲ってくれたっていいじゃないですか。
「このお菓子に乗せている果実は木苺に似ていますが、こんな品種はみたことがありませんな。恐らくは来訪者の国の果物と思うが栽培方法を知っていたりしませんかな」
空気と化していたラウロ理事長もしっかり食べていまますね。
しかも栽培方法もそれとなく聞き出そうとしているし。
空気なら空気らしく、空気を読んでジュリエッタのために残してくれればいいのに。
「私は栽培方法までは存じておりませんが、苺の一種『とちおとめ』でございます」
マイヤーさんが当たり障りのない返答をしていますが、多分教える気はないのでしょうね。
まあ、いいですけど。
ラウロ理事長はいつもああなのです。
来訪者の持つ半端な知識や技術の中に、役に立ちそうなものがないかそれとなく探りを入れる。そして必要なものだけを手に入れると来訪者をゴミ屑のように使い捨てるのです。
好感をもてない態度ですけど、それはラウロ理事長だけが来訪者に対して厳しいというわけではありません。他の方は来訪者へ見向きもしませんから、来訪者の知識や技術に興味を持つという意味でむしろ理解者なのかも。使い捨てられた方々は哀れですけれど、使い捨てるほどの価値を持つ方がほとんどいないので問題視されていない、と冒険者ギルド資料で読んだことがあります。
「そろそろいいですか。パトロンの対象者たる僕には、将来を選択する権利があると思います」
ようやく和やかな雰囲気になった場でしたが、麻人さんの一声に私や、アマデオさん、ラウロ理事長の表情が凍りつきました。
人権、権利、自由。
私達には理解できない価値観を絶対視する姿勢、あれは何か宗教の教義なのでしょう。
譲ることがない絶対の教義を持ちだしたとき、来訪者の態度は頑なになり、時に死を恐れぬ戦友ともなり、時にあらゆる妥協を忌避する障害ともなります。
どれほど魔術に素養があろうとも麻人さんも来訪者なのですね。