第一章 パトロン(4)
お父様の手紙を読み終えたジュリエッタは、別の棟に移動するため一旦外に出ます。
エレン魔法士学園の生徒のパトロンとなるには学長に届け出を出さなければいけません。残念ながら冒険者ギルドの代理人であっても、顔パスで学長にお会いすることはできないのです。
手続きって面倒ですよね。
来訪者のパトロンになるモノ好きは、我が家くらいしかいないのに。
お父様に言いたい事は多々ありますが、それでもジュリエッタは御申し付けを無視するわけにはいきません。気は進みませんが事務室で面会の手続きをしないと。
事務室には誰もいないようですね。休み時間だったのでしょうか。間の悪いことです。奥のほうに一人いるようですから声をかけますと、女性が一人現れました。
彼女の名前はルチアさん。
黒髪が印象的な大人の女性です。オリエンタルな魅力を感じさせる黒髪は、来訪者かと誤解してしまうほど見事な黒一色。もっとも瞳は黒ではないので彼女は来訪者ではありませんけど。
ルチアさんは多くの男子生徒や男性教師の方々に人気があるみたいです。
でも、独身だったりします。
異性に人気があるからといって結婚できるとは限らない見本のような女性です。結婚願望はあると聞いたことがあるのですけれどね。
「ルチアさん、今から学園長に面会をしたいのですが可能でしょうか?」
疑問形で話していますが、否と言わせない笑みを浮かべているのが自分でも分かります。
「ジュリエッタお嬢様、笑みが怖いですよ。そういえば、もうそんな季節になりましたね」
「ええ、今年も忌むべき季節がきてしまいました」
「そんなに嫌がらなくてもよいと思いますが。資金力に恵まれている御家の方らしい行為だと思いますよ」
対岸の火事は所詮他人事なのですね。同情の欠片も感じられないルチアの発言は、ジュリエッタの心を確実にえぐりました。
ええ、もうグサグサです。
「……ものには程度というものがありますよ、ルチアさん」
「来訪者の方ばかりにパトロンとなられるなんて変わった考えですよね」
それについてはジュリエッタも以前から疑問に感じています。
来訪者は所属する国を問われると、ときに地球、ときに日本と要領を得ない未知の国名で返答をする方々です。
私たちには理解できない人権という価値観を絶対視して、同じく理解できない倫理観を振りかざして騒ぎたてます。もっとも発言に実力が伴い方々なので、道化師同然の扱いを受けていますけど。来訪者=道化師という認識は少し先入観がすぎると思うので、ジュリエッタは好きではないですけど。
来訪者が道化師みたいな人達だとしても、あの方々に謎が多いのも事実々です。最大の謎は彼等がどのような方法で送り込まれたかのか不明な点。最大の謎なのに誰も検討すらしていません。シンイチ先生もその点を語ってくれませんでしたね。
多分、超長距離移動手段として転移魔法を使用しているのでしょう。高度技な移動手段は選ばれた方々にしか使用できないはずなのですが、どういうわけか来訪者は全員平民だったりします。私達が馬車に乗る程度の感覚なのかもしれまませんが、どうにも腑に落ちません。
なぜって?
彼等は転移魔法をまったく知らないのですよ!?
ジュリエッタは馬車の構造を正確には知りませんが説明くらいはできます。来訪者は説明すらできないのですよ。
不思議な人達。
来訪者はやってくる方法こそ異色の存在ですが、特筆すべき才能や技術を持つ者は稀です。
思考方法が異色という以外に来訪者が秀でているのは、どの人物も一定水準の教育を受けていたと思われる点。読み書き以上の教育をうけてきたみたいで、平民には不相応なくらいです。やっぱり平民ではなく貴族階級なのでしょうか。でも来訪者は階級制度に拒否感を覚える人なのですよね。貴族達の住む邸宅前で「打倒ブルジョワ! 労働者にパンを!!」とか意味不明な発言して牢屋に連行された人もいますし。
ブルジョワがなにを意味するかは不明ですが、多分横暴な領主かなにかなのでしょう。
来訪者がそれなりの教育を受けていたといっても、その知識を役に立つようには披露できていません。まるで進級試験に合格するために内容も理解しないまま丸暗記して、実技で魔術を発動できない生徒のような印象をうけます。
来訪者の特徴として見るべき点は、一定水準の知性と思考を持つため魔を扱う論理を理解しやすい点はでしょうね。もっとも理解しやすいだけで魔力を扱えるかは別問題ですけれど。魔力の絶対値が低い人達なので魔術という学問を理解できても発動できません。
シンイチ先生は例外中の例外なのです。
「来訪者に多額の資金を拠出するなんて。ジュリエッタお嬢様のお父様は、今年も教育道楽者ぶりが全開のようですね」
「御世辞でも褒めていませんから。ルチアさんも心にもない御世辞ばかり口にしていると、そのうち面の皮が厚くなってお化粧の塗りが悪くなりますよ?」
売り言葉に買い言葉。
笑みを絶やさない私達とは対照的に床板から悲鳴が聞こえます。
そういえば去年床板が破損したときもこんな悲鳴が聞こえましたね。
同じことが二度も起きなるなんて施工不良もいいところ。
「今年も毒にも薬にもならない方々を後援することになりました。お父様にも困ったものです」
「奇特ですよね」
「興味があるなら、彼等のために投じられる費用がどれだけになるか教えましょうか?」
「結構です」
ルチアさんは形ばかりの同情もしてくれませんでした。
でも、それはそれで優しさなのでしょうね。
形ばかりで実質を伴わない優しさは返って残酷ですから。
心の籠っていない声をかけてくれるクラスメイトより、ルチアさんの方が得難い存在なのは否定できません。おかげでジュリエッタはルチアさんを嫌いになれないのです。
言いたいことも言い尽くしたので会話が途切れてしまいました。間が空いたと察したルチアさんは生徒達の情報が保管されている棚に移動しています。立ち話に夢中になっても本来の仕事を忘れていません。やっぱりルチアさんは大人の女性なのですね。
数分も経ずに百科事典のようなファイルを台車に載せて帰ってきました。
あの棚には全校生徒の情報が保管されている筈なのですが、資料を手早く探し出す手際の良さは見事としか言いようがありません。口は悪いけど仕事のできる女性とは彼女のような存在なのでしょう。
あれ? らしくありませんね、
ルチアさんの台車を押す速度がいつもより速いみたい。いつもは忙しくても素振りすら見せないのですけど。
上気する顔はどこかにやけています。
「毒にも薬にもならない人達に私財を投げ捨てるジュリエッタがそんなに滑稽ですか?!」
「誤解です。今年はジュリエッタお嬢様にお喜びを申し上げます」
「良いといっても来訪者なのですよ。どうせ下の上くらいの成績――もしかしたらペーパーテストの成績だけが奇跡的に良くて中の下の成績だったりするのでしょう?」
「そんなことはありません!!」
いつも冷静なルチアさんに珍しく強い語気で否定されてしまいました。らしくない態度ですが到底信じられません。ルチアさんは毎年「お喜びを申し上げます」と言うのですよ。
「率直に申し上げますが、彼、葛宮麻人君については当たりです」
「ほ、本当ですか?」
「下の上くらいの評価なんてとんでもありません。葛宮麻人君の評価は上の上、それも特上の成績で奨学金を受けるほどの評価を受けています」
「……信じられません」
「……無理もありません。私も信じられないくらいですから。ですが、何度も書類を見直しても転入試験の成績が特上と判定されているのです!」
「採点ミスや答案の差し替えミスではないのですか?」
「葛宮麻人君が普通の転入生であればその可能性もあるでしょうね。ですが彼は来訪者。採点を担当した教師陣がその可能性を真っ先に疑ったでしょう。にも関わらず転入試験の成績は特上判定のままということは、つまりそういうことなのです」
賭博で大穴当てたような気分で葛宮麻人の評価表を見つめました。
「奨学金を受け取れる人がパトロン制度を利用する必要があるのでしょうか?」
パトロン制度は未来を担保に奨学金を得る制度です。
未来とは卒業後の将来をパトロンとなった組織に売り渡すことを――当家は形式ばかりですけど――意味しています。成績優秀者は出身国や出身都市で入学前に売約済みだったりして残りは余りみたいなもの。しかも来訪者は余りの中の余りなのです。
「奨学金制度を利用しなかった例は過去にもあります。そういった人たちは出自や金銭的な問題から、将来を先に選択することがあるのでしょうね」
「信じられません。ですが前例あるのでしたらそういう事もあるのでしょうね」
いつもの年と異なる展開にジュリエッタの思考がまとまりません。
恒例行事が恒例あらざる事態に展開するなんて、想像もしていませんでした。
「来訪者が成績上位者だなんて本当にありえるのでしょうか?」
「――シンイチ先生は当学園の卒業生ですよ」
「……そういえば、そんなお話も聞いたような」
沈黙が私達二人の間を支配します。
お父様、ジュリエッタの考えが浅はかでした。
きっとこのような状況を予測して来訪者にのみパトロンとなってきたのですね。
善は急げです。
さっそく理事長の許可を受けなくてはいけません。
ルチアさんの返答を最後まで聞かず、ジュリエッタは理事長室に走って行きました。