第一章 パトロン(3)
四月です。
今年もこの季節がやって来てました。
この時期にお父様の手紙を貰うたび、ジュリエッタは思うのです。
こんな恒例行事いらないのに、と。
恒例行事というものは、恒例行事ゆえに回避することができないみたい。
ジュリエッタは新年度が好きでありません。いえ、厳密には嫌いなのは新年度ではないです。
、微妙に浮ついた学園の空気はジュリエッタも好きなのですよ。どこかの王族が転入したとか、ルックスのいい彼はどこからきたとか。
ュリエッタだって年頃の女の子なのです。
新年度ともなれば、まだ見ぬ素敵な男性との出会いを期待したりもします。
在校生として三回目の新年度。顔なじみばかりで新鮮味がない行事と思うかもしれませんがその認識は誤りです。なぜかといいますと学園都市エレンに入学してくる生徒の半数は転入生によって構成されているから。詳しい事情を話しだすと長くなりますから割愛しますが、新年度には転入してくる生徒が相当数いるので、在校生も新年度の浮ついた雰囲気を毎年体感できるのですよ。
「――この行事さえなければ、ジュリエッタも新年度を心から満喫できたのに」
「ジュリエッタ君、聞いているのかね。御父上からのお手紙は確かに渡しましたからね」
明後日の方向に思考が飛んでいたジュリエッタは、担任教師のマルコ先生によって現実へと引き戻されました。
「すいませんでした。物思いに浸ってしまいまして」
「気にすることはない。君も色々と思うところがあるのだろう」
「……ええ、まあ」
当たらずとも遠からず。
あまり触れられなくない話題なので曖昧に返答したのですが、マルコ先生は別の意味で受け取ってくれたようです。
「私の娘もこのくらいの反応してくれれば、もう少し可愛げあるのだがねぇ。聞いてくれないか」
代償として娘さんの愚痴を聞かされることにはなったけれど。
お話を聞く限り子離れできていないマルコ先生の方に問題があるような。
それは長い長い小一時間でした。
「長々と引き止めてすまなかったね」
「……ええ」
「おかげで胸の痞えがとれたようだ、よかったよかった」
「……ジュリエッタはちっともよくないのです」
「人には話しを聞いてもらうというのは気分転換にいいものだよ。まったく助かった、たすかった」
「ジュリエッタは助かっていないのです。というか少しお話が長すぎはしませんか?」
抗議の声もマルコ先生に届きません。見事なくらいのスル―ぶりです。もしかしたらジュリエッタの声が本当に聞こえていなかったのでしょうか。
「ところで、私の妻がね――」
ところで?
まだ続くのですか?!
これ以上巻き込まれるのは嫌なので、「すみません、急用がありますので」と断りを告げ、ジュリエッタは脱兎のように逃げ出しました。遠ざかるマルコ先生は聴き手がいなくなっても話し続けています。
あの人、大丈夫でしょうか?
時間を消費してしまいましたが、ジュリエッタの心を沈めてきた行事に取りかかることにしましょう。お父様からの手紙は見るからに上質な紙を使用していますね。ジュリエッタの推測ですが、この一枚を購入するのに銀貨二〇枚は必要だったような。
そんなに高価ものなのかですって?
銀貨二〇枚ですよ!?
銀貨二〇枚あれば三週間分の食費が浮くのに!!。
この事実に軽く眩暈を覚えました。
ジュリエッタは毎日安い黒パンで過ごしているのに。
それにしても――いえ、『それにしても』とやり過ごせる問題ではないので、お父様には後ほどしっかりお話しするとして――去年は羊皮紙だったのに今年は随分気合いを入れていますね。
なにかあったのでしょうか?
まあ、いいです。ギルドの経費で落とせばいいのです――否といっても許しませんからね、お父様――と、ジュリエッタは無理やり自分を納得させました。
手紙に書かれているのは、「学業は進んでいるのか」「朝はちゃんと起きているのか」「ニンジンを食べられるようになったか」といった内容に始まり――いつまでジュリエッタを子供扱いするのでしょう。いえ、ニンジンは食べられませんけれど――徐々にジュリエッタの私生活に探りを入れるような文面に変化していますね。
具体的には、「いい加減、恋人は出来たのか」とか「もし恋人ができたらお前に相応しいか人物かは、私が直々に裁定するからな」といった内容です。紙が張り裂けそうなくらいの筆圧で書かれているあたりに、お父様の葛藤がうかがえます。道具は持ち主を選べませんが、お父様の握力を一身に受けてしまった筆には同情を覚えます。
お父様がジュリエッタを愛して下さっているのは、この事実からも痛いほど伝わります。伝わるのですけドゥオ父様自ら裁定されては――ジュリエッタに恋人や想い人となるような男性がいない事実は闇に葬り去るとして――凶悪な魔物が一目散に逃げ出すような猛々しい男性しか残らないと思います。
少し憂鬱です。
……このまま家出しようかな。
いえいえ、まだきてもいない未来を悲観しても仕方がありません。きっと、きっと!! ジュリエッタに相応しい素敵な男性が現れるはずです。毎日欠かさず神様にお祈りしてきたのですから。
そうです。
ジュリエッタは大丈夫、きっと大丈夫なのです。
気を取り直してお手紙を読むことにしましょう。
かなり長いお手紙なので――まあ、いつもそうなのですが――お父様の近況なドゥオ読み終えたところで、ようやく本題が書かれています。それも最後の最後。どうせなら書き忘れてくれればいいのに。
予想通り、今年もパトロンに来訪者を指名していました。
……お父様、ジュリエッタは思うのです。
また今年も毒にも薬にもならない人物達に大金を投じるのですか?
いえ、そんなことはないです。教育に対して理解ある姿勢、目先の権益のみを求めない御心を、ジュリエッタはご立派だと思います。
ですが、ですがです。
一人なら何も言いませんが、どうして五、六人もパトロンになるのですか。
そのような大判振る舞いをするほど、我が家は裕福ではないのですよ。
大体、そのようなお金があるのなら、なぜその幾らかを私の学費に回してはくれないのですか!
パトロンになっている家の子弟が奨学金を頂く身の上なんて、冗談みたいな状況はどういう事なのですか、一体!!
抑えようとしても抑えきれない負の感情が込み上げてきます。いけません、このような醜態を他の方に晒すわけには。
我に返って辺りを見渡してみます。幸い、事前に予想して一目につきにくい場所で手紙を読んでいたので通りかかる人は誰もいませんでした。或いは、他の方が危険を察知して避けたのかもしれませんが、この際良しです。ようやく心が落ちついてきたので、忌々しい新たな金食い虫の名前を確認する事にしましょう。
今年の悪しき金食い虫は、葛宮麻人という方でした。