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第一章 パトロン(2)

 真壁探偵事務所は、とある街のビルディングの最上階に存在していた。

 ビルディングの名は真壁ガーデンタワー。

 オールガラスの外壁が印象的な建造物で下層階にはボクシングジムや飲食店が入居し、上層階には保険会社やゲーム会社のようなオフィス系が入居している。駅から徒歩5分という立地条件もあり入居率は良好。所謂優良物件に属するこのビルディングの賃料は決して安くなく、探偵ごときの収入で入居するのは難しいだろう。

 断っておくが当探偵事務所の経営は健全である。

 どこかの漫画か小説のようにオンボロビルの一室で、店賃も払えず困窮するような財務状態ではない。ない筈だ。財務を取り仕切るマイヤーが窮状を訴えないのだから問題ないのだろう。

 とにかくだ。

 真壁ガーデンタワーの名が示す通り、このビルディングは名義上俺の所有物だったりする。俺には過ぎた代物だと思うが、ごうくつばりの妖怪爺が節税対策としていくつかの物件を押し付け――いや生前贈与された結果である。

 自分の名字を冠した建造物に住むというのは、街中に馬鹿でかい表札を掲げているようなものでプライベートなどあったものではない。他者には理解しがたいし悩みを一人で抱えてきたのだが、最近は悩みの共有者らしき人物と同居している。もっともその人物が同じ悩みを頂いているようには思えないが。

 入手経緯は兎も角、優良物件の最上階を丸ごと居住エリアとして利用できるメリットは否定しづらい。不平不満は多々あるが、この場所を拠点とするのは必然だった。

 最上階の一角に所長室は存在していた。

 所長室はプライベート空間も兼ねている。

 黒いレザーのソファーに黒檀のデスク。他の家具も服装と同じく黒を基調にしており壁紙も黒。床は黒光りする石が敷いてある。

 黒に支配された世界。

 厳密には濃淡に差があるため漆黒の世界ではない。個人的には非常に落ち着く空間なのだが他者の評判はお世辞にもよくなかった。他者を拒絶する雰囲気があるのか同居人達は理由がなければ立ち入らない。

 ソファーに腰を下ろすとTVリモコンを操作する。

 表示されたのはワイドショー。

 ドゥオの調査は多忙を極める。おかげでウーヌスの世情にやや疎くなってきた。ワイドショーもニュースの端くれには違いないだろう。どこかの誰かが不倫したとか、どこかの誰かが横領したとか。まあ、そんな感じの内容を取りとめもなく放送するしかない能がない番組だが、一応情報媒体である。

 ぶつくさ文句を並べながら流し見るが、題材となるモチーフが変わるだけで特に目新しい情報はないようだ。

 全て世は事も無し、か。

 いや、一件だけ注目を惹く情報がある。


「――長期間入院されていた歌手の斉藤真一さんの病状が快方に向かっているようです」

「斉藤真一さんの回復を一日千秋の想いで待ち望んでいたファンには朗報です。人気急上昇だった彼が全国ツアーの途中で倒れたのが半年前。緊急入院したときは過労が原因と噂されましたが、突発的長期睡眠症候群にかかって判明して大騒ぎになりましたね」

「馴染みのない病名ですが、突発的長期睡眠症候群とはどのような病気なのでしょうか?」

「前触れもなく昏睡状態になる難病です。この病気に詳しい丸山医師によると突発的に睡眠状態に陥る症状で、ナルコレプシーのような睡眠障害の一種ではないかと指摘されていました。ただしい意識が戻らず眠り続けるという点から、脳神経になんらかの異常をきたしている可能性もあるとか。突発的長期睡眠症候群には治療方法が存在しないため、現代の奇病とも恐れられています」

「国会演説中に倒れた近藤首相も一ヶ月ほど昏睡状態になりましたね」

「ご指摘の通りです。近藤首相も突発的長期睡眠症候群だったのではないかと一部では噂されました。関係者に話しを聞くことができないため裏付けがとれていませんが、近藤首相は病状回復後に、突発的長期睡眠症候群を難病指定しています。このことからも噂の信憑性は高いのではないでしょうか」

「こわいですねぇ」

「突発的長期睡眠症候群に治療方法は存在しませんが、不治の病ではないと丸山医師は語っていました。現に近藤首相や斉藤真一さんのように回復した例がいくつも報告されています」

「まさに現代の奇病ですね」


 現代の奇病か。

 マスコミが好きそうな語呂に思わず唇が歪む。

 昏睡状態の患者の精神が異世界に移動しているなど想像しないだろう。的外れの対応をしている限り患者が回復することなどありえない。もっとも原因が医学の範疇を超えている以上、医師にできることなど限られている。熱意と予算を浪費する医療関係者には同情を禁じ得なかった。

 感慨に浸りながら煙草の煙を吐き出すと、漆黒の部屋に白い煙が靄のように広がる。

 煙の臭いが充満してきたので換気を行うためソファーから起き上がる。窓ガラスへ移動すると道を行き交う人と車の群れが視界に入った。

 窓ガラス越しに聞こえてくるのは鳥の鳴き声と風音のみ。

 高層ビルの最上階は人里に居ながら人混みを避けられる。都市の死角になりやすいというのは、魔術士もある俺にとってなにかと都合がよかった。

 強いて難点をあげれば地震で酷く揺れる点。

 当初は事務所としてのみ利用していたが、いまでは住居としても利用する程度には気に入っていた。都市の喧騒から隔絶しているというのは得難いメリットなのだ。

 そう、喧騒から隔絶していたのだ。

 最近までは。


「征志郎。麻人を魔法士学校に転入させるとは、どういうことなのでしょうか」

 ノックもせずに所長室に入ってきたのはブレザー姿の少女。

 彼女の口調は穏やかだったが刺すようなような視線で俺を見つめる。

「誰から聞いた?」

「私の協力者は征志郎だけではありません」

「大方、マイヤーの奴に聞いたのだろう」

「お生憎さま。私は情報提供者を売らない主義なのです」

「マイヤーの奴にも困ったものだ」

 彼女の反対は予想できた。外堀を埋めてから説得を試みるつもりだったのだが、その目論見は内通者により暴露されてしまった。大方女の勘というやつで事態を察知し、マイヤーに事情を問い合わせたのだろう。

 有能かつ忠実な我が執事マイヤーは女性全般、特にアリアに甘い

「なにか問題でもあるか?」

「私の話をちゃんと聞いていましたか、征志郎、叔・父・様」

 少女の名は、真壁 アリア。

 年齢は十六歳。

 特徴的なまでの長い金髪は北欧女性をイメージさせるが、身長に関してはイメージと反する。北欧はおろか日本においても小柄だろう。身長云々は今度の成長次第と思うのだが、本人的には気にしているらしく毎日牛乳を飲んでいる。「牛乳が女性的成長を促進する話しは都市伝説の類だ」と以前指摘したのだが、顔を真っ赤にしたアリアからコップを投げつけられたのはここだけの話し。

 暴力に訴えることを恐れないパワフルな性格に反して顔立ちは端正である。先物買いが許されるのならばと但し書きが付くが、いまのうちに予約しておくことをお勧めする。

 お前はどう思っているのか?

 自分を叔父と呼ぶ少女に手を出すのが社会的に許されないだろう。などと非生産的な思考が頭の中を駆ける。

 アリアこそが今回の依頼人であり、世間的には姪ということになっている。

 つまり、彼女こそが管理者。

 諸般の事情により血が繋がらない彼女を家で預っている。未成年の少女と同居する悩みは他者には理解しにくいだろう。真っ先に思い浮かんだのが世間の目だった。探偵が陽のあたる職業とは思わないが、警官から呼び止められ世間様から白い目で見られるのは精神衛生上よくない。結果、アリアは姪という立場を手にしていた。このときは最良の判断をしたと思っていたのだが。

 叔父様。

 おじんやオヤジ呼ばわりされないだけましだが地味にきつい単語だ。

 俺はまだ二十代なのだが。

 アリアは機嫌を損ねると決まって「叔父様」と口にする。彼女の十八番は俺の精神を抉るように突き刺す。まったく情け容赦というものがない。不平不満を訴えようにも、書類上とはいえ事実であるため否定はできなかった。

 最悪のカードを渡すくらいなら世間の目など気にしなければよかったと後悔している。

 おかげで我が家では喧騒が堪えない。


 ノックもせずに所長室に入ってきた侵入者は、ゆっくりとした足取りでこちらに迫ってくる。言いしれぬ圧迫感があるもののどこか優雅だ。

 その優美さもスカートの裾を押さえていては些か様にならないが。

「盗撮魔を恐れるようにスカートを抑える仕草はどうにかならないか? 入口や窓際以外は絨毯を敷いている。この状況で下から除くなど不可能だと思うが」

 あきれ顔で所作を指摘するとアリアの顔が真っ赤に染まる。

「床の一部が黒光りして鏡のようになっている事実に変わりはありません!」

「自意識過剰だ」

「叔父様は気にしないかもしれませんが、私が気にするのです!! スカートを抑えていないと安心できませんし、なにより盗撮されているようで嫌なのです」

「絨毯の購入までして誠意を示した。そのうえで盗撮魔扱いされるのは心外だな」

「気分の問題です!」

 安くない出費を強いられて、なおあらぬ疑いをかけられる側の心境は問題ではないらしい。

「そんなに気になるなら自衛をするのが筋だ。例えばスカートの丈をもう少し長くするとかスカートそのものを諦めるべきではないか?」

「――だってしょうがないじゃないですか。クラスメイトの友人も同じような丈のスカートを履いていますし。その方が可愛いですし。征志朗には可愛い姿をみて欲しいですし」

 小声で問題発言をしているが聞こえなかったことにする。

 アリアは自分がとんでもないことを発言したのに気付いたのか、顔をさらに真っ赤にさせる。茹でダコになるのではないかと思うほど体温を沸騰させると、何度か深呼吸して自分を落ち着かせている。

 これでなにを話したいのか忘れてくれれば尚良しだが、流石にそれは期待できまい。

「……征志郎、私は言ったはずですよね? 第一世界ウーヌスから人員を増員できませんと。それはつまり私は貴方の力だけで実態調査と救出をしてくださいという意味あのですよ」

「スカートの丈云々から話題が逸れたな」

「……い・い・ま・し・た・よ・ね?」

「麻人に手伝わせることがそんなに不満か。彼は第二世界ドゥオから帰還していないから契約違反は犯していない」

「それはこじ付けです!!」

 麻人の名で呼ばれる少年はドゥオで保護した来訪者である。「帰還する人物の希望を可能な範囲で一つ叶えてやる」との問いに、麻人は魔術の習得を要求してきた。帰還する人間に必要な技術とは思えないが本人の希望は叶えなければいけない。

 おかげで麻人は魔術を習得するまでウーヌスへの帰還を免除されており、内弟子状態で我が家に逗留している。

 アリアはこの対応がおもしろくないらしく、事あるごとに麻人を目の敵にしていた。

「ルールを主張しておいてイレギュラー因子は無視するのは、フェアな態度とは言えないな」

 痛いところを突かれたのかアリアはうーうー唸る。

「我が家に逗留するか魔法士学園に入学するかの違いだろう? 俺には大した飛躍とは思えないが」

「いいえ、飛躍です。百歩譲って征志郎の主張が正当だとしてもそれはそれです」

 例外を認めるのを嫌がる役人のような頑なさ。

「異世界が無意識に拉致した者達――シンイチの言葉を借りれば来訪者は世界を移動したと認識しているが、実は物質的な移動など行われていない。移動しているのは精神だけであり、精神の器として用意された肉体に憑依しているだけ。言ってみれば夢を観ているようなもの。医者の連中も突発的長期睡眠症候群とは上手い病名を考える。ということは未だドゥオの肉体で構成されている麻人はドゥオの住人だよな?」

「……他の方にその事実を話していないでしょうね」アリアは表情が青ざめた表情で問いかけてくる。その問いに肩をすくめて返答する。

「さっさと心が折れて自殺でもすれば帰還できた、などとは口が裂けても言えんよ」

「……それならいいのですが」

 精神の移動のみ行われている。これが重要な点なのだ。

 突発的長期睡眠症候群からの回復はウーヌスへの帰還によって成立する。帰還とはドゥオにおける生存競争に敗れたことを意味し、より直接的にいうならばドゥオにおいて死亡したのだ。シンイチのように当探偵事務所が保護した例も存在するが、概ねそういうこと。

「来訪者とは生き残るための運と能力あるいは知恵をもっていた人達だが、それ故にウーヌスに帰還し損ねたとは大した皮肉だよ」

 一言を余計だった。

 アリアは涙目になりながらおもむろに近付く。そのまま黙って膝の上に乗ると両手で俺の首を絞め始める。金髪の美少女に迫られるのも悪くはないが、首を絞られながらというシチュエーションは頂けない。 

「――冗談だ、俺もそこまで人でなしじゃない。どうでもいいが、実力行使で納得させようとするのは悪い癖だ」

 控え目にいっても息苦しい。それでも些事な状況だと振舞うのがダンディズム。

 痩せ我慢が気に食わないの、アリアは俺の首をさらに締め上げる。

 軽い締め付けであっても締め続けられればそれなりに息苦しい。このようなケースではやりたいようにさせておく方が被害の少ないことを経験で知っている。殺す気はなくジャレているだけと自分を納得させている。

 その余裕もなくなりつつあるが、今更悪かったとは口にしない。「極限状態でこそ痩せ我慢せよ」が真壁家の家訓なのだ。胸ポケットから煙草を取り出して口に咥える。「やれやれ、いい加減にしてくれないか」と抗議の意思を目で伝えた。

 偶然、お互いの目を見つめ合う。

「……」

 アリアの顔が赤くなった。

 死に淵へ追い込んでいた両手は首から離され、素人の盆踊りのように意味不明な挙動をする。

 それでもアリアは離れようとはしない。

 いつまでも膝の上でアリアが離れないので、ブレザー越しながらアリアの女性の象徴を間近で見ることになった。

 まだまだ成長が足りないな。

 断っておくが故意ではない。


「アリアさん。真壁さんとジャレるのは、僕の見ていないところでして貰えませんか?」

 アリアは予想もしなかった人物に声をかけられたため、バランスを崩して後ろに倒れる。机に頭をぶつける直前、浮遊の魔術で倒れないよう支えてやる。倒れそうになったときスカートの中が確認できたが見なかったふりをする。見なかったことになっているので、何色だったかとかどのような柄だったとかの質問には答えられない。

「ありがとう、征志郎」

 アリアは俺には謝辞を少年には敵意のこもった視線を送ると、向かいのソファーに腰を下ろす。

「丁度良かった。麻人、お前にも関係のある話だ」

「聞いてましたよ。魔法士学校への転入についての件ですね。お願いしていた件ですから僕としては異存がないけど条件があるのですよね」

「最初から見ていたのですか!」

「聞いていたとしか言ってませんよ。それとも何か見られては困ることでもあったのですか?」

 とぼけた口調でアリアをからかう少年は、先程から名前が登場している葛宮麻人。

 いたずらを思いついた猫のような表情で放たれた麻人の発言に、アリアは言葉に詰まり押し黙ってしまる。

 少し子供っぽい容姿は女性と一部の男性を虜にする魅力があり、生まれる時代を間違えていた色小姓にされていたかもしれない。そんなわけで麻人は女性受けがよいはずなのだが、アリアとはお世辞にもよい関係とは言えなかった。麻人とアリアはどうにも馬が合わないらしく、縄張りを争う二匹の猫といえば想像しやすいだろう。

 麻人人の年齢は十四歳。

 アリアの年齢は十六歳。

 思春期の成長において女性の方が先に大人になる筈なのだが、二人に限って言えばアリアがやり込められるケースが多い。年下の少年に振りまわされるのは少し可哀想に思うが事情を話しやすくなったのも事実。これ幸いにシンイチから聞きだした内容を伝えるとしよう。

「征志郎がなにを企んでいるかは知りませんが、後援者となっている方――ジュリエッタさんでしたっけ――彼女と交渉をして来訪者の身を引き取ればいいじゃないですか?」

「ジュリエッタは代理人にすぎない。後援者は父親の方だ」

「ジュリエッタさんが代理人かどうかなんで、どちらでもいいです」

「どうでもよくないさ。娘といってもジュリエッタは未成年だ。そんな人物に全権委任状があるか怪しいものだな」

「そこを含めて交渉するのが征志郎の仕事でしょう!」

「やったさ。にべものなく断られたがな」

「……すみません、言いすぎました。交渉の余地もなく断るということは、先方は金で人を売り渡すような御仁ではなかったのでしょう。交渉が不調に終わったのは残念ですが、それはそれでよい話です」

「あるいは来訪者になんらかの価値を見出しているかだ」

「物騒なことをさらっと言いますね」

「人を疑うのが商売だからな」

「いいでしょう。その可能性も含めて調査するのが征志郎の仕事です」

 調査状況を理解したことで、ヒートアップしたアリアがようやく落ち着く。感情的に話したことで気恥かしくなったのか下を向いている。「そのくらいのことは、真壁さんなら考えているよ」と麻人が茶化す。「わかっていますよ」「いや、わかっていないね」などと不毛なやり取りをしているが、あれで麻人なりに気を使っているのだろう。おかげで空気が少し和らぐ。

「そこで僕が囮として学園に派遣されるわけですね」

「話が早くて助かる」

「麻人達は犠牲者です。囮として扱っていい存在ではありません」

 悪くない倫理観だが、協力者も無しに活動できるほど俺の仕事は簡単ではない。

「僕に異存はないですよ、真壁さん。学園で魔術を学ぶ方が色々と都合が良いですし、なにより利害の一致があったほうが話としてシンプルですから」

 麻人はウーヌスの住民にしては稀なくらいに魔術へ高い素養があった。その素養から「弟子してやるから早くウーヌスに帰れ」と提案をしたのだが、ドゥオの魔術学校で本格的に魔術を学びたいと断られている。今回通うのは魔術学校ではなく魔法士学校だが大した違いはないだろう。麻人にしてみれば公的な機関で魔術が学べればそれで良いのだから。

「僕のパトロンはどのようにきめるのですか? 奴隷貿易のように手枷足枷されて競売にかけられるのは御免ですよ」

「後援者候補同士が選手を出して戦い勝った者が権利を得る制度だそうだ」

「そのルールなら真壁さんが負けることはないでしょうね」 

 一人反対をするアリアを置き去りに、俺達は阿吽の呼吸で話を進める。「私を無視しないで話しを進めないで下さい」と抗議をしているが気にしてはいけない。 

「私は絶・対・許可しません! いままでのように征志郎に師事すれば良いはずです」

「麻人の才能は俺の予想を超えていたのだよ。これ以上の魔術の上達は専門の教育機関に通うか専属の教師により個人指導が必要だ。だがこいつは俺の弟子になりたくないと言いやがる。いっそ実家の妖怪爺に預けるのも手だが、それではホルマリン漬けか廃人になるのがオチだろうな」

「そこまで学習が進んでいたなんて聞いていません! それなら今すぐにウーヌスに帰るべきで、学ぶためにドゥオに留まる等本末転倒です!!」

 無視されていたこともあり、アリアはややムキになり反対論を展開する。

「真壁さんから聞きましたよ。『帰還する人物の希望を、出来る範囲で一つ叶えてやるようにと依頼人から言われている』と。僕の希望は魔術学校への進学ですから永住とまでは望んでいませんよ」

「でも、でも、病院で病に伏せている貴方をご両親はきっと心配している筈です。そのことも考えてください」

「親不孝をしているのは分かっています。けどいま帰っても卒業後に帰っても戻ったときの時間はそれほど変わらないのですよね」

「征志郎、余計な事を教えましたね!」

 アリアから軽く睨まれたが、見なかったことにして煙草を吸う。

「征志郎の言葉は間違っていませんが正しくありません。ドゥオからの帰還が遅れるほど、帰還によるリスクは高まります。精神が世界間の時差にどれだけ堪えられるかは未知数なのですよ」

「嘘はいけないよ。世界間の時差に高いリスクがあるのなら、今日帰ったシンイチさんは二十年だよ。まさか彼に帰還のリスクは存在しないと偽っていたのですか?」

 些か意地の悪い問いかけだ。

 シンイチにその説明をしなかったのはアリアではなく俺なのだ。アリアと交わした契約書に、帰還のリスクについて説明義務が記載されていなかったから話さなかったまでのこと。医者なら説明不足と非難されて然るべきケースだろうし、法廷では未必の故意と糾弾されるだろう。

 俺に分かるのは一つだけ。

 シンイチはリスクを聞かされたとしても、ウーヌスへの帰還に躊躇などしなかっただろう。

「強健な身体に健全な魂があるよう願うべきなのだ、とは良く言ったものですよ。精神の器として相応しいのは同じ器だけ。器が同じなのだから異世界に移動することによる能力の上昇という奇跡が起きないのも当然です。さっさと死ねば早く帰れたという事実を伝えずに、アリアさんは望みを叶えるという行為で誤魔化しているよね。そんなアリアさんが僕の要求を拒否するすことなんてできないと思うけど?」

 畳みかける麻人の発言にアリアは俯いたまま言葉を発しなくなった。

 前髪で隠れているが泣いているのかもしれない。

 言いすぎたを察したのか、麻人もそれ以上は言葉を発しなかった。

 空気が重い。

 二人とも言いたいことを言ったのだから、このくらいでいいだろう。

 俺は吸っていた煙草を灰皿に押し付けて消す。

「――麻人、そのくらいにしておけ」

「すいません、言い過ぎました」

 素直に謝れるのは麻人の美徳だ。

 俺があのくらいの年齢だったときは非を認めない生意気なガキだった。

 そして今では性質の悪い大人になっている。

「シンイチ達に説明しなかったのは俺であってアリアではない。麻人の指摘は俺が責を受けるべきものだ」

 アリアの肩がビクンと震えた。

 庇ってもらってくれたのが嬉しかったのだろう、表情に明るさが戻るのが分かる。

「ありがとう、征志郎」

 怒られたり礼を言われたりと忙しい日だ。

 礼には返答せず用意していた書類をアリアに差し出す。

「この書類に上の方としてサインをしてくれないか」

 さりげなく差し出された書類にアリアは特に目を通さずサインをする。大方報告書か必要経費の請求書とでも思ったのだろう。だがサインをした書類に目を通すにつれ、全てが事後承諾になっている事を理解するにつれ怒りで顔が赤くなっていく。

「明日必要だったからサインをしてくれて助かった」

 書類はパトロンになる人物の身元を保証する推薦状。

 麻人は転入試験を今日中に済ませたが、俺がパトロンになるに相応しい人物と保障してくれる人物が見つからなかった。上の方の推薦状なら申し分がない。来訪者がパトロンになることを学園が嫌がろうとも、圧倒的格上の存在の紹介状をむげできるはずがないのだ。

 問題があるとすれば理事長が推薦状の価値を理解できるか。

 仮にも魔法士学校の理事長なら知っている可能性はあり、シンイチが知っていた事実も俺を勇気づけた。

「征志郎、叔・父・様。書類に目を通さずサインをした私も悪いですが、他に言う事はないでしょうか?」

 無いと即答するとアリアがキレた。

 キレはしたが暴力に訴えることはせず、走り去るように部屋になにかを取りに行く。

「……征志郎さん、本当にこれでよかったのでしょうか」

 流石の麻人も心配気味だ。安心しろ、俺も良いとは思ってはいない。「俺が責を受けるべきものだ」と助け舟を出しながら、そこから突き落とすとは我ながら悪党だと思う。だがパトロン申請期限が明日なのだ。アリアの承諾を待ってからでは間に合わなかった。

 探偵という職業は推理力を駆使して難事件を解決する社会のヒーローでも、人が目を背けるような闇と対決する存在でもない。高い倫理観などクソ喰らえ。依頼人の意図など聞かず、知りたい情報を調べ出す日蔭の存在。ときには依頼人の意にそぐわない行為に訴えなければいけないときもある。

「私はサインをしたのですから、征志郎、叔・父・様も黙ってこれにサインしてくださいますよね?」

 ブレザーから私服に着替えたアリアはこれ以上ない笑顔だった。

 それが返って怖い。

 渡された用紙を恐る恐る確認すると学校行事の参加案内書だった。

「入学式の案内状ですね。そういえばアリアさんは中高一貫校に通っていたけどエスカレーター式でも入学式はあったんですね」

「叔・父・様、参加してくれますよね?」

「アリア。やはり卒業式に出席しなかったのを恨んでいたのか」

「私はそのような事で恨んだりしません。卒業式に出ると言いながらマイヤーを代理出席させたとしても、私を騙したとは思ってはいませんよ♡」

 他意があったわけではない。

 偶然仕事が入って出席ができなくなったので、致し方なくマイヤーに代理出席を頼んだだけだ。

 代理とはいえ出席はしている。

 ……いや嘘を言うのはよそう。

 正直、俺は父兄として参加したくなかったのだ。

 黒のスーツに赤いネクタイを身につけた姿は、ホストかその筋の人間にしか見えない。最悪入学式場に入る前に校門の警備員に止められる可能性すらある。とある番組で似たような格好をしたサッカー選手が卒業生として後輩に授業をする企画があったが、学校関係者がよく許したなと思う。

 服を変えればいいと思うかもしれないが、服装には個人のアイデンティティが反映される。

 葬式でもない限り主義主張を曲げる気にはどうしもなれなかった。

「征志郎は入学式にまさかその服装で参加しませんよね♡」

 アリアは有無を言わせない迫力で俺の腕を取る。

「やられましたね」

「言うな」

 麻人は手を振りながら俺達を見送る。

 一時間後、俺はアリアのセレクトによって黄色のスーツにピンクのネクタイを身につける羽目になった。

 勿論、財布は俺持ちである。


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