第一章 パトロン (1)
いま見えている事実は唯一無二でない。
確率の数だけ可能性は存在する。
例えば億万長者になっている自分が存在するかもしれないし、犯罪者となり果てた自分が存在するかもしれない。それは個々人の可能性の話しに留まらず世界においても同様のようだ。
仮に、日本などの科学文明が存在する世界を第一世界ウーヌス。
魔物や魔術が存在する並行世界を第二世界ドゥオと定義しよう。
並行して存在するこの二つ世界への移動はできない。できないはずだったが何事にも可能性は存在する。
移動不可なはずの第二世界ドゥオに拉致された者達の実態調査と救出。それが探偵を職業とする、俺こと真壁征志郎が受けた依頼だ。拉致された人物の総数について依頼人から聞かされていないが、相当数にもぼるらしい。もっとも大多数は3日以内に帰還しているらしい。らしいらしいと不確定な情報が続いてしまうのは情報の裏付けができないからだ。ウーヌス側の情報で確たるものは依頼人から提供されるもの以外ないものでな。裏付けのない情報に頼るのは危険だが、他に情報源がないのだから致し方ない。
並行世界ウーヌスとドゥオの境界線は、なんらかの偶発的事象により薄くなるらしい。
マイクロブラックホール的現象なのか?
すまない、SFには明るくないので答えられない。
とにかく、だ。
境界線上に存在した人物が、ウーヌスまたはドゥオに移動することは天文学的確率としてありえるらしい。納得しづらいのはわかる。不適切な比喩になって申し訳ないが、どれほど確率が低かろうとも宝くじに当選する人間がいるように、異世界に移動する人間を止めるのは不可能なのだ。
ファンタジー的ご都合主義?
もっともな意見だが量子力学的にはあらゆる事象は発生し得る。量子力学を用いれば多世界解釈も説明可能だ。
気の毒と思うが、そろそろ現実を受け止めたまえ。
詳しく聞かせろ?
自分には知る権利がある?
もっともな言い分だとは思う。が、そいつは大学教授かSF作家の領分であり、探偵の領分を超えている。答えられる内容にも限界があることを許してくれないか。
異世界に意図せずに移動させられた人々は、近年、不自然に増加しているらしい。君もその一例と言えるだろう。意図せずに移動させられた人々を、依頼人は、『異世界が無意識に拉致した』と呼んでいた。深い意味があるのかもしれないが、今のところ俺の依頼に支障をきたさないので保留としている。話さないのには理由があり、気が向けば話してくれるだろう。
君には関係ない話しだったか、失礼。
意図せずに移動させられた以上、移動した瞬間に地上に居るなどという甘い現実は残念ながら存在しない。
気が付いたときには地上にいた?
それは、なんというべきだろう……「幸運だったな」と言わせてくれ。
多くの者達は三十秒間の異世界旅行を体験したのち帰還していく。といえば聞こえはいいが、地上に叩きつけられて即死しているだけだがな。たまたま地上に転移するか落下しても即死しなかった人物のみが第一関門を突破していく。
俺も体験したことがあるから分かることだが、第二世界ドゥオは魔力により進化した獣と魔物が跋扈している危険な場所。あそこは人が万物の霊長の椅子から滑り落ちた世界だ。そもそも万物の霊長の椅子に手をかけてすらいなかったのもかもしれない。
人にも冒険者という狩る側の存在もいるが、相対的に見れば人は狩る側の存在ではなく狩られる側。毎年のように辺境の国々が破壊され蹂躙され略奪され凌辱される。
中世ファンタジー様様の世界、それが第二世界ドゥオ。
ドゥオに降り立った人間は自分を勇者かなにかと勘違いしがちだ。馬鹿な奴ら。境界線を越えたくらいでポテンシャルの上昇が起きるなら誰も苦労などしないのに。文化レベルはウーヌスの方が高いから多少の知識的有利はあるかもしれないが、大抵の奴らはウィキかなにかで得た焼付け刃にすぎない。身についていない半端な知識など役に立つものか。妙な使命感に目覚めたりする奴もいたが、身の丈に合わない使命感がいかに有害かを実体験で学んでいたよ。
そいつらは総べからず退場していく。
当たり前といえば当たり前の現実。
「……事情の説明ありがとうございます。色々聞きたいことがあるはずですが、いまは混乱していてなにも思い浮かばないのですよ」
「無理もない。煙草でも吸って心を落ち着けたまえ。煙草くらい持っている? はっ、あんなもの煙草を模したなにかだよ、シンイチ教授」
俺は愛用しているマルボロを差し出す。
フィリップモリスが製造する世界ブランドはドゥオの人間にも受けが良い。それはシンイチも例外ではなかった。「教授は止して下さいよ」と謙遜していた彼が、煙草の方は躊躇せずに受け取ったことからもそれは窺い知れる。
「味わって吸いたまえ。一箱一万円もする貴重品だ。政府の馬鹿者どもが税収不足と不健康を理由に愛煙家を虐げたおかげて、フィルター付きの煙草は高値の華となってしまったよ」
「僕がいた頃は一箱二百円そこそこだったのに。愛煙家には住みにくい時代になったのですね」
「愛煙家に優しかったドゥオに戻りたくなったか?」
「とんでもない! 冗談でもよして下さいよ!!」
二人の吐く煙で部屋が靄につつまれる。
二十年間をただ生き延びるために費やしたのではなく、エレン魔法学園で教授に登りつめたか。並大抵でない努力の賜だろう。いや、褒めるべきは二十年を経てもウーヌスに戻る希望を決して失わなかった点。
執念と言うしかない。
だからこそなのだろう。反動は凄まじかった。
泣き叫び声ながら部屋中を走りまわり、壁紙を掻り家財道具を投げ飛ばす始末。二十年という時間の重みは理解するが、このまま狂い死ぬのではないかと心配になった。そんなシンイチが騒ぐのを止めたのは窓に映る光景を目にしてときだ。
夜の貴婦人エレンと朝日に照らされるビルディング街。
事実の直視は百万の言葉より勝る。
真壁探偵事務所は第一世界ウーヌスと第二世界ドゥオの境界線上に位置している。この事実を目にすることでシンイチは帰ってきたのを実感できたのだろう。
人目をはばからず泣き崩れた。
俺にできることと言えば、泣き止むまでその姿を見ないでやることだけだった。
灰皿に吸い殻を置いたところで、脇に控えていたマイヤーがブランデーを用意する。
個人的にはバーボンを勧めたいところだが、気付け薬代としてはブランデーのほうが正しい選択なのだろう。
いつもながら痒いところまで気が利く執事だ。
「何度見ても信じられません」
シンイチは手渡されたグラスを受け取ると、注がれたブランデーを一気に飲み干す。
優男な風貌に似合わず良い飲みっぷりだ。予想していなかったのはマイヤーも同じらしい。マイヤーの奴があっけに取られる姿をみたのはいつ振りだろう。
お代わりを要求するシンイチに苦笑しながら、マイヤーは空いたグラスにブランデーを注ぐ。
グラスを手にしたシンイチは窓の外を見つめる。
視線の先に映るのは魔法文明によって照らしだされるエレンの街並みと、朝日に照らされるコンクリートジャングル。対象的な二つの文明の姿は何度見ても異様だ。
「……僕はこれからどうなるのでしょう?」
「なにも心配しなくてもいい。君はこの部屋から出て行くだけだ」
「そんなに簡単なのですか?」
「窓から飛び降りるよりマシだろう?」
「先ほどでしたら迷わず飛び降りてましたよ」
苦笑しながらシンイチは返答する。
冗談を理解できる程度には落ち着いたらしい。結構なことだ。
「僕はビルの入り口を通っただけなのに、いつの間にか貴方の部屋にいました。これはもしかして空間が捻じ曲げているのでしょうか」
「悪くない推測だ。君のように異世界が無意識に拉致した者達以外は、このビルを視認どころか知覚すらできないだろうさ」
「――ところで異世界が無意識に拉致した者達、という単語は少し長いので止めませんか。僕達はドゥオにおいて来訪者と呼ばれていますよ」
「中々洒落た呼び名だな」
「まあ」とシンイチは困ったように答える。「あまり名誉な呼び名ではないようだな」との問いかけに「そちらの方が慣れていますから」と苦笑いしながら答えた。
来訪者という単語を知った上で避けたのだが余計な気を遣わせたらしい。
「いまさら呼び名なんかどうでもいいですよ。それよりも僕以外の人間がビルの存在に気付かなかった点の方が気になります。高位の魔術師ならば感知できてもよさそうですけど」
「いや、不可能だ」
「なぜです?」
「二つの世界を繋ぐ技術には魔術や科学の要素が用いられていないからさ。解析不能な未知の技術を検知するのは何者にも不可能だろう」
「信じられませんね」
「だろうな。かく言う俺も信じられない」
「――誰です。不可能を可能にした人物は」
やはり聞くか、仕方ないので人差し指を上に向ける。
ごく一部の人物だけが分かる符丁。
「なるほど、上の方ですか」
意外にもシンイチは知っていた。
上の方。
名前を読んではいけない存在は管理者と呼ばれる。
ごく一部の魔術士だけが存在を察知しているが接触できた者はさらに少ない。
いつから存在するのか?
目的はなにか?
性別は?
そもそも人間なのか?
多くの謎に包まれた不可思議な存在。
唯一分かっているのは、それぞれの世界には管理者と呼ばれる存在しているということだけ。
管理者の存在をうかがわせるものが一つだけ存在する。それは並行世界の移動を目的とする計画は必ず破綻してきた点にある。偉大な才能をもつ魔術士が才の全てを賭けたにもかかわらず、誰一人として成功をしなかった。あまりにも失敗が多いと他者に責任を押し付けるのは人の常だが、その責任回避という行為が管理者の存在を感知する要因となったのは皮肉である。
恐らくシンイチはウーヌスに帰還方法を探るうちに、管理者の存在に気付いたのだろう。
そして管理者こそが本件の依頼人だった。
「上の方の意思が動いている以上、これ以上貴方に聞いても無駄ですね」
「そういうことだ。俺に保証できることは君が帰れることだけだ」
「一つだけ質問を。いえ、確認していいでしょうか?」
「構わんよ。俺で答えられる範囲ならばと但し書きがつくがな」
「僕の姿はこのままなのでしょうか? 帰還したら浦島太郎になっていた、なんてのは御免ですよ?」
「もっともな懸念だ。君はドゥオに行く前の時間、つまり二十年前に戻る。正確にはドゥオに移動してから半年後になるので若干の未来になるな」
「二十年という歳月に比べれば誤差の範囲ですよ」
「そう言ってもらえると助かる。ウーヌスに存在している君の肉体の方は、とある医療機関で管理されているよ」
引き出しから黒いファイルを取り出すとシンイチに手渡す。
書かれているのはNAS(アメリカ国家安全保障局)顔負けのプライバシーなど無視した詳細な個人情報の数々だ。プライバシー侵害で訴えられかねない所業だが、ドゥオから帰還直後の人物は判断能力が著しく欠如しているので問題視されていない。
入手してきたのは依頼人である管理者。
探索するべき相手の情報を事前に知る必要を依頼人に諭した結果がこれだ。物分かりがよすぎる依頼人にも困ったものである。
シンイチは入院中のカルテを抜き出すと暫く黙りこんでいた。
一方的に伝えられた情報とカルテを付き合わせて情報の妥当性を推測しているのだろう。予め細かな理屈には答えられないと断っていたので特に質問はなかった。或いは教授にまで上り詰めた人物でも、目まぐるしい運命の変化に頭が付いて行かなかっただけかもしれない。
どちらにしても特に質問も無かったのは幸いだった。
三十分が経過する。
シンイチはエレンに関する情報として、ウーヌス出身者ばかりにパトロン(後援者)となるジュリエッタという女性徒について語ってくれた。正確にはジュリエッタは代理人であり、パトロンとなっているのはジュリエッタの父親。
込み入った事情があるのかもしれない。
「パトロンはどういうものだ。資産家連中が芸術家を庇護する行為とは少し違うように思えるが」
「御指摘の通りです。語弊を恐れず例えるなら奨学金制度の変わり種というべきでしょうか。貴方のいうところの第二世界ドゥオにおいても魔術の使い手は貴重な人材ですが、教育には相当な費用を必要とします。一年分の授業料だけでも一般的な家庭の五年分の年収に匹敵するほどです。成績上位者は授業料を免除されていますし、各都市が行っている助成制度を利用すれば授業料の三十パーセントまで軽減されますが、額が額ですので……」
「それだけの額となれば魔術を学ぶ連中は貴族やら資産家出身の道楽息子共となるだろうな。もっともそいつらが助成制度を必要とするとも思えない。奨学金を受給する奴などいるのか?」
「ところがそうでもないのです。エレンの街灯に感化されて都市生活レベル向上には魔法士が不可欠という認識が広がりつつあります。おかげでより多くの人々を魔術への門戸を広げようようという機運が高まっているのですよ」
「多少の補助を貰ったところで、そいつらが高額な学費を払えるはずもあるまいに」
「そのためのパトロン制度です」
エレンの街灯とやらはプロパガンダ効果も狙っていたのか。
まったく大したものだよ。
「パトロンとなった人物は対象となった生徒へ経済的支援をおこないます。制度を利用した生徒は、代償として卒業後にパトロンとなった組織や個人への絶対的な忠誠を契約します」
「将来を質草として授業料の無償提供を受ける制度か。制度の意義は認めるが全面的な賛同はしかねる制度だな。まるで形を変えた奴隷制度ではないのか?」
「御指摘を僕は理解できますが、第二世界ドゥオは中世的価値観が支配する世界なのですよ」
「分かっている、ただの皮肉だ。パトロンとなった人物や組織への忠誠を強要――失礼、契約するシステムだったな」
「好意的に解釈すれば学生の青田買いと言えなくもない制度ですよ」
「ウーヌスの奨学金制度も無償でないからな。人生のスタートの段階から多額の借金を背負い込むのと比較して、そこまで阿漕な制度とまではいえないか」
「成績上位者は授業料を免除されるので、パトロン制度を利用する生徒は一枚落ちるというのが一般的な認識です。それでもパトロンになる方が絶えないのですけどね」
「多くの都市や組織が魔法士の価値を認めている証拠だな」
「教育道楽者も一部に存在しますから。ジュリエッタ君の父親はその典型的な例と一般的には認識されていますよ」
「ウーヌス出身者ばかりパトロンとなる人物か。道楽者呼ばわりされるということは来訪者の成績は悪いのか?」
「良くて下の上といったところです。しかも卒業まで辿りつけるか怪しいレベルですから、教育道楽者との評価は妥当でしょうね」
「中退者を集めることに意義があるのか?」
「無くも無いですよ。エレン魔法学園に在籍する生徒の半数は途中卒業という形で学園を去っています。来訪者の成績は良くて下の上と言いましたが絶対評価のによる判定結果ですので、かれらが特別不出来というわけではありません。それに来訪者には数学的知識がありますから会計とかに向いていますよ」
会計に魔術云々関係ないと思うがあえて口に出さないでおこう。ソロバン世代ならいざ知らずスマホやPCにと頼りきった連中が役に立つとは思えんが、重箱の隅を突いて同郷の人間を貶めるのは気が引けた。
「馬鹿な子供ほど可愛いと認識するタイプかもしれないぞ」
「それはそれで尊敬に値する人物ではありますね」
「少なくとも来訪者に好意的な人物のようだな」
「過度の期待は禁物ですよ。ドゥオにおける来訪者に対する評価は決して高くありません。『毒にも薬にもならない連中』とはジュリエッタ君の言葉です。もっともそのジュリエッタ君は僕には好意的でした。能力ある人物については色眼鏡なしに接する姿勢をジュリエッタ君に植え付けたのは、案外彼女の父親かもしれませんよ」
親子そろってメリケン的価値観の持ち主か。
実に興味深い。
「学園は魔術を社会インフラなどで積極的に利用する一派によって運営されています。彼等は魔法士と呼ばれます。一方、魔術の探求を重視する一派は魔術師と呼ばれます。前者は近年台頭してきた一派であり、後者は従来から存在する一派。誤解してほしくないのですが、両者に思想的対立はないですよ」
魔法士と魔術師。
魔術の使い手が異なる呼び名が存在するのは妙だが、魔術のあり方に対する認識の差といわれれば納得するしかない。
ちなみにウーヌスに存在する魔術の使い手は魔術士と呼称している。呼び名が一つしかないのは魔術士の人口が少ないため認識の差が生まれなかったからだ。ウーヌスにおいて魔術は科学との競争に敗れた日蔭者であり、各々の一族でニッチな技術を受け継ぐ者だけが魔術士を名乗っている。
シンイチは学園についてそれ以上多く語ろうとせず、「僕の知り得る情報はこれくらいですよ」と断り、半ば強引に話題を打ち切った。追求すれば色々話すかもしれないが、話したくない人間に無理に語らせても有益な情報は得られないだろう。
「十分だ。正直なところ、どこにどれだけ来訪者がいるか分からなくて苦労している。役所で住民票を調べたり、足を使って聞き込みをするのとは違うのでな。夜逃げした主人や女房を探してくれという依頼の方が百倍簡単だ」
「ご苦労お察ししますよ」
「話しは変わるが、俺は依頼人から帰還する人物の希望を可能な範囲で一つ叶えてやるようにと言われている。極端な例を上げれば『気に食わなかった奴を殺してくれ』というのもありだ」
シンイチは穏やかな表情で提案を否定する。その代わりに彼が口にしたのは気にかけていた生徒への個人的な指導だった。
「生徒と教師の淡い恋話か。まさか惚気話を聞かされるとは予想もしなかった」
「その生徒は男性ですよ」
「独身だったのではなく記録上は独身ということか」
「僕はそのような趣味はないですし、独身だったのはたまたまですよ」
軽くからかうが穏やかに否定された。
ルックスも悪くない上に生徒思い。おまけに教授という社会的地位も得ている。これほどの好条件があれば彼が来訪者だとしても問題視しない女性もいたと思うのだが……
恐らく世渡りが上手い人物ではないのだろう。
まあ、いい。
今回のケースでは結果としてよかったのだから良しとしよう。妻帯者や子供持ちは救出の対象外としている。依頼人には人道上の見地からと説明しているが、本当は羅刹女国のような悲劇を防止するのが理由だ。女性の執念深さは男性の計算を超えることがある。用心をしておくに如くはないだろう。
「僕は彼の戦い方に疑問があるのですが、騎士である彼は僕の忠告を聞き入れてくれないのですよ。魔法士の僕が騎士に戦い方に疑問を呈しても説得力がないのは当然なのですけどね」
「素人視点も案外馬鹿にならないと思うが」
「では聞きますが。貴方は慣れ親しんだ自分の型を崩して戦うことを良しとしますか?」
「場合によるだろうな。新しい流派に師事するならば、いままでの型にこだわるのは正しい行動言えないだろう。ジークンドーのように型に囚われないことを標榜する格闘技も存在するしな」
「よく知っていますね」
「このくらい格闘漫画を読んでいれば誰でも言える」
「実感がこもっているという意味ですよ」
個人的な指導を頼まれた人物の名は、アマデオ・カティリナー。
学生でありながら現役の騎士。現役の騎士が魔術学校――正確にはエレン魔法士学校――に転入させられて悩んでいるか。畑違いに放り込まれたことで剣筋が雑になるとは、騎士といってもまだ若いな。
「本当にそんな内容でいいのか?」
分からない話でもないが無欲だと思う。
「僕が第二世界ドゥオに存在していたという足跡を残したいのですよ。不思議です。あれほど帰りたいと願っていたのに、いざ帰れるとなると何かを残したいと思うなんて」
「察するに君は良い教師だったのだろう。君にはその資格があるだろうし、多分に足跡を残しているとは思う」
「……だといいのですが」
「なにより好感を持てる話じゃないか」
「僕はそんな出来た人間じゃありませんよ」
「君の価値を判断するのは君だけじゃない」
「似たようなことをジュリエッタ君とアマデオ君にも言われましたね」
シンイチは自傷気味に笑みを浮かべる。
「アマデオの件はやれるだけはやってみるが、俺は探偵であって教師ではない。些か荒っぽい方法になるが構わないだろうな」
「多少のことは目を瞑ります。もっとも、目を瞑るなにも結果はおろか過程すら確認できませんけどね。まあ、大丈夫でしょう。貴方なら出来るはずです」
「思い切りがいいというか、今日会ったばかりの人間をよく信じる気になったな」
「僕はこれでも人を見る目がある方なので――冗談ですよ、冗談。貴方は二十年間ドゥオに囚われていた僕を助け出してくれた恩人です。人を信じるのにこれ以上の理由が必要でしょうか?」
伊達に教師を名乗っていないか、人をやる気にさせるツボを心得ている。
「後のことはお頼みしますね」
シンイチは学園への辞表を書き上げると俺に手渡す。
彼は扉の方に歩いて行く。下の階に繋がる扉を開けると光に包まれ、二、三秒程度で光と共に彼の姿は消えてなくなった。
俺はソファーから立ち上がると開けられたままになった扉を閉め、再びソファーに座る。
シンイチの情報を有効活用するには、彼と彼女の協力が必要になるだろう。
一方は乗り気であったが、一方は大反対。
どう説き伏せたものか。
胸ポケットに収められたマルボロの箱から煙草を一本取り出し口に咥え、机に置いている真鍮製オイルライターを手に取る。ガス灯を摸した洒落た形状は俺の趣味ではないが、贈り物に文句をつけるわけにはいかないだろう。
シュッ。
ガス灯の上部カバーを開けると、スリ状の回転ドラムがフリント呼ばれる火打石を擦りつける。擦られたことで飛び散る火花がウィックから発揮されたオイルに接触し点火した。
吸いすぎのような気もするが、ささやかな報酬としてこの程度の贅沢は許されてしかるべきだろう。
なにはともあれ一仕事を終えたのだから。