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第二章 ハンデ戦(4)

 スルガヤ。

 それは学園都市エレンに支店を構える商会の名称であり、また創業者の名前である。

 商館の造りは土蔵造りの一種である見世蔵で土壁の上を黒漆喰で固めていた。赤レンガ中心のエレンにはおいて極めて異質だった。南イタリアの都市の中に江戸情緒溢れる建築物が存在しているといえば、その異質さは容易に理解できるだろう。都市景観を無視した建築物は本来認められるはずがないのだが、認めさせていることからも商家の主が只ものでないことを無言の内に示している。

 スルガヤの名は、エレンはおろかアマデオが仕官するガデス王国にすら轟いていた。

 二級市民と認識されることが多い来訪者だが、意外にも商業の世界で成功する者は少なからず存在する。

 商業で成功しているといっても、富の源泉はある塩田や塩鉱あるいは金や銀の鉱山の権益ではない。来訪者はそのような特権とは無縁な存在であり、仮に専門知識を駆使して金鉱を発見したとしても、権力者は来訪者の権利など認めないだろう。

 来訪者の富の源泉は金融にあった。。

 何故、金融を生業にする来訪者が多いのか?

 それはドゥオにおいて利息を取ることが悪徳と認識されていることが大きい。ウーヌスにおても利息を得ることを悪徳と見なした時代があるが、それはドゥオにおても同様なのだ。理由は分からないが利息というもに嫌悪感を抱くのは世界の垣根を越えた価値観らしい。そこに宗教的要素も加わるのも同じだった。この状況を利用したのがウーヌスにおいてはユダヤ人でありドゥオにおいては来訪者である。キリスト教において利息を得ることを禁止されていた。一方、ユダヤ教も利息を禁止していたが、異教徒から利息を取ることまでは禁止していなかった。この差がユダヤ教徒に金融面での有利性を与えたのだ。

 そして来訪者についても同じことが言えた。

 来訪者は教会により「存在すれど認知せず」と定義されている。この定義により、法は来訪者を護らないが法によって縛られない存在と解釈されていた。これにより教会が禁止する利息を得ることできたのだ。文明圏からの放逐と認識するか束縛からの解放と認識するかは人それぞれ。自分達の優位性を理解できた金融知識を持つ来訪者は、悪評と引き換えに商業の世界で成功していた。。

 しかしスルガヤの選択は少し違っていた。

 始まりこそ金融業の一本足打法だったが、金融業で得た資金を元手に商取引の世界に手を広げていった。商取引をする権利などないはずだが、それを可能にしたのは金の力だけではない。スルガヤの成功の要因は一つではないのが、極論をいえばレックスメルカトリアと呼ばれる商業的特権の取得に帰結する。

 レックスメルカトリア。

 全ての雑役と税の免除。商業と居住の自由。司法上の保護。

 商人ならば誰しも望む破格の特権である。破格だけに取得している者は少ないのだが、スルガヤはこの特権を複数の国から取得していた。

 最初にレックスメルカトリアを取得した国がアマデオの母国であるガデス王国である。

 スルガヤは斜陽の兆しがみえていたガデス王国の百年債を引き受けることで、王国と特別な関係を築いたのだ。王国はその資金を元に再建を果たし、スルガヤは代わりにレックスメルカトリアを得た。来訪者が特権を得ることに水面下で反発もあったが、宰相コンドウからして来訪者だったこともあり、それを理由に反論できない空気をコンドウは創りだしたのだ。コンドウとスルガヤ両者は硬軟使い分けた政治力で困難をなしとげ、両者に成功の礎を築いていった。

 これ以上の説明は蛇足だろう。

 いずれにしても特権と無縁なはずの来訪者が状況を打破した稀有の例である。

 その創業者が俺の目の前に座っていた。


「商いは順調で結構だな、御老体」

「いやいや。君が仕入れてくれる物資と比肩すれば大した利益ではない」

「謙遜は美徳だが御老体の場合は果たして」

 パチンと指を鳴らすと、後ろに控えていたマイヤーがティーカップとティーポットを用意する。この屋敷の主人はスルガヤだがそのようなことを気に留めない。スルガヤと呼ばれた老人もそのような些事には興味がないらしく、咎めもず鷹揚に構えている。

「いつ来ても簡素な部屋だな」

 二十畳はある部屋には家具の類は一切置かれていなかった。

 視界に入るのは床の間に掛けられた水墨画に似た絵画。

 日本人ならば侘び寂びと理解するかもしれないが、独特すぎる価値観をドゥオの住民が共有するとは思えない。

「簡素に生きる。これこそが物事の真理なのだが、どうにもドゥオの方には受けが悪いですな」

 人の心理を覗きこむように老人は答える。

 仙人のような受け答えだがこの老人は仙道とはほど遠い存在だ。もっとも同じだけ長生きしても俺はそのどちらにもなれないだろう。

「いやいや、そなたならいいところまでいけると思うが」

「人の心を読むのもいいかげんにしてくれ」

 スルガヤが否とも応とも答えず右手に持っていた煙草を口に咥える。

 そう、咥えるだけで火を点けようとしない。

 マイヤーが動こうとするが、スルガヤは余計なことをするなと目で伝える。

 俺にやれというのだろう。

 致し方あるまい、老人は労わるものなのだ。仙人か妖怪覚かなにかの領域に片足突っ込んでいるような存在だとしても老人である事実に変わりはない。致し方なくポケットを探る。間の悪いことにいつもは所長室においている真鍮製ライターが入っていた。ガス灯を摸したような洒落た形状のそれは、誕生日に管理者であるアリアから贈られた品だった。スルガヤは送り主を知らないが想像はするだろう。

 いや、考えすぎか。

 腰を落として火をつけろと要求するスルガヤに合わせて俺は背中を屈める。

 シュッ。

 ガス灯の上部カバーを開けるとスリ状の回転ドラムがフリント呼ばれる火打石を擦りつける。擦られたことで飛び散る火花がウィックから発揮されたオイルに接触し点火した。オイルライターの炎はスルガヤの咥える煙草を着火させる。儀式めいた所作はゴッドファーザーに忠誠を誓う儀式のようだ。

 俺自らが火を点けたことで格付けが済んだと満足したのだろう。

 スルガヤは美味そうに一服する。

「君が持ちこむ煙草はいつ吸っても美味いものですな」

「気にいってもらったなによりだ」

「ケーキやら茶なども嗜好品には違いないが、嗜好品といえばやっぱりこれよ」

 一カートンの束を老人は宝物のように扱う。卸した商品とは別に贈った品が余程程嬉しかったのだろう。おかげで真鍮製ライターの贈り主について詮索されずに済んだのかもしれない。

 たかが煙草と思うなかれ。

 ドゥオに存在する品物は煙草ではない何かなのだ。そのような品物に口にするスルガヤにすれば一カーンの煙草は金以上の価値があった。

「それにしてもこの屋敷は簡素過ぎないか。金持ちが質素な暮らしをして金を落とさないのは嫉妬や妬みを受けるだろうに」

「内と外は別物ですな」

「紀伊國屋文左衛門みたいな価値観だな」

「いえいえ、それほど大したものではないですな。そういえば先日も娼都ファマグスタで運命の出会いがありましてな」

「少しは歳を考えろ、御老体。五人の奥さんと十二人の子供が泣いているぞ」

「その情報は古いですな。運命の出会いにより妻が六人で息子が一三人のになりましたぞ」

「……それはめでたい話だな」

 御歳九十を超える顔面しわくちゃの生物は一見するとただの好々爺にみえる。が、商売においては冷酷な商人であり、同時にどうしようもないくらい女好きだった。十二人の子供と五人の嫁――いや本人により六人の妻と十三人の子供と訂正されたか――老いてなお盛んな黄忠みたいな人物だ。

 来訪者である御老体も本来ウーヌスに帰還させなければいけないのだが、ドゥオで妻を娶ったため滞在を認められていた。

 俺にとっては嗜好品の卸先でありドゥオにおける貴重な協力者。他者との交渉においては仲介からその販路を活用しての情報提供までも申し出た人物。

 はっきりいって頭が上がらない御仁だ。

 人の心理を読むとるのが巧みなのもあるが、なんと言ったらいいのだろう。

 とにかく苦手な御仁だ。

 頭が上がらない祖父のような存在だといえば理解してもらえるだろう。

「商社マンとして三十年も世界中を飛び回ってきたワシに言わせれば、異世界など外国に毛が生えたようなもの。少しばかりルールが異なるに過ぎませんな」

「スルガヤ当主となれば言うことが違うな。御老体のような人物を育てた商社の株を買いたいところだが、生憎その商社は既に存在しない」

「バブル期に無茶をし過ぎましたからな。上層部には口酸っぱく警告しましたがやはり無視しましたな」

「ウーヌスの話題などどうでもいい。御老体はパソコンやインターネットもないドゥオでよく成功できたものだな」

「ドゥオの方々は商売の仕方がなってないだけですよ」

「そんな簡単な事ではないだろう」

「そもそも来訪者はドゥオの方々と対して優位な存在なのですよ。君にはそれがなにか分かりますかな」

「教育水準か」

「当たらずとも遠からずですが、ドゥオの滞在期間が長い君の回答としては落第ですな」

「手厳しいな」

「来訪者は数学的知識で圧倒的に優位に立つのですよ。高等数学を理解せずして、正確な簿記も仕入れの計算や経済予測予測も不可能ですな。ドゥオの人間が仮に優秀だとしてもポテンシャルがそもそも違うのですよ。経済や建築の世界ではその差が顕著。経済指数はおろか複式簿記の知識を持たない連中とワシらが喧嘩して後れを取る筈がありませんな」

「複式簿記の成立は十二世紀とも一説にはあるが、確実なところは十五世紀の末期だったな。どちらだとしても十一世紀の文化レベルであるドゥオの連中が敵うはずもないか」

「Exactly」

「ところで御老体の店子でも数学に優れた来訪者を何人も囲っていたな」

「それがなにか?」

「――小耳に挟んだのだが。彼等はいずれも美人な女性を妻としているとか」

「そういえば女人の紹介を頼まれたことがあったような」

「同郷の士から頼みは無下にはできないか」

「男女の仲の縺れは恨みの元ですからな。いずれにしても彼等もワシと同じように妻を娶る身。これではウーヌスには帰還できませんな」

 変化球的な問いにもスルガヤは悪びれない。約束組手のような返答は感心してしまうほどだ。

 商売敵はさぞかしやりにくいだろう。

「ほどほどにしろよ。すぎると俺も庇いきれない」

「肝に銘じておきましょう」

 ふぉっふぉっふぉっと笑いながらスルガヤはとぼける。

 スルガヤとの関係は長い。その始まりはこちらから接触したのではなく、スルガヤからの接近だった。なにが目的かと訝ったものだが、いまにして思えば手駒を増やしたかったのかもしれない。

 商人だけありスルガヤの情報は信頼性が高い。

 来訪者の消息に限らず、どこその領主や代官の名や穀物相場の動向まで口にする。実にありがたい存在だ。もっともスルガヤが口にする来訪者の情報は、経済的困窮者や奴隷に身を落とした者がほとんど。誰かが手を差し伸べなければならない連中だった。

 ドゥオにセーフティーネットは存在しない。

 教会やギルドが貧民救済を行っているが、「法は彼等を護らないが法は彼等を縛らない」と定義されている来訪者は対象とされなかった。

 落ちぶれた来訪者の末路は悲惨の一言に尽きる。

 スルガヤにとって彼等の情報を提供することはある種の貧民救済かもしない。故に自分にとって有益な人物の情報は決して口にしなかった。それは出会ったときから一貫した姿勢だ。現にシンイチに関する情報をスルガヤは一言も口にしなかった。間違いなく知っていた筈なのだ。

 しかしそれを咎めて協力関係を打ち切るには惜しい存在だった。

 すこし間を取ったほうがいいだろう。

 俺は温くなった紅茶を口に運ぶ。

「スルガヤ様の手腕は見事でございます。征志朗様のようにアリア様をペテンにかけるかのようにして得た物資で商売をなさろうと考える方とは……」

「マイヤー」

「これは失言、詮無きことを申しました」

 老人二人に窘められるとは。

 今日は日が悪いようだ

「真壁君もお人が悪いですな。あの可愛らしいアリアお嬢さんをペテンにかけるなど」

「資金がない、稼ぐ時間もない、増員も無い。ないないずくしでやれと言われた俺の身にもなってくれ」

「先ほど使用した真鍮製のライターは彼女からの贈り物ですな」

「アリア様から征志朗様の誕生日に贈られた品でございます」

「――マイヤー」

「隠すことではないでしょうに」

「その通りですな。これほどの好意を寄せられているにもにもかかわず、君は彼女部屋に捨て置いて夜の街に出歩いている。まったく不届き千番ですな」

「誤解もいいかげんにしてくれ」

「ですが、その証拠に目が充血しておる」

「これはドゥオの調査で睡眠不足にもかかわらずアリアに連れ回された結果だ。ドゥオとウーヌスの時差くらい知っているだろう」

「帰還していないので知りませんな。ワシには二人で徹夜明けの朝日を見ていたとしか思えませんわ。さて彼女との初夜はいかがでしたかな?」

「御老体は人の話を聞く気が無いだろう! 勝手な誤解と脚色で事実をねじ曲げ、既成事実のように話すのはやめろ!!」

「いけませんでしたか、ワシははてっきり……」

 俺がこの老人を苦手にしている理由を理解してくれただろう。 

 好々爺の振りをしながら人の話を聞かずに事実をねじ曲げて理解する。これがスルガヤの話術だ。一片の事実を含んでいるため、虚偽とまでは断言できないので極めて始末に困る。

 正直、かなり苦手なクソ爺だ。 

「冗談はこの位にしまして物資の件はあれですな、可愛い女性に意地悪をしたくなるような感情でペテンにかけたと」

「俺とアリアはそんな関係ではない。あくまで叔父と姪。大体、アリアとは一二も歳が違う。同じ干支の少女と付き合うなど物語としては面白いが、それは物語だからこそ成立する関係だ」

「光源氏と紫の上との関係と思えばそれほど問題ではないでしょうな」

「あれは平安時代を舞台にした物語だ」

「前田利家の元に芳春院が嫁いだのは数え歳で十二歳とか。しかも翌年には第一子を出産しておりますな」

「スルガヤ。お前は俺を犯罪者にしたいのか?」

「なにを問題にしておるのかワシには分かりませんね。結婚さえすれば法的には問題ありますまい」

 スルガヤは俺を見上げるような視線でみつめると、諌めるような口調で話し始める。

「姪の件は戸籍等を解決する上で必要だったと理解しましょう。ですが、なぜ同棲――いや同居を未だに続けているのでしょうな」

「未成年の少女が入居するのに適当な物件がなかっただけだ」

「未婚の男性と同居する理由としては弱いですな。彼女を子供と扱うべきではありませんな」

「何が言いたい」

「彼女の覚悟を軽く考えるのは失礼だと忠告しているのですよ」

 それ以上問うなという俺の視線を察したのか、スルガヤはマイヤーの淹れた紅茶を手に取る。

 のらりくらりと話題を反らされたが、そろそろ本題に入らなければいけない。

「忠告はありがたく拝聴する。だが、俺はそんなことのためにここに来たのではない」

「アレシアのギルドマスターの件ですな」

「先日はアンタが不在だったので教えてやれなかったが、探りついでに餌を巻いてみた」

「ほう、どうなりましたか?」

「海老で鯛を釣リ上げようとしたら鮪が釣れそうだよ」

「名代として活動されているアレシアのお嬢さんは麻人君と同い年でしたか」

「麻人をかなり気にいったのだろうな。親の敵のような目で睨みつけられたよ」

「恋は盲目といいますが、若いとはいいものですな」

「麻人の情報によるとギルドはハンデ権を行使するらしい。もっともハンデ権がなにかまでは分からないがな」

「それを魔術に疎いワシに聞きにきた、と」

「噂ぐらいは知っているだろう」

「知らなくもないですが精確性に欠く情報は開示しなくないですが―――まあ、いいでしょう。ワシから言えるのは、先方がその話を持ち出したら絶対に受けなければいけないと点ですな」

「拒絶することで先方の反応を確認するのも手だと思うが」

「止した方がいいでしょうな。そのようなことが起きれば前代未聞の事態。先方の面子を潰すことになり禍根を残すでしょうから」

「奴らの都合など知った事ではないが―――御老体がそこまで言われるほどのことなのか?」

「そこまで言うものですよ。いずれにしてもハンデ権が行使されるとしたら、随分久しぶりでしょうな」

「流石は生き字引」

「あれは凄まじい見せ物でしたよ」

 大袈裟に溜息をついて言葉を濁す。

 スルガヤはそれ以上言葉を発しなくなった。よほど凄まじい見せ物だったのか、アレシアのギルドマスターに不利となる情報は口にしたくないか。あるいは両方が理由なのか。

 スルガヤにはスルガヤの立場はあるだろうが、ハンデ戦は明日のも始まるかもしれないのに手ぶらで帰る話絵にはいかない。

 沈黙がこの場を支配する。

 視線と視線のつば競り合いは日が暮れるまで続いた。

「征志朗様、そろそろお時間かと思いますが」

「もうそんな時間か、マイヤー。暖簾を潜ったのは昼前だったはずだが時間が経つのは早いものだな」

「左様でございますな」

「おやおや、もう時間か。そなたと話していると時が経つのを忘れてしまうわ」

 スルガヤは足を崩して身体を楽にする。

 廊下に目をやると行燈に火が灯されていた。灯されているのは菜種油ではなく蜜燭。菜種油に比べてかなり値が張る代物である。商売が順調であることがこの点からもうかがえた。

「長居をしてしまったようだな」

「いやいや気にすることはないぞ」

「そうか?」

「ワシとそなたの仲ではないか」

 長時間のつば競り合いが終了した安堵からなのだろう、スルガヤは鷹揚な言葉をかけてくる。

「なるほど。では、御言葉に甘えて遠慮なく長居をさせてもらう。マイヤー、今日の夕食の用意は無しで構わない」

「アリア様にはどのように申し上げればよろしいでしょうか」

「御老体の物分かりが悪いからキャンセルになったと伝えてくれ」

「アリア様今日の会食を楽しみにされていましたが、それでもよろしいのでしょうか」

「致し方あるまい。機嫌を損ねたアリアがなにをしだすか俺にも予測できないが、まさか腹いせにスルガヤをウーヌスへの強制送還するとまで言い出さないだろうさ」

「征志朗様の見解には同意しかねますが……」

「ちょっと待て。そなたはなにを言っているのだ?!」

 思わぬ展開にスルガヤが慌てだす。

 格下相手の話し合いと構えていた余裕は既にない。

「なにを慌てている。アリアを子供として扱うなと忠告したのは、お前ではないかスルガヤ。子供でないなら管理者としての本分とプライベートの区別くらいできているさ」

「うぐっ」

「もっとも今回のケースは公私の区別がつきにくいケースなのも事実。管理者としての義務を果たしたら、結果としてプライベート上のトラブルも解決すると考えるかもしれない」

「ワシの協力がなければこれから先の情報収集をどのようにする気なのだ?!」

「困る」

「困るならなんとかしろ!」

「判断するのは俺でなくアリアなのだ。そして人の行動が必ずしも理性的とは限らない」

「君はワシを脅迫するつもりなのか!!!」

「可能性の話しだよ」

 スルガヤは滝のように冷や汗が流れ出しているが、その瞳にはまだ力があった。おそらく会食をふいにされたくらいで無茶をする筈がないと計算しているのだろう。

「ところで御老体の家には未婚の目麗しい女性が何人もいたな。大方彼女達を用いて他の来訪者を籠絡してきたのだろう。それを咎めるつもりはないが、今夜逗留する俺にも同様な行為に及ぶかもしれないとアリアが思ったらどうする?」

「ワシはせんぞ! 断じてそのような真似はせんぞ!!」

「彼女がその言葉を信ずるといいな」

「マイヤー。アリアはどのような反応をすると思う?」

「激怒されるかと」

 スルガヤの抗弁をマイヤーは的確に論破する。

「……その前提は些か見当違いではないか。そなたがどこにいたかを彼女が耳に入れさえしなければいいのだ」

「不可能だ。そうだろう、マイヤー」

「左様でございますな」

「なぜだ?」

 当然の疑問。

「マイヤー。お前はアリアから俺が今夜どこにいて、そこがどのような場所かと尋ねられたらどのように返答するつもりなのだ」

「包み隠さずありのままにお答えします」

「それが主人である俺に不利な証言だとしてもか?」

「Exactly」

 執事が主人に不利な証言をするとは想像もしなかったのだろう。冷静を装っていたスルガヤの表情が音を立てて崩壊していく。

「――君はそれでいいのか?!」

「困る」

「下手したら殺されるぞ!!」

「かもしれん。まあ、そのときはそのときだ。二人仲良く屍となろう」

「頼むから痴話喧嘩にワシを巻き込まないでくれ!!」

 スルガヤに残されていた余裕が砕け散る。

 身体をブルブルふるわせると、「なにを知りたいのだ」「知っていることはなんでも話す。だから頼むから帰ってくれ」と懇願してきた。レックスメルカトリの特権を享受する豪商の姿はそこになかった。

 老人に泣きつかれるのは少し良心が痛む。

 少しだけなのは散々若造扱いされたからであり、少しは痛む良心が残っていると受け取って欲しい。

 魔術に疎いスルガヤが口にした情報は断片的だった。それでも過去になにが起き、これからなにが起きようとしているのかを察するには充分だった。


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