第二章 ハンデ戦(3)
「――というわけで、ハンデ権とかいう一手が切り札みたいですよ」
「なんだそれは? 競走馬みたいに負担重量でも課されるのか」
ギルドが切り札にしようとしているハンデ権がどのような代物かは知らないが、大方ろくでもないことに決まっている。
「そこまでは知らないですよ。だいたい僕は未成年なので競馬のルールなんか知らないですよ」
「そういうことになっているな」
「真壁さんも利益を得たんだから突っ込まないで下さいよ」
無線機越しに話す相手は葛宮麻人。
パトロンの対象者である麻人は三国志の祭兄弟宜しく、埋伏の毒としてジュリエッタ側に潜入していた。
「信頼を得るためになにを話した?」
「ハンデ権がどんなものかを知りえない程度の信頼しか得ていませんよ」
「知っていて俺に話さないだけかもしれないがな」
そういえば埋伏の毒として送り込まれた祭兄弟は周瑜によって利用されたあげく殺さたとか。埋伏の毒の故事を聞いたら絶対引き受けないだろうから007のようなスパイ活動を期待しているいって送り出している。
麻人が踊りきってバレなければよいのだ。
もっともジュリエッタから気に入られているようだから流石に殺されはしないだろうが。
「……ところで前から疑問に思っていたけどなんで無線機が使用可能なんです?」
形勢を不利と判断したのか麻人が話題を変える。
あからさまな行為だが、麻人には自分がどのような代物を使用しているのか知る権利があった。致し方あるまい。これ以上の詮索はしないでおこう。
「良い質問だ。真壁探偵事務所はドゥオとウーヌスの狭間に位置しているのは知っているな?」
「はい。真壁さんの事務所はトンネルのようなものですよね」
「トンネルの入り口と出口はそれぞれの側に繋がっている。仮にドゥオの接している側から石を投げてやれば通行人や建物に当たるだろうな。同じ理屈でドゥオの接している側にアンテナを設置すれば無線通信も可能だ」
「だったら携帯やスマホでいいですよね」
「中継用の電波塔が存在していればな。携帯やスマホは便利かもしれないが運用にはインフラの整備が欠かせないのさ。第一、送信される電波強度は弱く、通信が成立しない環境は意外に多い。それに比べ無線機は電波強度が強く、二台準備すれば送受信が可能だ。無線機は比較的安価で素早く信頼性の高い通信網を整えられる代物なのさ。嘘だと思うならビルの工事現場や巨大プラントに行ってみれば良い。無線機が活躍している姿を確認出来る筈だ」
「本当ですか? 僕には中継用の電波塔の整備を怠る口実にしか聞こえないのですけど」
「電波塔の建設をアリアが認めると思うか?」
「……思いません」
「幸い探偵事務所の入居するビルの最上階には中継用アンテナが設置されている。無線機より送信された電波は中継用アンテナを介することで学園都市エレン全域のカバーが可能だ」
「量販店で売っている無線機だと500メートルから1キロくらいだと思うんですけど」
「出力の小さい特定小電力トランシーバーか携帯型のアマチュア無線機のことだな。比較的安価で入手しやすいが壊れやすい代物だ。お前が持っているのは業務用無線機で出力も大きく価格も10倍以上する高価な代物だ。おまけに防爆・防塵・耐水・耐衝撃性も強化されている」
「そんな機能必要なんですか?」
「風の魔術で粉塵が巻き上がったとき、無線機が爆発してもいいなら構わないが」
「すみません、僕が悪かったです。配慮ありがとうございます真壁さん」
「話しが逸れたな。通常であれば都市全域を無線機一つでカバーするなど不可能だ。だがドゥオにおいては妨害波となる電波が一切送信されておらず、障害物となりえる建造物はどれも大した高さではない。好条件が整うからエレン全域をカバーできるのだよ」
「アリアさんが黙認しているのは理解したけど、もしかして法律を無視していませんよね」
「言いがかりは止してくれ。我が探偵事務所はウーヌスにおいて正式にアマチュア無線技能士の資格を取得した上でアンテナを設置している。電波法も完全に順守しているから違法な行為は一切行っていない。そして受信側のドゥオには電波法など存在しないから、とやかく言われる筋合いなどないさ」
「単にグレーなだけですよ」
「法は犯していないからアリアも口を挟めない。十世紀程度の文化レベルで電波法の意義と必要性を理解する奴がいたとすれば、そいつレオナルド・ダ・ヴィンチやアルキメデス級の天才だろうがな」
「詐欺師の言い分ですよね。僕、少しだけアリアさんに同情しますよ」
「どうとでも言うがいい」
会話が途切れた。
この間を利用して状況を整理としよう。
麻人によればブルータスと名乗るギルド関係者がジュリエッタの参謀についたらしい。ジュリエッタ個人は比較的マシな人物らしいが、そいつがスポーツマンシップに則りハンデ権の詳細をこちらに説明するとは思えない。
虚偽は違反行為だが真実を語らないのは違反とまでは言えないのだ。
来訪者なら知る権利を主張するかもしれないが、ドゥオにおいて知るとは万人の権利ではなく一部の人間の特権。そして来訪者の権利など問題とすらされない。「よい来訪者とは死んだ来訪者」として処断されないのは、シンイチやスルガヤのような先人達の不断の努力の結果なのだ。
いずれにしてもハンデ権とかいうやつの概要を知らなければなるまい。ただ、これ以上麻人に危険を冒させるわけにはいかないだろう。あいつは危険な橋を充分に渡ったのだ。
ハンデ権という一手を聞き出す代償に麻人はなにか差し出した。そのなにかはギルドから一定の信頼を得られるだけの代物だったのだろう。大方、ろくでもないことだ。諜報員ならば有益な情報を聞き出すとき有益に思えるカス情報を差し出す。裏の裏、裏の裏の裏を読み合う。諜報の世界ならばそうだ。
だが、麻人は違う。
諜報員云々を問題としているのではない。
麻人の本質は生まれながらの騒動屋。
悪意などこれっぽちっちもないという表情で悪戯を働く猫。
それが葛宮麻人の本質だ。
そんなやつが剣闘士顔負けの見せ物を前にして、いずれかが有利になるような情報を提供する筈がなかった。
「話題が逸れたがハンデ権を聞き出すために相手になにを与えのか正直に答えろ」
「ひどいなぁ、真壁さん。僕は真壁さんのために危険を冒しているんですよ。いまも尾行されていて近くで僕を見つめています」
「気にするな」
「気にしますよ!」
「捕まると思うから捕まる。それが人の世の真理であり、真理であるが故に世界が変わろうとも変わりやしないさ」
「人ごとだと思って好き勝手に言いますよね」
「怪しみはするだろうさ。だがドゥオの連中にはお前がなにをしているか絶対に分からない。十世紀の文化レベルで可能な通信手段は狼煙か伝書鳩。ドゥオの連中は魔術のよる念話を実現しているが、それでもお前がなにをしているか想像すらできんだろう」
「……だったら盗聴器でも設置してくれば良かったなぁ」
「やめとけ。ギルドの関係者に来訪者がいないとまでは断言できない。下手に証拠を残して現場を抑えられたら破滅するぞ」
「なら僕が通信してもいるのもリスクとしては一緒じゃないですか!」
「来訪者に尾行みたいな裏方はさせない。裏方は人間が従事する仕事であり、良くも悪くも来訪者にはその信頼はない」
「……だといいですけど」
「連中が抑えようとしているのは念話を発動した瞬間だ。だがお前が使用している無線通信は純粋な科学技術の結晶。科学技術に魔力など一切使用していないのだから探知できるはずがないさ」
「……わかりました」
「もっとも独り言の多い奴と思われるかもしれないが、そのくらいは我慢しろ」
「よくないですよ!」
「以上、通信終了」
麻人の抗議を無視して通信を切った。
麻人の線が消えた以上、他に知っていそうな線に当たるしかない。
そう、あの老人だ。
俺は脇に置いてあるベルを鳴らしてマイヤーを呼び出す。
一〇秒と間をおかずマイヤーは現た。
「お呼びでございましょうか、征志朗様」
「スルガヤに会いに行く。準備しろ」
「左様でございますか。先方に失礼のないように準備を致します」
「他人事みたいに言うな。お前も一緒に来るんだマイヤー」
「私も、でございますか?」
「荷物持ちは必要だろう」
「左様でございますな」
俺の意図を理解していない素振りなど一切見せずマイヤーは退出する。
マイヤー然り。
スルガヤ然り。
ラウロ理事長然り。
まったく食えない爺さんが俺の周りに集まる。
困ったものだ。