第二章 ハンデ戦(1)
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アマデオさんが敗北した翌日。
ジュリエッタ達は人混みをかき分けながら冒険者ギルドゥオ目指していました。今日の麻人の装いは来訪者が着るような変わった服装ではありませんね。白を基調にした服装はゆったりとした印象をジュリエッタに与えます。まるで宮廷衣装みたいです。どこかで仕立てたのかは知りませんがそれなりに値が張るのでしょうね。柔らかく羽のように軽い白い生地でしたし。
なぜ分かるかというと今日の服装を話題にしたときに生地を触って確認したからです。あくまで自然な話題の運びの結果です。麻人に触れるのが目的だったとは気付かれてはいけません。
服装を褒めたら麻人は喜んでくれました。
ジュリエッタ、10ポイントゲットです。
「ジュリエッタも今日は可愛い装いだよね」
「ありがとう、嬉しいです」
今日はではなくて今日も、と言って欲しかったけど表情に出してはいけません。
表情をコントロールするのは乙女の必須技術なのです、と亡くなったお母様はいつも教えてくれましたね。
「麻人、今日も首に黒い紐を巻いていますね」
理事長室で出会ったときと服装は違いますが、首輪のような黒い紐を今日も身につけています。似合っているけど装飾品としては正直微妙です。
「これは紐じゃなくてチョーカーだよ」
「へぇー、そうなんですか」
チョーカーと麻人が呼ぶそれは、装飾品にしては少しそっけない創りです。飾り気が全くなくて実用性を重視した道具みたい。でも黒い首輪みたいな装飾品も麻人の白い服装とマッチしています。単体の装飾品としては地味ですが、これはこれでありなのでしょうね。
服装の話題が途切れたところで大通りに出ました。
目の前に立ち塞がるのは人波という肉壁と屋台から流れてくる香ばしいお肉の誘惑。いつもなら誘惑に負けて多くないお小遣いを捻りだすところですが、今日は一刻も早く冒険者ギルドに辿りつかなくてはいけません。
みなさん、ジュリエッタの邪魔をしないで下さい。
「今日は人が多いよね」
「市が開かれる日なので付近の街から人が集まってくるのですよ。ところで麻人、市は知っていますよね」
「朝市とかの観光客向けに形骸化した市なら知っているよ」
「市が形骸化したらどのように買い物をするのですか」
「スーパーやデパートあるいはネットショッピングかな。いつでも好きなときに好きなだけ購入できるよ。まあ、お金があればだけど」
「麻人の国では多くの商品や通貨が流通しているのですね。それだけ沢山の通貨を発行できるなんて大量の金や銀があるのでしょうね」
ジュリエッタの返答に麻人がびっくりしたような表情をしています。なにか変なことをいってしまったのでしょうか。
「商品の流通に通貨が重要な要素だなんて、よく知っているね」
「通貨がなければ品物が購入できないじゃないですか」
「塩や貝でも代用できると思うけど」
「普遍的価値と希少性で金属に劣りますよ」
「ドゥオの文明レベルは十一世紀程度と聞いていたんだけどなぁ。どうやら少し違いみたいだ」
「ドゥオ? 文明レベル? どういうことなのでしょうか」
「細かな点は気にしないで。商品の取引には必ずしも通貨は必要じゃないと思うけど?」
「農家の方が小麦や麻と物品を交換するケースを指摘しているのですね。でも今日開かれている市場でそのような取引をされる方はいませんよ。市場での取引は通貨で行わなければいけないと厳しく規定されていますから」
「益々奇妙だね」
「そんなに奇妙でしょうか」
「話しを少し戻すけれど、物々交換を僕達の国ではバーター取引と定義しているんだ。バータ―取引の利点は通貨に対する信頼性が確立していなくても代用が効く点だね。難点は通貨による取引よりも発生する利益が見えにくいから税を徴収しにくいし経済は発展しにくい。市場で通貨による取引のみと規定を創った人はこの理屈を理解してるのかもね」
「この規定を創った人はスルガヤさんと聞いたことがありますよ」
「なるほど、あの人ならありえるかもね」
「麻人はスルガヤさんを知っているのですか?」
「まさか。高齢の来訪者だとしか知らないよ」
うんうんと一人で頷いている麻人。
自分だけで納得されると、置いてきぼりをくらっているみたいで面白くありません。
ジュリエッタの変化に気付いたのか、麻人は会話を続けてくれました。
「ところでジュリエッタ。君は商取引には通貨が必要というだけでなく、それが金属なのが重要と知っているね。通貨は普遍的な価値観を持たなければいけないから、通貨が金属でなければいけないのは必然なんだけど、これを理解するようになるのは結構難しいと思うけどなぁ」
「よく分からないのですが麻人の国では大量の金属が存在していて、通貨として流通しているということなのですか」
「半分正解で半分外れ。僕たちの国では金属はもう通貨の主流じゃないよ。紙幣――最近は数字上の取引が主流かな」
「あまりに話しが大きくてジュリエッタには理解できないのですが」
「大丈夫、大丈夫。分からなくも問題ないよ。多分、ジュリエッタが生きているうちに僕が知るような変化は起きないから。それよりも僕が気になるのは、誰がジュリエッタに通貨についての知識を教えてくれたのか。シンイチ先生が教えてくれたの?」
「いいえ、お父様です」
「それは面白や。一度会ってみたいねジュリエッタのお父さんに」
「はい。ジュリエッタはかならずお父様に麻人を会わせます」
「必ずとか会わせますとか、語尾を妙に強調されているような」
「男の人は細かなことを気にしてはいけませんよ」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
「――そうかなぁ」
「そうですよ」
「まあいいや。ところでエレンの人口はどのくらいか知っている?」
危ないところでした。
せっかく言質をとれたのですから翻されてたまるものですか。
ジュリエッタの明るい未来のためなら悪女でもなんでもなってみせます。
「およそでよければ答えられますよ、麻人。学園都市エレンの人口は約三万五千人ほどです」
「街の大きさの割には人口密度が大きいと思うのだけれど。それは市が開かれているからか」
「人口密度?」
「一平方キロメートルあたりの人口を面積で割って表される数値のことだよ」
「わたしたちが知らない知識で物事をとらえる辺りは、麻人もやっぱり来訪者なのですね。その人口密度という数値はなにかの役にたつのですか」
「都市化や土地利用の考えるとき有効らしいよ。どのくらい有効なのかは知らないけどね」
「知識はあるけれど利用方法となるとあやふやなですね。実に来訪者らしい回答です」
「そうかなぁ。常識な知識だと思うけどな」
「ひどい。ジュリエッタが非常識だなんて」
「はいはい」
「グスッ」と涙目になりながらちら見すると、麻人はいつの間にか屋台で購入した甘いお菓子を差し出してきました。負けてはなりません、ジュリエッタはそんなに安い女ではないのです。
と心に言いかけましたが、麻人は袋に入っている状態でなく手で差し出してくれました。
「食べる?」
「……うん」
「すまない。自分も一緒にいるのだが」
聞こえません、出歯亀の声なんか聞こえません。
「すみません、騎士様も食べたかったのですか」
「アマデオでよい、葛宮くん」
「僕も葛宮でお願いします」
「わかった、葛宮」
「では、アマデオもどうぞ」
「頂こう」
「アマデオさん、もう遠慮とか少し空気を読むとないのですか」
「ジュリエッタ君、気を使ったからこそ今まで黙っていたのだが」
「でしたら、ここまま冒険者ギルドに着くまで沈黙を保ってくれてもいいのに」
「いやさ。これ以上、見せつけられては背中が痒くて堪らない」
「ヤキモチですか、ヤキモチですよね」
「妻帯者である自分がどうしてヤキモチなどしなければいけないのだ。邪魔をされて気分を害しているのは理解するが少し冷静になったらどうかね」
「アマデオは奥さんがいるのですか?」
「ああ、ソフィアは実に可愛い女性だ」
「そうですね、本当にかわいい女の子ですよ」
「微妙にニュアンスが異なるのが気になるのですが」
「自分は真実を口にしているが」
「ジュリエッタも嘘は言っていませんよ」
「アマデオ、ところでソフィアさんは何歳ですか」
「――ソフィアは今年数え歳で十歳になる」
「婚姻されて四年目と聞いていますよ」
「結婚四年目の年齢だから、結婚当時は五歳!!」
「そうだが、それがなにか」
「それは、ロ――」
「ロ? その続きはなんだね、葛宮麻人」
「……とてもロマンティクな恋ですね」
「本当にそう思うかね。どうも、自分には別の言葉を口にしようとしたように思えるのだが」
忘れていました。ソフィアさんの話題はアマデオさんにとってある意味禁忌です。いえ、女生徒には評判が良いのですよ。幼い頃から素敵な騎士が寄り添ってくれるなんて恋物語みたいですから。ですが、男子生徒、特に来訪者の方には酷く受けがよくないのです。その件で原因が決闘騒ぎになったことも一度や二度ではありません。
「――僕の国には源氏物語という歴史的長編恋愛小説があるのですが、それと良く似ていると思ったのですよ」
「歴史的長編恋愛小説か。それならロマンティクな恋と言われても仕方ないか」
「源氏物語の主人公光源氏は幼い美少女紫の上と偶然知り合い、苦難の末二人はやがて結ばれるという恋物語です。この物語とアマデオの状況は似ていますよね?」
「たしかに似ているな。すまない君を疑って悪かった。ところで、その源氏物語という作品の評価はどうなのかな」
「最高です!」
「分かってくれるのか! まったく来訪者の奴らときたらロリコンだの性犯罪者だのと誹謗中傷してくるのだ。実にいわれのない非難だとは思わないかね?」
上手い切りかえしです。
流石、わたしの麻人。
ジュリエッタは知っていますのですよ。麻人が源氏物語の内容を酷く省略して、都合の良い事実のみをアマデオさんに説明しているということを。お父様がパトロンになっている来訪者の人達が語るところによりますと、真実は少し違うようです。
源氏物語が大変評価の高い歴史的長編恋愛小説なのは事実ですが、その主人公光源氏は女性に対してどうしようもないほど節操がない男性だとか。一人や二人ならまだ理解できるのですが、10人以上の女性に手を出すなんて最低のクズです。光源氏が絶世の美男だったとしてもジュリエッタの評価は変わりません。そのような方と同じような恋をしているというのは褒め言葉ではないと思うのですが、麻人の命に関わりかねないので黙っていないと。なにより、あのアマデオさんが騙されているというのは小気味いいことですし、ね
ジュリエッタ達が冒険者ギルドに行こうとしている目的を話していませんね。
それはまかべさんに勝利できる人材を確保するためです。麻人はともかくアマデオさんも同行しているのは、ジュリエッタが誘ったからです。正確には麻人が誘うように提案したから。
あっけに取られるジュリエッタに、麻人が「得体の知れない存在であるまかべさんに勝利するには、一度手合わせをした人物の意見を聞くのは一番だよ」ともっともらしい理由を口にしました。
「分からない理屈ではないですが、この提案はアマデオさんにメリットがありませんよ」と反論したのですが、「彼は完敗した、完敗しすぎた。それを恨みに持つタイプには思えないけれど、どうやれば勝てるだろうと考えるのを止められないのが男というものなんだよ」と諭されてしまいました。
半信半疑でアマデオさんに声をかけてみたら、本当に快く承諾してくれました。
男の人の考えはジュリエッタには理解できません。
先ほどまでは競争相手だった人物に協力するなんて。もしかしたら別の思惑があるのかもしれませんが、乙女の勘がそれはないと告げています。
根拠はありませんけれど。
アマデオさんの変化で気になったにはまかべさんに対する態度でしょうか?
あれから、まかべさんを来訪者とは呼ばなくなりました。
敗北をすんなり受け入れられるあたりは、口が悪くても流石騎士です。
そんなふうに態度を改められる人がなにかを仕掛けるように思えません。なんて甘い考えかもしれませんが、ジュリエッタはそのように判断します。理由は予測できますが、よくジュリエッタに協力する気になったものです。
もしかしたら本当に麻人の言うとおりかもしれませんね。
色々考えているうちに冒険者ギルドに到着しました。
エレンの冒険者ギルドは相変わらず流行っているようで、出入りする人達が多く内装も奇麗。単に出入りが多いだけでなく、本当に経営状態が良いのでしょうね。憎たらしい限りです。
ジュリエッタは勝手知ったる我が家のようにカウンターの奥に移動します。同行者を連れていることに職員達は非難めいた視線を送ってきます。そんな方々へはにこやかに笑みを返してあげないと。みなさん視線を外すか慌てて仕事に取りかかる始めましたね。いい気味です、
幾つもの扉。
幾つもの階段。
幾つもの曲がり角を通り抜けてジュリエッタ達は奥へ奥へと進みます。奥に進むにつれて調度品が豪華になっていきますが、それはエレンのギルドが持つ商館という側面を見せ始めたから。ダンジョンのように入り組んでいる通路を右に左にと歩み続けて、ようやく目的の部屋に辿り付きました。
目の前にあるのは黒檀で創られた扉。複雑な文様を刻み込まれた扉は、部屋の主に相応しいおぞましさを感じぜずにはいられません。
ここから先はある意味魔窟です。
緊張感で冷や汗ながら幾つも流れ落ちます。
「冒険者ギルド内を好き勝手に歩きまわれるなんて、ジュリエッタは大変な家のお嬢様だったんだね」
「……ええ」
「お嬢様、お嬢様、お嬢様。いい響きだね、ジュリエッタお嬢様」
「麻人、茶化すのはやめて下さい」
「ごめんごめん」
空気を読まない発言ですけドゥオかげで緊張感がほどけました。
「ジュリエッタの家は色々な意味で大変な家ですよ。でも私が麻人のパトロンになったら、貴方もこの大変な家の一員になるのですよ」
「アレシアを中心とする冒険者ギルドの一員になるんじゃないの?」
「ちょっと違いますね。支払うお金はギルドのものではなく我が家なのです。ですから麻人は我が家の徒党となった上でギルドの一員になるのですよ」
「そういえば学長の前ではパトロンに名乗り出ただけで、所属をどこにするためとは言ってなかったね。だけど、それは本当に君のお父さんの意思だったの?」
「お父様はパトロンになるように支持をしてきましたが、どこの所属にするようにとは言っていませんでした。逆に取ればどのように処置してもよいとも取れます。例えこれまでパトロンになった方々がギルドの一員となる契約だったとしても、書いてない以上は名代であるジュリエッタに決定権があります」
仮にお父様の意思に逆らうことになろうとも、これだけはジュリエッタは絶対に譲れません。
「ギルドの名前を使用するのに、取り分は自分の家というのは少し問題があるよね」
ぐっ、痛いところを付いてきますね。
そこまで言わなくてもいいのに。
ジュリエッタは麻人に責められて泣きそうです。
「麻人……」
「なに、ジュリエッタ?」
「麻人はジュリエッタの家の徒党になるのが嫌なの?」
涙目で問いかけたのが効いたのでしょうか、言葉に詰まる麻人。
ここが勝負ところです。
「――どうでもいいが、そろそろ扉を開けないか?」
「アマデオさん、少しは空気を読んで頂けませんか」
「自分は一向に構わないが、この部屋の中から『待たせるな、早く入ってこい』というオーラがにじみ出ているのだが」
言われてみれば不機嫌なオーラが部屋の中から漏れ出しているような気がします。空気を読まずに無視するのも手ですが、人の忠告を聞かない駄目女と麻人に認識されるのだけは嫌です。
致し方ありませんね、アマデオさんの発言にも一理あります。
ジュリエッタは溜息を一つ吐き出しました。
「入りますよ、ブルータス支部長」
部屋の主の返答を待たずジュリエッタは扉を開けました。
「これはアレシアのジュリエッタお嬢様。事前にご連絡をいただけましたら当ギルドゥオ上げて歓迎しましたのに」
奥の机に座っている三十代程度の男性。眼鏡の印象が強い細身の男性は見るからに頭が切れるのが分かります。彼がこの支部の支部長であるブルータスです。
ジュリエッタが部屋に入るとブルータスは大人しく上座を明け渡して、自分は下座に移動しました。
「取り繕わなくてもいいですよ。このギルドがジュリエッタを歓迎はしないのはよく分かっていますから」
「そのような誤解を受けますとはブルータスの不覚。恐らくアレシアのジュリエッタお嬢様を知らない新入りが、なにか失礼な対応を致したのでしょう。直ちに然るべき処置を致しますので、どうかご容赦を」
この眼鏡狸。
ジュリエッタに失礼な視線を浴びせた者達には、あきらかにベテランが混じっていましたのに。貴方が職員達にあることないこと吹き込んでいるのを知っているのですよ。
いけしゃあしゃあと、よく言えたものです。
麻人の前だから我慢しましたが覚えていなさいね。
「お父様の名代としてエレンのギルドの協力を命じます」
「御指示、拝命致しました」
ブルータスは恭しく礼を取っていますが、上辺の態度なんて信じるものですか。
「ですがあれですな。我が盟主の教育道楽にも困ったものです」
「お父様は教育道楽者ではありません!」
「知っていますよ。そこの少年が奨学金を受ける資格があるほど優秀だという事も、そこの鼻っ柱が強い若造が大恥をかかされた事も。いつまでも女の後ろに隠れている。騎士のくせに恥ずかしくないのか?」
相変わらず良い耳をしています。ブルータスが知らないことなどおそらく学園都市エレンには存在しないでしょうね。それだけ学園都市エレンにギルドの力は根を下しているのですから。
アマデオさんは苦虫を噛んでいますが挑発には乗りませんでした。少し尊大なところはありますが、アマデオさんは礼儀を弁えた自制心ある人物ですね。
ジュリエッタは見直しました。
「あまりアマデオさんを挑発しないで下さい。彼はまかべさんと対戦した貴重な経験をもつ数少ない人物なのですよ。ジュリエッタの勝利はアマデオさんの損な話ではないですから無理を言って来て頂いたのですから」
「賢明な判断かと」
パトロン決定戦は先に二勝した者の勝ち抜けがルール。
まかべさんが負ければアマデオさんにも今一度参加する機会が与えられます。もっとも再戦をする気はないようですけど。再選してもまかべさんに勝てないと判断したのが理由みたいですけど。だったらなぜ協力する気になってくれたのでしょう? 「男は負けたままで収まらない性質なんだよ」と麻人は語っていましたが。騎士といっても男の子なのでしょうか。
子供っぽい一面に思わず笑みがこぼれてしまいました。
ジュリエッタの変化に気付かずにアマデオさんは屈託のない感想を告げます。それによると、まかべさんの間合いは少なくとも五メートル、長く見積もって十メートル程度。
わたし達は開始時点からまかべさんの間合いにいたのです。
「先手を取られるのはわかりました。来ると分かっているなら対応のしようがあるのではないのですか?」
「難しいだろうな」
「なぜです?」
「あの来訪者の動きは見た目以上に速く変則だ。相手をさばこうと視ていると自分のように観ているだけになってしまう」
「……そうですか」
納得しかねますが理屈以上に難しい行為のようです。
先手を取ろうとすればカウンター攻撃を受けてしまい手も足もでません。「それらは相対して始めて分かる感覚なのだろう」とアマデオさんは話しを締めくくりました。
「まかべさんは高速詠唱と同時詠唱を併用してきますからね」
「併用か」
「なにか問題でも?」
「自分と相対したときは二重だった。だがそれはより多重な詠唱が不可能だ、とまでは保障しないだろうな」
「――最悪の相手ですね」
「底が知れない相手だ、という前提で相対するべきだろう」
「でも真壁さんにも弱点――いや、欠点はあるよ」
わたし達の会話に割って入った麻人はあの表情をしています。まかべさんの勝ちに全てを賭けようと言い出した。あの笑顔。聞いてはいけないと分かっているのに、聞かなければいけない思い込ませる魔性の魅力が麻人の笑顔にはありました。
「欠点とはなにかね、少年」
「それはですね、支部長さん。真壁さんに風属性の魔術しか会得していないのですよ」
「えっ、そんな人物を私は聞いた事がありませんよ。どのような人物でも、地、水、風、火、天、冥の六大元素の加護を受けているはずです。個々人がどの属性と相性がよいか分からないから特性や相性の把握に時間がかかります。だからこそ効率的に学ぶために学園やって来るのですよ」
「ジュリエッタお嬢様の言うとおりです。そのような例は極めて稀でしょうね」
「稀ということは、例がないわけじゃないよね?」
「――たしかに」
ブルータスが思索に入ったところで、アマデオさんが麻人との会話を繋ぎました。
「あるいは自分のように属性魔術を最初から捨てて即効性に優れる呪文印使いとなるか。博打を打つみたいに一部の属性に最初から的を絞る機関も存在するが、人を実験動物のように扱う手法は禁忌にされている筈だが。最初から一部しか使用できない例が存在するとしたら、その人物の錬度は相当なレベルに到達するだろうな。仮にそうだとして、葛宮は何故そのようなことを知っているのだ?」
「それは僕が真壁さんから弟子にならないかと誘われたからだよ」
「つまり君は我々の敵側の人間だと自ら告白するのだな、少年」
思索から帰って来たブルータスが再び麻人に問いかけます。会話の端々から麻人への疑いと警戒が感じられます。それはいいのですけど麻人に対する問いかけが、一々「少年」と馴れ馴れしさが気に入りません。
「敵側になったかもしれないと解釈してほしいなぁ。僕は風属性しか教えられない人に師事を受けたくなかっただけだよ。わかるでしょう?」
「変だな変だなと思っていたけど納得です。ブルータスもそう思いますよね?」
「辻褄は合いますな」
「奥歯になにかが挟まったような物言いですね」
「そんなことはありませんよ、ジュリエッタお嬢様。貴女がそれで納得されたのですから、この件に私が口を差し挟む必要がなくなっただけのこと」
一々癇に障るものいいです。
ジュリエッタを試しているようで面白くありません。
「学園に逃げて来たんだけど、あの人しつっこくて」
「麻人がパトロン制度を選択したのはそういう理由だったのですね」
「誰かの傘下に入れば真壁さんの弟子にならなくてもいいし」
「安心したまえ少年。君の将来は我がギルドが保障しよう」
「……ジュリエッタが、ですよ」
ジュリエッタとブルータスの視線がぶつかり合います。
部屋の空気が微妙になったのを感じ取ったのか、アマデオさんが話題を変えました。
「来訪者について新たな事実が分かったのはいいことだが、あれが強力無比な使い手である事実に変わらない。ここの支部に自分を一方的に叩きのめすほどの人材がいるのか?」
アマデオさん一言多いですよ、一言。
先程の挑発がやはり悔しかったのでしょうね。
撤回します。
アマデオさんはやはり怒っていました。
「その考えが浅いのだよ、小僧。パトロン決定戦のルールを逸脱せずとも小僧を一方的に叩きのめす方法方法を選択するまでのことだ」
ブルータスは性格が悪いですし、味方ともいえませんが頭の回転が速いのは助かります。
そうでなければ、今すぐにでも追放処分にできるのに。
悩ましいところですが我儘は言えません。
「どのような方法をとるのですか?」
ブルータスの断言する言い方に興味を持ったのか、麻人が話しに割り込んできました。
「簡単なことですよ、少年。同じ土俵で勝負をするという発想を変えるまでのこと」
麻人に対して一々なれなれしい態度。
色街に関する噂は度々耳にしますけれど。
もしかして、もしかして?
危険を感じたジュリエッタは思わず麻人の手を取りました。
予想していなかった反応だったのでしょう、ブルータスの瞳が変わりました。
余計なところを見せた気がしますが仕方ありません。
麻人は私のものです。
「このブルータスの提案を実行するには安くない対価を払うことになります。それでもよろしいでしょうか、ジュリエッタお嬢様」
「エレンはアレシア傘下の組織だと思うけど。それは少し変じゃないかな」
「わたしにではないですよ、少年」
麻人の質問にブルータスは大げさに首を振り否定します。
「まさか貴様はジュリエッタ君にハンデ権を行使しろと助言するのか!」
「ハンデ権とはどのようなものですか?」
「教えてあげましょう、少年。ハンデ権とは対戦者に実力では敵わないと認めた上で、自分に有利なようにルールを変えること。もちろん対戦者の同意を得てのことですが、断る方はまずいないでしょうな。ハンデ権を行使された例は多くありませんしパトロン戦となれば尚更多くありませんな。まあ、例がないでもないですし問題ないかと」
「前例がほとんどないのは戦う前から実力差を認めることが不名誉で、しかもパトロン候補者がそこまで肩入れするほどの人材が現れなかったからですか」
「君は実に頭の回転が早い少年だ。それとも事前に誰かから入れ知恵をされていたかな」
「そのくらい少し考えれば分かりますよ」
「そういうことにしておきましょう。少年の答えは半分正解で半分不正解。ハンデ権を行使した人間が敗北した場合、代償としてどのような要求でも一つだけ飲まなければいけないのだよ。仮にそれが生命や財産全てと言われたとしても拒否はできない。そこまで過酷な要求をされた前例はないですが、多額の報酬や結婚、時には公職からの自主的な退場などがあったとか。過大な要求がまかり通るので対戦者が拒否した例は皆無ですな」
「貴様のギルドは懐を痛めず万々歳だろうが、それが協力を命じられた部下の態度か!」
「異なことを承りますな、騎士殿。騎士殿を方的に叩きのめすほどの人材でなければいけないのでしょう? 騎士殿に勝つだけなら問題ないでしょうが、『一方的に』と条件を引き上げられては無理というもの。故に当ギルドは盟主の要求に応えるべく、手持ちの持ち札から最善且つ、必勝を期待できる手段を提示したいのです。ただし些かルールをねじ曲げなければならないだけのこと」
「部下が仕えるべき主に対して勝ちたければ全てを賭けろと進言するなど、どのような道理をもっても正当化できるものか!!」
「騎士といえど所詮坊ちゃんか」
アマデオさんはブルータスを睨みつけす。このまま斬りつけるのではないかと思うほどの剣幕でした。
「主君に尻尾を振りご機嫌を取り続ければ済むような、坊ちゃんの知るぬるま湯の世界と一緒にしないで欲しいですな。我が盟主が盟主であり続けるには、勝利のために全てを賭けるほどの狂気も必要なのだよ」
「どうなさいますか?」と、ブルータスは挑戦的な視線をジュリエッタに送ってきました。
完全にやられました。
まかべさんとの対戦経験は有用な情報と思い、アマデオさんに助力を頼んだ事が裏目に出てしまうなんて。
この眼鏡狸は最初からお父様を巻き込むのが目的だったのでしょうね。
忠臣ぶりながらやってくれます。
ブルータスの提案に否というのは易いですが、このように切りだされては、にべもなく却下することも出来ません。
問題なのはこの要求に対してお父様の意思を確認することができない点です。ジュリエッタはパトロンに関してはお父様から全権委任を受けています。自分で判断しないでお父様の意思を確認したら。多分判断能力が欠如した人物に名代を任せたとして、お父様の任命責任が問われるでしょう。最悪、名代とは名ばかりの存在、ギルドマスターの与える全権委任状などなんの価値もないという指弾されるかもしれません。それだけは避けなければいけないのです。
思わぬ議論の展開に、麻人はそこまでしなくてもいいと首を振ってくれました。
その瞬間にジュリエッタは決めました。
お父様、お許しください。
ジュリエッタはそれでも麻人を諦めるわけにはいかないのです。