第一章 パトロン(9)
予想もしなかった展開に頭が混乱する。
来訪者はいつの間に射程を延ばす魔法を唱えていたのか。いや、そもそもどうやって最初の攻撃を回避したのか。立ち上がる僅かな間に幾つもの疑問が浮かんでは消える。
「ボクシンググローブとかいう武器を選択したのは、拳を覆うことで魔術発動時の発光現象を隠す意味もあったのか」
「伊達や酔狂だけこんなもの身につけやしないさ」
「迂闊だった」
言葉を交わす間も来訪者は攻撃をして来ない。
呼吸を整える間を与えられたのは屈辱ですが、利用できるものは利用させてもらう。
「まさか無詠唱と高速詠唱の同時詠唱をしていたのか。不可能ではないが取得困難な技術を来訪者が習得しているとは」
「何事にも例外というものはあると覚えておくといい」
自分の問いに来訪者は大したことでもないように返答する。
冗談でもはない!
これが大したことでないはずがない!!
詠唱時間と威力は相反する関係。
魔術は詠唱時間を長くすることで威力を増す。必然的にその間は無防備状態になる。冒険者ギルドや自分が仕えるガデス王国は、威力を落とさないまま詠唱時間をいかに短くするかを研究してきた。
その結論が自分の習得している呪文印。
呪文印の特徴は瞬時に発動する点。連発は不可能ですが瞬時に発動する特徴は戦闘において大きな利点がある。特に自分のように白兵戦を主体にする者にとって、魔術無防備状態を晒すよりもはるかにマシ。
同様の特徴は詠唱や高速詠唱でも可能ですが、あれは魔術に対する理解と技量を要求される。卒直にいって騎士である自分には取得不可能な領域。
第一、も無詠唱や高速詠唱を習得する人物が最前線に立つのだろうか?
最前線に立つ者は一部の例外を除いて高速詠唱を取得する途上にすぎない。
結果、実戦で高速詠唱を使用する者はほとんどいない。
同時詠唱もまた然り。
だったはずなのですが。
ですが、これが現実。
見事、見事としか言いようがありません。
しかしタネが分かればこちらも相応の手段がある。
それしても倒れた相手に止めを刺さないとは、大方、スポーツマンシップとかいう倫理観に囚われているのでしょう。
やはり来訪者は甘い。
立ち上がっても距離を維持したまま自ら動こうとしません。なにを考えているか分からないが間を取らせてくれるらしい。
余裕?
いや、来訪者はこのような場面で畳かけるのを卑怯と考える連中。
彼らにとって間を与えるのは普通なのでしょう。
それにしてもあの来訪者の動きは速すぎる。俊足の呪文印で加速しても恐らく捉えられない。いえ、呪文云々以前に攻撃を瞬間が読めなかった。余計な力みがないから攻撃の瞬間が読めない。。多分、あの来訪者の先手を取ることはできないでしょう。
……このまま後手に回り続ければ負けるかもしれない。
いや、間違いなく負ける。
どのように対応したら。
悩んでいたらシンイチ教授と交わした会話を思い出してきた。
「アマデオ君。君はエレンで魔法士になりたいのかな?」
「教官、何度言えば分かって頂けるのですか。自分は騎士です、騎士が魔法士になる筈がないでしょう」
確かにと言いながら苦笑い。「魔法士は兵站等でも重宝するから、騎士であっても得るモノはあると思うけどなぁ」と愚痴をこぼしていました。
兵站?
聞いたことのない言葉だった。
シンイチ教官も来訪者らしく自分には分からない知識や思想をお持ちだった。もっとも具体的なことを聞くとぼろが出てきたのは、他の来訪者同様でしたが。あのときも「僕は兵站の専門家じゃないから」と言いながら詳しく教授してくれなかった。
こんなやり取りの最後は決まってあの話題で締めていました。
「君の左手はいつも空いているね」
シンイチ教官は困った顔をしながら自分の型について指摘をする。指摘しているのはレイピアと一緒に帯剣しているマンゴーシのことだ。
「教官。レイピアを用いる人物が残る片手にマンゴーシュを装備して戦わなければいけないという決まりはありません。貴方は来訪者ながら優れた教育者です、その点を自分は評価し尊敬もしていますが、素人が剣の型について御指摘をするのは止めて頂きたい」
「それは詭弁ですよ。その左手は相手の魔術に対応するためにワザと空けています。そうですよね? 君は両手が塞がった状態で魔術を行使できない。それは大きな欠点です。なにより欠点を覆い隠すために型を崩すのでは本末転倒ですよ」
来訪者でありながら優れた教育者であるシンイチ教官を自分は尊敬していた。それでも素人から剣の型について指摘されるのは面白くなかった。
「怖い顔で睨まないで下さい。僕は君がこの学園に何を学びに来たのか、について話しているだけですよ」
「自分はなにも聞かされていません。魔術の素養があるから魔法士の学園に送り込まれただけなので」
「放任主義にも困ったものですね。もっとも恥ずかしながら僕も含め、教師陣は君に答えを提示することすらできていませんが」
「でしたら自分の型について、とやかく口を出すのは止めて頂きたい」
演習場での試合は開始時点で五メートルの間隔がある。
通常であれば自分の技量と敏捷性なら学生相手には決して負けない。ただし魔術により技量と敏捷性の優位を崩されないとは言い切れなかった。
自分は両手が塞がった状態で対応できるほど魔術の技量が高くない。
だからこそ発動速度に勝る呪文印を取得した。代償としてマンゴーシュを諦めなればならなかったが、左手を空けていればこそ、『あの』の称号も手に入れられた。騎士が学生如きに負けるという事態は絶対にあってはならなかった。
「「いまの型を堅持していれば君が学園で負けることはまずないでしょう。ですがそれが君のためになるかは別の次元の話しなのです。僕が断言できることは一つだけ。それは左手を空ける癖をつけることが、騎士である君にとって有益だとは思えないのですよ」
「……失礼」
自分は耳障りな声から逃げるようにして部屋を後にした。
それがシンイチ教官と言葉を交わした最後になるとは。
確かにそう。
いままでの型ならば地面に倒れていたのは自分ではないはず。シンイチ教官が正しく、自分が間違っていた。
左手でマンゴーシュを抜き本来の型に戻す。
どこまで対応できるかは分からないが先ほどのような攻撃はもう喰らわない。近接説戦闘主体の自分に複雑な魔術など不要。よく相手を見て対応していけばさばき切れる。
しかし現実は非情だった。
自分はスピードに頼ることに慣れ過ぎていた。
より速い攻勢に反応できなかった。
圧倒的なまでの速度差を前にして射的の標的のように喰らい続ける。
一撃で形勢を逆転できると思えば思うほど、身体が固くなり意図が見え透いていく。
正しい認識が望ましい結果に繋がるとは限らない。
あらゆる回避方法を試みたが、あの来訪者を前にしては児戯に等しかった。
まるで悪夢を見ているようだ。
一方的に攻撃を受け続けた自分が立ち上がれなくなるまで、そう時間はかからなかった。