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プロローグ 学園都市エレン (1)

 

 学園都市エレンが夕日に包まれる。

 朱色に染まる姿は血で染めたような禍々しさを感じさせた。それでも美しいと認識してしまうのは、赤煉瓦と石造りで構築された街並みには夕焼けがよく映えるからなのだろうか。答えがいずこにあるかは分からないが、この風景を日本で観ることが叶わないのだけは確かだった。

 人を惑わす魔性のような美しさ。

 それは毎日のように眺めているシンイチが、思わず足を止めてしまうほどであった。

 もういいだろうと思い直すと、シンイチは再び歩きだす。

 すれ違うのは大量の人と馬。

 石畳に立ち並ぶ屋台の数々。

 屋台に並べられた野菜や果物はどれも不揃い。規格品ばかり陳列されたスーパーではまず見かけない品物ばかりだが、外見と味が比例しないとシンイチが知ったのはいつからだろうか。

 どうでもよいことに思いを巡らせていたら、急にお腹が空いてくる。

 泣く子と空腹には勝てない。

 今日の夕飯は何にしようかと考えつつ、シンイチは夕日を背にしながら家路へと急ぐ。いや、急ごうとしていたというのが正しいだろう。シンイチの精神は家路へと急いでいるが、肉体は職場である学園の校門すら後にしていないのだから。

 全ては夕日を眺めている間に想像した虚構にすぎない。

 シンイチは学園内に設けられた一室から一歩も外に出ていなかった。といっても牢屋に収監されているのではなく、この部屋はシンイチのために用意されたものであり、いわば彼の研究室。

 研究室のあるべき姿といえば書籍や論文が乱雑に重ねられているか、それとも全てが完璧に整理されているかいずれかであろう。両極端な二者択一であるが、部屋の主が全てを把握しているという点において共通項が存在する。ということは部屋が乱雑かは部屋の主にはさして問題ないという帰結になるが、ISOという国際標準機構はそのような帰結を決して認めまい。

 シンイチの真意がどこにあるかは定かではないが、彼の部屋が大量の書籍と書類で波打つ様に変わりはなかった。

 一見すると無秩序に思えるかもしれないが、一定の法則に従って整理整頓されているとシンイチは主張するだろう。事実必要な文書の取り出すのに苦労していなかった。廊下を誰か歩くたびに紙の山が崩壊し、津波のように部屋中に拡散しているにも関わらずに、だ。

 現代人ならば――いや現代人という定義は曖昧すぎる。中世や近代など定義は現在という時間を起点にした主観的定義にすぎない。中世や近代からみれば二一世紀は未来と定義される。言い変えよう。二一世紀を生きる人物ならば、ある種の現代アートと理解を示し感動を覚えるかもしれない、と。せっかく定義し直しても、いまこの部屋を訪れている一組の男女は現代アートに関心を示さなかった。

 いや、観客とは呼べないだろう。

 男女の視線が現代アートではなくシンイチを向いているのだから。

 彼等はシンイチに熱心になにかを伝えようとしていた。

 そう、なにかを。

 熱意と努力が望ましい帰結に至るとは限らないように、シンイチは彼等の話を全く聞いていなかった。内容について予想はする、でもそれだけ。

 教師や親の説教を聞きながすような態度で彼等の話しを聞き流していた。彼等の熱意は買うが、『おうちに帰りたい』というのがシンイチの偽らざる心境なのだ。

 窓越しに映る夕日に想像力を掻き立てられるのは、美しい風景だけが理由ではなかった。


「――ですのでシンイチ先生。私達冒険者ギルドへの移籍の件、お考え下さいましたか?」

「止したまえ、ジュリエッタ君。教官は授業と不出来な生徒への指導で疲れている。無駄な発言と提案で教官の負担を強いるのは節度ある態度ではない」

「アマデオさん、貴方は冒険者ギルドに喧嘩を売っているのですか。それとも、ジュリエッタを侮辱してのですか?」

「騎士たるもの淑女に対する礼節は弁えている。ジュリエッタ君は身体的にも精神的にも淑女の基準に達していないが。いや、失礼。君の将来の可能性まで否定するのは適切ではないでしょう。どうか気を悪くしないでくれたまえ」

「なんですって!」

「淑女たるものその程度で感情を露わにしたりしないよ。ジュリエッタ君君には淑女の道は遠いようだね」

 アマデオの発言で気分を害さない女性はいないと思うが、シンイチはあえてそのことを口にする気になれなかった。

(僕は疲れている。今日のところは、このくらいで解放してくれないだろうか)

 ジュリエッタとアマデオ。

 二人の主張を比べたとき、自分の負担まで気をまわしているアマデオに賛意を送りたいが、同時にそれだけでは話しが終わらないのも理解していた。

(残業代は支給されないのに)

 これがシンイチの偽らざる心境なのだ。

 残業という概念は学園都市エレンに存在しないのだが、そんなことに屈するシンイチではなかった。慣れ親しんだ価値観は簡単に拭いされるものではないのだ。とはいえ心の中で溜息をつきつつも、表情に出さない点は称賛に値するだろう。

 教鞭をとるのも楽ではない。

 ジュリエッタとアマデオという名の男女二人がいがみあってから、既に三十分が経過しようとしていた。正確にはジュリエッタが感情的に話しているだけであり、アマデオは落ち着いた口調で窘めている。

 あれを窘めていると評するのであれば、だが。


「同じ主張を繰り返すのもいいかげんにしたほうがいい。いや、ジュリエッタ君の態度は実に冒険者ギルドらしいというべきか。実に不器用で武骨で愚直なまでにまっすぐだ」

「褒めてませんよね、絶対褒めてませんよね。むしろバカにしてますよね?」

「自分とジュリエッタ君と境遇の差について思い至っただけだが? 考えてみたまえギルドなど称しても所詮は平民。自分が仕えるガデス王国と比較して冒険者ギルドが下賤で粗野な組織と再認識したまで。決してジュリエッタ君を貶めるつもりはないのだ。気分を害されたとしたらどうか許してくれないだろうか」

「……わかりました。今回の件は誤解ということで許し上げます」

 どこをどう解釈したら許せるのだろう。

 ジュリエッタも内心では許したくないのだろうが、騎士に頭を下げられては引くしかない。これでアマデオの口元が笑みを浮かべるような人物ならばジュリエッタも看過できないだろうが、あいにくアマデオはそのような素振りすらみせかった。

 十代にしてはしては可愛げがない態度だが、引くべきときを知っている大人の対応は騎士を名乗るだけはある。

 多分、ジュリエッタが皮肉を口にしても挑発に乗ってはこないだろう。

(あるいは長居になりつつあるのを察してくれた?)

 ジュリエッタの年齢は十四歳。

 アマデオの年齢は十八歳。

 二人の年齢差を考慮すれば、アマデオが上手になるのは必然なのかもしもしれない。必然だとしても許容できるかは別次元の話であり、ジュリエッタという名の少女は許容できないタイプなのだ。

 アマデオという名の少年も――十八歳という年齢を理由に彼を少年と定義する来訪者の悪い癖。アマデオは既に成人の儀式を済ませ、しかも妻まで娶っている――もう少し他者への配慮があればいいのだが。

 あれで本人なりに節度ある態度で接しているつもりらしい。落ち着いた口調で優雅に語りかけている術は宮中に出入りした結果だろうが、手厳しい指摘で他者の感情を逆なでする術までも知らずに会得していたとは気付いていないのだ。

 まだ若いのだろう、とシンイチは思うことにしている。


「今日はもう遅い。二人ともこの話しは明日以降にしてくれませんか?」

「シンイチ先生、貴方は悔しくないのですか! 先程の会議の内容を聞きしました。来訪者だからという一点だけで侮辱されるなんて、わたしは我慢できません!!」

「そう言われても来訪者の多くが口先ばかりで役に立たないのは事実なのです。私達が持っている知識の多くは実践して見せるができません。これではペテン師だとか上辺だけの薄っぺらい知識を持っている半端者と指弾されても致し方ないのですよ」

「そんなことは分かっています! ですが、シンイチ先生が毒にも薬にもならない連中と一緒くたにされるのが我慢ならないのです!!」

「毒にも薬にもならない連中とは手厳しいですね。まあ、一面の事実を突いていると思いますが」

 シンイチは苦笑いをしながら、ジュリエッタの意見を肯定する。

「教官。我らがガデス王国も来訪者を差別していることに変わりはありません。ですが、能力ある方には相応の待遇と地位を用意してきました」

「名宰相で在られたコンドウ閣下のことだね」

「失礼ながらエレン魔法学園は貴方の価値を正しく評価されておりません。是非とも教官にとって相応しい所にお移り下さい」

「僕にとってエレンは唯一の居場所だよ。侮辱に心が悲鳴を上げようとも、僕みたいな来訪者に教授の椅子を与えてくれた。これ以上多くを望むのは不躾と思うけれどね」

 諦めとも悟りともいえる表情で諭すシンイチを前にして、二人はこれ以上語る言葉をもたなかった。

 ジュリエッタは涙を浮かべながら走り去るように部屋を後にする。

 アマデオはジュリエッタを追いかけなかった。アマデオの行動は冷淡に思えるかもしれないが二人は別に恋仲ではないのだ。アマデオにはジュリエッタを追いかける必要性はなく、自然な対応かもしれない。

 だがシンイチは知っている。

 他人に涙を浮かべた姿を見られたくない、という点に配慮しているということを。他者の感情を逆なでにする欠点はあるが、基本的に良い奴なのだとシンイチはアマデオを評価していた。 

 だからだろう。

 つい余計なお世話をしてしまうのは。

「ところでアマデオ君。君は魔法士になりたいのかな」

「教官、何度言えば分かって頂けるのですか。自分は騎士であり、騎士である以上魔法士になるはずがないでしょう」

「道理だね、でも、君の左手はいつも空けて闘ってるじゃないか」

 シンイチは困った顔をしながら、アマデオがレイピアと一緒に帯剣しているマンゴーシュを指差す。

「レイピアを用いる人物が残る片手にマンゴーシュを装備して戦わなければいけないという決めはありません。教官は来訪者ですが優れた教育者です、その点を自分は評価し尊敬もしていますが、素人が剣の型について御指摘をするのは止めて頂きたい」

「それは詭弁ですよ。君の左手は相手の魔術に対応するためにワザと空けています。そうですよね? 君は両手が塞がった状態では魔術を行使できない。それは大きな欠点です。なにより欠点を覆い隠すために型を崩すのでは本末転倒ですよ」

 図星なのだろう。

 アマデオの目が急に険しくなる。

「怖い顔で睨まないで下さい。僕は君がこの学園に何を学びに来たのかについて話しているだけですよ」

「自分は聞かされていません。魔術の素養があるから魔法士の学園に送り込まれただけなので」

「放任主義にも困ったものです。僕も含め教師陣は君に答えを提示できていませんから、人のことは言えませんね」

「それなら自分の型について、とやかく口を出すのは止めて頂きたい」

「いまの型を堅持していれば君が学園で負けることはまずないでしょう。ですがそれが君のためになるかは別の次元の話しなのです。僕が断言できることは一つだけ。それは左手を空ける癖をつけることが、騎士である君にとって有益だとは思えないのですよ」  

「……失礼」

 アマデオは耳障りな声から逃げるようにして部屋から立ち去る。

 先程までの騒がしさが嘘のように静寂に包まれる一室。外に目を向けると既に漆黒の闇に包まれていた。


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