第4話
久しぶりの外伝の更新です。
本編はこの少し先に行っています。
鵜飼孫六。甲賀を代表する忍びの一人だ。一人の忍びとしての腕前もさることながら、大勢の下忍たちを動かす指揮能力の高さにも定評があった。その孫六が最も得意とするのが城への潜入である。
「ふん、阿呆の氏真如き、我がわざわざ出張るほどの相手でもあるまいに。長門も道順も大仰な事よ。ただ半蔵の子倅には興味がある。どれほどのものか我自身の目で見てやるのも一興じゃ」
「よいか、くれぐれも抜かるな。若いといって侮ると足をすくわれるぞ」
「道順、誰に向かって申しておる。我は甲賀で知られた鵜飼孫六ぞ。伊賀の小僧など物の数ではないわ」
「ならば良し。氏真周りの様子、事細かに知らせよ」
「任せておくがよい。ただし我を武士にするという約束、違えるなよ」
「それもまずはこの仕事が首尾よく行き、お頭が武士となられてからの事じゃ」
「良かろう。細人、田力、付いて参れ」
曳馬城下。一人の男が背負子を背負い、口上を述べながら城の裏門の前を通る。この男の正体は伊賀崎道順。だがそう分かって見ても全くわからないほど完璧な変装であった。
「武具馬具武具馬具三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具。菊栗菊栗三菊栗、合わせて菊栗六菊栗。麦ごみ麦ごみ三麦ごみ、合わせて麦ごみ六麦ごみ。如何なる病もたちどころに癒える朝熊の万金丹は要らぬか」
「そこの薬売り。奥方様がお呼びじゃ」
裏門が開き、侍が道順を呼び止めた。道順は腰を曲げてそれに答える。
「これはいつもお引き立て有り難うございます。ではちっくり中へ入らせて頂きます」
「奥方様はいつもの処に居られる。案内はせずとも良かろうな」
「はいはい、お任せくださいませ」
道順はそのままひょいひょいと中に入っていく。ある部屋の前まで行くと障子越しに声を掛けた。
「薬屋でございます。お呼びと伺い参りました。殿さまのお加減はいかがでしょうか」
すると障子が開き、中から侍女とともに女が出てきた。背が高く立派な体格に凛々しい顔つきのこの女はお田鶴の方。この曳馬城の城主飯尾連竜の妻であり、今川家当主氏真の従妹に当たる。横に控える侍女も何やら勇ましい。
「お陰でだいぶと咳も収まられたようです。同じ薬を五日分貰いましょう」
「それはそれはようございました。毎度ありがとうございます」
同順は行李を開け、中から薬を取り出した。それを渡すと更に背負子から何やら包を取り出す。
「これはお世話になっております奥方様、女中の方々へ土産でございます。先日参りました京で話題の紅にございまする」
受け取ったお田鶴の方と侍女は嬉しそうに顔を見合わせた。
「いつもいつもすまぬのう。ところで民草の様子はいかがです。あれから少しは落ち着きましたか」
「いえ、むしろ日が経つにつれ不安が募るばかりのようにございますねえ。こう申しては何ですが、あの氏真様で今川家はこれから先立ち行くのかと皆が口々に申しております。ああ、これはしたり。奥方様は氏真様の縁に連なるお方でございましたな。失礼を申し上げました、どうぞお忘れになって下さいませ」
「いえ、気にすることはありませぬ。氏真殿は昔から蹴鞠にうつつを抜かして政には興味を示されませなんだ。民がそう思うのも無理なきこと。また様子を聞かせておくれ」
「有り難うございます。ではまたうかがわせて頂きます」
深々と礼をして道順は城を後にした。口元にニヤリと笑みが浮かぶ。
「忍法『傀儡の舞』、そのうち存分に踊らせてやるわ」
――井伊谷城、井伊家の家老小野道好の屋敷
「長門、その話は真か」
「然り。長尾との戦に目途が付き次第、信玄公は直ちに遠州に兵を進められる御心積りでおられるのは確かだ」
「それに備え、今から遠州に騒ぎを起こそうと言う目論見か」
「義元公が亡くなった今、今川の家中は揺れに揺れている。そこを軽く一押しすれば、簡単に崩れよう。それは積み木を崩すより容易い事。あとは誰がそのひと押しをするか、ただそれだけのことだ」
「それはそうやもしれぬ。だが、何故儂なのじゃ。儂は井伊の家老じゃぞ。その儂になぜそのような話をするのじゃ」
眼帯の藤林長門と話をする初老の男は苦渋の表情を浮かべたが、長門はそれを冷笑した。男の名は小野道好。井伊家の筆頭家老を務めている男だ。
「フフ、小野殿と直親の間にはあまりにも曰く因縁が深い。まさに不倶戴天、いずれ一方が他方を喰らうより他に道があろうか」
そう言うと長門はさらにニヤリと笑った。
「毒を食らわば皿までと言うではないか。直親が居る限り小野殿の首はいつ飛んでもおかしくない。直親を確実に亡き者とするにはこの策が一番確実。ご決断なされよ」
そう言われた小野道好の苦悩はますます強くなる。それを眺める長門の右目には冷酷な光が宿っていた。
明日は本編を更新します。
なお薬売りの口上ですが、江戸歌舞伎の外郎売から拝借しました。