第1話
この外伝の縛りとして「本編の主人公である氏真君を当分出さない」という決まりを勝手に作ってみましたw
もちろんどこかで出てくることにはなるでしょうが。
本編を読んでくださっている皆様、こちらでもよろしくお願いします!
そしてこちらを最初に読んでいただいている方、これからよろしくです☆
「丹波はいるか」
伊賀国、名張。伊賀忍を束ねる上忍の一人、百地丹波の屋敷を一人の男が訪れた。伊賀国には守護として伊賀仁木氏がいるがその力は弱く、大部分を国衆や地侍たちが実質支配していた。伊賀は山深く平地が少ない為に農地には向かず、貧しさから稼ぐ為に忍び仕事をする者が現れた。それが伊賀忍である。起源は熊野三山などの修験道にあるとも言われ、その仕事は密偵や潜入しての諜報、情報操作、果ては暗殺や内部からの破壊活動など多岐にわたる。普段はただの地侍のような生活をしているが、その裏では上忍・中忍・下忍という身分に分かれて組織化されていた。
「長門ではないか。この夜更けに何用だ」
百地丹波の元を訪ねた男は藤林正保。これも上忍であり、左目が眼帯で隠れているのが特徴的だ。自らを長門守と称しているため、藤林長門と呼ばれている。
伊賀の忍びは上忍三家と呼ばれる三人の忍びに束ねられている。その三人とは伊賀南部を中心とした地域を束ねる百地丹波、中部地域を束ねる服部保長、伊賀北部から山を越えた甲賀の一部までに影響力を持つ藤林正保だ。この三人の上忍たちの下にそれぞれ中忍、下忍たちが樹状に連なるのが伊賀忍の組織になっている。
「半蔵の野郎が氏真に雇われたというのは真か」
半蔵というのは服部保長の忍びとしての異名である。保長はこの地の貧しさに耐えかね、一族に連なる者を率いて伊賀を出て行った。一時期は京で将軍足利義晴に仕えたこともあったらしいが、余りの金回りの悪さに辟易してその元を離れて今は三河に落ち着いている。かつては松平元康の祖父である松平清康に仕えたが、森山崩れの事件で清康が家臣に殺されて主君を失っていた。
「さすがに耳が早いの。先ほど千賀地から使いが来たわ」
千賀地というのは服部保長の長男である千賀地保元のことだ。半蔵は元の名を千賀地保長と言ったが伊賀を出る時に服部姓を名乗った。だが長男である保元には元の千賀地姓を名乗らせて伊賀に置き、自分の代理人としたのである。
「知行を与えられ、武士として召し抱えられるそうな」
「ふざけやがって。元々今川に仕えていたのは俺らだろうが。俺が義元の為にどれだけ働いてやったと思ってる」
藤林長門は語気に怒りを込めて吐き捨てた。地侍に過ぎない長門が大大名である今川義元や氏真を名で呼び捨てるとは不遜だが、そこにこの男の自尊心が見える。尼子家には鉢屋衆、北条家には風魔などがいたが今川家は独自の忍者組織を持たない。そこで義元はこの藤林長門を雇い裏の仕事をさせていた。
地侍である忍びたちにとって、大名から知行を与えられ正式な武士となることは宿願と言っていい。地侍は名字を持ち刀を差してはいるが、権力者から見ればただの農民に毛が生えたような物でしかない。地域の有力な農民が自衛の為に武力を持ち、守護大名や国人領主たちの下で侍として働くようになったものが地侍だが正式な身分ではない。その地侍の中でも忍びはただのごろつき集団だと思われ、より低く見られることも多かったのだ。
藤林長門も武士になりたいという思いを人一倍強く持っていた。忍びとしての実力は誰にも負けぬと言う自負がある。だからこそいつか認められ武士となる事を信じ、義元の命で闇の仕事をいくつも果たしてきたのだ。それなのに突然義元が死に、その後を「蹴鞠狂い」と知られる氏真が継いだ。今まで通り今川に仕えるべきか、あるいは他の大名に付くべきかを見極めようとしていたところに、半蔵が氏真に取り立てられたという知らせが届いたのだ。
「まあそういきり立つな。服部保長からは己の下で今川氏真公に仕えよ、さすればいずれ同じように武士となる事も夢ではないと文で伝えてきた。お主も武士になりたがっておったではないか」
「ざけんな。半蔵の下になど付いてたまるか。そもそも誰に断って服部を名乗ってやがる。俺は認めた覚えはねえぞ」
服部というのは上忍三家である千賀地・藤林・百地の元となったとされる由緒正しき家名だ。元は千賀地保長を名乗っていた半蔵が服部姓に変えたのは、対外的に自分が伊賀忍びを代表すると喧伝する為であることは明白だ。長門はそもそもそれが気に入らなかった。
「俺はぜってえ認めねえ。半蔵も、氏真もだ。俺を見くびって虚仮にしたことを後悔させてやる」
藤林長門は言い捨てると百地丹波の屋敷を出た。
この物語は不定期連載になりますので、ブックマークしていただけると嬉しいです。
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