7.
「あ、ども」
と坂本はべたつくような笑いをもらしながらメニューを見ている。昼のランチメニューと違って、クリアファイルのしっかりしたメニューで、種類も多い。
「今日、このペアセットにしようと思うんですけど、どうですか?」
それは、前菜盛り合わせ、チキンのトマト煮みたいなものと、パスタ、ピザ、ドルチェ、食後の飲み物までのコースになっている。二人で取り分けられるようになっている、ということらしい。
坂本はなんか浮かれているみたいだ。久須美は声を出すのもいやになり、こくんとうなずいた。
「あ、まず先に言っておきますけど…。今日は割りかんですよ」
いきなり言われて、『はあ?』と心の中で思い、目をパチクリした。
「一応、今日はぼくが声かけましたけど…。もともと先に言いだしたのは玉置さんなんですからね、そこ、忘れないでおいて下さい。本当だったら、玉置さんにごちそうになってもいいかな、とも思ったけど…。まあ、ぼくの方が給料もいいだろうし、恵まれない人にそんなことしてもなあ、と思ってね」
久須美の顔が固まる。
「一応、玉置さんから話だけ聞いておいて、まあ、乗ってもいいようだったら、乗ってみますから…。それでいいですか?」
坂本はなんか絶好調という感じで、自分の調子で話を進めてから、ウェイトレスを呼びつけると、メニューを持つ手の小指を立てて、なんだか気取って注文をした。
「あ、玉置さん、ワインでいいですか? いいですよね? このデキャンタくらいならいいですよね」
とそれも勝手に決めて注文した。
久須美はむかむかしてきていた。
「あの、坂本さん、失礼ですけど…」
ウェイトレスが行ったのをきっかけに、久須美はしゃっきりとなって、坂本に挑むように言った。
「はい」
やけににこにこしている。ついつい力が抜けそうになる。そこに力を入れて、久須美は覚悟を決めた。
「あの、そのネクタイやめてもらえませんか?」
「え? これ、いいでしょ?」
「それ、川澄さんからもらったネクタイでしょ?」
「え? あれ? 知ってるんだ」
と坂本は、ネクタイを引っ張って自分でまじまじと見つめた。
「川澄さんが、千円ぽっきり、って言っていましたから」
「へえ~」
「四LDKって何ですか? マンションでも買ったんですか?」
一度胆を決めてしまうと、久須美はどんどん強気になってきていた。
「え、ええ…。まあ。家買って。ローン組んだんですよね」
「川澄さんに結婚を申し込むためじゃあないんですか?」
「う…」
と、坂本は下を向いてしまった。
「いや、まだそこまでは行ってなくて…。付き合ってもらおうと…。誘っても…。なかなかうまく行かなくて…」
「でも、バッグとかなんとか買ってあげてるんでしょ?」
「う…」
と坂本の顔からにやけた笑いは消えて、なんだかしょんぼりしてしまっている。
「デートしてくれるということで、一緒に出掛けたんですよ。一度だけ…。で…、ルイなんとか…。銀座の。松屋の。あそこに入って…。なんか、うれしそうにバッグ見て、これがいいかなとか言っていて、それで…。その…。けっこう高くて…。でもさ、びびっても、店の中に入っちゃったらなんか緊張感がすごくて…。もう断るって雰囲気じゃないし…。まあリボ払いにしておけば、いいかと…、それに、何か買っておけばそれからトントンとつきあいが進むかと…。期待して…」
坂本が情けない言い訳をしはじめた。
「もう、買ってあげたんだったら、そういうぐちぐちした言い方やめた方がいんじゃないかしら。川澄さんのことが好きだから、何か買ってあげようって思ったわけでしょ?」
「いや…、でも…、あれ高すぎでしょ? 会うたびに、あんなものに毎回金注ぎ込んでいたら、ぼくだってやってられないですよ…。マンションだって、『お家がある人だったらいいな』とか言うからがんばって、まあ、住む所はぼくもずっと必要になるわけだからいいかな、と…。ちょうどマンションの乱立時期だったらしくて、お手頃値段になっていたし…。だけど、ローンの支払い始まってからも…、場所を見に来る気配もないし…。食事に行ったのだって、あのバッグ買ったあの日だけだからな…。たぶん、ぼくになんか気が無いと思うな」
「へえ、自覚してるんだ」
「そりゃ、そうですよ。ぼくだってバカじゃないんだから」
久須美はなんだかおかしくなってきて、笑ってしまった。
「なんなんですか! まったく! 訊問みたいに次々に質問したかと思ったら、バカにしやがって」
坂本は顔を真っ赤にして言った。
「だって。ほんとにバカみたいなんだから! じゃあ、なんでまだそんなネクタイしてるんですか!」
「だって、これ、初めてもらったものだから…。そりゃ、義理チョコとかならぼくだってもらったことあるけど…」
坂本の目がうるんできて、ネクタイをいじっと見つめた。
「取って下さい。そのネクタイ!」
「ちぇっ」
と言いながら、坂本はしぶしぶネクタイを外した。
「すぐ捨ててね」
と追い打ちをかけるように言うと、坂本の顔からにやけ笑いが消え、ぶすっとなった。
「玉置さんだって、中年の冴えない契約社員のくせに。偉そうなこと言えないでしょ!」
坂本はすっかりいじけてしまったようで、今度は久須美を攻撃してきた。
「わかってますよ。そんなこと」
なんだか久須美の中にメラメラと炎が燃え出してきていた。




