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17.

「とにかく座って待てばいいよ。ほら、入り口のそこ。その席に座っていれば、その人が入って来た時にすぐにわかるだろ」

 と店主が輝彦に言っており、

「そうですね…」

 と輝彦は困ったような声を出していた。

「だけど、顔も覚えていないんですよ…」

「あ、でもきっと声をかけてくれるよ」

「そうですね…」

 と聞こえた後、輝彦が席に座ったようだった。久須美はこわくて振り向けなかった。身体全部をアンテナにして、ただその気配を感じていた。

「何飲む?」

 と店主が輝彦に聞いている。

「うーん、じゃ、コーラ」

 と輝彦が言った。

 ほどなくして、店主がコロコロとグラスを鳴らしながら輝彦のところにコーラを運んで行くのがわかった。

「ね、あなたのところから見えるの?」

 と久須美は純吉に聞いた。

「え? 何?」

「その…、あの子のことが…見える?」

「え? み、見えるよ」

「ね、そっちの席に行っていい?」

「え? どういうこと?」

 と純吉がどぎまぎしているところを、久須美はすっと立って、純吉の隣に座った。

 純吉の座った壁側の席は、続きのソファになっていた。

「え? お、おい」

 と戸惑う純吉の隣に座り、久須美は純吉の腕に自分の腕をからませた。

「お、おい。な、なんか…、不自然じゃないか?」

 と純吉が感じている気まずい雰囲気が伝わってきた。

 その、純吉の隣に座る瞬間に、久須美は輝彦の方をしっかり見た。そして一瞬目が合った。輝彦の方ではすぐに目をそらし、コーラのグラスをストローでかきまわしていた。

 久須美の目からは涙があふれてきていて、止まりそうもなかった。

「や、やめろよ。泣くのは…。おれが、なんかいじめてるみたいじゃないか」

 と純吉がこっそり言う。その純吉がおかしい。そのことでもなんだか涙が出てくるのだ。

「わかってる」

 と言いながら、久須美は純吉の肩にもたれかかった。


「どうだ? テル坊、学校の方は順調か?」

 一人で時間をもてあましている輝彦に店主が声をかけた。

「ま、まあ」

「おたくのうちはみんな優秀だからな」

「い、いや、そんな…」

 とポツリと輝彦が言う。

「医学部に通っているのよ」

 と久須美がこっそり純吉に言う。純吉は困ったように、

「ちぇ、さっき興信所からの資料を読んだから知ってるよ」と言い、そのまま三十分が過ぎた。と、店のレジ横にある電話が鳴り、店主がそれに答えた。

 それはサカタという人物を名乗った興信所探偵からの電話のはずだった。電話を受け、受話器を置いたカフェの店主が輝彦の方に呼びかけた。

「おい、テル坊、なんかサカタって人が、急に用事ができて、今日は来ないってさ。西垣輝彦さんに伝えて下さいだと」

「えー?」

 と輝彦が困惑したような声を上げる。

「ぼく、そのサカタって人のことほんと、かけらも覚えていないんだけど…、なんだったんだろ?」

「ふうん」

 と店主が首を傾げる。

「まったく! ぼくだってそれなりに忙しいのに! むかつく!」

 と輝彦がドンとコーラのグラスを置きなおした。

「まあまあ、そう怒らんと。なんか、新手の勧誘かなんかじゃないの? また連絡があるかもしれないからな、気をつけろよ」

「まったく」

 と言いながら、輝彦がレジに立つと、

「ああ、いいよ。お金はいらない。おじさんのおごりだ」

「え? いいんですか?」

「若い人と少し話しができたし、また、来てよ」

「はい」

 と輝彦が店を出て行った。

 店主がレジを離れる時にふと純吉と久須美の方を見た。奥に座っている中年カップルは…、別れ話なのか? けっこう長いこといるし…、なんだか女の方がボロ泣きしてたけど…、というような? そんな目を向けられたからか、

「おい、おれらも、もう出よう」

 居心地が悪くなった純吉が久須美に言った。


 そこからはバスに乗った。西垣温泉総合病院はもう少し山の方にある。

 今、久須美の家族はそこからさらにバスで一駅奥に入った所に一軒家を構え、住んでいる。上の姉は同居していて、次の姉も近くに住んでいるはずだった。

 バスに乗ったのは久須美と純吉だけで、貸し切り状態だった。

「ねえ、待ち合わせ相手が来なくて、あの子、ちょっとかわいそうだったね」

 と久須美が言うと、

「しょうがないよ。そのために来てもらったんだし」

 と言ったあと、純吉ははぁ~と長いため息をついた。

「疲れた?」

「疲れたもなにも…。朝から、もう話について行けてねーよ。子どもがいるとか、なんとか…。ただそばで姿を見たいとか…、急に聞かされて…」

 純吉はまたぷりぷりしていた。

「でも、おかげさまで気が済みました。ほんとうに、ほんとうに、ただ近くで元気な姿を見たかっただけなの」

 と久須美はしょんぼりした。

「じゃ、それで良かったじゃないか。なかなか好青年の感じだったしね。たっぷり一緒の空間にいたからな…」

 久須美がこくんとうなずくと、純吉は優しく久須美の手を取った。

「さ、じゃあ、あたしの家族に会いに行こう! きっとすごく歓迎してくれると思うから」

「ほんとに歓迎してくれるの?」

「たぶんね」

 バスが予定の停留所に着いた。

「な、なんか、緊張するな、今日は…」

 と純吉が身体を固くしている。

「大丈夫よ。あなたのこと、とって食べるわけでもないわけだし」

 と久須美は笑った。

「それにしても…、君は未練はないの?」

「え?」

「その…、病院の御曹司の…、なんとかって息子と付き合って、子どもまでできたわけだろ?」

「そうだよ」

「その男に未練ないの?」

 久須美はしばしの間、純吉の小さい目をじっと見つめた。

「ねえ、人にはお似合いとか、あるんじゃないかしら。たぶん、あたしにはきっと似合わない人だったのよ。あの人は…」

「じゃ、おれがお似合いなの?」

「うーん、わからないけど。まあ、そこそこなんじゃないの?」

「ちぇっ」

 と言いながらも純吉に嫌がっている様子はなく、今度は久須美が純吉の手をとり、五年ぶりに実家への門へ向かった。

 インターホンのボタンを押す前に、純吉がポツリと言った。

「じゃ、次はおれの所にも行かないとな」

「え?」

「おれの実家だよ」

 インターホンのベルが家の中にひびくのがわかり

「クスミ~?」

 と姉がドアに向かって来るのがわかった。

 久須美は純吉の手を強く握った。

 今、この男と、ここに二人でることができて良かった。と久須美は心の底から思った。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

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