16.
それから、久須美にはまた次の目標ができた。純吉と新婚旅行に行くことだ。それを機会に、久須美はしばらく行っていなかった実家を訪ね、とりあえず純吉のことを紹介しようと思っていた。
これからの生活がすべてうまく行くわけではないだろう。それはわかっていたし、純吉がまだ知美に未練があるのだったら、それを応援するのもいいし…、今まで成り行きでここまできた結婚だけれど、本当に結婚した以上、そのままずるずる続くのもいいかもしれないと思い始めていた。
それに一人では決心がつかなかったことを、純吉となら叶えられるかもしれないという思いもあった。
自分がやりたいことを実行する日にちと場所が決まりさえすれば、その日を思い描き、生活を進めるのは楽しいことだった。
純吉に
「ねえ、新婚旅行に行こうよ」
と切り出すと、
「え? どこに?」
と言いつつも、純吉はいつものようにちょっとにやけていた。
「行きたいところがあるんだ」
「費用は?」
とここは、思ったとおりの返答があった。
「それはまあ、折半にしようか」
「ああ。あ、宿代はおれ、持ってもいいよ」
純吉からは約束通り給料を全額入れてもらっており、純吉が使う費用は小づかい制になった。最近純吉は愛妻弁当を持って行くようになり、もともとそんなに入れ込んだ趣味もないようで、たばこも吸わず、付き合いで飲みに行くことも少なく、それで満足しているようだった。
よけいなことを突っ込まれたくないので、久須美は最初、ちゃんとエクセルで旅行にかかるだろう費用の収支資料を作っていたが、
「おいおい、会社じゃないんだし、そんなにきっちり報告することないよ」
と純吉が言い、久須美もその言葉に甘えることにしたのだ。
「で、どこに行くの?」
と聞かれ、久須美は
「どこか行きたいところある?」
と一応、純吉の意向をうかがった。
「う、べ、べつに…」
「じゃあ、あたしが決めるけど、行くのはその日まで内緒」
「何それ?」
「ミステリーツアー」
と、適当に言ってみたけれど、
「へへへ、ま、それもいいかな」
とまたにやけるのだった。
その旅行は五月の連休の終わりから二泊三日で計画を立てた。
それまでに久須美は旅行の用意をし始めていた。
ミステリーツアーというのは、つまりは久須美の都合で久須美の思うように旅行を計画できるということだ。
そのことだけで、旅の支度が楽しくなった。
まず、旅の一日目に叶えたいことがあり、久須美はそのために細かいシナリオを組み立てた。
その新婚旅行の一日目、新宿発の踊り子号の中で久須美はその日の計画を純吉に話した。純吉に助けてもらいたいことがあったからだ。
純吉がどう思ったか? わからない。だけれど、純吉はいつもと同じように見えた。もう始まってしまった旅行を純吉も楽しもうとしていたのかもしれない。
五年ぶりに久須美は自分の生まれ育った場所に降り立った。天気が良く、旅行日和だった。純吉と手をつないで、久須美はサマリアというカフェに向かった。
そのカフェは久須美がこの場所で生活している頃にはなかった場所だ。ちょうど久須美が実家に帰らなくなった五年前くらいにできたものらしい。
久須美はこの日のために興信所を雇い、この周辺のことと輝彦とのことを調べていた。
たぶん、久須美の家族に聞けばもっと詳しくわかることもあったかもしれない。だけれど、家族とはその話をしたくなかったのだ。
興信所の探偵は久須美の計画にもアドバイスをしてくれた。
輝彦の高校時代の実際の先輩の名を名乗り、その日久しぶりに会いたいということで輝彦に連絡し、サマリアで会うという約束を取り付けてくれていた。
その約束時間の少し前から、久須美と純吉はサマリアにいて、一番奥の窓側の席に座り、二人、話すこともなくただ、しんみりと座っていた。
行きの電車の中で計画を話す時に、興信所から送ってきた最近の輝彦の写真を純吉にも見せ、共犯者になってもらったのだ。
約束の午後一時少し前に、青年が入って来た。入り口の見える席に座っていた純吉にはそれがすぐにわかった。
「おい、来たよ」
と純吉が下を向いて久須美に言った。
久須美は入り口に背を向けて座っていたが、緊張していた。そして、ただ胸が高鳴るのにまかせていた。
サマリアはそこに住んでいた佐藤万里男という人が仕事を引退するにあたって、住宅の一部を改造して経営している小さい店だった。その万里男という人がほとんど一人で仕事をこなしていて、ときどき家族が手伝うような、そんな小さなカフェだった。佐藤家と西垣家は昔からの知り合いらしい。
そういう情報もみな興信所から送られて来ており、その日のシナリオは所長が考えてくれたものだった。
とびらを開けた輝彦が店主に向かって言っている声が久須美の耳に入ってきた。
「あの…、待ち合わせなんですけど…」
「おお。テル坊!」
と店主が答えた。
「サカタトモヨシって人、来ませんでしたか?」
「え? いや…。小さい店だ、見たらわかるだろ」
輝彦は店を見回しているのだろうか、純吉の顔も緊張していて、下を向いてしまっていた。
久須美はなんだかもう、耐え切れずに、涙を流し始めていた。
「おい、泣くなよ。不自然だろ」
と純吉がこっそり言い、バツが悪そうにアイスコーヒーを飲んだ。




