13.
「ねえ」
と純吉が久須美の腰のあたりを触ってきたので、久須美は一瞬身構えた。
思えば、純吉も今日はかなり飲んでいたのだ。まだ調子が良くなっているのかもしれない。久須美は洗い物をしながらも、純吉の言動に少し神経質になっている自分を感じた。
「おれさ」
と純吉が話し出した。
「前はさ、おれ、フーゾクとかさ、ときどきは行って、その…、給料日あととかだけだよ。でも、けっこうお金使ってたのよ。フーゾクって言ってもさ、そんな激しいやつじゃあないよ。おれら男どもが丸く座っている真ん中にミラーボールがキラキラしててさ、その下をきれいな女の子たちが音楽に合わせてぐるぐる回って行くんだ。皆、おれなんか一生かかっても手がとどかないような、ぴちぴちで若くてかわいいギャルだよ。その子たちが下着がすけるようなかっこうで歩いて行くんだ」
『何? この人?』久須美は困惑しながらも、純吉の話をただ黙って聞いていた。
「で、音楽が止まるんだ。そうすると、その時目の前にいた女の子が、おれの膝の上にまたがって座って来て、こう…、ブラを取って…」
久須美は信じられない、という表情で純吉を見たが、純吉は陶酔状態なのか? あろうことか、自分の背中に手を回し、ブラを取るようなしぐさまでして、自分の胸をまるで女性の胸があるようなふうに、
「もう、ほんとうにすべすべでやわらかくて、最高なんだよ。肌触りとか。その中に顔を埋めてもオッケーだしさ…。その…、おれの下の方の処理もしてくれるわけ…」
ここまで聞いて、久須美は不快でむせ返りそうになった。もし職場で聞いていたら完全なセクハラだった。
「ね、そこまでやってくれるんだったら、おれ、全部あずけてもいいよ。給料。こういう生活もいいなって思っている。そこまで含んでもらえば…」
純吉はまだ何か話そうとしていたが、久須美には限界だった。
今、久須美は水を出していて、コップ一杯の水を意味もなく手元に持っていた。その水を純吉の頭からかぶせ、
「やめて!」
と言った。
純吉の方では、水をかぶりながらキョトンとしており、
「え?」
と意味がわからないようだった。
「そういう話、不愉快だから!」
そう言うと、洗い物をやめ、久須美は自分の畳部屋に入り、息をつめた。
なんだか、純吉のことが急に怖くなったのだ。自分とは違う生き物だという気がした。
そのあと、居間の方からは音がしなくなった。
久須美の心臓はドキドキと鳴っていた。まったくいい年をしているのだけれど、自分に不得手な状況というものがある。久須美は久須美なりにいろいろなことをを経験し、現在に至っているとはいえ、不快なものは受け入れ難かった。
今、久須美の畳部屋にはこたつがしつらえてあった。いつもは、それをわきにずらして布団を敷いているのだが、その日、久須美は動揺を抑えきれず、息をころして、こたつに入っていた。
いつもだったら、居間からはテレビの音などが聞こえてくるのだが、その日はしんと静かで、その静かさが不気味だった。純吉は怒ったのかもしれない。
不機嫌になるとわりに不快を顔に出すタイプだが、それ以上に怒った純吉というのは見たことがなかった。
いつも久須美は電気を完全に消すのだが、それも怖いように思い、小さい電気だけをつけ、まんじりともせず、こたつに入っていた。
そのうち、眠気がやってきて、『ああ、このままだとやばいぞ…』と思いつつも、一日の疲れがちょうど心地よく、久須美はうとうとと、眠りの世界に引き込まれようとしていた。
と、その時、すーっと、障子が開いたのだ。
その時、すぐに立ち上がっていたら、どうなっていたのだろうかと、久須美は後々よく考えた。
純吉が部屋に入って来ようとしていることがわかっていながら、そして嫌悪を感じていながら、久須美は立ち上がらなかったのだ。
久須美は目をつぶっていた。
「もう、電気代はおれが持っているんだから、電気くらい消せよ」
と純吉はぷりぷりしていた。で、電気を消した後、しばらくの沈黙があり、純吉がそっと久須美の横によりそうようにして、おそるおそる、静かに自分に触れてくるのがわかった。そして、久須美はそれを拒まなかった。
その感触は久須美には懐かしいものだった。久須美の記憶の奥の奥の、閉ざされていた部分が開かれた。
久須美はその状態を続けたかった。純吉が触れるその場所の感覚を思い出したかった。
久須美の思いは、その時、遠く自分が過ごした故郷の、ある一時期にワープしていた。




