11.
翌日、久須美は坂本のマンションに引っ越した。かなり荷物を整理はしたのだけれど、引っ越し業者が久須美の畳部屋に残して行った荷物を呆然と眺めて、久須美は脱力していた。
「もう、朝からうるさいなあ。せっかくの休日だっていうのに」
寝ていて、何も手伝わなかったくせに、坂本は起きて来るとすぐに文句を言った。
「はいはい」
と久須美は自分の心を立て直した。一緒の職場にいたからか、なんとなく坂本の雰囲気というものがわかっているような気がした。とにかく、坂本はおだてるに限る。だけど、おだて過ぎてはいけない。
その畳部屋以外は他所なのだ。そこは坂本のテリトリーなのだから、そこは忘れないようにしよう。と久須美は自分に言い聞かせた。
久須美には次の目標があったのだ。それは年末。それに向けて、また頑張らなければならない。
自分の部屋は坂本が出かけている間にでもゆっくり片付ければいい。
とにかく、畳部屋以外では、まず坂本……、純吉を立てることだ。
その次の目標とは、知美と幸恵をアパートに招き、ごちそうすることだった。久須美は、もしかしたら純吉と知美をまとめられるのではないか、と本気で考えていたのだ。
それには、この生活がどんなにステキか、ということをアピールしなければならない。
久須美は職安に通い、職業訓練で改めてパソコンの勉強も始めていた。会社を退職したことで、何もできなくなってしまうことが怖かった。麗奈が言っていた「生活に埋もれる」という言葉の意味がわかるような気がしていた。
料理はわりに好きだったので、一緒に食べる人がいるということが、刺激になった。
純吉は単純なので、自分がおいしくないと思うと箸もつけず、おいしいと思うと素直に「これ、うめ~」と声を上げた。
坂本の好みは単純で、安い和定食屋の定番メニューを順番に用意すればけっこう満足していた。そして、食事が終わるとテレビを見るかパソコンをやっている。
久須美は今までの生活に不満を感じたことはなかったが、その生活よりは刺激もあったし、東京に出て来てから働きづめだったことを考えると、時間の余裕もあり、新しく暮らす場所の周辺を散策するだけでも毎日が楽しくてしょうがなかった。
そうやって安穏と三か月が過ぎた。
「ね、坂本さん、年末年始のお休みの前に、同僚の若い人たちを招待しようと思うの」
と、純吉の機嫌が良さそうな時をねらって、久須美は自分の計画を話した。
「ああ、いいんじゃないかな?」
「山田さん、川澄さんにはもちろん声かけるけど…、あと二人、男の人…、持田さんと斉藤さんにも声かけてみようと思っているの…」
「え? だけど、持田と斉藤のどっちかと、川澄さんがいい感じになっちゃうんじゃないの? 川澄さんかわいいからな」
と箸を止めて、純吉は少し不服そうな顔をした。
「だから、あなた、がんばってよ。とにかく会社では仕事に集中して、仕事男のふりして、いいところ見せておいてよ」
「ああ、それは、わりにできてる」
純吉はうんうんといいながら、にやりと笑った。
「それに、こういう生活もいいかな、と思ってる。おいしい飯のために早く帰ろうと思う人の気持ちがわかるよ」
そう言い、じっとりと見つめられると久須美はかえって居心地が悪くなり、
「ちょっと! ちゃんとした目的を持ってがんばてよ!」
と席を立った。
「ねえ、君ももっときれいにしていたら、少しはもてたんじゃないの? 料理はうまいし、いろいろ気が利くんだから」
と純吉が立ちかけた久須美に言った。
何なのだろうか、ときどき純吉がほめるようになると、久須美はそれを聞くのがいやになり、純吉との気持ちが近づくことに危機感を覚えるのだった。
日々充実していた。
もしかしたら、それは、一時のことだと思うから生まれる感覚なのかもしれなかった。久須美は洗濯物を干しながら、この場所が自分の家だったらそれはそれでいいのではないか、という思いと、純吉の心をつなぎとめて置くことは難しいだろうという思いで、ふと複雑な気持ちになった。
でも、とにかく次の目標だ!




