1.
むかしむかし、テレビのシナリオ公募のために書いたものを、小説にしました。
だから、古めかしい? のかもしれません。
新年度が始まって二日目。玉置久須美の十年続いていた平穏な日々に揺らぎが起こった。
大したことではない。久須美と同じ部署に、ただ単に新たに契約社員が入ってきたというだけだ。
だけど、そんなこと、久須美はまったく聞かされていなかった。
今勤めている商事会社に契約社員として入ってからここ十年というもの、特に何も変化のない毎日だった。久須美の部署「アジア・アフリカ部門」にいた契約社員はずっと久須美一人だったのだ。ほかの部署には同じような年代の契約社員がいることも知っていたけれど、特に何の接点もなく、接点を持ちたいとも思っておらず、同じ部署の若い正社員から「コピーお願いね」とたのまれ、コピーを取り、部署の事務用品をそろえ、エクセルで取り扱い商品の表を作り、顧客名簿をまとめ、顧客、取引先宛にお決まりの文章の手紙、メールなどを作成し、要望に沿ってカタログなどを送付する毎日。
会社の収支に興味があるわけでもなく、仕事の内容に興味があるわけでもなかった。ただそうやってこれからも一年ごとに契約更新を重ねながら、永遠に安穏と過ぎていくものだと思っていた。
久須美はアラフォー、独身一人暮らしの、これまでの気ままな生活に満足していたのだ。
いつも市ヶ谷駅からオフィスまではラルクの同じような曲を聞いて歩いている。しぼり出すようなハイドの声を聞くと、日常から遮断されるような気になるのだ。そのままハイドに守られてオフィスまでふんふん~と歩き、オフィス一階でエレベーターを待ちながらイヤホンを外し、でも、頭の中にはまだハイドの声が残っていて、ふんふん~と頭の中で音楽を繰り返しながら、「おはようございます」と、何人かと会い、すれちがい、五階の自分の部署へと入り、自分の机の所にバッグを置き、パソコンの電源を入れ…、と、そこまではいつもと同じ朝だった。
パソコンが立ち上がり、机回りを軽く整理しながら、さあ仕事だというところに、課長の宇佐美が気持ち浮かれた面持ちで、新人の守木麗奈を連れて久須美の机の横にやって来たのだ。
「あ、玉置さん、こちら、今日から同じ部署になる、守木麗奈さんです」
その声で久須美はとっさに立ち上がったが、その時すでに違和感があった。麗奈は、新しい勤めに合せてそろえたと思われる、ふわりとしたベージュ生地にエンジ、オレンジなどの同系色の細かい花柄を鏤めたワンピース。久須美には縁のないたぶん、どこかのブランドの…。明るいブラウンに染めた髪は、自然なパーマでさりげなくまとまっていた。
久須美はなんだかうつむきかげんになってしまって、自分のつま先に目が行った。黒の合成皮革のズック。ベージュの綿パン。その目の先にある、つま先がとがった光り輝くえんじ色の麗奈のハイヒール。頭が真っ白になりながら、久須美はしょんぼりとそのつま先と自分のズックを交互に見つめていた。
「今度、横浜で試験的にうちの部門で取り扱う商品だけに特化した新店舗を展開することになったので、その担当をしてもらうことになりました」
宇佐美は良く通る声でそう言った。
『そんなこと、聞いてないよ…』と久須美は思い、さらに気落ちした。
「あ、今日、玉置さんも一緒にお昼に外に食べに行きませんか? 守木さんと一緒に外に食べに行こうと思っているんですよ。もちろんごちそうしますよ」
そう宇佐美に言われて、久須美は宇佐美の顔を見上げ、どこにも曇りのない笑顔にはじかれて、なんだかどんよりと悲しくなった。
「あ、あたしはいつもお弁当を持って来ているもので…」
そう小声で言うと、
「あ、あ、そうですか。それじゃあ、守木さん、二人で行きましょうか」
なんだか、宇佐美がさらにうれしそうに見える。
「ええと、これから守木さんと関係のある部署に一緒にあいさつに行って、午前中はぼくから簡単に仕事などの話をするんで…。そのあと、一時からぼくは外勤になるんで、玉置さん、パソコンのこととか、社内掲示板とかメールのこととか、出勤簿の書き方とか、日常使うものを守木さんに教えてあげてくれますか」
とっさに『いやです』と言ってみたかった。でも、言えるわけがなかった。
「はい、わかりました」
と答えると、「じゃ」と、宇佐美と麗奈はにこやかに話しながら、久須美の横から去って行った。
その後ろ姿を眺めて、久須美はぼんやり立ち尽くしていた。
別に宇佐美のことが特に好きとか、そういうことではない。宇佐美に家庭があることもわかっているし、宇佐美が特に久須美に親切なわけでもない。
ただ、わりとさわやかで、理解力もあり、説明もわかりやすく、人当たりもいい。激昂することもない。この部署の中では気になる存在だった。だから、宇佐美に何か頼まれたりするのは、わりにうれしくもあり、特にそんなに楽しいこともない毎日だからこそ、時々ぽっと起こるそんな小さい楽しみが会社での久須美のモチベーションを支えてくれていた。
久須美は心の中で、宇佐美に訴えた。
『課長! なんで、守木さんなんですか? そんな新しい仕事があるんだったら、なぜそれをあたしに回してくれなかったんですか? あたしが今やっている仕事なんか誰だってできるんだから! その仕事を守木さんにやってもらって、あたしがその新しい店舗展開? の仕事やったって良かったんじゃないんですか!』
でもまあ、久須美が外勤することになれば、スーツも必要だろうし、化粧ももう少し気合いをいれなければならないだろうし…、まあ、無理っちゃあ無理だったろう。わかっているのに、じと~っと湿った気持ちが心を濡らした。
そうやってひしゃげながらも、午後からは麗奈とつきあって、パソコン関係の雑事を教え、退社時間まで一緒に過ごし、なんだか、いい人ぶって、
「じゃあ、明日は一緒にお昼に行きましょう」なんて誘ってしまった。
帰り道で聞くいつものハイドの声が、なんだか暗くまとわりつくように思えた。




