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原宿~表参道~原宿

作者: 沢山書世

他愛もないふとしたきっかけからでも、運命が動きだすことってありますよね。

 季節は冬だった。当時僕は、新宿区内のとある会社で事務部門に籍を置いていた。なつかしい・・・今思えば、あのころが自分の人生の中で最も心穏やかに過ごしていた時期だったのかもしれない。比較的起伏の少ない穏やかな生活(いわゆる平凡な日々)を繰り返していればよかった。自分にはそういったリズムがしっくりときていて、心身ともにとても満たされた生活をしていたと思う。

 変化に富んだ暮らしを好む人たちから見れば、僕の生活は実に単調で退屈なものに映ってしまうと思う。何らかの特段の熱い決意を胸に秘めて、企業戦士として朝から晩までエンジンをフル回転させて進み続けて行くことに生きがいを感じる人も世の中には大勢いるであろうが、そうではない人達もいるのだ。僕は後者の部類に入る。習慣という流れに心身を委ねて暮らしているので、朝を迎えた体はまっすぐに職場へと向かい、帰りは朝たどってきたルートを逆戻りしてくる。去年と同じ、先週と同じ、昨日と同じ日常を毎日送っていた。

 不満をあげるとすれば通勤ラッシュくらいであろうか。通勤の足には多くの勤め人と同様、電車を利用していたのだが、朝は毎日すし詰めだった。身動きはとれないわ視界は阻まれているわといった状態で運ばれていくのだが、みんな一緒なんだ自分だけではないんだと思いつつも、ついぞあの環境に慣れることはなかった。帰路は利用者の帰宅時間がばらけてくるため、朝ほどの混雑にならないというのは助かった。体は自由に動かせるし、繁華街から発っせられるネオンライトの明かりが夕暮れの山手線の車窓から入ってくるのを感じることも出来た。電車が横へ横へと移動し続けているにもかかわらず、外から入ってくる明かりは決して途切れてしまうことがない。次から次へと別のネオンライトが現れ続け、常に乗客に誘いをかけてくる。

 いつでもその中へと入っていける、そういった環境の中にあったにもかかわらず、途中下車をしてエンジョイすることはなかった。車窓から見えるそれらの風景は、僕の視界をいつも素通りするだけであった。目に飛び込んでくるきらびやかな世界に興味を示さない姿勢は、家に帰るという重大な使命を授かり、それを律儀に守っているかのようだった。高田馬場から内回りの山手線に乗り込み、渋谷までの約11分間5駅を揺られたのちに東急線に乗り換えて帰るという移動を、来る日も来る日も無意識に繰り返していた。所用でどうしても寄り道が必要となった場合には、新宿もしくは原宿で途中下車することもありはした。が、本や衣類の購入といった日常の雑事については、自宅の最寄り駅にたどり着いてからその界隈の店を利用すれば充分事足りていたので、わざわざ途中下車をする必要性を感じることはなかった。時たまではあるが、テレビで目にする散歩番組の影響からなのか、車窓から街を眺めているうちに、たまには途中下車をして一駅か二駅ぶらりと散歩をしてみれば、なにかおもしろいものを発見できるかもしれないな、という気分が湧いてくることはあった。が、せっかく湧いたそんな能動的な気分もほんのつかの間脳裏に浮かぶだけで、面倒くさいからやめておこうという消極的な気分が後を追って現れてすぐに上書きをしてしまうため、途中下車が実現することはない。

 散歩したいと思うアクセルが踏まれても、なんだか気がすすまないなと思うブレーキがかけられる、そんなある意味安定した状態で流れていたはずの日常のバランスに、ちょっとした刺激が与えられたときに、そう、あの日気まぐれで途中下車をしたおかげで彼女との素敵な出会いを経験することができたのである。


 山手線が原宿に到着した。後方二両目、右ドアの脇に位置取りをしていた僕は、ドアが開くや降車していく人達に背中をせかされながら車外へと放出された。これは特段珍しい光景というわけではない。乗降客の多い山手線の駅ではどの時間帯、どの車両でも見られる、ごくごく当たり前の景色である。その日も僕はいつものとおり降車ルートを開けるために電車からホームへと一旦移り、降車客の流れが収まるのを待ってから改めて再乗車するはずであった。

 が、そういえば「しいたけ」ってどうなったんだろう?

 突然そんな疑問が頭に浮かんだ。「しいたけ」というのは、店舗の名前で、竹下通りに店を構えていた衣料品店のことである。ずいぶん前になる、かつて奇抜な衣装に身を包んだ大勢の少年少女たちが、代々木公園で自分らの踊りを披露していた時代があった。その活動は毎日ではなく道路が歩行者天国となる日曜日に限定されていたと記憶しているが、たくさんのダンスグループと、大勢の見物客が、毎週公園を訪れて、お祭りのように賑っていた。一世を風靡した少年少女たちは、しいたけ族と呼ばれていた。彼、彼女らが身に着けていた衣装を取り扱っていたのが、ブティック「しいたけ」だったという理由からである。普段巷で見かけることのないデザインと色合いの、日常の生活で身に着けるにはかなりの勇気を要する奇抜な衣装をこの店が販売していた。


「オー、あったあった。まだあったんだー」

 原宿で途中下車をし、竹下通りの真ん中あたりまで辿り着いたところで、「しいたけ」の看板が目の前に現れてくれた。久方ぶりに出会えた店に懐かしさを感じる。色とりどりの衣装が店の入り口前から奥の方まで並べられているところをみると、今でも当時と変わらないコンセプトで商売をしていると思われる。今の僕が着るにはちょっとしんどいナーといったデザインの色合いとシルエットの衣装である。せっかくやって来たのだから衣装を一通り眺めてなつかしんでみたいといった好奇心が浮かんでは来たのだが、店の中に立ち入る勇気がちょっと出てこなかったというのがそのときの正直な気持ちだった。ならばせめてと、外から店の商品を眺めながらしばらくの間感慨にふけることにした。

 竹下通りの混雑は恒常的である。そう広くはない道幅の通りを常に大勢の人が行き交っているため、店の前に立ち止まっていては、人の流れを邪魔することになってしまう。その日「しいたけ」に立ち寄る以外に特に予定のなかった僕は、とりあえず人の流れに身を任せることにした。

 通りの奥へ奥へと身体が進んで行く。道の左右は小さな店で埋め尽くされており、メイン通りに路地も含めると、店の数が三桁はあろうかと思われるこの一帯を、本気で見て回ろうとするのであれば丸一日がかりになってしまうであろう。それにしてもわずか一区画程度にすぎない広さのこの場所に、よくもまーこれほどの店と人が集まったものである。

 背中を押されるように前へ前へと進んで行く。女子高校生や外人さんで埋め尽くされている狭い道を、ぶつかって迷惑をかけたりしないようにと神経を使いながら歩く。5分くらいは経ったであろうか、ついに出口というか、来た時とは反対側の明治通り沿いにある入り口にやっとのことでたどり着いたときにはストレスでへとへとになっていた。

 屋外でありながらまるで密室に押し込められたような環境という、まか不思議な世界からやっと解放された僕は、表参道の交差点方面へと進路を変えた。ちょっと一息つきたい、つまり煙草で一服したい、という気持ちが僕の中に湧いてきていた。休憩することイコール煙草を吸うこと、長年の喫煙習慣からそうなってしまっている。

 それにしても喫煙愛好者にとって、最近の外界はずいぶんと暮らしにくくなってしまったものである。ちょっと前までは、タバコを吸いたいと思えばいつでも何処ででも一服することができた。灰皿が街のそこかしこに設置されており、思い起こすと実に快適な環境を用意してもらえていたありがたい時代だったと懐かしくなる。

 時代は変り、喫煙行為に対する規制が次々とかけられるようになっていった。吸いたいからといって所構わず喫煙するというわけにはいかなくなったのである。タバコにありつくためにはまず喫煙所を探すことからはじめなければならない。知らない街に行った折りなどは、そこの勝手がまったくわからないので、よりいっそう厄介なことになる。その土地土地の条令で独自のルールが設けられている場合があり、駅前や路上で安易に吸ってしまうと、知らないうちにルール違反を犯してしまっているということにもなりかねない。

 今いる場所から見える視界の中に喫煙所が見当たらないようであれば一旦諦めろ、わざわざ探しまわってまで吸うことなどはせず、喫煙のことを忘れるんだ、吸える状況が訪れたときにまとめて吸えばよいではないか、そういう意見もあろう。苦労して捜したところで直ぐに見つかるかどうかも分からない、それ以前に近場に喫煙所が存在しているかどうかも分かっていないのだ、労力の無駄使いはやめたほうがよいというのである。

 お菓子を欲したときであるのならこのアドバイスどおりの対策で済むかもしれないが、悲しいことに、煙草には依存性がある。お菓子の理屈と同じようにはいかないのである。吸いたくなれば、ありつくまでは煙草のことが頭から離れてはくれないのだ。煙草以外のことに一旦意識を切り替えるということがそう簡単にはできない。一服が実現するまでは他のことが上の空になってしまうのである。まことに不便なものなのだ。

 今一度喫煙者の行動について振り返ってみよう。喫煙欲求が湧いてきたときには、まずは喫煙の可能な場所を探す。いつもすぐに見つかってくれるとは限らない。しかし、いったん喫煙欲求のスイッチが入ってしまったのだ、煙草のことが気になって作業に集中できないという不都合な状況を嫌うため、簡単に捜索を諦めるわけにはいかない、とにかく探すのだ。そこが喫煙禁止区域であったとしても、喫煙者の目にとまりやすいよう掲示してくれているとは限らないので、安易に吸ってしまうわけにはいかないし、行きかう人にこの地域の喫煙ルールを尋ねるのもはばかられる。やはり、喫煙する仲間の集まる、気兼ねなく喫煙することのできる公設の喫煙所を探しあてて、そこで愛煙家達と共に煙草を吸うというのが最も居心地が良い。幸いなことに僕はこの街の喫煙所を何か所か把握していた、そこへと向かう。

 この明治通り沿いの歩道も、竹下通りに負けず劣らず人でごった返している。以前から構えているファッションビルに海外からやってきた二店の人気ショップが加わって、この区画の集客力が増したためであろう。前を歩く人の後をくっつくようにしてチョコチョコと進んで行き、信号を渡ること二回、やっとのことで喫煙所へとたどり着いた。先客は二人の女子だけだ。空いていてくれてよかった。

 自分が煙草を吸う人間でありながら、まことに身勝手な話ではあるのだが、僕は他人が排出する煙草の煙が大嫌いだ。口から吐き出される煙はもとより、煙草自体から出てくるいわゆる副流煙といったものも同様に苦手である。他人が出した煙を吸わされると不愉快な気分になるので、風上に位置取りをしたり、人との間隔をあけたりと、他人の出す煙から逃れる自助努力をしている。混雑している喫煙所であれば、煙が蔓延しているため、自分の煙よりもむしろ他人の煙の方をより多く吸ってしまいかねない。そういった場合には長居を遠慮することにしている。

 その時も、空いているうちにさっさと吸ってしまって、とっとと喫煙所から立ち去ってしまおうと目論んでいたので、急いで煙草とライターを取り出し、直ぐに火をつけた。待ちに待った一服である、肺の奥まで煙が行き渡るように思い切り深呼吸をした。先ほどまで受け続けていたストレスが取れてゆき、落ち着きを取り戻せたような気がする。そんな一服目の煙を吐き出しおえたその時、僕の耳に女性の声が不意打ちで飛び込んできた。

「すみません」

 聞こえてきたのは左側からだった。反射的にそちらへと顔を向ける。声の主の顔が僕の眼の前わずか30センチほどのところにあった。こちらに笑顔を向けるその女性と目が合ったとたんに、僕の脳と心臓が激しく反応した。

「べっぴんさん」そう感じてドキッとしたことと、顔までの距離の近さに怯んでビクッとしたのと、どちらが先だったのだろう。おかしな説明になってしまうが、僕はべっぴんさんが好きではあるものの、かつ苦手でもある。得意ではないと言った方が正解に近いかもしれない。べっぴんさんと接することは嬉しいことであり、僕を幸せな気分にさせてもらえる。と同時に、おかしな反応も発生してしまうのだ。普段の自分ではいられなくなってしまい、挙動がぎくしゃくとして不自然になる、つまり完全にうろたえた状態になってしまうのである。自分の中から平常心が消えうせて、それに代わった動揺に自分を支配されてしまうということなのであろう。

「ハイ?」と裏返った返事が僕の口から出た。漫画であれば、驚いた顔で、ぴょんと50センチほど飛び上がるか、心臓が体から飛び出すという表現を使うのであろうが、現実の僕の場合も心の中ではまさにそういう気分ではあったものの、表面上は平静な装いを保って無表情に映るよう取り繕ろっているため、傍からはいたって冷静な様に受け取られていたはずだ。自分の心の動揺を、他人から読み取られることを恐れているための自己防衛策だ。

 僕は少々期待を持ちながら、女性からの次の言葉を待った。

「竹下通りへはどう行ったらよいのでしょうか?」

 と彼女。

 なんだ、単に道を聞かれただけじゃないか。残念だなあ、逆ナンであって欲しかったのに・・・自分からナンパにいく度胸を持ち合わせていない者の、ほのかな期待はあっさりと打ち消されてしまった。

 僕はいままでの人生の中で、ナンパをした経験が三回ある。同じ日に三回チャレンジしたので、一回と言ったほうが正しいのかもしれない。新宿歌舞伎町の入り口で、女子の二人連れ三組に次々と声をかけた。友人にそそのかされてのことであったが、勇気を振り絞ってアタックした。返されてきた返事はすべて「ごめんなさい」、やんわりと断られた。僕のナンパチャレンジは、残念な成績を残してこれが最初で最後のこととなって現在に至っている。時間にしてわずか十分程度の出来事にすぎなかったのだが、かなり苦い思い出として自分の中にはっきりと残っている。何かの拍子にあの日あの時の場面を思い出してしまうと、今でも当時と変わることのない強烈な恥ずかしさに襲われてしまうという、できることなら忘れてしまいたい過去の出来事のひとつである。


 きれいな人に道を尋ねられたことは今までにも何度かありはした。ただ、尋ねられた道を説明するだけで、いつもそれでおしまいお別れとなってしまう。そこから物語が発展していくことはなかった。

 初対面の相手を口説くなどということは僕にはとうてい無理なはなしだということは十二分に解っている。だが、これも何かの縁だからということで、とりとめのないおしゃべりをわずかな時間だけでもどうでしょうかと伝えられたらなあ、しばらくの時間を一緒に楽しく過ごせればありがたいんだけどなあという思いはある。しかし、それすらも実行には移せない。せっかく神様が与えてくれたありがたい場面なのだから、もっと違った展開へともっていけなかったのかと、後になっていつも悔やんでいた。妄想ではあるが、たとえば道順を必要以上に丁寧に、かつ詳しく説明してあげることにすれば、一緒に過ごせる時間をもっと長くできたはずだと考えたこともあった。または、口で道順を説明するよりも、目的地まで一緒についていってしまおうという手口も考えたことがある。道が込んでいるという状況を使って、途中ではぐれるといけないからと、見え透いたうそ臭い理由を口実にして、手をつないでしまおうだとか。そういった実現困難な妄想にふけっていた。そして最後にはそんなことが出来るのであれば苦労はないよなーといつもため息をつくのだ・・・。


 ところがである、あの日の僕はそんないつもの自分とは違っていた。不思議なことに、妄想の中で思い描いていた自分が、現実世界の自分を動かし始めたのだ。しいたけを訪れたことでテンションが上がってしまったことがきっかけになり、乗り移ってしまったのだろう、それしか思い当たる当たる節はないのだ。確かに自分の妄想が動き出したのだ、もう止められない。

「竹下通りですね、まかせてください、僕がご案内しましょう」

「案内ですって? いえいえ、行き道を説明していただければそれで充分です」

 そう言いながらかぶりを振る女性。

「そうはいきません。目的地には確実に到着してもらいたいですからね。僕にまかせてください、僕はあなたのように困っている人に出会うと、救いの手をさしのべなければ気が済まない質なんですよ、今日の人助けは、あなたで丁度20人目です、僕にとって人助けは呼吸することと同じようなものでして、当たり前にやっている行為なんです。ちっとも苦にはなりませんから、どうかお気になさらず」

「あなたにとっては20人目なのかもしれませんが、そこまでの手厚い親切の申し出を受けることは私にとっては生まれて初めてのことなのです。不慣れなものですから、道を教えてくださるだけで結構です」

「生まれて初めてですか、それでは今回のことがよい経験になりますね」

「経験したいとは思いませんが」

「どうか遠慮なさらないでください」

「遠慮しますって。そこまでしていただくことは、私にとってとても心苦しいものなんです」

 僕は、彼女が遠まわしに行使しようとしている拒否権には耳を貸すことなく、思い浮かんできた次の作戦を即実行へと移した。今日訪れたこのチャンスをみすみす手放すようなことをしたくはなかった。

「あっ、信号が変りますよ。急ぎましょう、さあ」

 そう僕から促された彼女は、

「えっ、あ、はい」

 と反応して、歩き始めてくれた。断るタイミングを取り損ねてしまったようだ。後ろから寄せてくる人波に押し出され、前方からこちらに向かって歩いて来る人たちをよけながら、2分前に出会ったばかりのこの僕についてきてくれている。思惑通りに進行していることで自信を持ちはじめた僕の言動に、勢いがついてきた。

「迷子になるといけないから、手をつないで!」

 左手を差し出してそう言ってみた。彼女は反射的に右手を差し出してしまったため、僕の左手の中にしっかりとその手が納められた。見た目だけではあるが、カップルの誕生である。混雑の中でこの人からはぐれると、大変なことになってしまう、そんな気分にさせてしまったのか、どうやら勘違いの世界に彼女は入ってくれたようだ。

 僕は歩きながら考えた。出だしは順調にきたものの、このままでは2分後には竹下通りに着いてしまう。目的地に到着してしまえば、僕はお役御免で、彼女とはそれでお別れということになる。彼女は喜ぶかもしれないが、僕のほうはちっとも嬉しくなんかない。

 二人の目的は、一緒ではないのである。今は一緒に行動をしてはいるものの、彼女の目的は望む場所に到着すること。僕の目的は彼女と仲良くなること。

 この女性ともっと長く一緒にいたい。しかし交際経験もナンパの成功経験もない僕は、女性を楽しませるノウハウを持ち合わせていないのだ。この際、行き当たりばったりでその場しのぎを続けていくしか方法はない。あれこれと御託を並べたてて、一緒にいる時間をできるかぎり長く引き伸ばしてやろうという決意が固まった。技術がなければ力技で挑んでいくこと、それしか選択肢は残っていないように思えたのだ。脳がフル稼働を始めた。遠回りして行こうか? いや、そんなことをすれば自分も迷子になってしまいかねない、なんといっても僕にとっては久しぶりの原宿なんだからな。そうだ、食欲に働きかけよう。僕は通りかかった喫茶店の前で立ち止まり、彼女に訴えかけた。

「エネルギーが切れそうです。ここで腹ごしらえをしてから残りの行程に進むことにしましょう」

「残りの行程ですって? そんなにたいそうな距離はないはずなのでは? ここは原宿で、私が望んでいるのは、竹下通りに辿り着くだけのことなんですよ」

「まーまー、僕が奢りますから、ここにはおいしいものが揃っていますから、知っておけば後々話の種にもなってくれる便利なお店ですから」

 この店に食事に入ることによってもたらされるであろうメリットを、入ったことも見たこともなかったこの僕がもっともらしく並べ立て、必死で彼女を説得する。

「お願い、お願い、お願い」

 手を合わせて、大きな声で連呼した。人ごみの中である、大声を出せば当然通行人たちは何事かと視線をこちらに向けてくる。立ち止まる人たちが人だかりを作ってざわめき始めた。

「やめてください、人が集まってきていますよ、恥ずかしいじゃないですか」

 と彼女。

「通行人に囲まれてしまいましたねー。この人たちの視線を浴びることから逃れたいというのであれば、僕の言うことを素直に聞いて、一緒に店に入った方が得策ですよ。もしもあなたがそれを拒否するというのであれば、次は大声で泣き叫びますよ。僕たちの周りには、今よりももっと大きな人だかりができて、この場からは脱出できなくなってしまうでしょう。あなたはそれでも構わないのですか?」

「それは困ります。・・・しかたがありませんね、お店に入りましょう」

「僕もその意見に賛成します」

「私から提案をしたわけではありません!」

 人だかりをかき分けて、二人で喫茶店の中へと逃げ込んだ。彼女の手を引いて窓際へと進んでゆき、空いているテーブルについた。

「やれやれ、危ないところでしたねー。一息つくとしましょうか」

 と僕。彼女は無言で僕を凝視し、しばし間を置いてから口を開いた。

「この5分間で、数日分疲れさせられましたし、恥ずかしい思いを数年分させられました」

「大変でしたねー、でも大丈夫、ここにいればもう安心ですよ」

「あなたねー、盗人猛々しいという言葉をご存知ありませんこと?」

「さー,飯だ飯だ」

 僕はテーブルの脇にあったメニューに手を伸ばしながら、そんなとぼけた事を言って逃げた。

「道案内をするわけですから、ご馳走してくれますよね」

「んまー、私に食事代を負担しろとおっしゃるの? 入りたくて入ったお店ではなくってよ、あなたに脅迫されて連れてこられたようなものでしょ」

「道がわからずに困っているところをお助けしたんじゃありませんか、御礼に一食くらいご馳走をしてくださってもバチは当りませんよ」

「道に迷っていたさっきよりも、あなたに出会ってからの方が、よほど困っていますわ。そもそも人に道を尋ねられた時は、ぺらぺらーー、普通は、ぺらぺらーー」

 彼女の説教が続く。僕はしらんぷりを決め込んで、メニューに目をやった。

(うれしいなあ)

 彼女が怒りをぶつけてくる様は、僕にとってはなによりのごちそうであった。こういった痴話げんかをしてみたかったのである。


「さあ、到着です。ここが竹下通りの入り口ですよー」

 僕がそう伝えると、彼女は今辿ってきた道を振り返って言った。

「んまー。先ほどわたしがあなたに声をかけた喫煙所が、ここからはっきりと見えるじゃないですかー」

「」

 僕はしらんぷり。

「あそこでこの信号を指し示してもらえれば済んだ話だったのではありませんこと?」

「」

 またしらんぷり。

「こんなに近くだというのに、実に遠い道のりだったわ―。はー」

「」

 またまたしらんぷり。

「まったくもう! ぺらぺらーー、あなたという人は、ぺらぺらーー」

 彼女がひととおりのうっぷんを五分ほどかけて吐き出した。スッキリとしたのか、落ち着きを取り戻してくれたようだ。

「まーいろいろあって大変だったけど、目的の竹下通りに辿り着けたんですものね。案内してくださって、どうもありがとうございました」

 彼女は僕に会釈をして身体を翻えすと、横断歩道をあちら側へと歩いていった。渡りきったところで立ち止まり、ハンドバッグを開いた。中から折りたたまれた紙片を取り出して、それを広げて見入り始めた。


「解りにくい地図ですねー」

 ギクリと彼女の肩が動いた。

「あ、あなたまだいたの?」

「もちろんですよ、だって最後まで面倒を見させてもらうつもりなんですからね」

 僕は茫然としている彼女の手から地図を抜き取った。手書きの地図で、目的地らしき場所が赤丸で示されている。

「ここですね。さあ、行きましょうか」

 ぼくは彼女の手をとって、竹下通りを奥へと進んでいった。

「ちょっと待ってちょうだい」

 彼女がそう言ってとあるショップの前で足を止めた。

「これ、とってもきれいな色だわー」

 店頭に陳列されている服に触れながら彼女が言う。

「そうですね」

 僕は彼女の言葉に意見を合わせた。

「わたし、この服が欲しいナー」

「そうですか」

 彼女は僕を振り返り、笑顔を僕の顔に近づけてきた。その距離十五センチ、そして、

「この服をあなたからプレゼントしてもらえるとうれしいんだけどなー」

 こんなセリフを甘い声で僕の耳元に吹き入れてくる。女性の顔が自分の顔に近づいてきただけでも動揺してしまうところに声による攻撃まで重なったとなると、かなりうろたえてしまう。

「わかりました、わかりました。店員さーん、これをくださーい」

 ついつい彼女のおねだりに応えてしまう僕であった。

 悪い気はしなかった。甘えてこられるのは気持ちがいいとさえ思えた。こういった気分を味わえるのだったら、服を一枚買うくらいは安いものである。ところが、おねだりは一度だけでは終わらなかった。いろいろな店に立ち寄って、同じ調子で甘えられ、いいよいいよと次から次へと服を買ってしまった。


 増え続ける買物袋を両手に持ち、ヨタヨタしいしいの足取りでありながらも、一歩一歩踏みしめて歩く彼女。そんな彼女の姿を見ていると、とてもいじらしく思えて、助けてあげたいという衝動にかられるのは自然であろう。

「半分持ちましょう」

 と僕が援助を申し出ると、

「ありがとう、おやさしいのね」

 とお礼を言いながら、持っている荷物総てを僕に差し出してきた。半分持つと言ったはずなのだが・・・。なんのことはない、持ち手が彼女から僕に入れ変わっただけである。

 大量の荷物を抱えて僕は歩き始めた。この先にも店は続いている、進んでいくにつれて荷物が増えていく。踏みしめる足が地面にめり込んでいるのではないかとさえ思えるほどの量になっていった。何かが腑に落ちない。おかしいぞ、さっきから、何故だかは解らないが、二人の間の力関係に変化が生じ始めてきているような気がする。

「これもお願いね」

 そう言って荷物を渡してくる彼女から、僕に対する配慮というものがまるで感じられないのである。

「もうこれ以上の荷物は僕には持てません、両手がふさがってしまいましたし、耐えられる重さにも限界があります」

 そう言って、これ以上の買い物に対して難色を示すと、

「あたしのこと嫌いなんだ」

 と彼女はウルウルとした瞳で訴えてくる。

「そんなことはないよ」

「だったら証拠を見せてちょうだい」

「解りました、解りましたよ。手は荷物で埋まってしまったけれども、まだ首の部分が開いています。首にもかけましょう」

 傍らでその光景を眺めていたどこかの店の店員も、これは商売になると見るや口を挟んできた。

「たくましい、実に男らしいお方だ、この際、持てるかぎりの服をとことん買っちゃいましょうよ」

 と男性従業員。

「力持ちなのね、たのもしくて素敵な方。当店にもどうぞお立ち寄りくださいませ」

 と女性従業員。

 僕は、人から褒めてもらうとがぜん力が入ってしまうように出来ている。期待にこたえなければ、という責任感が湧いてきて、自分の実力以上の力を出せてしまうような気分になる。それが本心からの言葉ではなく、おだてられてのことだとしてもその効果は同じである。荷物は重いが、ここは手を離すわけにはいかないと、自分に対してより一層踏ん張るようにとの指令を出してしまった。

 以前ひどい目にあったことがあった。映画の名場面を自分で再現しようと、片手腕立て伏せを試みたのだ。自分の腕の筋肉量では自らの体重を支えきれなかったのであろう、肩を痛めてしまい、整形外科通いを余儀なくさせられてしまった。このように身の程をわきまえないところが災いして、痛い思いを散々してきたはずなのだが、まだ懲りてはいないようだ。

「店員さんも、ああ言っているよ」

 と通行人もはやし立ててくる。援軍を得た彼女の買い物はなおもエスカレートしていくことに。

 次に彼女の目にとまったのはサングラスを並べている店だ。店先のワゴンの中からひとつを指し示しながら、

「これ、欲しい」

 と彼女が言い出す。

「それ本当にかけるの? ちゃんと考えてから言っているの? あなたのキャラはお嬢さま系だと思いますよ。お嬢様がサングラスをかけるかナー。世界は広いといえども、そんなお嬢様いるかナー、僕はいないと思うナー」

「これからどんどん出てくるのよ。先取り、先取り、そういった新お嬢様の第一号に私がなるのよ」

 と言い張る彼女。結局購入することに。

 出口まではまだ道のりはある。そこを隙間なく店が埋め尽くしているのだ。彼女はその一軒一軒をつぶさに見て回る。時には脇道へも進んで行く。メイン通りを中間まで行った辺りを左に入ったところに小さな噴水が見えた。そこに駆け寄っていく彼女。のそのそとその後を追っていく荷物だらけの僕。

「記念写真を撮るわよ」

「写真を? ここで撮るの? それほどまでの場所には思えないんですがねえ」

 疑問を投げかけた僕に、泣きそうな眼で訴えかけてくる彼女。自分がウルウル攻撃には勝てないということをはっきりと自覚したのがこの時である。

「わかりました、わかりました、ここで写真を撮りましょう。携帯のカメラで構わないんですね」

「お願い、しゃがんで頂戴」

「え? しゃがむ? 肩車ー? なにも肩車をしなくても、写真は撮れると思うんですが。僕は疲れているんですよ」

「頑張れ、にいさん!」

 通りすがりの野次馬が無神経に声をかけてくる。

「人の気も知らないで」

「未来のお嫁さんが頼んでいるんじゃないか、願いを叶えてやりなさいよ」

 と、辺りのお店から出てきた店員が囃し立てる。

「お嫁さん?」

 お嫁さんと聞かされると冷静さを失ってしまうのは、モテた経験のない一人身男たちの宿命であろう。自身で解っていても克服できない弱点である。

「彼女、僕のお嫁さん候補に入りますかねー、やっぱり。いやー、まだ名前すら知らないのに。彼女とそーなれたらうれしいなー、幸せになれるだろうなー」

 肩車とは、子供じみた注文ではあるが、よくよく考えてみると、お気に入りの女性と体が密着できるのであるから、実に喜ばしい話じゃあないかと思い直し、注文にこたえることにした。疲れているので女性一人の体重といえどもとても重く感じられた。囃し立てた店員さんに撮ってもらった写真の中に映る僕の顔は、半べそをかいていた。


「クレープ食べたい」

 そう訴える彼女の視線をたどっていくと、大勢の女子が群がるクレープ屋が見えた。店の場所が解ったとしても、とてもあそこまで買いに行く気にはなれない。両手にたくさんの荷物を持たされている自分は、ただここに立っているだけで精一杯の状態なのである。

「とりあえず早く目的地に行きましょうよー、クレープは後でも食べられるでしょー、今すぐに食べなくても罰は当りませんから。早くこの荷物の山から開放してくださいよー」

 と僕は彼女に懇願する。

「どーしても今食べたいのよ。手がふさがっているあなたには、私が食べさせてあげるから、一緒にクレープを食べましょうよ、ね?」

「え? 君が食べさせてくれるのー? そーゆーことなら、こんな荷物はなんていうことないな、まだまだ我慢できますよ。クレープ屋でしょ、行きましょう、ぜひとも行きましょう。クレープを食べましょう、僕は大賛成ですよー」

 やせ我慢をしていた。荷物の重さが、両手に食い込んでくる紐を通して伝わってきて、くじけてしまいそうになるのだが、今これを離すわけにはいかない。痛さに負けて両手を開けば、手が空いてしまう。手が空くということは、自分でクレープを食べなければならないということだ。それは自分が望む姿ではない。目指しているのは、自分がアーンと口をあけているところに、彼女が手にとったクレープを運んでくれるという、いちゃいちゃする場面なのだ。その願いを成就させるためには、ここは辛くともグッと耐えておかなければいけないところだった。まだ執念が体力に勝っている。

「どうぞ」

 彼女が僕にクレープを差し出した。

「いやだね! 僕はあなたと一緒のクレープを食いたいんだ」

 と拒絶する僕。

「クレープは二つあるんだから、一つずつ食べればいいでしょ」

「嫌です。あなたが歯形をつけたクレープを僕は食べたい」

 身もふたもない言い方ではあるが、ようは間接キスを願っているのである。表現に品がなないが、それが僕の正直な願望なのだ、それを彼女に伝えた。そして、こちらの希望を無視する形で差し出されたまっさらなクレープに、僕はぺぺぺっとつばを飛ばしつけ、拒絶の態度を示した。

「これで、食べることのできるクレープはひとつに絞られましたよ、さあ、あなたが口にしたそちらのクレープを僕に食べさせてください」

 そう叫んだ僕の口に、もう一方の、つまり僕のつばきがかけられたクレープが彼女の手によってねじ込まれてきた。

「このクレープは、あなたの責任で、お食べなさいな」

 口の奥まで塞がれてしまったため、文句を言うことも、クレープを食べることもできずにいると、先ほど写真を撮ってくれた店員さんが、後ろから私の背中を、とび蹴りしてくれた。僕の口からクレープが飛び出し、苦しみから解放された。人に足蹴にされて感謝したのは、生まれて初めてであった。


 彼女の本性はひょっとするとわがままなのでは? 一連の言動から僕の中にそういった懸念が湧いてきた。もしもこの娘がわがままな人種であったならば、これから交際を続けていくにあたって、わがまま行為が日々幾度となく繰り返されることになるなあ。それでは自分の身が持たないかもしれないぞ。こういったマイナス思考に陥りかけたりはするものの、それを打ち消すようにして、いやいや違うな、今日はたまたま甘えが強く出ているだけに違いない、とも思いたがってもいた。

 どうも引っかかる。僕は彼女に問いかけた。

「あのですね、出会った頃は私の方があなたよりも優位な立場にあったと思うんですよ、ところが今は立場が逆転してしまっているように感じるんですけど。いったい何で180度入れ変ってしまったのか、私にはまったく解らないんですけど」

「理由を知りたいわけ?」

「ええ」

「知ってどうなさるおつもりなのかしら」

「できることなら、元の、最初に出会ったときの力関係に戻しておきたいんです。原因が解れば戻すことが出来るかなって思いまして」

「私は今の状態の方が好きよ、だから教えない」

「そうですか」

 提案を却下されて、僕は引き下がってしまった。機嫌を損ねたくない、これで終わりにしたくはなかったのだ。

 ブティックたけのこの前へとさしかかった。店先に並べられた、おとぎ話にでてくるお姫様が着るようなきらびやかな衣装を指差しながら、

「これ、欲しい」

 と彼女がまさかなものにまで食指を伸ばしたのだ。

「そんなド派手な服を本当に着るの? かなり目立ちますよー。それを着て電車には乗れないでしょー、街を歩けないでしょー、ナンパ男でも声をかけることに気後れしてしまいそうな代物ですよ、自分が着ている姿をイメージしてから購入を決めてもらえるとありがたいんですが」

 必死で諦めさせようと説得にかかる僕。

「これが欲しい、着たい」

 彼女の強力な押しに根負けして、説得むなしく購入することに。

「あなたはこれを着てみて」

 彼女が服を手に取って僕に差し出してきた。橙色の生地に丸、三角、四角の水玉模様が入っている。その水玉がカラフルで、世の中の色をすべて使っているのではないかと思えるほど色とりどりだ。

「これをですか?」

「ええ、そうよ」

「こんなど派手な服を着るなんて、ムリムリ、僕にこれは着れませんよ」

「大丈夫よ。ほら、あちらを御覧なさいよ。あの店員さんだって似たような服を着ているでしょ」

 彼女が指差したところには、派手な服を着て立っている店員さんが確かにいた。

「よくそんな服を着ていられますね」

 僕はその店員に尋ねた。

「これは今流行っていますからねえ、みんな着ていますよ」

 彼女に話を合わせる店員。

「そうですかー? 見かけないけどなあー」

「着ている人が多すぎるとかえって目立ちませんからねえ。それで気が付いていなかったということでしょうね」

 店員はそんなとぼけた事を言いながら、僕を無理矢理試着室へと連れて行った。あとから思えばあの店員は出勤してから、あの服に着替えていたにちがいない。通勤中は違う服を着ていたはずだ。

「どうですか? 見ている方も恥ずかしくなるほどに派手な衣装でしょう」

「派手は派手ね」

「脱いでもいいですか」

「でも似合っているんじゃあなくって」

「いい加減なことを」

「せっかく着たんだから、そのままでいて欲しいわ」

「強引ですね」

「そうかしら」


「どうもありがとう、おかげさまで無事目的地に到着しましたわ」

「どういたしまして、あなたのお役に立ててよかった」

「では、ごきげんよう」

 お別れの挨拶をする彼女。

「ちょっと待って」

「なんでしょう」

「ここへ来たあなたの目的はなんなのでしょうか?」

「今日からここがわたしの住まいになるんです」

「じゃあずっとここにいるんですね。今日が終わりではないわけだ。居所がわかったので、またあなたに会えるぞ。いやあ、よかった、よかった」

 お別れの挨拶を返さない僕。今日の僕はめげたりはしないのだ。

「つけまわすことはストーカー行為にあたりますわよ」

「つけまわすわけではありませんよ。道案内をするのが目的です。それなら問題ないでしょう」

「はあ?・・・」

「何処へでもご案内いたします。毎日、駅までご案内しますし、手をつないで迷子にならないようにしますよ、そして人ごみからあなたを守ることもします」

「タフな方ねー。あなたがいつまでも私にまとわりつくつもりのようだったので、そんなあなたを懲らしめようと思ったのに」

 彼女が途中からスイッチを切り替えた理由はこれだったのか。

「僕はへこたれませんよ」

「尻尾を巻いて退散してくれると思ったのに」

「必死でしたから。それに、この服にも助けられた」

「服に?」

「ええ、しいたけにね」

 彼女は空を見上げ、手のひらを上に向けた状態で両腕を左右に広げると、その場でくるっと一周した。

「あたし、この町に住んでみたかったのよね」

「そうでしたか。夢が実現して良かったですね」


 それから幾年か後。

 同じ場所、そう、あの喫煙所に僕はいた。 

 後ろから声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。

 一瞬であの時の場面が蘇える。

 声を振り返ると、彼女がそこにいた。

 問いかけてくる台詞もあの時とまったく一緒。

 僕の返答も同じだ。

「はぐれるといけないから、僕の手を握って」

 差し出した僕の手に、彼女が手を載せた。僕はその彼女の手をギュッと握り締め、胸を張り颯爽と歩きだした。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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