1話 高校生『朝霧春斗』の恋愛事情
教室の窓から外を眺めると、校庭の向こうに桜色に塗り潰された土手が見える。
舞い散る花びらが雨のように通行人に降り注ぐ。
俺にとって16回目の春。
「じゃあ、教科書5ページから……。朝霧、朗読してくれ」
「……はい」
去年担任だった古文の教師に名前を呼ばれ、気怠げに返事をする。
俺の名前は『朝霧春斗』。つい先週から板峰高校の2年生だ。
私立板峰高校では2年から理系と文系に別れてクラスが決められる。俺は、物理演算やコンピューター解析に興味があったので理系を選んだのだが、苦手な古文や英語から逃れられるはずもなく、面倒くさく感じていた。適当に朗読を終え、先生に聞こえないように小さく溜め息を溢す。
嫌いな教科の授業を受けているという以外にも、やる気の出ない理由はある。それは、窓の外。
校庭では、2年の文系クラスが体育の授業で準備体操をしていた。
自然とその中の一人を見つめてしまう。
背中が隠れるほどの長い黒い髪。簡単に折れてしまいそうな細い手足とスレンダーな身体。身長は周囲の女子の中でも高い方だろう。そして、ピンクのカチューシャが印象的だ。
彼女の名前は『天吹有彩』。去年のクラスメイトであり、出席番号も並びだった才色兼備の美少女だ。
そう、俺が無気力なのは好きな人とクラスが離れてしまったからだ。
恋の始まりは一目惚れだった。それから天吹の目映い笑顔を見るたびどんどん好きになってしまっていた。
俺は無口な方では無いのだが、幼馴染みの女子以外と気軽に話せるような人間では無い。一年の夏まで天吹とは席も前後だったというのに、メアドの交換すらできなかった。クラスメイト全員の参加するLINEグループがあるので個人的に連絡できるのだが、少しズルい気がして使えない。
このままでは天吹との接点が無いまま卒業を迎えてしまう……。
そんな事を考えていると、後ろの方から名前を呼ばれた。
「春斗ー、いつまで呆けてんだよ。もう昼休みだぞ?」
「秀か。ほっとけ、俺はもうダメかもしれん……」
俺は机に顔を埋めながら返答する。
「何言ってんだか。これだからウブな思春期男子は……。恋が終わったようなこと言いやがって、まだ始まってもいないじゃんかよ」
呆れ顔を向けるこいつは『藤波秀一』。中学一年からの親友で、奇跡的にクラスがずっと同じという腐れ縁だ。
「こんなことなら告白しとけば良かったよ」
そう呟くと、すかさず秀の返答があった。
「おぉ? 連絡先も聞けなかったヘタレに告白する根性があったことに驚きだな」
秀の言う通りだ……。返す言葉も無い。
俺が黙っていると秀がある提案をしてきた。
「どうせこれから天吹と接点が無いんだったらさ、フラれる覚悟で告白して来いよ。気まずくなろうが会わないんだったら関係無いし。何かしら接点ができるなら儲けもんよ」
ハッとした俺は、素早く秀の方へ身体を向ける。
「……一理あるな」
確かにこのまま指をくわえて卒業まで過ごすのなら、玉砕覚悟で一縷の望みにかけるのはアリだ。秀の言う通り、よくよく考えれば理系と文系に別れた今、フラれてもデメリットが少ない。
考えを巡らす俺に秀が付け加える。
「お前さぁ、学年上がってもう一週間経つってのに、ずっとその調子じゃねーか。気持ちの整理して来いよ」
秀なりに俺を心配してくれているのか。
「俺がフラれたら慰めてくれよ?」
「はぁ? そんなん知るかよ。勝手に凹んでろ」
秀はそんな事を言いながらも笑ってくれた。俺は本当に良い友を持った。
俺は、天吹有彩に告白する決心をした。
その日の夜、俺は天吹をどうやって呼び出すのかを考えた。LINEを使わないのは今まで踏み出せなかった自分への戒めだ。何の進歩も無いままこの恋が終わるのは嫌だ。
しかしながら、共通の友人も特に思い当たらない。まず、俺には女友達が少なすぎるし、天吹と仲の良い男子も知らない。
そうすると、残された手段は。
「手紙でも書くか……」
この情報化の時代で、こんな発想に行着くのは両親の馴れ初めを聞いたからだろうか。古典的な方法かもしれないが、俺をこの世に誕生するきっかけとなったのだ、その御利益にあやかろう。
内容はシンプルに、『話したいことがあるので、放課後に校舎裏の非常階段まで来て下さい。待ってます』という感じで良いだろう。
手紙を書き終えた俺は、ベッドに潜り込んでからもすぐには寝付けなかった。
翌日、午後6時。
昼休みに隙を見て天吹の下駄箱に手紙を入れたのだが、天吹はまだ現れない。
「やっぱ来てくれないか……」
この展開は予想できていた。昨年のクラスメイトであったとしても、あんな手紙を貰ったら誰でも警戒するだろう。
結局、多くの部活動が終って校内が静かになるまで待ち、一人で帰宅した。
それから、さらに一週間が過ぎた。
「おかしい」
俺は秀と学食で昼飯を食べながら口火を切った。
「何がよ?」
「あれから一週間だぜ? 何にも音沙汰無いのはおかしくないか?」
全校生徒の人数が千人を超える我が校の学食は日々戦場だ。男二人の会話等誰の耳にも入らないだろう。
「それだけ眼中に無いって事だろ、諦めろ」
友の口から放たれた鋭利な言葉が胸に突き刺さる。だが、すぐには倒れない。
「そうかもしれないけど、何のアクションも無いってのも変じゃないか? 天吹が無視するとも思えないし」
「そりゃあ美化し過ぎな気もするが、あの完璧超人も案外、恋話にゃ弱かったりしてな」
会話を続ける俺達は食器を戻し、教室へと向かった。
「やっぱり避けられてるんだろうか」
「その覚悟はしてたんだろ?」
「そうだけど、返事くらいほしかったよ……」
その時、向こうから天吹が歩いてくるのが見えた。
「お、噂をすれば」
呑気に呟く秀に対して、俺は心拍の加速で呼吸困難になりそうだった。
このままではすれ違う。かといって逃げるのは格好悪い。
天吹との距離が縮まる。
『落ち着け春斗。目をそらすな。話しかけろ』
心の中で自らに言い聞かせるが、まともに天吹の顔を見られない。
極度の緊張で倒れてしまうのでは、なんて考えている俺に、なんと天吹の方から話しかけて来た。
「あ! 朝霧君! 久しぶりですね」
「お、おぅ……。 久しぶり……」
元気な天吹に対して、震え声で返事をした。もっとしっかりしろよ……俺……。
「またね!」
天吹はそう言うと、そのまま歩いて行ってしまった。
「春斗よ。お前本当に手紙渡したのか?」
秀が俺にそう問いかけるのも頷ける。
天吹が俺のことを意識している様子は全くなかった。
まるで、あの手紙を読んでいないかのように。
不思議に思いながら教室に着く頃、携帯のバイブが作動した。この長さはメールだ。
ポケットからスマホを取り出して送り主を確認する。
「琴音?」
画面には、『白糸琴音』と表示されていた。それは、うちの近所に住む幼馴染の名だ。
中学の途中までは『ハル君』、『コトちゃん』なんて呼び合ってよく遊んだりしていたが段々と疎遠になり、同じ高校に入ったにも関わらずほとんど話すことも無くなってしまっていた。
その琴音が一体何の用なのだろう?
メールの内容はこうだ。
『今日の放課後、西階段の3階と屋上の間で待ってる』
指定された場所は、日中ですら誰も近づかないような場所。うちの学校の屋上が立ち入り禁止になっているからだ。そんな場所への呼び出し。それは……
告白?
脳裏に一瞬思い浮かんだ言葉をすぐに否定する。万が一に琴音が俺の事を好きだとしたら、今まで疎遠になっていた時期に説明ができない。それに、琴音が誰かを好きになったという話は聞いたことが無いが、俺と違って明るく何事にも積極的だったあいつの事だ、恋愛に怯むことなど無いだろう。
「まぁ、行ってみるか」
思わず口に出した言葉を秀に問いただされたが、誤魔化して席に着いた。
放課後。
HRが終わると、俺はすぐに西階段へ向かった。
校舎の西側には家庭科室や音楽室など特別教室ばかりが集められている。その中でも3階は教材室や機械室など放課後に生徒達はおろか職員達も近づかないような部屋しかない。
3階の廊下から階段を見上げると、踊り場に人影が見えた。
「琴音。早いな」
「うちのクラス、いつもHR短いんだー」
かなり久しぶりに声を聴いた気がする、懐かしい声。少し栗色のボブが夕日の色に染められより明るく見える。夕焼けを背にした琴音を見て少しドキッとした。
「で、何の用なんだ?」
すぐに本題に入る。
「ハルに、言っておかなきゃいけない大事な話があるんだ……」
まさか本当に告白する気なのか? このシチュエーションの補正もあると思うのだが、今まで『友達』としか見ていなかった琴音が『女の子』に見えてきた。
琴音は中学から陸上部に所属していて、小柄な身体にも関わらず県大会に出場するほど足が速い。運動ができるだけでなく、顔も可愛い方で愛嬌があり、元気な性格も相まって男女問わず人気がある。
その琴音が、俺のことを……?
そんな事を考えていると、琴音がブレザーのポケットから何かを取り出して俺に問いかけてきた。
「これは……何?」
さっきまでとは異なり、少し険しい表情をした琴音が持っているものは、俺が天吹の靴箱に入れた手紙だった。