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第8夜  納屋(3)

 農家の前で止まった馬車。彼の手に支えられながら降りて周りを見回す。


 母屋の隣には、納屋。そして周りは広い農地と牧草地だった。円筒形にまとめられた薄茶色の牧草らしきものが遠くにいくつも転がっているのが見える。


「ここが…そうなの?」


「そうだと思うよ? とりあえず待っていて。ここの主に納屋の中を見せてもらえるように頼んでくるよ」


 彼はそう言うと、さっさと母屋に向かって歩いていく。残された私はどうしたらいいのかしら?


 ちらりと御者の方を見れば、彼は所在無げに馬の手綱を持ちながら、こちらを見ていた。私と目があったとたんに、慌てて目をそらす。


もしかして馬車の中でのやり取りが聞かれた? ああ。なんてこと。もしもそうだとしたら、どうしたらいいの?


 思わず俯き加減でじっと足元を見ていると、御者が近づいてくるのがわかる。逃げ出したいけれど、そうもできずに泣きそうな気持ちでじっと身体を硬くした。


「あの…お嬢さんはうちの坊ちゃんとどういう関係で?」


 やっぱり聞こえていたのかしら? それだったら聞こえなかったふりをしてくれたらいいのに。なんて気が利かない人。私はなんとも答えられなくて、黙って俯いているしかない。


「いえ…あ…その…坊ちゃんが屋敷の馬車に人を乗せるのは初めてで…」


 思わずその言葉に顔を上げた。筋肉質な身体に茶色の髪。真摯なダークブルーの瞳をした私よりも年上の男の人が、じっと私を見ている。


「それはどういう…」


 聞き返そうとしたとたんに、御者はビクリと身体を震わせると呼ばれたかのように顔を横に向けた。つられるようにして私も同じほうを見れば、農家の母屋からこちらに向かって歩いてくるショーンの姿。


 私の耳には何も聞こえなかったけれど、この御者にはまるで彼からの呼びかけが聞こえたようだった。


「あ、すみません。余計なことを。あ、あの、私はここで待っていますので、坊ちゃんと一緒に行ってください」


「は、はい」


 状況が分からないままに、馬車を離れて彼のほうへと歩き出す。ショーンは私が来るのを道の途中で待っていた。イライラとしているのが態度で分かる。


 怖い…。でも行かなければいけないわ。


「ご、ごめんなさい」


 反射的に謝れば、彼が冷たい視線で私を射抜く。


「なんで君が謝るの?」


「え、だって」


「怒っているのはあっちに対して。いらないことを言うから」


 そう言って彼がにらんだ先で、御者がビクリと身体を震わせる。まるで声が聞こえているみたい…。いいえ。こんなに距離があるなら聞こえるはずはないわ。


「行くよ。事件のあった納屋はこっちだ」


 彼は私を置いてさっさと歩きだした。


「ま、待って」


 足元は草と泥で歩きにくい。靴とスカートの裾がどんどん汚れていってしまう。


「あ…」


 去っていく背中。置いて行かれてしまう。一生懸命歩くけれど、追いつけない。ぐっと踏みしめると足が泥に埋まる。


「待って」


 そう言った瞬間に転んだ。とたんに振り返って盛大なため息をつく彼。地面に膝をついたままで見上げる私に手が差し出された。しがみつこうとして気づく。手まで泥にまみれてしまっている。彼の手を握るに握れず、躊躇していれば大きなため息が聞こえた。


「君は馬車にちゃんと乗れないだけじゃなくて、歩くこともできないわけ?」


「だって…」


 思わず声が震える。こんなところを歩いたことが無いのに。土の上を歩くことだって稀なのに。転んだせいでお母様に選んで頂いたドレスも泥に塗れてしまっている。涙が零れてくるのを堪えようとするのに堪えきれない。ああ。もう。彼の前で泣きたくないのに。


「やれやれ」


 彼が私の傍にしゃがんだかと思うと、急に身体が浮いた。


「じっとして」


 怒っている。


「お、下ろして。私、歩くわ」


「歩けないんだから、黙って」


 彼はいつものように私を抱きかかえて、どんどん歩く。まるでいつもの夜みたいに。


 納屋の前で下ろされた。彼は鍵の束を出すと、扉を開いてから顔をしかめた。干草のにおい。農作業に使うと思われる機械が片隅に置かれている。梯子で上の段に上がれるようになっていた。半分だけせり出した二階部分。


「あそこで亡くなっていたらしいよ」


 彼が二階を指差す。


「子供の遊び場になることもあったらしいけど、あんなことの後だから昼間も鍵をかけているそうだ」


 彼はじゃらじゃらと鍵の束を私の目の前に掲げてみせた。ぐるりと見回すけれど、私には何が普通で何が普通ではないのか分からない。このような納屋自体に入ったのは、これが初めてだったのだから。


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