第8夜 納屋(1)
「それで? 今晩の選択は?」
涼しげな声が耳に届く。目の前にいるのは整った顔立ちに、細身の体躯の彼。いつの間にか、また私の部屋に入り込んでいる。
「えっと…」
ベッドの中で、突然の訪問に身体を起こしつつ、私は思案する。瞬間的に思ったのは、彼の腕に抱かれたい…ということだった。
なんて、はしたない。
まるで私らしくない選択に急いでその考えを吹き消す。
「ほら。早くして」
ベッドが軋む音がして、彼がベッドのふちに腰を下ろしたのがわかる。
「あ…」
黙っていたら、私が望む結果になるのかしら。いいえ。望むなんて。我ながらなんということを考えているの。あんなにも神様の前で誓うことにこだわっていたのに。
ううん。彼は私が望むなら誓ってくれるって言ったわ。
「黙っているっていうことは、僕に弄ばれる覚悟をしたっていうこと? それとも死んでもいいと思っているということ?」
薄暗い中でも彼の唇の両端が上がるのが見えた。冷たい瞳が私を見下ろしてくる。
「あ…えっと…」
何か言わなくちゃ。
「あの…。男の子が」
「男の子?」
「さ、三歳の男の子」
とっさに出たのは、マリーに聞いていた行方不明の話だった。
「三歳の男の子が行く不明なんですって。まだ三歳なのに」
「ふーん」
彼が興味なさそうに答える。
話し出してしまったものは仕方なく、私は三歳の男の子が行方不明で、最後の姿を見たのが七歳の女の子であるということ。
次はその七歳の女の子の弟で、同じく三歳の男の子が行方不明であるということを話した。
彼の腕が胸の前で組まれて、人差し指がとんとんとリズムを刻む。
「同じ年の男の子が二人も行方不明か」
「そ、そうなの」
興味を持ったのかしら。彼は暫く考えた後に私に向かってニヤリと嗤った。
「明日、僕と一緒に現場に行ってみるかい?」
「え?」
「ああ。そうか。お嬢様を連れ出すには事前に連絡が必要だから…明後日か」
「なんのこと?」
「現場に行って、周りの人間に話を聞くなら昼間しかないだろう?」
「私も行くの? 行っていいの?」
彼が肩をすくめた。
「君が来るなら」
「行くわ」
何も考えずに私は返事をしていた。彼の傍にいたい。一緒にいたい。その一心だった。
「じゃあ、決まりだ。今日と明日はよく眠って、よく休んで。明後日、迎えに来るよ」
優しい言葉とは裏腹な冷たい視線。唇の両端を持ち上げるだけの笑みを残して、彼は私にパサリとシーツをかけた。
「あ…」
とたんに消える気配。行ってしまった…。
私の身体がちゃんと動いてくれるか心配だけれど。それでも彼と一緒に出かけてみたい。少しでも傍に居たい。自分の体調よりも、私の心の中心に、いつの間にかいたのは彼だった。
そして翌々日。彼が迎えに来た。形は彼の家へのご招待で、お父様は上機嫌だった。彼の家は相当な資産家らしい。お家へのご招待に賛成してくれた。
「良家の令嬢が共のものをつけずに出歩くなんて」
同行できないマリーが、私の髪を整えながらブツブツと文句を言う。
「仕方ないわ。先方のご希望ですもの」
そう答えつつも、私には分かっていた。今日行くのは彼の家ではなくて、先日の話に出てきた現場なのだ。不謹慎だけれど、少しだけわくわくしてしまう。
「はい。できましたよ」
鏡の中を見れば、髪を綺麗に結い上げた私。お母様が選んでくださったドレスを着て、お父様のプレゼントの帽子をかぶる。帽子をかぶって出かける日が来るなんて、想像もできなかったわ。
少しでも見栄えが良いように、化粧をした。いつもよりも少しばかり大人っぽく見える。彼は気に入ってくれるかしら?
玄関に下りれば、きちんとした服装をした彼が、お父様と話をしながら待っていた。私を見たとたんに、にっこりと貴公子の微笑みで迎えてくれる。
「行こうか」
彼の声に私も微笑んで、差し出された手に自分の手を乗せる。少しばかり手が震えてしまったけれど、彼に気づかれなかったと信じたい。
お父様に挨拶して、まだ納得していないマリーに軽く手を振ると、彼のエスコートで馬車に乗り込んだ。
「行ってくれ」
行き先は既に告げてあったのかしら。彼は短い言葉だけで御者に合図をすると、すぐに馬車が走り出した。馬車の揺れに従って、微かに触れる彼の身体。
「あの…」
沈黙がいたたまれなくて、何かを話そうと口を開いたとたんに、馬車が大きく跳ねた。
「きゃっ」
自分で身体が支えられなくて、大きく彼の方へ倒れ掛かる。とたんに呆れたようなため息が降りてきた。
「君は自分の身体すら支えられないわけ?」
さっきとは打って変わった冷たい声。思わず泣きそうになる。
「だ、だって…馬車が揺れたんですもの」
「馬車は揺れるものだよ。それに急がないと陽が暮れてしまう」
「で、でも…」
またガタンと大きく揺れて、私の身体はさらに彼に押し付けられてしまった。
「ご、ごめんなさい」
いつも私が乗っている馬車よりも走り方が荒い。それに道もあまり良くないみたい。どんどん揺れが酷くなっていく。




