第1夜 壁(1)
目が覚めて…体中が軋んでいた。それでも彼は約束どおり、私を殺さなかったし、ぶったりはしなかった。多分…彼なりに大事に扱ってくれた。凄くいけないことをした気がするけれど、彼は、彼との行為は儀式なのだと言っていた。とても大事な儀式なのだと。
俯けば胸元の頂に近いところに残された紅い印。
「これは僕のものだという印。この印が消える前に…また会いに来るよ。だから、僕のことは内緒。もしも言ったら…どうなるか…分かっているよね?」
そう言って彼は、いつの間にか去っていった。
この印…着替えるときには見られてしまう…。どうしよう。聞かれたら、なんて答えたらいいの? ぐるぐるして…。熱が上がったと思う。身体が熱くて、頭も熱くなって、意識が遠のいた。
そして…いつも着替えを手伝ってくれる侍女のマリーがやっぱり発見してしまった。マリーは私よりも少し年上の侍女だ。私が小さいころは遊び相手として。今は侍女として傍にいてくれる。着替えを手伝うのも彼女の仕事だった。
結い上げて白い布で止めてあるダークブロンドの頭が首を傾げる。そばかすだらけの顔が顰められていた。
「どうしたんです? お嬢様」
思わず何も言えなくなって、ごまかすように「知らないわ…」と答えれば、マリーはさらに首をかしげた。
「虫さされでしょうか? かゆくありませんか?」
「いいえ。大丈夫」
ほっとして答えたのもつかの間。次の言葉に私の頭は真っ白になった。
「お嬢様が出歩くような方だったら大変ですね。まるで男性と床を共にしたみたいです。男性と床を共にすると、こういう虫刺されみたいな後が残るんですよ。そうすると傷物にされたことになって、大変なことになるかもしれませんね」
「床を共にする?」
マリーの言葉が分からなくて聞き返せば、マリーは物知り顔で頷いた。
「男の人をベッドの中に入れることです。子供ができる行為をするんですよ」
思わずくらりと眩暈を感じた気がした。私はあの人をベッドの中に入れてしまった。あの儀式。あれが床を共にするということなのだろうか。子供が出来る行為だなんて…まさか。
「も…もしもそうだったら…傷物なの?」
私の不安にマリーは気づかずに言葉を続ける。
「そりゃあ、そうですよ。お嬢様。神様の前で誓った方以外と、しかも結婚前に床を共にするなんて、ふしだらな女のすることですよ。身を任せるって言うんですけどね」
得意そうなマリーを前に、血の気が引いた。私は…どこの誰とも知らない人に身を任せてしまった…。
「どうしたんです? ご気分が悪いのですか?」
マリーは気づかずに、着替えさせた私をベッドに再び追いやった。
どうしよう…。私は…誰か分からない人を受け入れた。ベッドを共にしてしまった…。誰にも相談できないし…誰かに気づかれてしまうかも知れない…。
傷物になったことを周りの人に知られてしまうのだろうか? 私の何が違ってしまうの? 分からなくて、自分がしたことすべてが怖かった。
結局、その日も熱が下がらず、身体は熱のせいか、昨晩のせいか、だるくて痛くて。
ベッドの中にいると、彼のことが思い出される。ふしだらだと責める自分と、優しく扱ってくれた彼を思い出して切なくなる自分が交互に現れる。
どうしていいか分からなくて…結局、誰にも何もいえないまま、数日が過ぎた。その数日間、誰かが私のことを傷物になったと糾弾してくるかと思ったけれど、誰も気づかなかったのか、そんな人は現れなかった。
それでも怖くて怖くて。いつ自分のしたことが皆に知られてしまうかと、怯えていたせいか、身体はちっとも良くならなかった。