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第5夜  モロイ(3)

 カタン…という軽い音と空気が震える音がした。敏感になっていた私の耳が捉えた音で思わず目を覚ませば、微かな月明かりの中で立つ人影。


 あの酷い貧血の日から数日経っていて、万全とは言いがたいけれど、私の体調はかなりマシになっていた。


「やあ」


 何事も無かったかのような涼しげな声が落ちてくる。返事もせずに人影を観察してれば、彼がベッドサイドに腰掛けてきた。


「折角来たのに。返事もないわけ?」


「呼んでなんかいないわ」


「でも待っていたでしょ」


「うぬぼれないで。あなたなんか待つわけないじゃない」


「そう? 寂しい想いをさせていたかと思ったけれど、気のせいだったわけだ」


 彼がくつくつと笑う。その雰囲気はどう見ても普通の人。モロイという化け物には見えなかった。整った顔。長いまつげの向こうから覗く茶色の瞳。軽薄な笑みを浮かべた唇。


 でも…確かめたい。どうやって?


 考え込んだ末に私は一番やってはいけないことをした。多分。


「あの…モロイって知っている?」


 ああ。なんて馬鹿なのだろう。疑っている本人にそのものを尋ねるなんて。それでも彼は軽く肩をすくめただけだった。


「何それ」


 思わず口ごもる。聞き返されても何を説明したらいいんだろうか。


「不死で…。人の血を吸う…」


 思わず口の中で呟くように声出せば、彼がにやりと笑うのが見えた。


「そんな子供だましを信じているんだ。君は」


 思わず頬が熱くなる。マリーにも言われたわ。子供への脅しだと。それでも説明がつかないもの。あの夕暮れの光景、先日の夜の首筋の痛み。


「でも…」


「でも…何?」


「あなたの眼」


 そう言ってしまってから、闇の中で光る彼の目に気づいた。ぞくりと背筋を冷たいものが這う。


「僕の目が…何?」


 彼の瞳が私に近づく。暗闇で光る茶色の瞳。紅く見えるときがあるのは、気のせいなの?


「君に一つ、僕の秘密を教えてあげようか」


 くっと持ち上げられる唇の両端。冷たい瞳のままで私を見つめているのに、吐息だけが熱く私の耳にかかってくる。


「僕はね」


 わざと区切られる言葉。両手が震えそうになっているのを押しとどめて、身体を硬くしていると彼の両手が私の頬を捉えて視線を合わせてくる。


「催眠術が得意なんだ」


 え? 何を言われるかと身構えていたのに、言われた言葉に頭がついていかない。彼の両手に従って顔をあげれば、茶色の瞳が私を見つめる。


「催眠術?」


「そう。催眠術。かけてみようか」


 彼の瞳が一瞬紅くなり、くらりとした眩暈を感じた。


「さあ。自分で服を脱いで」


 何を…。あまりの彼の言葉に抵抗しようと思うのに、何故か私の両手は私を裏切っている。


「や…やめて…」


「何故? 本当に嫌なら両手は動かない」


 彼の目の前で従順に自分のボタンを外す私の両手。彼は楽しげに嗤った。


「君は知ってるんだよ。この後、どれだけ素晴らしい時間が来るか。だから君の両手は素直に僕の言うことを聞くんだ」


「そ…そんなこと。無い」


「あるね。君は覚えているだろう? 僕に触られることが、どれだけ君の身体を熱くさせるか」


「いや…」


「ほら。もうボタンは外れたよ。あとはその布切れを肩から落として。全部脱ぐんだよ」


 私の意思に反して私の両手だけが彼に従っている。


「やめて」


「やめて? それはこんな中途半端はやめてってことだよね。もちろんだよ。アリス。このままにしない。ちゃんと、続きをしてあげるよ」


 こんなときだけ名前を呼ぶなんてズルイ…。


「ほら。両手で身体を隠してないで。僕に見せてごらん」


 身体に巻きついていた両腕がするすると離れていく。微かに震える肌が彼の視線に晒される。


 なぜ? どうして。こんなに恥ずかしいのに。


 思わず背けた顔に涙が伝った。首筋に熱い舌が這う感触がして、その雫を舐められる。とたんにザワリとした、なんともいえない感覚が舐められた場所から広がっていく。もっと舐められたい…一瞬そう考えた自分の思考に愕然とした。絶対に認めたくない。


「いいね。そういうどうしようもない顔をされるとそそられるよ。今日の君は最高だよ」


 耳元で囁かれて、涙で湿ったばかりの頬が熱くなる。


「ちゃんと脱いだからご褒美をあげよう」


 そう言うと彼は私の上へと覆いかぶさってきた。




 熱い。彼が触れているところ全てが熱い。


「君も感じ始めたね」


「んっ…」


 口を開こうとして、変な声が出そうになって、思わずつぐんだ。いつもと同じなのに、いつもとは違う感覚。私の身体はどうなってしまったの?


「君も、女として目覚め始めたんだよ」


 彼の涼やかな声が私の耳に届く。


「ほら。僕に溺れて」


 彼の楽しそうに細められた茶色の瞳が私を射抜く。


「君の身体に触れているのが誰か…感じて」


 力強い両腕に抱かれて、何もかも分からなくなる。


「ほら。イッてごらん」


 どこへ? などという問いは生まれなかった。言われた通りに素直に身体が、快楽の一点に向かって駆け上がる。


「あ…あぁ…あっ…」


 漏れ出た声は彼の唇によってふさがれて、身体の奥底から揺さぶられるような感覚に、私の意識は暗転した。



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