七 始まり
七 始まり
信長は、どうすれば逃げおおせ得るかをもう一度考えていた。
しかし、どう考えてもこの状況では逃げることは出来ない。生きたまま捕まるなど選択にはなかった。決断の人である信長には、起きる現実が手に取るように見えていた。光秀の目的と自分の運命が一致していた。当初の判断から何も違いはない。嗤うと、
「是非もなし」
信長はつぶやき、燭台の光の中すくと立ち、一人ゆるやかに舞い始めた。
突然、軍太鼓が打ち鳴らされ、それに続いて各方面からも呼応の太鼓が鳴りだした。そして幾万とも思える『うをー』というときの声があがる。
鉄砲が両山門の扉に打ち込まれた。同時に無数の矢が、塀の外から降って来て境内にいた者どもに突き刺さる。
真っ暗な中から襲いかかる矢羽。
どおんという雷鳴とひゅんひゅんという風切り音が坊のなかの者を恐怖させた。
堂の中で鎧を持たぬ小姓たちは、太刀を抜き放ち鞘を放った。腰に下げる拵えになっている鞘は寝間着の帯に差せば邪魔になるだけだ。自害するに遅れをとらぬよう脇差を差し入れる。
北と南の山門でわあという男達の声がした。
槍と刀の噛み合う音。
明智の兵が堀に梯子を渡し、塀を越えて入ってきた。飛び降りたところを長槍の守兵が突き通す。槍を抜こうとするが握られて抜けない。次に飛び降りた甲冑武士に向き直って刀を抜こうとしたが遅かった。すでに抜き身を持った敵は、彼の喉を喉当ての隙間から貫いていた。
なんのなにがし一番に敵を討ち取ったり、という名乗りが各所からあがった。
後から降り立った軍奉行の配下の足軽がそれらの者に駆けより、御身の主と御姓名は、と巻き紙に書き付ける。名前を言っている間に、後から入ってきた武士たちがその横を疾駆し各堂塔に信長を求め斬りこんで行く。
名前を聞かれた武士はたまらず、筆を走らせている足軽を突き飛ばし、低い唸り声をあげて本坊に向かった。