一 いななき
一 いななき
彼は外から聞こえる馬のいななきと車の軋む音に目が覚めた。一頭や二頭の馬のいななきではない。しかも聞き覚えのある陣中のざわめきと響き。
軍勢だ!
乱丸は隣に寝ている主からそっと身を離すと、障子の前に走り半ばに開け濡れ縁に出た。まだ外は暗い。
広大な本能寺の塀はここからは遠く見える。しかし塀の外から、松明の明かりに照らされる幾条もの煙の筋が見えた。
宿直の小姓が槍を小脇に挟んで走ってきた。乱丸は小さいが鋭い声で問うた。
「何事ぞ!」
「軍勢に囲まれております。山門を守っている者の申すには水色桔梗の旗!日向守(光秀)様にございます!・・・た、ただの出陣前のご挨拶ではないかと門兵が申しておりますが・・・」
乱丸が叱咤した。主に聞かれたら、この者はすぐさま用無しとして処罰されるであろう。
「軍兵を動かすには理由がある!今の日向守に三草越え(中国方面に向かう時の中継地点)をせずに兵を連れてここに挨拶に来る理由ぞあるか!」
後ろから低い声が聞こえた。
「・・・光秀か・・・やはり」
「御屋形様!」
ゆっくり床から身を起こした主は、懐に右手を入れて脇を掻きながら人事のように言った。
「お乱。ここをどう切り抜ける」
「・・・お姿を僧形にお変えください。光秀は女子と僧を殺すようなことはしますまい」
「儂がしたことは光秀はせぬと言うか!」
乱丸と小姓は一瞬身を震わせ、信長の前に畏まった。内務の家臣の大部分はここで信長の逆鱗に触れまいとする。だが、乱丸は自分の考えを常に言い放ってきた。
十三歳の時からそうやって仕えてきたのだ。命を賭けて信長と向き合ってきた。それが忠義と信じていた。