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番じゃないと言われたので

作者: 青井はる
掲載日:2026/08/22

『ツガイ』。

それは獣人にとって、この世にただ一人存在する結ばれるべき運命の相手。

相手と出会った瞬間、魂が共鳴し、一生涯その人だけを愛し続ける。


そんなおとぎ話のような話を、マーテルは幼い頃から当たり前のように聞かされて育った。

しかし、ツガイの概念がないヒト族からすると、それはあくまで物語の中の話に過ぎない。

獣人にとっても出会える確率は限りなく低く、ツガイ以外と結婚するのが普通のことだった。

ごく稀にツガイが見つかる可能性として一番高いのが、国中の貴族の子女が集まる王立学園での出会いだが、それでも数年に一度カップルが誕生するかどうかという程度の確率であり、期待して入学してくる生徒はほとんどいない。

犬獣人であるマーテルもそうだった。ツガイなんて物語だけのものだと思っていた。


あの日、彼を見つけるまでは。




入学してしばらく経ったある日。

マーテルは学園内の廊下を親友のリリーナと歩いていた。

ふと目の前を通り過ぎた青年を見た瞬間、時間が止まったかと思った。

白銀の髪に、金色の瞳。髪から覗く耳を見ると、彼は豹獣人だとわかった。

息を呑むほど美しいその青年を前に、マーテルは固まってしまう。

そんなマーテルの様子に、リリーナが心配そうに声をかけた。


「どうかしたの? マーテル」

「あの方……ツガイだわ」

「えっ、ちょっと、マーテル!」


リリーナの制止も耳に入らない。

突き動かされるように駆け出したマーテルは、その青年の前に立ちふさがった。


「あの、私、リーゼル伯爵家のマーテルと申します! あの、あなたは……」


どきどきと胸が高鳴る。彼が視線を向けてくれただけで、嬉しくて泣き出したい気持ちになった。

しかし、青年は驚いたように目を見開いただけだった。


「僕は……コートナー子爵家のウィリスといいます。……それで、僕に何か?」


ウィリスからは、マーテルに対する熱など微塵も感じられない。

むしろ、不審者を見るような冷ややかな目だった。焦燥感に駆られ、マーテルは訴える。


「私達はツガイですよね? あなたを見た瞬間、わかって……」

「ウィリス!」


駆け寄ってきた黒髪の令嬢が、ウィリスの腕に抱きついた。

艶やかな黒い髪をハーフアップにまとめ、桃色の大きな瞳が印象的な美しい令嬢だ。


「ウィリスに何かご用ですか!?」


彼女は敵意に満ちた目でマーテルを睨みつけた。

動揺するマーテルをよそに、ウィリスは黒髪の令嬢に「大丈夫だよ、アンジェリカ」と微笑みかけて抱き寄せた。

二人の間には、誰の介入も許さない親密な空気が流れている。

ウィリスはアンジェリカに向けた甘い笑顔を消し、冷たい表情でマーテルを見下ろした。


「僕はあなたに何も感じません。あなたはツガイじゃない」


ウィリスはマーテルを冷たく突き放した。

マーテルは冷たいその視線に冷や水を浴びせられたようだった。

獣人の男性はツガイへの執着が強いと言われている。

その彼が否定するということは、マーテルが嘘をついているということと同義だった。


「僕とアンジェリカは婚約者同士で、あなたに入り込む隙間はない。二度と関わらないで欲しい」


そう言い捨て、ウィリスはマーテルを睨みつけて去っていった。




その一件以来、マーテルは婚約者がいる相手にツガイだと嘘をつき、身分をかさに着て無理矢理引き裂こうとした悪女だと噂されるようになった。


ついウィリスを目で追ってしまうマーテルを、彼は目が合うたびに睨みつけた。

偶然同じ科目を受講することになったときも、「付き纏うのはやめてくれ」と突き放される。

アンジェリカとその友人達には「伯爵令嬢だからって身分を笠に着て無理矢理ウィリスを奪うつもり!?」「ツガイを騙って二人を引き裂こうなんて最低!」と責め立てられた。

ウィリスとアンジェリカは幼馴染で、ずっと相思相愛だったと聞いた。

募る思いはただの勘違いだったのだろうか。

マーテルは深く悩み、彼らに申し訳なさを感じていた。

噂を信じた生徒からは冷たい目で見られ、庇ってくれたのはリリーナだけだった。


「ね、今日もうちに寄っていかない? 珍しくセインお兄様がいるのよ」


リリーナはマーテルを気遣い、よく邸に招待してくれていた。

その日はリリーナの二番目の兄、セインが同席してくれた。

長兄の補佐として忙しく働く彼は普段領地にいるが、用事があったため王都に戻ってきているそうで数年ぶりに会えたのだ。

セインはリリーナと同じ金色の髪に深い青の瞳を持つ、優し気な青年だ。


「マーテル久しぶり。髪が伸びたね」

「ちょっとセイン兄様、それじゃあ親戚のおじさんみたいじゃない!そこは『きれいになったね』でしょ!」


目を細めて柔らかく微笑むセインを、リリーナは肘で小突きながらつっこむ。


「いや、だって、きれいなのは元からだろう?」

「それでも褒めるのが紳士のつとめでしょ!」

「それは悪かったね」

「もう!気が利かないんだから。マーテルも文句言っていいわよ!」


眉を下げて苦笑するセインと、頬を膨らませるリリーナの姿に、マーテルは笑みをこぼした。

二人のこんなやりとりを見るのは久しぶりだわ、と幼い頃を思い出した。

領地が隣同士で、家同士交流のあったマーテルとリリーナは物心がつく前からの仲良しだ。

そして、4歳年上のセインは二人の面倒をよく見てくれた優しいお兄さんだった。

その頃も、リリーナが怒ったり、無茶を言ったりしたときに、セインは困ったように笑ってリリーナに謝っていた。そのたびに、一人っ子のマーテルは優しい兄がいるリリーナを羨ましいと思ったものだ。

やがて成長するにつれ、可愛がってくれたセインを次第に男性として意識するようになっていったのは自然なことだったと思う。


ウィリスに会ってからは彼のことで頭がいっぱいだったマーテルだが、彼女の初恋の相手はセインであり、婚約者候補でもあった。

家格も相性も問題ない二人がいままで正式に婚約しなかったのは、マーテルが獣人だったからだ。

獣人は万が一ツガイが見つかった時のため、学園卒業まで婚約しないことが多い。

ツガイが見つかったからといって簡単に婚約を解消できるわけではないからだ。

ウィリスとアンジェリカが婚約している事の方が珍しいのだ。

だからこそ、マーテルもウィリスに婚約者がいると思わずに声をかけてしまった。


「何か考え事?」


ウィリスの事をぼんやりと考えていたマーテルは、セインの声にハッとした。

せっかく時間を割いてお茶をしてくれているのに、上の空で居たら失礼だ。


「学園のことはリリーナからきいたよ」


マーテルが謝罪しようと口を開く前にセインが穏やかな声で言う。


「つらい思いをしてるんだね」

「あ…」


セインの優しい声と労わるような眼差しに、思わずぽろりと涙が零れた。


「つらい…」

「うん」


セインが差し出してくれたハンカチを目に当てる。ほんのりと優しい石鹸の香りがする。


「ツガイだと思った人から拒絶されて」

「うん」

「まわりの生徒から冷たくされて」

「うん」

「それでもウィリス様を想うことを止められなくて…」


声を震わせるマーテルに、セインは苦しげに眉を寄せる。


「ヒト族である俺はツガイがどういうものかわからないけれど、マーテルを悲しませるような男に君を任せられない」

「えっ…」

「俺はマーテルを幸せにしてくれる相手と一緒になって欲しいと思う」


顔を上げると、真っすぐ向けられたセインの瞳は熱が込められているようで、マーテルは顔が熱くなった。


「お兄様、俺にしておけって言うところじゃないの。なんだか父親みたいじゃない。情けないわね」


リリーナが茶化しても、セインは困ったように笑うだけだった。


「マーテルの気持ちが一番大事だよ」


学園のことで疲弊していたマーテルは、セインの優しさに救われた気がした。

彼といると、ウィリスに対する、激しく燃えるような抗いがたい思いとは違う、穏やかで暖かな感情に包まれる。

セインと話しているうちに、マーテルはある決意を固めていた。




数日後。

マーテルが学園で帰りの馬車を待っていると、駆け寄ってきたウィリスがマーテルの前に突然跪いた。


「あなたがツガイだったんだ! 婚約して欲しい」


彼は今までの言動が嘘のように熱のこもった瞳でマーテルを見つめプロポーズをした。

マーテルはそんな彼をじっと見下ろして、首を傾げる。


「アンジェリカ様と婚約しているのでは?」

「あの女は僕を騙していたのです!」


ウィリスはあんなに愛しそうに抱き寄せていたアンジェリカに対して「あの女のせいで」と憎々し気に吐き捨てた。


「元々あの女との婚約は、僕にツガイが見つかったら解消するという契約だったのでもう婚約者ではありません!あの女、勝手にツガイを感じることができなくなる薬を定期的に僕の紅茶に混ぜて飲ませていたのです!その上、あなたから僕と別れなければ家を潰すと脅されたとか、叩かれたとか階段から突き落とされそうになったとか嘘を言ってきていたんです!今思えば僕があなたに抗議すると言った時に止めたので何故だろうと疑問だったのですが、その時の僕はすっかりあなたを悪女だと思い込まされていて、アンジェリカがあなたを刺激しないで欲しいという言葉を信じて従ってしまった…ああ…あの女の嘘のせいで、僕はツガイであるあなたにあんなひどい態度を…」

「まぁ…。そうだったのですね」

「はい。あの女、ツガイが現れたら捨てられると思って不安だったからとか馬鹿げた言い訳をして…!家には薬を盛ったことに対する慰謝料も請求しました!本当は騎士団に突き出して罪人にしてやりたいところでしたが合法な薬だからとたいした罰は受けないそうで…!あなたとの仲を引き裂いた極悪人だというのに!」


悲劇のヒーローのように語り、苦し気に胸を押さえた後、ウィリスは真っすぐにマーテルを見つめて手を伸ばす。


「伯爵家へ婿入りし、生涯をかけてあなたに尽くします。どうか僕と…」


手をとられそうになり、マーテルはそれを一歩後退して避ける。

愕然とするウィリスに、彼女は何の感情もない目を向けた。

道端の石を見るときのような、少なくとも愛しいツガイに向けるはずのない視線。


「マーテル」


その時、ウィリスの後ろから颯爽とセインが現れ、マーテルの手をとった。

マーテルは蕩けるような笑みをセインに返す。


「誰ですか、その男は!」


怒り狂うウィリスに、マーテルは「私の婚約者ですわ」と素っ気なく答えた。




数日前。

マーテルは、ツガイというものにもう振り回されなくなるようにと、ツガイを感じられなくなる儀式を受けるため神殿へ赴いていた。

それはツガイを亡くした者や、探すことを諦めてツガイ以外と結婚した者が受ける儀式だ。

両親もツガイ同士ではないが仲睦まじくやっているし、ヒト族にはツガイなんてものはない。

マーテルは自分に冷たくするだけのツガイとの縁を切り捨てて、セインに告白しようと決めたのだ。

儀式を受けて確信したのは、やはりウィリスはツガイだったということだ。

でなければ、儀式後に彼を見て何も感じなくなるはずがない。

マーテルのウィリスへの思いは、ツガイだからこそ感じるものだったのだ。


儀式の後、セインに「私の初恋はセイン様です。婚約してくださいますか…?」と告白した時、彼は泣きそうな顔で「俺も君が初恋だ。幸せにするよ」と抱きしめてくれた。

ウィリスをツガイだと思って見つめていた時とは比べ物にならないくらい、心が満たされた。

セインと正式に婚約し、デートを重ねるうちに、マーテルはさらに彼に惹かれていった。

婚約者になってからは惜しみなく愛の言葉を伝えてくれて甘やかして大切にしてくれる。

恋愛や信頼というものは積み重ねることで深まっていくものだとマーテルは実感した。

本能や直感だけで決められるツガイという存在は、ただの執着に似た感情に支配されたもの。

ひどい扱いをされても嫌いになれず、求めてしまう呪いのような。愛とは全く違う。

セインと心が通じ合ったことで、マーテルはそのように考えるようになった。


愛するセインと仲睦まじく過ごしている今となっては、見ず知らずの者から「あなたは私のツガイです」と迫られても迷惑なだけだとわかる。

いまのウィリスを見ていると、ツガイに囚われていた過去の自分を見ているようで心が苦しくなった。


「相思相愛のアンジェリカ様がいらっしゃったのに、私のような者に突然『ツガイだ』なんて声をかけられて迷惑でしたよね。いまならお気持ちがすごくよくわかりますわ。あの時は本当にごめんなさい。それでは」


マーテルは申し訳なさそうに微笑むと、セインのエスコートで馬車へ乗り込んでいく。


「今日はマーテルの行きたがっていたレストランを予約してあるんだ。一度家に戻って着替えてから向かおう」

「わぁ!楽しみ。でも一度戻るなら家でお待ちいただいても良かったのに、わざわざ迎えに来て下さったの?」

「マーテルにすぐにでも会いたくて。美しい君に虫がついては大変だし。来てよかったよ」


セインはウィリスをひと睨みし、馬車の中へと入った。

呆然とするウィリスを残し、馬車は軽快に走り去った。

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― 新着の感想 ―
数日間で婚約してデートを重ねるのは無理かと。
獣人的にすごく大切なものであるはずのツガイを感じるのを阻害しても合法な薬とは…? そんな合法な薬程度でわからなくなるならツガイなんて世界的に大したものとして扱われてないってことですよね
物語の中だけのものと思っていたくらいに番は少ない?のに儀式だの合法の薬が開発されてるあたり不思議だ
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