【工学系女子シリーズ⑧】初めての船は誰にも渡したくない~故郷の先輩は思った以上に独占欲が強いようです~(マレナ×セルジオ)
三月のはじめ、マレナ・ヴェントラが学院に入るために王都に来てから一年が経とうとしていた頃。ロレンツォ・アルベリーニの個展は、王都の裏通りにある、白壁に蔦の絡まる小さな画廊で開かれていた。
一般公開前の静かな時間、地元の港町ヴァレストの造船ギルドの先輩、セルジオからもらった招待状で入った会場には、マレナの大好きな海と、船の絵が並んでいた。
広い展示室の中央に、ひときわ人だかりができていた。正面に据えられた、一番大きな個展の目玉作品。
マレナは、その絵を一目見て分かった。夕暮れの港に滑り込む、一隻の中型帆船の絵。照明が船体の曲線を照らし出している。
ゆっくり、絵に近づいた。
帆の角度、船首の反り、強く安定感のある、でも無駄のないフォルム。私の辿り着きたい場所を、少し先で形にして見せてくれた船。進水式の時に見た光景が、マレナの目の前に蘇る――
「……グラン・ソーニョ」
思わず声が出た。
横にいた青年が振り返る。濃い茶色の瞳が揺れ、驚いた顔をしていた。手には木炭と、紙を持っている。
「……知ってるんですか?」
マレナは絵から目を離せなかった。
「見ました。進水式に。私、ヴァレスト出身で。これ、造船ギルドの先輩の船なんです」
「先輩って、設計者のセルジオ・コンティさんがですか?」
マレナは男性を見て、頷いた。
「僕、この絵を描いた、ロレンツォです」
ロレンツォが、少し興奮した顔になる。
「ヴァレストの港で、一度だけあの船を見たんです。遠くから。きれいで、どうしても描きたくて。設計者の名前を調べて何度も港に通いました」
「違いが分かりましたか。きれいですよね」
マレナの声が少しだけ熱を帯びる。
「私にとっての、憧れの船です。あなたの絵、あの船の良さが、伝わってきます」
「良く知っている人にそう言ってもらえて嬉しいです。セルジオさんにもそのうち見て欲しいです」
マレナはグラン・ソーニョを、もう一度見た。
あの日の港の光が、絵の中にあった。
進水式の朝、隣に立っていたセルジオの横顔、後ろで束ねた濃茶の髪、潮の匂い、波の音が、一瞬よみがえり、胸の奥がきゅっと痛んだ。私の夢に向かう道の少し先をいく先輩と、その船。だからこそ、目が離せなかった。
「……伝えます。絶対に」
その夜、寮に帰ったマレナは、今日の絵の感想と紹介状のお礼を、セルジオへの手紙に綴った。
自分の夢を追う姿を、いつもいちばん近くで見ていた人。折れそうな時に話を聞き、ぽん、と優しく頭に大きな手を置いてくれた感覚を思い出して、会いたくなった。
◇ ◇ ◇
春になった。木々が芽吹き始め、花の香りがふわふわと風に乗って漂う。
ノエラ、マレナ、フェリアの三人は、学院の食堂のいつものテラス席に集まっていた。三人とも二学年に進学し、それぞれの専門が少しずつ形になってきた頃だった。
今学期にどの授業を取るかという話が落ち着くと、マレナがスプーンを置いて、ふと思いついたように言う。
「ねえフェリア、前から気になってたこと、ちょっと聞いていい?」
「どんな?」とフェリア。
マレナはパンをちぎりながら、少し間を置いた。
「フェリアって、銃作ってるじゃない。……船に積む砲って作れるの?」
「砲?」
フェリアは目を丸くするが、サンドイッチを持ったまま、少し考えた。
「考えたことないけど……できる気がする」
マレナは続ける。
「私、将来大きい船を作るのが夢なの。外洋を渡れるくらいの。まだ、乗客十人位の小型の船しか設計できてないけど、いつか何十人も、何百人も乗れる船を設計したい。遠い国まで行ける船」
「マレナらしい」とノエラ。嬉しそうに言う。
「……軽くて、精度が出るやつだね。魔獣の出る海域でも安全に航行できるように」
フェリアが考え始める。
「船体への反動の計算が変わるから、設計に影響するね」
マレナも考え込む。
「そうしたら私、構造計算手伝う。反動とか、船体への負荷とか」
ノエラが言った。
「夢の合作が誕生するね」
三人の気持ちも盛り上がる。
フェリアが突然、真顔になる。
「できたら、レオンも乗れるかな。勇者候補なら船に乗って魔獣と戦えるかも」
「その発想は、初めて聞いた。船ができるころには、勇者になってるね」
「だと良いな……いや、私の銃で、勇者にする」
「さすがフェリア」
ノエラが笑いながら言う。
「すごい。勇者付き観光船?」
三人は笑った。離れたところから見た人は、誰もこんな話題で年頃の女子たちが盛り上がっているとは思わないだろう。
食事が終わって席を立ちながら、マレナは空を見上げた。
澄んだ空は、青くて、遠かった。
(今はまだ、半分冗談みたいだけど――いつか、本当に作れるかな)
王都で、夢を一緒に語れる仲間ができた。
今は、まだ遠い。でも、励まし合いながら歩き続ければきっと、近づいていける。
◇ ◇ ◇
初夏のある日。学院の寮のマレナの郵便箱に手紙が届いていた。封筒が厚い。差出人は——ロレンツォ。
封をナイフで切って開ける。
「マレナへ。君が春の個展で、目玉の絵を夢中で見てくれていたのを思い出す」
さらに続く。
「先日ヴァレストに戻る機会があって、設計者のセルジオにも会えたので、彼にもやっと、あの絵を見せることができた。満足してもらえて良かった。
あと、君の反応を伝えた。すぐセルジオの船だと分かったこと、細かく覚えていたのを絵と照らして思い出していたこと。——たぶん、それを聞いた彼、照れていた。
実は個展の時、グラン・ソーニョを見つめる君の横顔のデッサンを描いたので、セルジオに渡した。余計なお世話かも知れないけれど、僕は君たちを応援しています。」
(え、描いてたの? どんな顔していたんだろう)
じわじわと顔が熱くなる。セルジオが今、自分の描かれた絵を持っている。動揺したが、すぐに一枚の、封筒サイズのしっかりした紙があるのに気が付く――
セルジオが机に向かう、胸から上のデッサン画。下に、ロレンツォのサインがある。
故郷のギルドでいつも見ていた彼の切れ長の目。胸の鼓動が高まる。
(本物みたい。これ、大事にする!)
すぐに、自分の机に飾る。額は、今度買おうと決める。
そして次に、別の便箋が一枚あった。筆跡が違う。
(あ、セルジオの字……何の用だろう)
「マレナへ。ロレンツォから元気だと聞いた。
マレナの設計した小型船、買い手がついて、もうすぐ完成する。
進水式は夏になる。帰って来い。待ってる」
マレナは手紙を膝の上に置いた。身体中が、高揚している。
「やった!」
両手を上に上げる。
「え? 何か良い知らせ?」
同室のフェリアが驚く。
「うん。私の設計した小型船が、できたって! 最初の船。夏休みに、進水式行く!」
「おめでとう!」
マレナとフェリアは二人で飛び跳ねて喜んだ。
設計図を書いたのは、もう一年半近く前。ギルドの見習いだった頃、ギルドを離れる前に置いていきたくて、夜中に仕上げた図面。セルジオにもかなり直しに付き合ってもらった。造船ギルドのゲンツ親方が、職人のザムに作れと言ってくれてはいたけど……。
その後もセルジオが買い手を探して、形にしてくれているとまでは、期待していなかった。
「その絵の人、もしかして、いつも話してる大事な先輩?」
マレナは一瞬、言葉に詰まった。
「だ、大事っていうか……造船ギルドの先輩で、すごい人で、いろいろ教えてもらってて……」
「良かったね。先輩にも会えるね」
フェリアが、さらに嬉しそうに笑った。
「いや、船を見に行くんだよ。先輩にも、会うだろうけど……」
「うん。分かってる」
窓の外に、夏の光が広がっていた。
◇ ◇ ◇
港町ヴァレストは、夏になると光が強く、白い壁が眩しく反射している。王都とは違う、しっとりと潮の匂いを含んだ風がマレナの頬を撫でた。
天気の良い日は青が深くなる海と、石畳の坂道を下りれば、港が見えてくる。市場や、ロープを引く音、波が岩を叩く音が騒がしい。
学院二年目の夏休みで久しぶりに戻ったマレナは、五感で「帰ってきたんだ」と、理解する。
港の桟橋へ向かうと、すでに人が集まっていた。
そこに——両親がいた。
「マレナ。顔、ちょっと白くなったわね」
母が笑って、頬を触る。
「王都で学院にばかり通っているから」
マレナは苦笑いをして言った。
そして、見た。目の前に、小型船が一隻、静かに浮かんでいた。
白い船体に、青いラインが入っている。すっきりした舳先。十名ほどの客席と、操舵の区画。運転手と補助を含めて二名が動ける、余裕のある動線。グラン・ソーニョより、まだかなり小さいけれど、初めてマレナの設計を形にした船だ。胸が詰まる。
船のプレートに、小さく名前が書かれていた。
〈Delphinium〉
設計図の右下に書いた名前。誰にも言っていなかったのに、そのまま使ってくれていた。
「……デルフィニウム」
マレナが呟くと、背後から声が落ちてきた。
「お前が決めた名前にしたぞ。好きな花なんだろ」
セルジオだ。聞きなれた、少し低い雑な話し方。
振り向くと、彼はいつもよりきちんとした服で、腕を組んで立っていた。
「覚えててくれたんだね」
「覚えてる。花言葉は、『大きな夢』と『あなたは幸福を与える』君らしい」
マレナはすぐにまた、船の方に向きなおした。照れてしまって、直視できない。
両親がセルジオに、軽く頭を下げた。セルジオも、頭を下げて返す。
母がマレナの隣で言う。
「きれいな船ね」
父が頷き、船を見ながら言った。
「マレナ、船はセルジオさんの口利きで、領主のヴァレンフェルト家が買ってくださった。だが、運営はうちに任せてくれたから、観光船にすることにした。沢山働いてもらうぞ」
マレナは目を見開いた。
「うちで運営……セルジオが頼んでくれた?」
マレナはセルジオを見た。
セルジオは、何でもない顔で肩をすくめる。
セルジオは、そうやって、いつも助けてくれる――
式は、領主の代理が挨拶をして、穏やかに進んだ。
祝詞。拍手。白い布が外され、船体が太陽を受けて眩しく光る。
デルフィニウムが、ゆっくりと海へ滑り出す。
——浮いた。
自分の船が、海に浮いた。
その瞬間、思わずセルジオを見た。
真っ先に想いを共有したい相手が誰なのか、身体が知っていたみたいで、自分でも驚いた。
マレナは、改めて、船を見る。
(……うちの家族が、動かすんだ)
設計した自分の船を、父と母が運航する。それが、なんだか少し不思議で、じわりと目が熱くなった。
◇ ◇ ◇
式が終わった後、セルジオが声をかけた。
「乗ってみるか?」
マレナは頷き、船へ向かう。
桟橋から船へ、短いタラップが渡してある。マレナが踏み出した瞬間、船と足場が潮で揺れて、反射的に身体が傾いた。
「……っ」
その瞬間、セルジオが手を取った。よろけた腰にも、大きな手が添えられる。
「大丈夫か」
「……うん」
短い一言だったが、距離が近かった。声がすぐ耳元にあって、マレナは前を向いたまま動けなかった。
(セルジオと私は、ただの先輩と、後輩。今は、船のことを考えないと……)
マレナは顔が熱くなるのを誤魔化すように、甲板を見回した。
デッキから、港が見渡せた。夏の光の中、海が広がっている。自分が設計を書いた船に、今、立っている。
「……ちゃんと浮いてるね。すごい」
「当たり前だ。自分の設計を信じろ」
マレナは笑った。
「セルジオにもさんざん直してもらったしね」
セルジオが少し黙って、それから、かすかに口の端を上げた。
◇ ◇ ◇
小型船のデッキはそれほど広くなくて、後ろに立つセルジオが息を感じるくらいに近い。
港を眺めながら、マレナはランチのときのことを話し始めた。
「王都でね、ノエラとフェリアと、夢の話したの」
「ふうん」
「『船に積む砲作れる?』ってフェリアに聞いたの。大型船で遠くまで行くなら、魔獣の出る海域もあるかもしれないでしょう。そうしたら、できるかも知れないけど、反動とかが船の構造にも影響するよねって話になって」
マレナが笑う。
「それは面白い課題だな」
「ノエラも『構造計算手伝う』って言ってくれて。三人でいつか、本当に砲を積んだ大きな船を作れたらって……」
マレナはさらに、続けた。
「そしたら勇者に乗ってもらって、魔獣も倒せるかな、なんて話になって。フェリアの幼馴染が今、勇者候補なの」
セルジオが黙った。その直後。
たくましい腕が、後ろからすっと回ってきた。
ぎゅ、と。
後ろからセルジオに、静かに抱きしめられていた。
「……え?」
マレナは息を呑む。
「……王都で、浮気?」
耳元の声が低すぎて、ぞくっとする。
マレナは慌てて振り返ろうとしたが、抱き締められて動けない。
「ち、違う! フェリアの話! フェリアに、ほとんど彼氏みたいな幼馴染がいて、その人が勇者候補なの!」
マレナは真っ赤になって言い直そうとして、言葉が若干迷子になる。
腕が、ゆっくりほどけた。
「……誤解した」
咳払いをして、セルジオは静かに離れた。
「誤解って?」
セルジオはマレナから目を逸らし、海の方を見た。その横顔が、ほんの少しだけ、照れている。
マレナは、その瞬間ようやく理解してしまった。
(え……嫉妬した、ってこと?)
マレナは振り返れなかった。顔が熱い。心臓がうるさすぎて、波の音が聞こえない。
さっき腕が回ってきた感触、背中に触れた温かさが、まだ消えていない。
「急にごめん。嫌だったよね」
「ううん、嫌ではない……びっくりしたけど」
むしろ腕がほどけた瞬間、ほんの少しだけ惜しいと思ってしまった。もう一度あの腕の中に戻りたい、 なんてことまで浮かんでしまって、マレナはますます顔を上げられなくなった。
「マレナ、顔、真っ赤だ」
セルジオが、ふっと笑う。
「私、お見合い失敗とか婚約破棄ばっかりだったから、免疫ないの」
「免疫はないままでいい」
ぽん、と頭を軽く叩いた。
「久しぶりに会ったけど、マレナが変わってなくて良かった」
「……マレナ」
セルジオが名前を呼んだだけで、さらに熱くなる。
「な、なに」
「王都で友達と夢の話してるの、いいな」
ぼそっと、卑怯な優しさで言われる。
「……うん」
マレナは小さく言った。
「学院でも、夢を追いかけ続けてるよ」
(ただの憧れじゃない。多分これは……恋だ)
前を向いて、マレナはただ港を見ていた。気持ちが落ち着くまで。波が、静かに桟橋を揺らしていた。
◇ ◇ ◇
船を降り、帰路に就く。セルジオは黙っていた。進水式の後片付けの人波を抜ける。昼間の賑やかさが嘘のように、今は静かだった。
マレナが初めて書いた船の設計図を、ギルドで見た時のことを思い出す。
まだ見習いだった頃の彼女が、夜中に仕上げていった図面。線が丁寧で、余白の計算が細かくて、誰かに見てもらいたいというより、自分の夢のために書いた図面だと分かった。
あの設計図を形にしようと思った。最初はただ、それだけのつもりだった。
けれど、買い手を探して動くうちに、気付けば、近くに置いておける道を作っていた。
――マレナの、最初の船だから。
ロレンツォからデッサンを受け取った時、引き出しにしまって、しばらくは、この絵を時々見れば十分だと思っていた。
でも、マレナが「勇者の幼馴染」という言葉を出した瞬間、考える前に、動いていた。
誤解だと分かって、腕をほどいた。でも、動いてしまった事実は消せない。
「誰にも渡したくなかった」
(思っていた以上に、僕は独占欲が強かったらしい)
「え?」
マレナが振り向く。
「いや、こっちの話」
セルジオはそう言って、目を逸らした。
デルフィニウムは、波の上で小さく揺れている。
船が形になったように、引き出しに閉まっていたはずの想いも、形になり始めていた。
二人の後姿を見送る日暮れの港は静かで、波だけが低く音を立てていた。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
久しぶりのマレナとセルジオでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
次回、来週日曜日20時はフェリア回を公開予定です。
そちらもよろしければまたお読みください。




