追放された悪役令嬢のスキル《記録》は全部見ていた。
王城の大舞踏会。
わたしの人生が終わったのは、シャンデリアの光がいちばん美しい時間だった。
「セリア・ロートリンゲン。お前との婚約を破棄する」
第一王子セドリック殿下が、会場の全員に聞こえる声で宣告した。
わたしは黙って立っていた。
「聖女エレナに対する毒殺未遂、度重なる嫌がらせ。証拠は揃っている」
殿下の隣で、エレナが涙をこぼしている。
白いドレス。震える肩。すがるような瞳。
——完璧な演技だった。
「やっていません」
「黙れ。証人は十分だ」
証人。全員、エレナが裏で手を回した人間たち。
でもそれを証明する手段が、わたしにはなかった。
「お前の父ロートリンゲン辺境伯にも連絡済みだ。『好きにしろ』と仰っていたぞ」
……やはり、そうですか。
父は昔からそうだ。王家に逆らうくらいなら、娘を捨てる人。
「本日をもって王都追放とする。二度とこの国の中枢に近づくな」
会場に拍手が起きた。
悪役令嬢が裁かれる。めでたい、めでたい。
エレナがわたしに近づいてきた。
涙声で、でも——わたしにだけ聞こえる声で、はっきりと囁く。
「ねぇセリア。あなたのお母様の形見のブローチ、昨日暖炉に入れたの。よく燃えたわ」
息が止まった。
「あなたの居場所、最初からどこにもなかったのよ。王子も、お父様も、この国の誰ひとり、あなたの味方じゃない」
にっこりと微笑む。天使のような顔で。
会場からは「エレナ様はお優しい」「追放される相手にまで声をかけてくださるなんて」と感嘆の声が上がっている。
セドリック殿下が笑った。
「エレナは優しいな。お前のような女にまで慈悲をかける」
そして殿下は、わたしに背を向けた。
「——さっさと消えろ。目障りだ」
◇
会場を出た。
廊下は暗くて、静かだった。
涙は出なかった。出し方を忘れていた。
ひとりで歩いていると、足音が聞こえた。
振り返ると、男が立っていた。
黒髪に、深い翠の瞳。
舞踏会の礼装なのに、まるで戦場に立っているかのような気配。
隣国アルドシュタイン帝国の公爵、レオン・ファルケンハイン。
大陸最強の剣士にして、史上最年少の公爵。竜を単騎で討ち、万の軍勢を一人で退けたと言われる男。
今夜は外交使節として出席していたはずだ。
「泣かないんだな」
低い声だった。冷たくはない。
「泣いても何も変わりませんから」
「——気に入った」
彼はまっすぐわたしを見た。
「君の目。《記録》のスキルを持っているだろう」
「……何のことですか」
「知らないのか。その瞳は、見たものすべてを記録している。千年に一人と言われる古代スキルだ」
意味がわからなかった。
わたしにそんなスキルがあるなんて、聞いたことがない。
「嘘でしょう」
「嘘はつかない。面倒だから」
彼は外套を脱いで、わたしの肩にかけた。
秋の夜は冷える。当然のような仕草だった。
「俺の領地に来い」
「……なぜですか」
「君の《記録》が必要だ。——それと」
わずかに言葉を切る。
大陸最強と呼ばれる男の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「さっきの舞踏会、全部見ていた。あの聖女が君に何を囁いたかも、読唇でわかった」
わたしは息をのんだ。
「あいつらには必ず報いを受けさせる。俺が保証する」
選択肢はなかった。
正確には——この手を取る以外の選択肢に、意味がなかった。
「よろしくお願いします」
彼はうなずいた。
そしてごく自然にわたしの荷物を持った。大陸最強の剣士が、わたしのトランクを片手で軽々と持ち上げる。
「これだけか」
「追放ですから。持てるものは限られます」
「……足りないものは全部揃える」
それが、わたしの追放の夜だった。
◇
レオンの領地は、想像を超えていた。
公爵邸の離れ——と彼は言ったが、わたしの実家より大きい。
専属の侍女が三人。衣装部屋には新しいドレスが並んでいた。
「いつ準備したんですか」
「舞踏会の前に。追放されることは予想していた」
「……予想?」
「あの王子と聖女の動きは一ヶ月前から掴んでいた。うちの諜報部は優秀でな」
つまりこの人は、最初からわたしを引き取るつもりで舞踏会に来ていた。
「先に助けてくれてもよかったのでは」
「追放の撤回では意味がない。あいつらを完全に潰すには、一度泳がせる必要がある」
冷徹な計算。
でも、わたしの肩にかけてくれた外套は温かかった。
この人は、やり方が不器用なだけだ。たぶん。
翌日、レオンは書斎でわたしに《記録》のスキルを説明した。
「君の瞳は、生まれてからすべての光景を記録している。魔力を通せば、映像として空中に再生できる」
「全部、ですか」
「全部だ」
つまり。
あの舞踏会も。エレナの囁きも。セドリック殿下の暴言も。
これまでの全部が、わたしの目の中にある。
「練習が必要だ。俺が教える。毎日、一対一で」
「公爵様がわざわざ?」
「他の人間には任せない」
なぜ、とは聞けなかった。
彼の目があまりに真剣だったから。
◇
訓練の日々が始まった。
レオンは何でもできる人だった。剣も、魔法も、政治も、外交も。
——料理まで。
「食え。痩せすぎだ」
昼食の時間になると、レオンが自分で作ったスープを持ってくる。
「公爵様が料理を?」
「君の味の好みは侍女に聞いた。酸味が苦手で、温かいものが好きだろう」
「調査済みですか」
「当然だ」
当然って何ですか。
大陸最強の剣士が、わたしのためにスープを作っている。この状況がおかしい。
「食べないなら口に入れるが」
「食べます。自分で食べます」
美味しかった。悔しいくらいに。
数週間で、わたしは《記録》の再生ができるようになった。
目を閉じて魔力を込めると、空中に映像が浮かぶ。
試しに昨日の夕食を再生してみた。
映像の中のレオンが、わたしが目を離した隙に、わたしの皿へ黙って肉を足していた。
「……気づいていたのか」
「今知りました。こっそり足してたんですね」
「足りていなかったから足した。それだけだ」
耳が赤い。
大陸最強の公爵様の耳が赤い。
わたしは追放されてから初めて、これでよかったのかもしれない、と思った。
◇
一方、わたしがいなくなった王国は崩れ始めていた。
エレナの「聖女の力」は偽物だった。
祈りで病を癒すと称しながら、裏では王家の宝物庫から魔道具を持ち出し、その力を使っていただけ。魔道具が底をつけば、もう何もできない。
セドリック殿下はエレナに操られるまま、増税と粛清を繰り返した。
民は苦しみ、貴族たちは離反し始めている。
全部、レオンの諜報部が報告してくれた。
「ざまぁ、と言いたいところですが」
「言えばいい」
「……民に罪はありません」
レオンがわたしを見た。
何か言いたそうな顔をして、結局こう言った。
「——だから好きなんだ」
「……え」
「国際会議を招集する。準備はできている。あとは、君の決断だけだ」
好きという単語をさらりと落としていった。
いや、流していいんですかその発言。
「会議で《記録》を使え。全部見せろ。あいつらがお前にしたこと、世界に暴け」
レオンの翠の瞳が、炎のように燃えていた。
「俺が守る。何があっても。誰が相手でも」
この人が言うと、冗談に聞こえない。
だって本当に、何があっても誰が相手でも勝ってしまう人だから。
「——やります」
わたしは、うなずいた。
◇
大陸五カ国合同会議。
中立都市の大会議場に、各国の王族と重臣が集まっていた。
わたしはレオンの隣にいた。
会場に入った瞬間、セドリック殿下の顔が歪む。
「なぜその女がここにいる!」
レオンが一歩前に出た。
それだけで、殿下の護衛騎士全員が後退った。
「アルドシュタイン公爵家の名において、外交上の不正に関する証拠を提出する」
レオンが合図した。
わたしは目を閉じて、魔力を瞳に集中させる。
——空中に、巨大な映像が浮かび上がった。
最初の映像。
エレナがわたしの部屋に忍び込み、わたしの飲み物に粉を仕込んでいる。毒殺未遂の「証拠」を自作自演する聖女の姿。
会場がざわめく。
次の映像。
エレナがわたしに囁く場面。「あなたのお母様の形見のブローチ、暖炉に入れたの。よく燃えたわ」——天使の微笑みのまま。
悲鳴のような声が上がった。
次。
セドリック殿下が、人目のない廊下でわたしの頬を打つ。「お前のような女が隣にいると虫唾が走る。身の程を知れ」
次。
エレナが正体不明の男と密会している。王家の魔道具を手渡し、金貨の詰まった袋を受け取る姿。
次。
セドリック殿下とエレナが寝室で笑い合っている。「セリアは馬鹿だから簡単だった。邪魔者がいなくなって清々する」「ふふ、次はあの辺境伯の領地を頂きましょう」
映像が進むたびに、会場の空気が変わっていく。
困惑。驚愕。嫌悪。——そして、怒り。
「《記録》は古代スキルによる原本映像です。改竄は原理的に不可能。賢者の塔の認定書もここにある」
レオンの声が、静かに会場を支配した。
「や、やめろ! でたらめだ!」
セドリック殿下が叫ぶ。
エレナが出口に走った。
「逃がすな」
レオンが指を鳴らすと、会議場の全出口に帝国騎士が立っていた。
いつの間に配置したのか。——最初から、全部計算していたのだ。
「嘘よ! わたしは聖女よ! みんなわたしの味方でしょう!?」
エレナが叫ぶ。
だが、もう誰も動かない。
偽りの涙はもう通用しない。全部、映像で見てしまったから。
「聖女エレナの正体は隣国の間諜です。王子はそれと知らず利用されていた。——いや、知っていて目を瞑っていたか。どちらにせよ国家反逆に相当する」
レオンが最後の資料を提示した。
各国の代表が次々と立ち上がる。
「アルドシュタイン公爵の証拠を全面的に採用する」
「当該国に対し、外交制裁の発動を提案する」
セドリック殿下が膝から崩れ落ちた。
エレナは騎士に取り押さえられながら、なおも金切り声を上げている。
——すべてが、終わった。
◇
会場が静まったあと、わたしの国の国王陛下——セドリックの父が、わたしの前に来た。
「セリア嬢。すまなかった。追放を撤回し——」
「その必要はありません」
レオンがわたしの前に立った。
国王を見下ろす翠の瞳に、一切の容赦がない。
「彼女はもう、あなたの国の人間ではない」
そしてレオンは、会場の全員が見ている前で、わたしの手を取った。
「セリア」
大陸最強の男が、片膝をついた。
「俺の妻になれ」
会場が凍りついた。
わたしも凍りついた。
「……ここで言うことですか」
「ここだから言う。世界中に宣言する。お前は俺のものだ」
「プロポーズが所有宣言なんですが」
「事実だから仕方ない」
笑ってしまった。
泣きそうなのに、笑ってしまった。
「——はい。喜んで」
レオンが立ち上がり、わたしを抱きしめた。
大陸最強の腕は、びっくりするほど優しかった。
会場のどこかで拍手が起きた。
それが波のように広がって、やがて大きな拍手になる。
セドリック殿下とエレナは、騎士に連行されていく。
わたしを追放した国の貴族たちは、何も言えずにうつむいていた。
「レオン」
「なんだ」
「わたし、泣いてもいいですか」
「……俺の前でなら、いつでも」
大陸最強の公爵様は、わたしの涙を親指でぬぐって、額にそっと口づけた。
わたしの目は、この瞬間も《記録》している。
今までで一番きれいな光景を。
もう二度と、あの暗い廊下をひとりで歩かなくていい。
わたしの《記録》はすべてを見ていた。
嘘も、悪意も、裏切りも。
——そして、わたしに差し出された、たったひとつの本物の手も。




