ハーケンクロイツの町
- あるとき私は、記憶を失って目を覚ました。
- 気づくと私は住宅の一室にいて、壁にはナチス・ドイツのものだろうハーケンクロイツの意匠が掲げられていた。
- その住居のどの部屋にも、ハーケンクロイツは掲げられていた。
- 歴史的なナチス・ドイツに共感を寄せる、いわゆる「ネオナチ」が暮らす家なのだろうか。
- 家の外に出ると、町が広がっていた。
- 町のなかにも、いたるところにハーケンクロイツが掲げられていた。
- 都心部を訪れてみると、建物の多くが、やはり壁面に大きなハーケンクロイツを掲げていた。
- 人々に尋ねてみると、ハーケンクロイツを掲げることはこの世界の文化的な習慣らしい。
- 例えば、ナチス・ドイツが戦争に勝利した世界線に私が「異世界転生」したわけではないようだった。
- 「私がいた世界では、この意匠を表示することは、あらゆる意味で絶対的に禁止されています」
- 私は、そう説明したい衝動を抑えられなかった。
- 「なぜですか?」、と相手は怪訝な顔をした。
- 私は明確には答えあぐねた。
- 相手は続いて、「それは、人々の合意によってですか?、それとも権力に強いられてですか?」と私に尋ねた。
- 私は、「わからない」と言った。
- 「その禁忌に受益者はいましたか? 受益者は民衆全員でしたか? それともそうではありませんでしたか?」と相手は尋ねつづけた。
- そして私は気づいた。この世界の人々には自我があるのに、私の自我は削除されていることに。
- かつて当たり前として感じられたすべては異常に狂っていて、私も私が愛する人々も人類全体が権力によって洗脳されていたことに、私は気づいた。
- 「そうです。私がいた世界には、批判が許されない空白地帯がありました。彼らによる人殺しは良い人殺しとされ、彼らによる大量虐殺は良い大量虐殺とされていました」
- 「それでは、その空白地帯に最高権力が存在し、あなた達は支配され搾取されていて、しかもその事実を、記録も発話も思考もできないように洗脳されていたのでは?」
- そう尋ねられると、私は感情的に怒り出した。「なぜそんなことがわかるのですか? わかるものか!」
- すると相手は、「たったこれだけの構造的な事実からそれは自明ではありませんか」と言った。
- 確かにその推論構造の妥当性は自明に真だった。なのに私の脳は、その事実性を承認できなかった。
- 私の脳は、いかに推論が妥当であっても一定の結論を承認できないように設定されていた。
- 「空白地帯」だ。
- 私のなかにも「空白地帯」があるのだ。
- 「誰」のためにその空白地帯は私の脳機能に埋め込まれているのだろうか?
- 「彼ら」すなわち「巨悪」のためにそれがあることは、もはや明らかだった。




